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ルビィの章
ルビィの独白6
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※女性への言葉に関して不快な表現があります。気になる方は父親が登場したあたりを読み飛ばして、ラストに飛んでください。
不安定なセーラを、付き添いの侍女はすぐに帰郷させようとした。「旦那様と奥様にそう言い使っております」と取りつく島もない様子の彼女にセーラを預けることなどとても出来ない。とは言えこのまま悪戯に王都での滞在を伸ばしたところで意味がない。教授夫妻は親切なので、セーラの宿泊をあと数日延長することくらいは簡単に許可してくれるだろうが、あまり長引かせるのも気が引ける。だが子どもが望めないと宣告されてしまったセーラを、なんの策も講じないまま婚家に帰すのは不安でしかたなかった。
ルビィがそうして悩んだのは一瞬のこと、茫然自失のセーラと、すぐにでも乗合馬車を手配しようとする侍女に対し、せめて父親に会う時間くらいは作ってほしいと願い出た。父はこの頃、王都のアパートメントで暮らしていた。セーラが戻ってくることは伝えていたが、仕事が忙しいからと会うのを断られていた。セーラ自身もそれどころではなかったこともあり、今回は父との面会の予定を組んでいなかったのだ。頼りない父ではあるが、現在の生活は安定している。熱中しすぎる癖は置いても、頭の回転は悪くない人だ。今回の自体をうまく切り抜ける案を思いついてくれるかもしれない。
ルビィとの押し問答に負けたのか、侍女は1日だけ滞在を伸ばすことを了承した。ルビィはセーラを連れて、父のアパートメントを訪問することにした。
仕事が忙しいというのは方便だったのだろう。父は部屋でひとり書類仕事をしていた。通いのメイドがひとりおり、突然訪ねてきた娘2人を興味深そうに観察しながらお茶を出してくれた。
未だ会話もままならないセーラに代わって、ルビィは事情を説明した。子どもがなかなかできなくて、王都の医者に見てもらうために上京したこと、病院での医師の診断の結果、そしてこのままセーラを婚家に帰すことに対する不安―――。父は巻き煙草を咥えながらうっそりと笑った。
「離縁して戻ってくりゃいいさ。部屋は余ってるしな」
父の発言にセーラがびくりと肩を震わせた。ルビィも動揺したが、しかし心のどこかで納得する部分があった。この事実がはっきりした時点で、ルビィ自身も「離縁も致し方のないことかもしれない」と思う気持ちがあった。大勢の使用人を使って農場を経営している婚家で、ひとり息子の跡取りは必須という状況。この状態で子どもが望めないとされたセーラの存在が今まで通り大切にしてもらえるのかという疑問があった。
それにしても、と父の顔をまじまじと見る。もう60に近いというのに相変わらず綺麗な形をしていて、年齢よりずっと若々しく見える。最近は生活も落ち着いているせいか、切羽詰まったような鬼気迫る雰囲気もない。こんな男でも父親らしいところはあったのかと意外な思いで父の発言を聞いていたが、次の言葉でこの男の本心を知ることになった。
「あの地方の灌漑事業はとっくに完成したしな。投資分は十分に回収できたし、もう用済みだ。あんな田舎にいつまでもおまえを置いておく意味もない。無理矢理どうこうってのは思ってなかったが、戻ってくるっていうならいくらだってやりようがあるさ。子どもが産めなくともおまえの器量だ、欲しがる金持ちは多い。まだ20代だ、再婚先なんて山のようにある」
むしろガキが出来ないって方が好都合かもな、と高笑いする父に、ルビィは思わず絶句した。婚家で幸せに暮らしていた娘が突然の不幸に見舞われ、藁をもすがる思いで訪ねてきたというのに、かける言葉は娘を道具としか見ていない内容。ルビィは湧き上がる怒りを抑えることができなかった。長年溜まってきた思いもある。父に対し、その無礼な発言を咎める言葉を吐く彼女を止めたのは、青ざめた表情の妹だった。
「お姉さま、もうやめて。私、田舎のあの人のところに帰るわ」
そしてセーラは父に向き直り一礼すると、アパートメントを飛び出していった。ルビィももう父のことなどどうでもよく、出されたお茶に口もつけないまま慌ててセーラを追いかけた。階段を駆け下り、表の通りに出たところでなんとかセーラに追いついた。
「よくわかったわ。ここには私の居場所はないって」
先ほどまで落ち込んでいたのが嘘のように、振り返ったセーラは顔を上げ、笑顔を見せた。
「私、帰るわ。帰ってあの人に相談してみる。だってこれは、私たちの問題だもの」
セーラの話では夫婦仲は良好とのことだった。夫となった青年はなかなか子どもが出来ないことも「天からの授かりものだから」と笑ってやり過ごし、義両親から向けられるプレッシャーからもセーラを守ってくれたりと、あれこれ気遣ってくれているらしい。初対面の見合いの席で、セーラのためにと不慣れな王都で選んだネックレスをプレゼントしてくれたときの、誠意ある姿を思い出す。彼なら、セーラのことを守ってくれるかもしれない。
妹の笑顔は空元気からくるものだとわかっていた。しかしこれ以上彼女を引き止めるだけの力がルビィにはなかった。もしセーラがこのまま王都に残って一緒に住むことになるなら、教授宅からは独立しなければならなくなる。女2人の暮らしとなるとそれなりに防犯面も考慮したところを選ぶべきだが、比較的安全な王都とはいえ、そんなエリアで部屋を借りられるほどルビィのお給金は高くはない。セーラが働いてくれたらまだしも、彼女を養えるだけの経済力もない。そんな状況で、ルビィができることはそれほど多くない。
「お姉さま、いつもありがとう」
乗合馬車に乗り込むセーラは、どこか大人びた笑顔を浮かべていた。ずっとかわいい妹のままだと思っていたセーラが見せたその表情が意外で、今でもはっきりと憶えている。
それが、生きているセーラに会った最後となった。
この別れから約1年半後、セーラが亡くなった知らせがルビィの元に届いた。
不安定なセーラを、付き添いの侍女はすぐに帰郷させようとした。「旦那様と奥様にそう言い使っております」と取りつく島もない様子の彼女にセーラを預けることなどとても出来ない。とは言えこのまま悪戯に王都での滞在を伸ばしたところで意味がない。教授夫妻は親切なので、セーラの宿泊をあと数日延長することくらいは簡単に許可してくれるだろうが、あまり長引かせるのも気が引ける。だが子どもが望めないと宣告されてしまったセーラを、なんの策も講じないまま婚家に帰すのは不安でしかたなかった。
ルビィがそうして悩んだのは一瞬のこと、茫然自失のセーラと、すぐにでも乗合馬車を手配しようとする侍女に対し、せめて父親に会う時間くらいは作ってほしいと願い出た。父はこの頃、王都のアパートメントで暮らしていた。セーラが戻ってくることは伝えていたが、仕事が忙しいからと会うのを断られていた。セーラ自身もそれどころではなかったこともあり、今回は父との面会の予定を組んでいなかったのだ。頼りない父ではあるが、現在の生活は安定している。熱中しすぎる癖は置いても、頭の回転は悪くない人だ。今回の自体をうまく切り抜ける案を思いついてくれるかもしれない。
ルビィとの押し問答に負けたのか、侍女は1日だけ滞在を伸ばすことを了承した。ルビィはセーラを連れて、父のアパートメントを訪問することにした。
仕事が忙しいというのは方便だったのだろう。父は部屋でひとり書類仕事をしていた。通いのメイドがひとりおり、突然訪ねてきた娘2人を興味深そうに観察しながらお茶を出してくれた。
未だ会話もままならないセーラに代わって、ルビィは事情を説明した。子どもがなかなかできなくて、王都の医者に見てもらうために上京したこと、病院での医師の診断の結果、そしてこのままセーラを婚家に帰すことに対する不安―――。父は巻き煙草を咥えながらうっそりと笑った。
「離縁して戻ってくりゃいいさ。部屋は余ってるしな」
父の発言にセーラがびくりと肩を震わせた。ルビィも動揺したが、しかし心のどこかで納得する部分があった。この事実がはっきりした時点で、ルビィ自身も「離縁も致し方のないことかもしれない」と思う気持ちがあった。大勢の使用人を使って農場を経営している婚家で、ひとり息子の跡取りは必須という状況。この状態で子どもが望めないとされたセーラの存在が今まで通り大切にしてもらえるのかという疑問があった。
それにしても、と父の顔をまじまじと見る。もう60に近いというのに相変わらず綺麗な形をしていて、年齢よりずっと若々しく見える。最近は生活も落ち着いているせいか、切羽詰まったような鬼気迫る雰囲気もない。こんな男でも父親らしいところはあったのかと意外な思いで父の発言を聞いていたが、次の言葉でこの男の本心を知ることになった。
「あの地方の灌漑事業はとっくに完成したしな。投資分は十分に回収できたし、もう用済みだ。あんな田舎にいつまでもおまえを置いておく意味もない。無理矢理どうこうってのは思ってなかったが、戻ってくるっていうならいくらだってやりようがあるさ。子どもが産めなくともおまえの器量だ、欲しがる金持ちは多い。まだ20代だ、再婚先なんて山のようにある」
むしろガキが出来ないって方が好都合かもな、と高笑いする父に、ルビィは思わず絶句した。婚家で幸せに暮らしていた娘が突然の不幸に見舞われ、藁をもすがる思いで訪ねてきたというのに、かける言葉は娘を道具としか見ていない内容。ルビィは湧き上がる怒りを抑えることができなかった。長年溜まってきた思いもある。父に対し、その無礼な発言を咎める言葉を吐く彼女を止めたのは、青ざめた表情の妹だった。
「お姉さま、もうやめて。私、田舎のあの人のところに帰るわ」
そしてセーラは父に向き直り一礼すると、アパートメントを飛び出していった。ルビィももう父のことなどどうでもよく、出されたお茶に口もつけないまま慌ててセーラを追いかけた。階段を駆け下り、表の通りに出たところでなんとかセーラに追いついた。
「よくわかったわ。ここには私の居場所はないって」
先ほどまで落ち込んでいたのが嘘のように、振り返ったセーラは顔を上げ、笑顔を見せた。
「私、帰るわ。帰ってあの人に相談してみる。だってこれは、私たちの問題だもの」
セーラの話では夫婦仲は良好とのことだった。夫となった青年はなかなか子どもが出来ないことも「天からの授かりものだから」と笑ってやり過ごし、義両親から向けられるプレッシャーからもセーラを守ってくれたりと、あれこれ気遣ってくれているらしい。初対面の見合いの席で、セーラのためにと不慣れな王都で選んだネックレスをプレゼントしてくれたときの、誠意ある姿を思い出す。彼なら、セーラのことを守ってくれるかもしれない。
妹の笑顔は空元気からくるものだとわかっていた。しかしこれ以上彼女を引き止めるだけの力がルビィにはなかった。もしセーラがこのまま王都に残って一緒に住むことになるなら、教授宅からは独立しなければならなくなる。女2人の暮らしとなるとそれなりに防犯面も考慮したところを選ぶべきだが、比較的安全な王都とはいえ、そんなエリアで部屋を借りられるほどルビィのお給金は高くはない。セーラが働いてくれたらまだしも、彼女を養えるだけの経済力もない。そんな状況で、ルビィができることはそれほど多くない。
「お姉さま、いつもありがとう」
乗合馬車に乗り込むセーラは、どこか大人びた笑顔を浮かべていた。ずっとかわいい妹のままだと思っていたセーラが見せたその表情が意外で、今でもはっきりと憶えている。
それが、生きているセーラに会った最後となった。
この別れから約1年半後、セーラが亡くなった知らせがルビィの元に届いた。
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