蝙蝠怪キ譚

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第2章 《蜘蛛の意図決戦》

第2章20『蝙蝠と詐欺師とミイラと』

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「はあ、はぁ。やっと、着いた……」

 足を止めることなく駆け、ボクはやっとの思いで見覚えのある門の前に辿り着いた。《幽霊館》でお馴染み、そろそろ氷雨邸と呼びたいボクの自宅。今更ながら、その無駄に大きな門に手をかける。そして、力を込めて、

「ユリィ、ただい──」

「───やあ、レイ君じゃないか。こんなに遅くに帰ってきてー、補導対象だよ?」

「ぎゃああああ! 何で、ここに先生が!」

「まるでおいしい展開が待ってるようなセリフを吐きますね、レイ君」

「わーレイ君だー。こんな時間まで寄り道?」

 ちょうど二十一時半をまわった大時計。だが、開口一番目に入ったのは、耳に入ったのは、それではなかった。

「た、倒生先生……何故ここに」

 ボクの担任教師、倒生ランジ。何故彼がボクの自宅の階段にもたれているのかは、不明である。ボクはゆっくりと辺りを見回し、そして。知っている顔ぶれが、倒生先生だけではないと確認した。白野つくしと木先はるか。この二人も、倒生先生の隣でニヤニヤとボクを見下ろしていたのだ。 

「掃除ならこの間、済んだはずだろうが」

 と、ボクは小さく呟いた。この絶対プライベート空間に居る部外者三名。いや、同じ部活に所属しているのだから、部内者かもしれないが、赤の他人三匹。さらに、未だに姿を見せてくれないボクの唯一の同居人。
 これ、どういう状況だ。ただ、不可解極まりないのは確かで。

「いやいやいや、はるかとつくしはボクの友達枠だから何となく分かる。でも」

「はるかさん、聞きました? お友達ですって」

「聞いた聞いた、今のはデレだね、レイ君の!」

「そこ、静かに!」

「しゅん……」

「何だよ、子犬みたいな顔しても響かないからな!」

「じゃなくて、何です?」

「何で、ボクの担任がここに居るんだ。普通教師が生徒の家に来ることは無い! ありえないー!」

「え、これ家庭訪問だからね? 正当な訪問だよ。そんな、噂の《幽霊館》を見てみたいーっていう、ミーハーな理由じゃありません」

「後半は十分不純な動機だ! それに、家庭訪問っつったって、ここには、保護者なんか……」

「わたしのこと忘れて、ずっーとお喋りして……」

 論争に幕を下ろしたのは、聞き覚えのある少女の声で。

「あ。ゆ、ユリィ……」
 
 ボクの同居人、白髪の三つ編みミイラ──ユリィが、そこに現れた。まるで、冷蔵庫の中に放置してあった一ヶ月前の肉でも見るように、つくしたちの影からボクを見下ろしている。このままだと、ボクが3枚に下ろされそうな勢いである。
 しゅうしゅうと、白蛇のような三つ編みを全て逆立て、彼女はらしくもなく首を鳴らした。

「あんまり帰りが遅いから、寂しくて不思議部のみんなを呼んじゃったの、夕食にね」

「え、じゃ、ボクの夕飯は……」

 あんなに頑張ったのに。シオンさんやらエコトちゃんやら、未知の存在に遭遇しながら情報集めたのに。ボクは、さっきから壊れたラッパみたく鳴っている腹を、きつく抑えた。夕餉抜きは地獄だ。でも、激怒ユリィの仕打ちがその程度で済むなら良いのだが。

「はあ……夕食ならあります。ただし」

「た、ただし?」

 鋭い視線を向けられて、ボクはごくりと唾を飲んだ。一体、このボクにどんな拷問が────?

「──残ってるのはわたしの手作りだけなんだけど」

「ひ」

「僕たちは冷凍食品パーティだったもんねー、ツクシちゃん」

「今って本当、レパートリー豊富なんですね。どれも美味しかったです」

「食べるわよね。食べて、くれるのよね、レイ」

 彼女の圧に押し負け、ボクはしぶしぶ首を縦に引いたのだった。この日から、ユリィが自分の手料理を武器にし始めたことを、ここに明記しておこう。
 そして、今日が冷凍食品記念日になったことも。


 ◆◆◆


「うぷ、……ごちそ、さま。ユリィ」

「美味しかった?」

「う、うん。まぁ、いつも通りに」

 致死量の黒炭を食べきったボクは、目を輝かせるユリィに苦笑いを返した。ああ、生きてることを褒めてほしい。
 
「はいはい偉い偉い。じゃ、わたし、お皿洗ってくるから」

「ありがと、ユリィ」

 ユリィに皿を渡して、ボクも席を立った。まったく、掃除も選択も皿洗いも完璧なクセして、どうして料理だけは苦手なのか。ちなみに、いつもはボクが台所を担当している。
 ユリィとつくしよりかは、料理うまいんだぞ、ボク。

「さらに言えば、わたしの方が料理うまいんだけどねー」

「身辺詐欺教師……。その三ツ星シェフの免許も偽造ですか?」

 不服なのは変わりないが、まだ腹に余裕が出来ないので、ボクはソファに腰掛けた。何を隠そう、ソファにはボクの苦手な教師が座っているのだから。なんだこの教師、自宅のようにくつろぎやがって。

「レイ君家のテレビって古いねー。古臭いねー。あ! また画面が揺れてる。何これ、心霊現象?」

「悪いことは言いません、先生、地べたに座ってください」

「や、がっつり悪いこと言ってるじゃんレイ君。先生泣いちゃうよ?」

「勝手に泣いてください」

「うわ、ひど」

 使えないと分かったのか、彼はがっかりしたようにリモコンを手放した。テレビくらい、自分の家に帰ってみればいいものを。

「あれ、つくしとはるかは?」

「ん、確かお風呂見てくるって……」

「泊まる気かよあいつら!」

「だってレイ君の家、めっちゃ空き部屋あるじゃん。わたしも泊めてもらおっかなー」

「アンタは帰れ! 月に帰れ! 地元に帰れっ!!」

「えーん差別だぁ」

 中年の泣き真似にも飽きたところで、ボクは、

「で、どうでしょう」

 と、聞いた。彼は気だるそうに、もったりとした前髪を掻き分ける。

「シオンさんのことについて? 君の会った子について? どっち?」

「どっちにも、心当たりがあるんですか?」

 エコトという幽霊にも、シオンさんの呪いにも。話したのだ、この人に。今日、今までの出来事全てを。ツクシとハルカには、シオンさん宅への訪問しか話していない。だが、この変人教師には、エコトのことまで話してしまった。何故か、舌が踊るように、洗いざらい語り尽くしていたのだ。タオセイ先生は、フッと笑った。

「幽霊ちゃんの方ならね、有名人だから」

 この場合は、有名霊って言った方が良いのかな。

 と、置いて。

「でも、今は置いておこう。また今度教えてあげる」

「……じゃあ、“イトモクハルサメ”について、教えてくれませんか」

 エコトという幽霊が言っていた、蜘蛛痣を持つ者の名前。彼は、しばし目をはためかせて、

「そっちも、わたしが知ってると思っているのかな」

「知らないんですね?」

「お生憎だけど、万能万全なわたしにだって、知らないことくらいあるさ」

「万能万全というより、個人情報法のスペシャリストだから聞いたんです」

「やだなぁ、そんな非公式な異名付けちゃって~。わたしだってまだプロには遠く及ばないよぉ」

「握ってる情報の量が、常軌を逸してるんですよ、この変人教師!」

「照れるぅ~」

「照れるな!」

 くねくねとソファを軋ませる彼に、ボクは横から指で攻撃を入れた。まるでこんにゃくみたいだ、全てかわしやがって!

「まあ、生徒のことを知り尽くしてるボクでも、知らないことは知らないよ。ごめんね、レイ君」

「……そうですか。いいですよ、大図書館に行けばいいだけですから」

「まさか、会いに行くのかい!? “イトモクハルサメ”に……!」

「え、あ、はい」

 ソファから落ちそうな勢いで、彼は、がしっと肩を掴んだ。

わたしは、本当に立派な教師でないから、まともなことは言えないし、言わない」

「知ってます知ってます」

「けど言わせてもらう!」 

「えええ」

「──君は、情報に踊らされすぎだ」

 神妙な面持ちで、彼はそう言った。どこか、ボクを食い止めるような調子で。そのまま、先生は続ける。

「なんでもかんでも情報を鵜呑みにするな。それをもたらした者は、本当に信用できるか? ただ一度軽口を交わした仲、しかも幽霊を自称してるやつなんだよ」

「でも、彼女はボクと約束を……!」

「何を根拠に? イトモクハルサメなんて本当に実在する人間なのかい? 写真は? 女性職員という以外の特徴は?」

 質問の雨が、絶え間なく降り注ぐ。違った。さっきまでとまったく違う、強い口調で。言葉の弾丸が、ボクの心を真っ直ぐに貫く。息をする間もなく、無数に。落ち着いてください、とも言えずに。

「情報を疑え。疑って、疑って見極めろ。じゃなきゃ、無駄足を踏むだけだ……」

「先生……」

 怖い、くらいだった。この人は、何に急かされて、何に追い詰められて、ボクにこう説くのか、分からなかった。彼は少し俯くと、早口で続けた。

「レイ君、君はこの町のことだってまだよく知らないだろう。そんな子に、この町の不思議は暴けない。不思議部部長なんて、到底務まらないよ」

「……そんなこと! あなたには言われたくありませんが」

 口だけの反論は意味も成さない。彼は、言葉すらも易々とかわした。

「この件が解決したら、この町のことをちゃんと聞くんだ。キヨタ君とか、ミイロちゃんとかに」

「つくしやはるかでは、駄目なんですか?」

「経験者から聞いた方が良い。だからお願いだよ、レイ君。──情報の波に呑まれないで」

「……分かり、ました」

「うん、よろしい」 

 妙な説教タイムは、ボクの了承と満足そうな彼の言葉で終わった。

「で、明日の放課後くらいに大図書館に」

「今の話聞いてないでしょレイ君! 情報を見極めろってあれだけ……!」

「いや、見極めた末ですよ。今のボクがすべきことは大図書館に行くことです。じゃなきゃ、状況は変わらない」

「それなら、せめて休日にしてよ! 明日の放課後は会議が入っちゃってるんだ!」

「それが、何か?」

わたし、行けないじゃん!」

「いいですよ、ボクたちだけで行くんで」

「いやいやいや顧問のわたしが同伴しないと」

「大丈夫ですって、ただ人に会いに行くだけですから」

「ああもう! これだからレイ君は」

「───あの、その作戦会議、わたしも混ざって良い?」

「あ………ユリィ。どうした?」

「ううん、あのね。ちょっと、話しておかなきゃいけないことがあって」

 ドアからちょこんと顔を出したユリィを引き入れ、ボクたちの作戦会議が始まった。


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