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本編

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 夕食は恙なく進んだ。いつも殿下と私はほとんど会話しない。時折何かの拍子に殿下から質問があるくらいで、たいていはカトラリーのわずかな音や給仕の者たちのかすかな物音が響くのみだ。

 だが今日はカイエン様がいらっしゃったことで、2人して執務のことや明日のことで話し合っていらした。最後に殿下の声をたっぷり聞くことができて至福のときでもあった。

 夕食が終わると、殿下は執務室に再び戻るか、部屋に戻るかの2択だ。今日は昼食の時間も惜しんで仕事を片付けたおかげで、早めに部屋に上がれるとのこと。

 ならばもうこれが最後のチャンスだ。私は勇気を出してダイニングルームを出る殿下の背中に声をかけた。

「殿下、少々お時間をよろしいでしょうか」
「……なんだ」

 カイエン様と並んでいたその背中がこちらを向いた。その、最後の姿を目に焼き付けながら、私は口を開いた。

「恐れながら本日が、私のお役目の最終日にございます。殿下におかれましてはこのようなつまらぬ身を長きに渡り傍に置いていただき、誠にありがとうございました」

 せっかく殿下の姿を見られる最後のチャンスだと言うのに、私は顔を上げ続けることができなかった。最後の最後に、彼の冷たい視線に晒されることが耐えられなかった。

「少し早くはございますが、無事成人を迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。殿下の未来とこの国の行く末が、晴れがましいものとなりますよう、今後ともお祈り申し上げます」
「……あぁ」

 うろんな響きの声が頭上から降ってくる。そんな響きさえも今は愛おしい。

 この5年間、一心に彼のことを思ってきた。けれどこの抱くことの許されぬ思いは、この胸の中だけに留めておかねばならない。そう思うと、余計なことを口走りそうになる唇を噛み締めていまい、せっかく私のために貴重な時間を割いてくださっている殿下に、これ以上言葉を告げることができなかった。

 せめて別れの挨拶を。けじめだから。私の長い恋を終わらせるために。

 そう決意し瞳をあげた瞬間、カイエン様に呼び止められた。

「ユーファミア嬢。それくらいにしておきませんか。殿下は明日も多忙な御身です」

 その冷たい視線は、これ以上殿下を引き止めるのでないと強く私を戒めていた。はっと息を呑んだ私は再び顔を下げる。

「呼び止めてしまい申し訳ございませんでした」

 絞り出すようにそう告げると、「別にかまわん」といつも通りの殿下の声がした。そのままカイエン様に促され、部屋へと向かい始めた殿下の後ろを私も無言でついていく。近衛の者たちやカイエン様とともに居室に入る殿下を見届け、そこでようやく私の長きに渡る仕事が完全に終わった。今夜のうちにまた魔力暴走が起きれば私の出番もあるだろうが、3週間ほど前に発作が起きたばかりだ。周期を考えるともう起きることはない。

 呆気ない最後に、私はしばし放心していた。そのまま警護につく近衛の方たちに軽く会釈し、自室に引き上げようと扉に触れたとき、カイエン様に声をかけられた。

「ユーファミア嬢、もし殿下に伝えたいことがあるなら、手紙でよければ預かりますよ」
「え?」
「あなたも5年の任期をこなした中で、いろいろな思いがおありでしょう」
「よろしいのですか?」
「それくらいでしたら同級生のよしみで私がどうにかしましょう。ただし、余計なことは書かぬように。メラニア嬢に迷惑をかけぬよう、くれぐれも注意してください。書いて良いのはお礼のことばと、あなたが自分の意思で王宮を離れると決めたことのみです。あぁ念のため私の方で内容を精査させていただきますが、それでもよろしければ明日の行事が終わった後にでも殿下に私からお渡ししましょう」
「あ、ありがとうございます!」

 思いもかけぬカイエン様の温情に心が踊った。言いたいことはたくさんあるがなかなか言葉にできなかった私にとって、手紙という手段は一番ありがたい。

 できた手紙は伝令用の魔法陣で、客間に泊まるカイエン様へ届けることを約束し、私は部屋に駆け込んだ。

 その後2時間ほどかけて手紙をしたためた。書きたいことはたくさんあるのに言葉がまとまらない。結局時間をかけたわりにつまらない文言が並ぶことになった。




王太子殿下様

一介の子爵令嬢にすぎぬ私に過ぎたお役目を与えてくださり、本当にありがとうございました。王宮で過ごさせていただいたこと、学院に通わせていただいたこと、感謝してもしきれません。

今後は殿下のお邪魔にならぬ場所から、殿下の幸福をお祈り申し上げます。どうかお幸せに。国王陛下ご夫妻にもよろしくお伝えくださいませ。

ユーファミア・リブレ



 カイエン様からも「確かに預かった」と返事があり、安堵した私はひとりで湯浴みを済ませた後、ベッドに潜り込んだ。

 明日の早朝、バルト伯爵が手配くださった馬車で王宮を去ることになる。2度と殿下にお目にかかることはない。

 窓から見える冴え冴えとした月が妙に眩しかった。まんじりとすることも叶わないまま、朝を迎えることになった。

 早朝、侍女が起き出すよりも早く、私は身支度を整え、部屋を出た。殿下の部屋を守る近衛の方達と目があったので小さく会釈をする。そのまま王宮の廊下を抜け、馬車が待つ場所へと向かった。そこには驚くことにカイエン様がいて私を待っていた。

「カイエン様、こんな朝早くからご苦労様です」
「せめて私くらいは見送りをと思いましてね。用意した馬車はうちのものですが、王都の端でマクレガー家のものに乗り換えてもらいます。今日の殿下の生誕祭のためにすでに客人がぞくぞくと到着しているようですので、門のあたりは混み合うでしょうが、辛抱してください」
「もちろんです。最後の最後までお手数をおかけして申し訳ありません」
「マクレガー家の契約は3年ですね。温情に感謝し、しっかりと勤め上げるように」
「承知しております」

 既にサインをして提出した契約書を思い出す。3年あれば殿下のことを忘れられるだろうか。忙しく立ち働いているうちに、懐かしい青春の1ページになってくれたら、今この瞬間の胸の痛みも微笑ましく思い出せるかもしれない。

 カイエン様に最後の淑女の礼を見せ、私は馬車に乗り込んだ。


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