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本編第一章

現世について整理してみます1

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 私の実母、ハンナは立場的には平民だ。だから私も平民になる。

 ここセレスティア王国には王族を筆頭とする貴族社会がある。

    貴族たちは王国内に領地を持っており、そこに住む私たち平民は領主である貴族に税を納める。

     たとえば私と母が暮らすアッシュバーン領はアッシュバーン辺境伯の領地だ。辺境伯とあることからもわかるように北方の向こう側は隣国である。

   ダスティン男爵領はアッシュバーン領のすぐ隣だ。広大なアッシュバーン領とは違い、ごくごく小さな領地のダスティン家とは馬車でも半日あれば行き来できる。馬だと数時間の距離だ。

 貴族のほとんどは、冬の社交シーズンを、アッシュバーン領から馬車で5日ほどかかる距離にある王都の別邸で過ごす。春から夏になると自領に戻るのが普通だ。もっともアッシュバーン家のような辺境伯は、隣国への牽制の意味もあり、一年の大半を領地で過ごすのも珍しくない。

 貴族と平民の間にはそれなりな格差があり、身分を超えることはいつだって難しい。難しいが不可能ではない。

    たとえば騎士爵は、騎士の身分にある者がその戦績などを評価され一代限りで与えられる名誉爵位で、平民から騎士になった者でもその恩恵に預かることができる。

 母ハンナの父、つまり私の母方の祖父は、この騎士爵を賜った平民だった。母はそのコーンウィル騎士爵の一人娘だった。

 騎士爵はあくまで本人にのみ与えられる。爵位を受け継ぐことはできないし、もっと言えばその妻も子どもも平民のままだ。

    だがこの事実は、とりわけプライドの高い母にとって格好のアクセサリーになった。自分は平民ではなく貴族社会にこそふさわしいと自分の美貌を磨き続け、あわよくばどこかの貴族の子息と縁組できればと夢を見た。

 だが現実はそう簡単ではなく、ようやく得た仕事が、領主のアッシュバーン伯推薦の元、隣のダスティン男爵領でのメイド職だった。母の身分からすればアッシュバーン家にも伺候が可能だったが、母の才覚が不適合だった。アッシュバーン伯は隣のダスティン男爵にいわば母を押し付けたのだ。

    始めこそ納得いかなかった母だったが、ほかに行く宛てもない。しかたなくダスティン男爵家で働き始めたが、仕事を選り好みする母はあまり使用人には好かれなかったらしい。けれどどういう手練手管を使ったのか、ダスティン男爵と恋仲になった。ダスティン男爵には同い年の妻がいたが、二人の間に子どもはなかった。母ハンナはダスティン男爵の愛人の座を射止めたというわけだ。

 やがて子どもを身篭ると同時に退職。実家のあるアッシュバーン領に戻るも、祖父母からは勘当され、母は別の町に移って出産する。こうして生まれたのが私だ。子どものいないダスティン男爵は娘かわいさに毎月家を訪れては、金銭的なことも含めてあれこれ援助してくれていた。しかしながら表立って父親と名乗ることはできなかったのだろう、遠縁の伯父として私たちの前にいつも現れた。

 おそらく、その関係のままでいれば、母はああなることはなかった。少々プライドは高いが美しく、それなりな母親として、適度な距離で私の面倒を見続けてくれていただろう。毎月訪れる恋人に、身を弁えて接していれば、お酒におぼれることも、それが元で死ぬことも、般若の形相で埋葬されることもなかっただろう。

 母は、今以上のことを望んでしまった。けれどダスティン男爵はそれを与えることができなかった。

 ダスティン男爵と本妻の間には子どもがいない。だがそれは、不仲だからという理由ではなく、単に子宝に恵まれなかったからだ。

 貴族社会には珍しく恋愛結婚だったダスティン男爵夫妻の仲は、隣国にいても噂が漏れ聞こえてくるほど睦まじい。それを聞かされ続けた母は、ついに壊れた。

 月に一度の逢瀬では満足いかず、ダスティン男爵にここに住めと言ったり、妻を追い出して自分を屋敷に迎えてと懇願したりした。それが叶わないとわかるとお酒に逃げるようになった。生活費もすべてお酒に注ぎ込み、私の靴や洋服といった費用までがお酒に消えた。ここ最近は食費にまで手をつけるようになり、通いのメイドのダリアが関与しない朝食は抜かれることが当たり前になった。美しかった相貌も崩れ、まだ30過ぎだというのに髪には白いモノが目立ち始めた。

 母は気がついていた。母を愛したから母を愛人にしたのではなく、子どもの出来ない妻の代わりに、子どもを産んでくれる女性が欲しかったから母の手をとったのだということに。

 母の怒りは男爵ではなく、娘である私に向いた。

「あんたがいるからあの人は私を愛してくれないのよ! あんたがあの人の愛情を独り占めするから!」。

 酔った母に叩かれたことは一度や二度ではない。ただ、酔った母の動きは鈍く、私はうまく逃げ回り、ほとぼりが覚めてから家に帰るという行動パターンを身につけてなんとかやり過ごすようになった。家のベッドで眠れなくて、馬小屋の軒先で夜を明かしたこともある。そうしてそろそろと家に戻ると、母は寝ているか、すっかり酔いが覚めて、元の美しい、普通の母親に戻っているのだ。

 これは妹から聞いたゲームの話ではなく、私、アンジェリカ・コーンウィルの生身の記憶だ。

 だから母がお酒の飲み過ぎでいつものように烈火のごとく怒り、私をぶとうと手を振り上げた瞬間にぱたりと倒れてしまったとき、私は心底ほっとした。それでも、酔いが回って寝てしまったわりには唐突だと思い、動かなくなった母を軽く揺さぶってみた。その拍子に倒れた母の顔がこちらを向き、ようやくその異常さに気づいて、夜遅いのもかまわず、家から一番近い、ご近所の宿屋まで走って急を知らせたのだ。

 宿屋が医者を連れて家に戻ると、母はさきほど倒れたままの姿勢でそこにいた。心臓なのか脳の血管がやられたのか、いずれにせよもう息はしていなかった。




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