蝙蝠怪キ譚

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第2章 《蜘蛛の意図決戦》

第2章24『薄氷の上のしあわせ』

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「この口、生まれたときから醜く裂けてたの」

「………っ」

「おまけに下半身はとっても気持ちの悪い足、髪の毛は何の色味もない白髪。人に裂けられるのは当たり前。ヒトに潰されないように、ただそれだけを考えて生きてきた」

 濁りきった激情が、確定されてしまったその特徴が、全て現れてボクの体を締め上げた。糸を通して、直接伝わってくるようだった。彼女の、腹の底から湧く怒りが全て。
 簡単には変えられない。どんなに必要としていなくても捨てられない。それが容姿だ。産まれたときから決めつけられた、一個体の特徴なのだ。女性なら、尚更なのかもしれない。

「この見た目で、色んな人に避けられて、怖がられて、嫌われた。あの人の助けが無かったら、こうして人間のふりも出来なかった……!」

「何で……そんなことの犠牲に、シオンさんがならなきゃいけないんですか!?」

「そん、なこと……?」

 臼居くんの言葉に、彼女の動きが止まった。そして彼女は、零れ落ちそうなまでにその血管の浮いた瞳をひん剝き、床に崩れた彼を見下ろした。

「あの子も、そう言ったのよ。私の望みを、笑った。そんなこと気にしないでって。私の白髪は綺麗だって。簡単にそう言った。憎かった。持ってる人間はいつだってそう言うのよ。同じような正論を、私の心も知らない、優しくて薄っぺらい言葉でね。憎かったわ、憎いのよ。人間の体を持って、美しく成長しているあの子が、憎くて仕方がなくなった」

 ────だから呪って、乗っ取る。

「私も、持てる者になるために。ヒトになるために」

 クケケケケケと下品に笑って。彼女はボクの髪に指を通した。

「残念だったわねぇえ。あの子の痣、今頃ぶくぶくに膨れて毒蜘蛛みたいになってるわよ。でも、それを切り落とせばシオンは死ぬ。切り落とさなくても死ぬ。何せ、蜘蛛の足はしぃっかりあの子の心臓を掴んでいるんだから」

「─────────」

「十分恵まれたあの子は、青春も何もかも、その絶頂のときにすべてを失うの」

 甘く、ねっとりした声が、耳を舐るように近づいて、

「随分静かじゃない。辞世の句でも思いついたかしら、ねえ──」

「ふぅ──────ッ!!」

 ボクは、覗き込んできた女の額に、思い切り頭突きを打ち込んだ。

「──────うがぁっ!?」

 濁った悲鳴と共に、彼女の白髪が宙に撒き散らされた。糸は器用に引っ込み、青白いその手は額を抱え、地を這うような声で唸り続けている。同じように、否、同じくらいの痛みがボクを襲った。頭の中身がぐらぐらと揺れ続ける感覚に、つくづく帰宅部の脆さを感じる。そんなことはいい。ボクから離れた彼女は、拘束すらも解いていたのだ。ボクはすかさず距離を取り、後退る。
 隙だ。隙を作ったのだ。今、やるべきことは何だ。どちらかのドアを壊さなければいけない。今すぐ脱出を図らなければ。傷を負った臼居くんはどうする。ボクだけで運べるのか。考えれば考えるほど打開策は遠のく。焦るな、焦るな、焦るな。汗で視界が滲んだその時、

「大、丈夫ですよ……! 僕が、糸目を、引きつける」

 未だ貫通した太腿を、歪んだ顔で押さえる臼居くんと目が合った。ぎちぎちと、頬が震えていた。気絶しないように、必死で奥歯を噛み締めているのだ。彼は深手の足、応急処置されたハンカチを今一度きつく縛り上げた。ボクが先に諦めて、どうする。

「分かった、臼居くん。ボクは出る方法を探す。それか、ドアを壊す」

「いい作戦です、死ぬ気でやってください。ここが墓場だと思って、女の子救って二人で死にましょう」

 君と心中は嫌だな、と互いに笑って。笑えない状況に目を向ける。額を押さえるのも束の間、糸目はむくむくと起き上がり、全指から無造作に糸を伸ばしていた。ボクは微かに目配せし、ドアに向かった。

「っ! やっぱ開かねえ、鍵……」

 思い切り体当たりしてみるが、ビクともしない。やはり防音の休憩室とだけあって鋼のような硬さだ。設計士には脱帽だが、とても感謝はできない。これは鍵がイカれているのか、それとも、この化け物が施錠しただけなのか。

「────ッ! このッ、クソガキ共が!!」

「え、あった……!?」

 一瞬、なりふり構わず罵ってくる彼女の足元に、鍵と思わしき銀色の輝きが見えたのだ。小指ほどの大きさのそれは、見事に土色の足の一つに絡んでいた。ゆらりと立ち上がったウスイ君も、それに気づいたようだった。すると彼は、見せつけるように深く息を整え、


「──恵まれた人間が憎いなんて、そんなの、当たり前じゃないですかぁ!!」

 と、叫んだのだ。

「──黙れ黙れ黙れ黙れ、お前たちも残らず、残らず殺してやるわ! 死ねぇええクソガキィィィィ!!」

「う……うるせぇよ! ちゃんと僕の話聞けええええええ!」

 激昂した彼女に声を挙げたのは、覇気の欠けた一人の少年だった。痛みと涙と血ですっかりぐちゃぐちゃになったその顔で、彼は声を振り絞っているのだ。無数の汗で、額を濡らして。ボクは狭い空間を走って、糸目の足に手を伸ばした。


「ぐああっ!」

 ぴつっ。

 ほぼノールック。彼女の糸がボクの指を器用にも貫いた。構わず、彼女は臼居くんに向けて絶叫していた。

「あんたもそうでしょ!? 妬ましいんでしょう!? 憎いんでしょう!? そうよ、結局みんな同じ───」

「同じじゃ、ありません……から!」

 そう言い切った臼居くんに、彼女の顔が引きつった。何をも理解し難い、まるで異星人でも見ているかのような目だった。

「何言ってんのよ!」

 彼は怯むことなく話し続ける。堂々と、その口は紡ぐ。

「はあっ、僕、だって! いくら仕事を、頑張っても、会長のように輝けないし、名前は覚えてもらえないし、クラスに一人はいる顔だって言われるし、主人公にだってなれない……! それに正直、女子にモテまくる九徳先輩が、羨ましい」

「そんなこと、思ってたのかよ……」

 一丁前に下心はあるらしい。食いしばった歯を鳴らし、弱者である彼は言う。

「でも、……あなたと同じなのはここまでです」

「く、け?」

「貧乏で汚らしかったシンデレラが、一体どうしてどうやって、あの夜舞踏会に行ったのか、分かりますか?」

 絢爛豪華なドレスに身を包み、ガラスの靴を履き鳴らして踊ったあの夜。一体何の話なのか、ボクにすら想像がつかない。それは、糸目も同じこと。

「茶番に付き合ってる暇なんてないのよ!! これ以上喋るなら喉を掻っ切るわ!」

「魔女がカボチャの馬車を用意してくれたから? 王子が愛で彼女を引き寄せたから?」

 ぴつっ。

「は、くけっ……!」

 糸目の指から、弾丸の様に糸が発せられた。紛うことなく、糸の雨は彼に突き刺さったはず。それでも何故語りを止めないのか、何故毒の付着したそれが効かないのか、彼女はまだ分かっていないようだった。ぐらりと、不安定なまでに臼居くんはよろめき、もたれかかった。

「夢を、見続けたからですよ」

 神経毒だろうか、貫通した人差し指がいやにジクジクと脈打っているのがわかる。肩に、上腕に、前腕に、太腿に、胸に、頬に、透明な糸が刺さっているのに、彼は、立っていた。そして語っていた、流暢に。笑っていた、似合わない程凄惨に。

「彼女は、幸せになる夢を見続けた、諦めなかった。僕に頼ってくれた、だからあなたとは違います」

「……何をっ!! 私は誰よりも幸せになろうとした、なりたかったんだ、幸せに!!」

「他人の身体を乗っ取って? それ、いい迷惑ってやつですね」

「ゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔ」

「──僕は、自己犠牲より他己犠牲が先に出る人が幸せを掴めるとは思えない」

「ゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔ」

 唸る、唸る、唸る。獣のような地鳴りにも似たそれが、閉鎖空間にイヤというほど響き渡る。耳を歪ませるように、風船が割れる前のように、獄門に立たされた罪人のように。血管がぶち抜けそうな程に踊りだし、髪を掻きむしるぶちぶちという音と共に、地団駄を踏み彼女は。

 彼女のその無数の土足は。
 
 
 しゃらっ。

「ゔゔゔゔゔゔゔゔぁあああぁぁあああぁぁあああぁぁあああぁぁあああぁぁあああぁぁあああぁぁあああぁ!!!」
 
 今だ─────────。

 乱雑な慟哭、化け物の怒号、固められた糸は鋭く、理性すら消し飛ばして臼居くんに向かっていく。
 ボクから、注意が完全に逸れている。

「っぁあああああああ─────!!」

 今しかなかった。もうどれが自分の声かも分からないくらい、喉を震わせ、ボクは床に滑る銀色の鍵を掴んだ。しっかりと、手の中に。
 あっちなんて見る余裕はない。その拳を握り込み、今度こそ扉へ体当たりする。最早勢いである。汗で手元が狂う中、次は意味のあることをする。図書館と直接繫がるその扉の鍵穴に、それを差し、人差し指と親指で、捻った。

 ガチャッ。

 やっと正解の音がした。ボクは、痛みすら忘れて彼を振り返り、

「やった! う、すいく、───」

「ぐ、ぷ」

 伝っていた。
 溢れていた。
 滴っていた。
 そして、濡れていた。

「え、く、ぁ?」

 言葉になれなかったものが漏れる。それと共に。一気に温度が失われて、身体の中で何かが燃え、燃え尽きた。ゆっくりと、灼熱を放つ部位を見下ろす。触れた左手が、濡れた。ざらり、と。濡れていた。熱く、濡らされていた。酷く濃厚な、美しい赤で。
 いとも容易く、その糸の集合が、ボクの脇腹辺りを貫いていたのだ。

「ぁ、あ? ……あ、あ、あ、あ、あ」

 右手の糸が臼居くんを、左手の糸がボクを、貫いていたのだ。力なく前傾にぶら下がる彼に、腹から漏れ出る熱いそれに、理解が追いつかない。絶望だった。絶えていた、呼吸も絶えるかもしれない。ずっと耐えていたのかもしれない。
 化け物は、どうでもいいのだ。扉が開こうが閉まろうが、獲物が逃げようが、誰に見られようが。殺せるだけの力があるから、それでいい。

 こちらを、見ている。
 まるで、動くものを目で追いたがる獣のように。臼居くんにはもう、興味すらも向けていない。

「はぁ、はあ、はあ、はあっ」

「──もう一度言ってみなさいよ」 

「はあっ、はあっ、はっ、ぁあ」

 分かっていたことじゃないか。

「私が、幸せになろうとしていない?」

 それを言ったのは臼居くんだ。

「死ね、異種───────」

 涙で、前が見えなくなった。
 痛みとか、そうじゃない。熱くて、ただひたすらに熱くて。真っ白に変わって真っ黒に終わって真っ赤に染まって真っ青に消えて。ただ最期に、異種と言われたのは初めてじゃない気がした。

「──もう一度言いなさい、その言葉」


 柔らかい白髪が、揺らいだ。

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