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第2章 《蜘蛛の意図決戦》
第2章18『乾きすぎた音』
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「さっすがにもう閉まってるか……」
現在、午後九時三十分。教師というのは実にさっぱりしていて、ここには残業する者も、熱心に残りたいという者も、もう居やしなかった。ま、普通のことである。見回りが居なかったのが幸い。
ボクは門を、あらゆる(ここに記載することの出来ない)手段を使って飛び越えた。ふっと、土の上に音もなく降りて、辺りを見回した。校内の明かりは一つ残らず消えている。本校舎の隣、今にも倒壊しそうなのが旧校舎、そして体育館。
眼前にそびえたつこの三つの建物は、全て二階の渡り廊下でつながっている。
おそらく、本校舎の方から教室に侵入する正規のルートは使えないだろう。がばがばに見えがちだが、この学園の警備は万全なのだ。よって、ガバガバな方の旧校舎から入ることにしよう。
「まず、戸と窓の立て付けが悪いってのが問題だよな、っと」
旧校舎一階、不思議部の部室に当たるその窓を押し上げ、ボクはやすやすと校内に侵入した。確か鍵当番が倒生先生だったからな。ガバガバがさらにガバガバなのだ。帰りに閉めて行ってやろうと思いつつ、靴を片手にゆっくり窓を閉める。
侵入成功。軋んだ木の床を大きく踏み込み、ボクはにたりと笑みを浮かべた。
『ひっどい人相。あとでユリ姉に言いつけてやっからな』
「わ! コルク、急に大きい声出すなよ。ここ夜の学校なんだから」
『へいへい』
コルクは昔から負けん気あるのコウモリちゃんなのだ。弟分みたいで可愛いところもあって、それでいて実はシャイボーイなのだ。
『──レイ兄、来る』
「え、なにが」
突如、スカーフの中から響く声音が強張った。何もない、誰も居ない不思議部部室。明かりをつけたいところだが、主電源まで切られているらしく、部屋は薄暗いまま。なんとなく、夜の学校はそういう雰囲気があるけれど。そんな雰囲気に満ち足りているけれど。ボクはただ、コルクの声に耳を澄ませた。
「コルク、何だ。何が来るって?」
『分かんねえ……分っかんねえけど、み、みが! うぇえ……耳が、痛えよぉ』
「おいっコルク、大丈夫か。ボクのスカーフん中で吐くなよ、馬鹿!」
『吐いてねえよ、レイ兄の馬鹿!』
罵倒すらもその弱々しさが隠せていなかった。コウモリちゃんの異変。ボクは部室のドアをこじ開け、廊下に出た。すると、
「────っがぁ!?」
ジイィィィーッッという蝿の羽音のような耳鳴り。耳の中を這いずりまわるその音と共に、やってきたのは、頭が割れてしまうようなほどの頭痛。コルクに会話を強いたのを悔やみたいほどの激痛だった。スカーフの中からも、絶えず小さい嗚咽が響いている。
咄嗟にしゃがみこんだが、痛みが治まることはない。
「う、が……っ、い、いってぇ……」
「──いたい?」
「は、ぁ──?」
足。健全な、真っ白なソックスと、上履きが見えた。その延長線上には、生地の薄いスカートが伸びていた。温度の無い声。同時、頭の痛みが嘘のように消えたのだ。ああボクは、また。また。
「──ねえ、痛いの? 氷雨レイくん」
「何で、ボクの名前知って……」
軽くなった頭を振り上げると、そこには。そこに、居たのは。
「私はエコト。迴るって字と、木琴の琴。それを合わせて迴琴」
透き通るような。
いや、透き通っている彼女は。
「私はエコト。乾燥肌なの、よろしくね」
────ぱりっ。
空気が裂けるようなおかしな音。うっすらと唇を引いた彼女の肌には、余すことなく鱗が浮かび上がっていて。明らかにヒトとは言えない存在だった。だがそんな少女が、朧げに浮かぶ月のように美しかったのを、ボクは覚えている。
「ね、レイくん。ここは協力しようよ。互いが互いを求めて、互いが互いに利益をもたらす。とってもホワイトな取引をしようよ」
「協力? ……何言ってんのか分かってないのはボクだけ、みたいだな」
ボクと年端も行かないくらいの彼女は、言った。協力だの取引だの、ボクの質問には答えないクセにぺらぺらと。ボクは舌打ちをして立ち上がった。
「一方的に話してくる女子は苦手なんだ。あと、君みたいに見透かしたような目してるやつも、ボクはタイプじゃない」
「ふふ、つれないなあ。私、レイの大好きな美少女、なのにな」
蛇のような赤い目。若草色の髪。仕草一つ一つでムカつく女子なんて初めてだ。
「私、レイの初めてになったんだね」
「変な言い方すんな。気色悪い」
「おやまあ、酷い言い草だ。こんなの話が違うじゃないか……。まあいい、取引の話なんだけど」
「──答えろ、エコト。君は誰で、何でボクを知っている」
答えろ。
と。
淡々とした口調のまま話を進めようとする彼女が、ボクは激しく気に食わなかった。カッと頭に血が昇り、夜でもなきゃ彼女に掴みかかる勢いだったろう。
だが、そんな威嚇も空しく、飄々とした彼女にかわされてしまう。まるで空気と話しているような気分だった。
落ち着け、氷雨レイ。落ち着け。落ち着いて。彼女を見るんだ。
「そんなのは後でいい。もっと親密になって、そしたら親身になって言葉を交わせばそれでいい。助言も予言も素直に聞き入れないと人生上手くやっていけないでしょ。損をしないで、生きてるうちは。いーっぱい頭を使わないと、ね」
ぱりっ。
乾いた笑み、再度響く不快な音。そして彼女はこう続けた。
「私に協力してくれたら、シオンさんの呪いに関する情報をあげる。これで、少しは話を聞く気になったかな、レイ」
ぱ、りっ。
現在、午後九時三十分。教師というのは実にさっぱりしていて、ここには残業する者も、熱心に残りたいという者も、もう居やしなかった。ま、普通のことである。見回りが居なかったのが幸い。
ボクは門を、あらゆる(ここに記載することの出来ない)手段を使って飛び越えた。ふっと、土の上に音もなく降りて、辺りを見回した。校内の明かりは一つ残らず消えている。本校舎の隣、今にも倒壊しそうなのが旧校舎、そして体育館。
眼前にそびえたつこの三つの建物は、全て二階の渡り廊下でつながっている。
おそらく、本校舎の方から教室に侵入する正規のルートは使えないだろう。がばがばに見えがちだが、この学園の警備は万全なのだ。よって、ガバガバな方の旧校舎から入ることにしよう。
「まず、戸と窓の立て付けが悪いってのが問題だよな、っと」
旧校舎一階、不思議部の部室に当たるその窓を押し上げ、ボクはやすやすと校内に侵入した。確か鍵当番が倒生先生だったからな。ガバガバがさらにガバガバなのだ。帰りに閉めて行ってやろうと思いつつ、靴を片手にゆっくり窓を閉める。
侵入成功。軋んだ木の床を大きく踏み込み、ボクはにたりと笑みを浮かべた。
『ひっどい人相。あとでユリ姉に言いつけてやっからな』
「わ! コルク、急に大きい声出すなよ。ここ夜の学校なんだから」
『へいへい』
コルクは昔から負けん気あるのコウモリちゃんなのだ。弟分みたいで可愛いところもあって、それでいて実はシャイボーイなのだ。
『──レイ兄、来る』
「え、なにが」
突如、スカーフの中から響く声音が強張った。何もない、誰も居ない不思議部部室。明かりをつけたいところだが、主電源まで切られているらしく、部屋は薄暗いまま。なんとなく、夜の学校はそういう雰囲気があるけれど。そんな雰囲気に満ち足りているけれど。ボクはただ、コルクの声に耳を澄ませた。
「コルク、何だ。何が来るって?」
『分かんねえ……分っかんねえけど、み、みが! うぇえ……耳が、痛えよぉ』
「おいっコルク、大丈夫か。ボクのスカーフん中で吐くなよ、馬鹿!」
『吐いてねえよ、レイ兄の馬鹿!』
罵倒すらもその弱々しさが隠せていなかった。コウモリちゃんの異変。ボクは部室のドアをこじ開け、廊下に出た。すると、
「────っがぁ!?」
ジイィィィーッッという蝿の羽音のような耳鳴り。耳の中を這いずりまわるその音と共に、やってきたのは、頭が割れてしまうようなほどの頭痛。コルクに会話を強いたのを悔やみたいほどの激痛だった。スカーフの中からも、絶えず小さい嗚咽が響いている。
咄嗟にしゃがみこんだが、痛みが治まることはない。
「う、が……っ、い、いってぇ……」
「──いたい?」
「は、ぁ──?」
足。健全な、真っ白なソックスと、上履きが見えた。その延長線上には、生地の薄いスカートが伸びていた。温度の無い声。同時、頭の痛みが嘘のように消えたのだ。ああボクは、また。また。
「──ねえ、痛いの? 氷雨レイくん」
「何で、ボクの名前知って……」
軽くなった頭を振り上げると、そこには。そこに、居たのは。
「私はエコト。迴るって字と、木琴の琴。それを合わせて迴琴」
透き通るような。
いや、透き通っている彼女は。
「私はエコト。乾燥肌なの、よろしくね」
────ぱりっ。
空気が裂けるようなおかしな音。うっすらと唇を引いた彼女の肌には、余すことなく鱗が浮かび上がっていて。明らかにヒトとは言えない存在だった。だがそんな少女が、朧げに浮かぶ月のように美しかったのを、ボクは覚えている。
「ね、レイくん。ここは協力しようよ。互いが互いを求めて、互いが互いに利益をもたらす。とってもホワイトな取引をしようよ」
「協力? ……何言ってんのか分かってないのはボクだけ、みたいだな」
ボクと年端も行かないくらいの彼女は、言った。協力だの取引だの、ボクの質問には答えないクセにぺらぺらと。ボクは舌打ちをして立ち上がった。
「一方的に話してくる女子は苦手なんだ。あと、君みたいに見透かしたような目してるやつも、ボクはタイプじゃない」
「ふふ、つれないなあ。私、レイの大好きな美少女、なのにな」
蛇のような赤い目。若草色の髪。仕草一つ一つでムカつく女子なんて初めてだ。
「私、レイの初めてになったんだね」
「変な言い方すんな。気色悪い」
「おやまあ、酷い言い草だ。こんなの話が違うじゃないか……。まあいい、取引の話なんだけど」
「──答えろ、エコト。君は誰で、何でボクを知っている」
答えろ。
と。
淡々とした口調のまま話を進めようとする彼女が、ボクは激しく気に食わなかった。カッと頭に血が昇り、夜でもなきゃ彼女に掴みかかる勢いだったろう。
だが、そんな威嚇も空しく、飄々とした彼女にかわされてしまう。まるで空気と話しているような気分だった。
落ち着け、氷雨レイ。落ち着け。落ち着いて。彼女を見るんだ。
「そんなのは後でいい。もっと親密になって、そしたら親身になって言葉を交わせばそれでいい。助言も予言も素直に聞き入れないと人生上手くやっていけないでしょ。損をしないで、生きてるうちは。いーっぱい頭を使わないと、ね」
ぱりっ。
乾いた笑み、再度響く不快な音。そして彼女はこう続けた。
「私に協力してくれたら、シオンさんの呪いに関する情報をあげる。これで、少しは話を聞く気になったかな、レイ」
ぱ、りっ。
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