蝙蝠怪キ譚

なす

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第3章《酔狂の鬼殺し》

第3章1『逃げ出した一番目』

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波色ミイロは、波の色って何色だと思う?」


 小さい頃、母親がよくそう聞いてきたのを覚えている。ツノの無い母親が。私たちと違う母親が。
 きっと私の名前になぞらえて、そんな問いを生み出したのだと、私は子供心ながらに気付いていた。

 その答えも、結末も、もう忘れてしまったのだけれど。
 十六歳の長谷川波色ミイロなら、こう答えるだろう。

「真っ赤な赤、恥に溢れた、拭えない赤色」

 流れて、広がって、二度と消えない赤色。純潔の一角獣に似つかわしくもない、真っ赤な色。赤く濁ったそんな波で、満たされている。

 私は、波色ミイロという名前が、憎かった。

 風紀委員会委員長である私の兄は、ミナモという名前だ。
 静かに皆を燃やす男。誰もがその品行方正で正しく在る居住まいを、名前通りの男だと称賛する。自慢の、兄だった。
 長谷川ミナモの妹と言えば、生徒会にも簡単に入ることができた。長く伸ばした空色の髪も瞳も、ツノの位置までそっくりな兄妹だったから。誰も私を劣等生だなんて疑う人は居なかった。

 でも、違う。
 私は清く在れない。誰にも、誇れない。

 生まれた頃からそうだった。
 この世界を見つめたときから、初めて歩いたときから、初めて兄を見たそのときから。

 私は、
 

 ◆◆◆


 長谷川ミイロの一生を表すには、避けては通れない道。恥の多い、で済む話では無いのは確かだ。私は恋をしながらしか、生きることが出来ないのだから。

 例えば、兄。

 いつからか。長谷川ミナモを、兄としてではなく男として好意的に見ている自分がいた。指の先が触れるだけで、声を投げかけられるだけで、視線を向けられるだけで、胸の奥底が弾んでいくのが分かった。
 兄のことは尊敬している。妹としても家族としても。でも、それと違う感情が湧いてしまうのだ。

 それは同級生の男子でも。
 むさ苦しい男子教員でも。
 登下校で必ず見かける小学男児でも。
 可愛くない後輩でも。
 いつもからかってくる先輩でも。

 同じように心が反応していた。好きになった。簡単に。誰彼構わず。考えるだけで脳が沸騰し、情愛を溢れさせていく。
 一言で言えば、私は極度の惚れっぽい体質なのだ。
 見るものすべてに恋をして、関わった男に情欲を抱く。一角獣としても、人としても、あるまじき特徴だった。

 小学校のころ、私は獣人を理由にいじめられていた。このツノのせいで、髪を引っ張られたり、仲間はずれにされたりした。悲しかった。辛かった。
 それでも、私をいじめた男子生徒を、嫌うことは出来なかった。好きになった。好きだった。

 我ながら、かなり気持ちの悪い人生だったと思う。
 自分でもそれが、人と違うと分かっていたから、誰にも気取られないように、黙っていた。
 兄にも、父にも、先生にも。出来るだけ冷たい言葉を使って、良いことがあったら日記に書いて、すぐに忘れるようにした。そこだけに留めるようにした。

 ひどく長い十六年間だった、

 私が唯一、好きにならなかった。恋に落ちてしまわなかった、

 これは私、長谷川ミイロの、あの男と共に酔った背筋も凍らす怪鬼譚。誰にも狂わせない、歯車が動き出した青春の物語なのである。

 ◆◆◆


「不思議部、GWゴールデンウィーク合宿に参加するんですか!?」


 GW前日。
 窓の外の木々もすっかり色付き、まだ猛暑の手前で過ごしやすいこの季節。
 さして広くもない、この生徒会室で大声を上げたのは、中央のデスクの一つにもたれた臼居くんだった。その向かいのデスクに腰掛ける私は、その盛大な独り言にリアクションを強いられる。

 何せ、ここにいるのは、私と彼だけなのだから。

「木先生徒会長たちはまだ来ないの?」

 悪い気が起こらないように、私は出来るだけ声の調子を落とした。放課後、生徒会室に男女二人きりなんて、間違いしか起こらない。絶対。

「いや、僕の質問を無視しないでくださいよ、ミイロちゃん!」

 生徒会会計、三年A組、臼居ウスイケイ。
 幸の薄そうな顔、色素の薄い髪。カレーからカレー粉を抜いたような顔をしている男。
 この人は私の八千九百三十一番目の初恋。いつもプチ不運に遭ってて可愛い、守ってあげたくなる。とか、そんなことを日記に書いた気がする。

 そういえば、先日も足やお腹を怪我したとか。その黒いズボンの下の太ももには、まだ包帯が巻かれているのだろうか。未知なる可能性に、手を伸ばそうと──、

「ミイロちゃん、何見てるんですか」

「はっ! ……何でもないわよ!」

「ええ……? まあ良いんですけど。だから、不思議部のことですよ、なぜGW合宿に帰宅部が参加してるんですか」

 臼居くんと目が合ったのも束の間、彼がぴらぴらとひけらかす書類に目が行った。困り眉でため息をつく臼居くん。かわいい。ではなく。

 彼が持っているのは、確かにGW合宿の申込み書類だった。我が校で毎年GWに行われている、部活動合宿。中でも運動部は、山や海に遠征に行き、身体と共に精神を鍛え上げているのだ。逆に文化部等、帰宅部たちは、優雅にGWの連休を満喫している生徒が大半、合宿とは無縁なのである。

「不思議部、無駄に足掻くわね。あんなおちゃらけたトンチキ部活、もうとっくに廃部していてもおかしくないのに」

「言い過ぎですよ、確かにメンバーはトンチキですが、やってることは至極まともです!」

「肩入れするのね、臼居くん」

「まあ、お世話になりましたから……」

「七不思議合宿、だなんて馬鹿らしい」

 七不思議を解決するために学校に泊まるだなんて。
 これのどこが至極まともなのだろうか。押す予定のない判子を一応取り出し、溜息をこぼすと、

「──まあまあ、馬鹿らしくは無いのではないか、ミイロ?」

「は!? 木先生徒会長!」

 そう言って、私の肩を叩いたのは他でもない、木先ミライ生徒会長だったのだ。

「え、いつの間に……! というか、どこから入ったのですか」

 自身で散髪しているのか、その斬新すぎるざんばら髪の彼女はいたずらっぽく笑っている。女子である意識に欠けているというか、顔こそ悪くないのに損をしている。毎度、何もかもが予測不可能な人だ。彼女は私の背後を取ったまま、

「生徒会長は神出鬼没なのだ。さて、ミイロ。お前今、七不思議などバカらしいと言ったな」

「不思議部がバカらしいと言いました」

「正直でよろしい。だが存外、今回の七不思議はバカに出来ないぞ」

「不思議部はバカにしてもよろしいですか?」

「構わん、でだ。近頃、この蛇鹿学園を奇妙な噂が埋め尽くしているのは知っているか?」

「知りません」 

 そんな噂を共有する友人など、私には居ないのである。代わりに、臼居くんが応えた。

「僕は、それなりに聞いたことがあります。あの、七不思議の一番が、どうのこうのってやつですよね」

「そう、七不思議の一番、《鬼殺しの肖像》の絵画の中の女が脱走したという噂だな」

「絵画の中の、女が脱走……? そんな非現実的なことが、有り得るんですか」

 そんな噂、微塵も耳に入らなかった。ますます、自分の人脈の無さに気が滅入るものだ。にしても、絵の中のものが現実世界に出てくるなんて、非現実的にも程がある。

「ユニコーンハーフのお前に現実など似合わんぞ。物語はいつでも夢物語に空想論、非現実のオンパレードだ」

「私は一角獣のハーフです!」

「まあ、良いじゃないか。困ってるんだよ、脱走した絵画の中の女が、生徒に危害を加えたとか何とか。そんな噂もあってな。みんなミイロみたいな現実主義者だったら良かったのだが……」

「噂が広まりすぎて、収集つかなくなったら大変ですね」

「高校生にもなって、割と皆信じるんだ。面白がって、深夜に学校に入ろうとする奴も居るし、教師側からお叱りが入ってな」

「だからって不思議部に調べさせるんですか!?」

 思わず、私は席を立ってしまった。そんな勢いにも動じず、木先生徒会長はその大きな瞳でこちらを捉え続けている。

「いや、あいつらが自発的に来たんだよ。私は、丁度良いからGW合宿のことを不思議部部長に話してやっただけだ」

「だけじゃないです、それがすべて……」

「ならばミイロ、お前は妙な噂が学園中に蹂躙しても良いのか。このまま放置したら一大事を招くぞ、私の勘がそう言っている」

「あなたの勘は予言ですよね、木先生徒会長。私が不服なのは、あの不思議部が、それを解決することです」

「何でだよー、ミイロ。お前、氷雨レイと仲良いじゃないか」

 氷雨レイは九千番目の初恋だが、見ていると無性に胃がむかむかするのだ。多分これが恋なんだろう。
 だが、認めることと好きになることは違う。だから私には、生徒会役員としての長谷川ミイロには、不思議部という存在が認められない。しかし、

「仲が良いわけじゃありませんから、断じて」

「顔が赤いぞ、本命か?」

「本命じゃありませんよ! 茶化さないでください、生徒会長!」

「んー、不思議部に任せないならどうする。噂は一刻一秒広まるばかりだぞ」

「では、私がその不思議を解きます。不思議部より先に、この長谷川ミイロが──」

「──ちょっと待ったぁーっ!!」


 息巻いたそのとき、私が先陣を切って宣言するはずだったそのとき。

 少年の大きな咆哮が生徒会室を突き抜けた。
 扉の開け放たれる音。腕を組み、仁王立ちで私たちの目をひきつけたその人物は、


「────は?」

「蛇鹿学園の一番目の七不思議、俺も一緒に解かせてもらうぜ!」 

 あの男。
 恐ろしい、あの男がそこに立っていたのだ。 

「し、白子シラコ、オンド……!?」

 獅子のように立った茶髪に、ギラギラと光った明るい双眸。私の口からは、自然とその名前が溢れていた。

 白子オンド。
 おおよそ名前とも思えないその言葉に、ゾッとする。私が何故か、唯一好意を抱けない男。そんな例外が服を着て歩いているような男が、ドヤ顔でそこに立っていたのだった。
 
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