満つき宵

白河 夜舫

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第四章【足の裏】

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――私の婿になってもらう
――そして、死んでもらう

 その理由を問うても、宵は「知らなくていいことだ」と短くいうだけだった。
 なかなか衝撃的なことをいわれたが、宵が眠そうだったので蜜木はそれ以上言及しなかった。
 追求したところで納得のいく答えが返ってくるとは思えなかったし、蜜木自身も眠りたかった。



 蜜木が目覚めた時、布団に宵の姿はなかった。
 自分がどれだけ眠ったのかはわからないが、今が早朝でないことは障子から透ける日差しの強さが物語っていた。
 体は順調に回復をしているように感じられたので、蜜木は布団から体を起こした。その気配を察したのか、たまたまなのか、軽い足音が部屋に近づいてきた。
「調子はどうだ?」
 部屋の障子を開けた宵は、開口一番にいった。急に陽光に照らされたので、蜜木は思わず目を細めた。
「昨日より、だいぶ調子がいい。宵のおかげだ」
 蜜木は眩しさに目を細めたままいった。
 宵はこちらに近づくと、蜜木の額《ひたい》に自分の額をくっつけた。宵がどんな環境で育ったのかは知れないが、人間というか異性に警戒心はないらしい。もしくはただ、患者として接してくれているのかも知れなかった。
「熱は下がったようだな。左手は動くか?」
 蜜木は少しだけ緊張して、左手を動かした。それが問題なく動くと、蜜木は安堵の息を吐いた。昨晩、宵は後遺症なく治るといってくれた。しかし現時点で左手が動かせるのは、蜜木にとって大きな安心材料であった。
「大丈夫そうだな。食欲はあるか?」
「いや、水があれば充分だ。ありがとう」
 蜜木は宵が置いてくれた、枕元の竹筒を見つめていった。
「私はこれから近くに薬草を取りにいく。お前はゆっくりしていろ」
 宵がいうように、できれば布団でゆっくりしていたかった。
 しかし宵が害妖に襲われる可能性がある以上、蜜木はそれに着いていく必要があると思った。
「俺もそれについていく」
 宵は「そうか、好きにしろ」と短くいった。

 それから蜜木は宵が出してくれた着物に、のそのそと着替えた。寝巻きと同じようなそれであるが、しっかりと洗濯された清潔な着物であった。
 婿がどうこうの話はひとまず置いておくとして、持ち物だけは返してほしかった。そして、早くこの山の異変を仲間に知らせたい。
しかし昨日の宵の口ぶりでは、持ち物は返さないという確固たる意志があるようだった。
 命の恩人である宵に無理強いするようなことは避けたい。そもそも今の自分の体力では、そんなこともできそうになかった。
 とにかく今は体力回復に専念し、隙を見て自分の持ち物を探す他ないだろう。もしくは山を下りるしかないだろう。
 蜜木はそう結論づけて帯を締めた。

 蜜木が土間に下りようとすると、宵はこちらに手を差し出してくれた。蜜木はそれに甘えて、土間へと下りた。それから宵は「こうしている方が治りも早い」と、蜜木の左腕を三角巾で吊ってくれた。
 土間には所々に薬草が干されており、薬箪笥《くすりだんす》や様々な茶筒があった。宵が昨晩いったように、生薬屋であることは明らかであった。
 宵は「いくぞ」と、外へ出た。蜜木もその後に続いたが、すぐに自分の異変に気付いて立ち止まった。
「どうした?」
 宵はこちらを振り返った。
「左手が動かない。指先も、全然動かないんだ」
 蜜木は「さっきは動いたのに」と、不安な気持ちで左手を見つめた。
「心配ない。そういう術をかけただけだ。逃げられては困るからな」
 宵は腕を吊った三角巾を指して、悪気なくいった。
「あー、そういうことか」
 蜜木はそういいながら、小さく絶望した。
 どうやら宵は呪術を扱うらしい。
 呪術は妖術とは違い、方法さえ知っていれば誰にでも扱える術である。だからこそ呪術の伝承は、慎重に行われるとされている。呪術を文字に書き起こすことは禁忌とされており、呪術を学ぶには直接誰かに師事してもらう以外に方法はない。そのため呪術を扱う者は、妖術を扱う者よりも希少《きしょう》であるとされている。
 蜜木も多少は呪術も使うが、それは訓練生全員に伝承される簡単な呪術だけである。
「左手が動かないと、色々不安だ。いざという時に、何も出来ないのは避けたいんだが……」
 蜜木は宵にいった。
「大丈夫だ。この辺は簡単な結界が張ってある。害妖たちも、こんなところには来ない」
 宵は再び歩き始めた。
「一応忠告しておくが、逃げようとするなよ。私から離れると、足に激痛が走る」
「え?」
「お前が眠っているうちに、足の裏に細工をしておいた」
「えぇ?」
 おそらくそれも呪術なのだろう。蜜木は立ち止まって、足の裏を確認しようとした。
「転ぶだけだ、やめておけ。それに私にしか解除できない。確認してもなんの意味もない」
「昨日の話、本気なんだな。俺をどうしたいんだ?」
 宵の後ろ姿に問いかけても、なんの反応もなかった。
 蜜木はただ、風に揺られる宵の長い髪を見つめることしかできなかった。

 ほどなく宵は薬草を摘み始めた。
 昨日までは少しも気にしなかったが、山にある植物はどれも生き生きとして見えた。夜は真冬のように冷えるが、春が来たことは植物たちは当然のように理解しているのだろう。
「どの薬草を摘めばいいんだ?」
 蜜木が声を掛けると、宵は「これだ」と摘んでいる薬草を見せてくれた。
「わかった」
 右手は自由なので、薬草を摘むのに不便はなかった。
薬草を摘むのは思いのほか楽しく、蜜木はすぐに夢中になった。
 しかしそれに夢中になっているうちに、足の裏に焼けるような痛みが走った。
「いってぇええ!」
 蜜木はそう叫ぶと、地面にころりと転げた。左腕が拘束されているので、体のバランスが簡単に崩れたのだった。
 蜜木の叫び声を聞いた宵は、すぐにこちらにやって来た。そのおかげか、蜜木の足の痛みもすぐに引いていった。
「大丈夫か?」
 笑いを噛み殺したような表情の宵は、蜜木を見下ろしていった。
 転んだ格好が面白かったのか、叫び声が面白かったのかは不明であるが、そのいずれかが宵を笑顔にさせたらしかった。
「笑えない痛みなんだけど」
 蜜木は地面に転がったままいった。
「いや、悪かった。おそらく一町〈約110メートル>ほど離れると、術が発動する」
 宵はそういって、蜜木の手を引いた。
「笑ってくれて何よりだけども」
 蜜木は宵に引かれるまま、ゆっくりと立ち上がった。



 それから少し場所を移動すると、宵は「今度は、この薬草を集める」と二種類の薬草を指した。
「この辺には、色んな薬草が生えているんだな。だから、あそこに居《きょ》を構えているのか」
「どうだろう。おそらく逆だと思う」
 宵は薬草に目を落としながらいった。
「あそこに居を構えたから、この辺に薬草を蒔いたのだと思う」
「先人は偉大だな」
 蜜木はいった。
「お父様は薬草の趣味が偏っているから、たまに難儀はするがな」
 宵は皮肉めいたことをいったが、どこかうれしそうにも見えた。
 父親が生薬屋を営んでいたとすると、宵の妖怪の血は母方のものなのだろうか。そして、この着物も父親のものなのだろうか。
 そのくらいの質問は許されるように思ったが、なんとなくやめておいた。

「お前は、タバコを嗜《たしな》むか?」
 宵は薬草を摘みながらいった。
「いや、俺はやらない。どうしてだ?」
「これを乾燥させて巻きタバコにすると、吸っている間は生き物が寄ってこない。分けてやろうと思ったが、タバコを嗜まないなら無用だな。私に拘束されているわけだし、気晴らしになればとも思ったが」
「タバコはやらないが、それには興味がある。生き物というのは虫とか、そういう類のものか?」
「虫もそうだが、とにかく生き物全般だ。人間も、妖怪も、動物も、何も寄ってこない」
「へぇ、そんな植物があるのか。知らなかった」
 蜜木が関心すると、宵は「分けてやるか?」といった。
「うん、欲しい」
 即答すると、宵は薄く笑った。
 生き物全般が寄ってこないタバコ。宵がそれを使用したくなるのは、どんな時なのだろうか。宵の整った横顔を見つめても、その答えはわからないままであった。



 二人で黙々と薬草を摘んでいると、一匹のキツネが近づいていた。
 ただのキツネではなく妖狐の類であると、蜜木は瞬時に判断した。大型犬よりも一回りほど大きな妖狐が宵に近づいたので、蜜木は注視した。
 蜜木の警戒をよそに、宵は妖狐に柔らかい笑顔を向けて、その身体をわしわしと撫でた。妖狐の方も宵にされるがままで、実に気持ちよさそうに目を細めた。
「見知った顔なのか」
「兄だ。長兄で、兄姉の中では一番私の面倒を見てくれている」
 兄。つまり宵は、妖狐の血を引いているらしい。狐狸《こり》の類は人間に化けるので、人間と深い仲になることも多い。そのため狐狸の類と人間との混血は、他の妖怪に比べて多いと聞いたことがある。
 宵に撫でてもらっていた妖狐は、蜜木をじっと見つめた後で興味深そうに近づいてきた。
「こんにちは」
 蜜木がいうと、妖狐はくんくんと蜜木の匂いを嗅いだ。
「蜜木。赤坂《あかさか》蜜木といいます」
 宵は「セツだ」といった。
「セツは人に化けることもあるが、基本的にはこの姿だ。夜は流暢に人語を話すが、昼は人に化けない限りは、あまり人語を話さない」
 他の兄姉についてはわからないが、おそらくセツには人間の血は混じっていないのだろう。しかしそんなことは無関係に、宵がこの山でたった一人でない事実は蜜木を安堵させた。

 ほどなくセツはどこかへいったので、二人は再び薬草を摘み始めた。
 そうしていると、少し離れた場所で甲高い獣の声がした。そのため蜜木も宵も、自然とそちらを向いた。そこにはセツが何匹かの妖狐たちとじゃれ合って遊んでいる姿があった。宵の兄姉たちなのか、友人なのかはわからない。しかしその姿は、実に楽しそうだった。
 実家の義弟らもあんな風に全力で遊んでいたことを思い出し、蜜木はなんだか懐かしい気持ちになった。
 何気なく宵の方を見つめると、その目はどこか寂しそうであった。今にも泣き出しそうであるとか、そういう表情では決してない。ただ、蜜木はその寂しさを、形容できない悲しさを、よく知っているように思った。

「いってえぇえ!」
 蜜木がさりげなく宵から離れると、先ほどと同じく足の裏には焼けるような痛みが走った。そして蜜木は再び、地面にころんと転げた。
「さっきよりも、受け身が上手くなっているな」
 宵はやはり笑いを噛み殺した様子で、蜜木に手を差し伸べてくれた。
「褒めてもらえて、光栄だ」
 蜜木は宵の手を取った。
「なぜそんなに夢中になって、手伝ってくれるんだ」
 今回に関しては宵の気を逸らしたかった苦肉の策であるが、そう問われるとなぜだろうと思う。
「単純に、宵の役に立てることがうれしいんだと思う」
 蜜木は正直にいった。
「理不尽に拘束されているのに、そんな風に思うのか?」
「そうだな。命を助けてもらった恩の方が大きい」
 蜜木がいうと、宵は再びセツがいる方へ目を向けた。
「お前はきっと、死ぬべき人間ではないんだろうな」
 そういった宵の顔は、ひどく幼く見えた。


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