蝙蝠怪キ譚

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第1章《ミイラ取りを愛したミイラ》

第1章7『タオ先生』

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 倒生蘭二という教師に初めて会ったとき。
 それはつまり、ボクが蛇鹿学園に編入してくる前日の朝に値する。
 
 
「君、名前は何て言うの?」

「氷雨レイです」

「へぇ、ヒサメってどう書くの?」

「熱があるときとかに頭に乗せる、あの氷のうの氷に、春雨の雨で。氷雨って書きます」

「おおー、なんだかヒラメみたいな苗字だねー」

 失礼だ。失礼極まりなかった。

 こんな短い会話数の中でこれほどまでに不信感を覚えたことは片手に収まるくらいしかないぞ。この人こそ、理事長室に侵入した不審者なのではないか。
 おまけに、春雨の雨という言葉に感動したらしく、美味しそうだねぇとか、浴びるほど食べたいなぁとか、訳の分からないことを呟いていた。当時、理事長が外出中だったので、代わりにこの人がボクを対応したのだが。
 第一印象。やばい。だらしない。ヒゲが散らかってる。ネクタイがくしゃくしゃ。終始笑顔。絶対やばい。
 考え直そう。この人の職業はなんだっけ。

 教師だ。

 案内してくれた事務のおばさんが“タオ先生、その子案内してあげてね~”って言ってたからな。もしかして幻聴か。タオ先生、と倒生蘭二先生は別物という認識でいいだろうか。うん、きっとこの人は教師じゃないのだ。にっこにこな不審者で確定だ。

「ツクシちゃんからは、もっとお喋りな子だって聞いたけど、緊張してるのかな」

「あの、あんた、本当に先生なんですか?」

 ぼっさぼさの蓬髪を掻いていた彼の手が、止まった。

「“あんた”とは心外だなぁ。それはとっても人権侵害だなぁ。わたし、そんなにだらしなく見えてる?」

「はい、はっきり言えば。いや、はっきり言わなくても、はい」

 “だらしない”がかろうじて服を着て歩いているような感じだ。ボクはきっぱりそう告げた。

「ふ、──あっははっはははははっ」

「え」

 高笑い。大笑い。呵呵大笑。
 なんと言っても構わない。腹を抱え、笑ったのだ、目の前の反面教師は。抱腹絶倒したのだ。

「あーっはははっ、ひぃっひぃっ。素直だね、気に入った。じゃあ春雨君には、わたしの受け持つ3年A組に編入してもらおう。はい、異議も異論も受け付けません」

「え、あ……ちょっと、氷雨ですってば」

「じゃ、明日はしっかり、3三A教室までおいでね」
 
 去り際に、彼の前髪の隙から、その翠色の光が覗いたような気がした。それはあまりにも、彼にはもったいないくらいの、宝石にも似た輝きを放っていた。

 ◆◆◆


 それから、倒生先生と言う教師への評価が、見直されたことなどは一度たりとも無い。担任だからって彼への評価が大きく揺らいだりはしなかった。

 もちろん、今、現在も。

「………はるか、ミイラのことを相談する相手って、ほんとに、あの人なのか?」

 昨日の今日で、今日の放課後。時間にして、午後三時二十分。いつもなら、自分の教室でぼぉーっとしている時間である。だが、今日は、ボーっとするわけにもいかなかった。
 そう、物置きとも呼べる雑多部屋に、ボク─氷雨レイは連れ込まれていたのだ。

「うん、“連れ込んだ”んじゃなく“呼び出した”んだけどね。そしてここは物置き部屋でも雑多部屋でもない。ほら、さっきも言ったでしょ」

「ああ、言われたさ、ただ信じたくないだけ」

 ボクの隣に腰を据えるはるかは、

「ここは、不思議部の部室だよ?」

 と、当たり前で有り得ない言葉を繰り返したのだった。
 大きさ的には普通の教室の二分の一も無いし。中は文化祭などで使ったと見られる看板や無駄な紙花たちでごった返しているし。ボクの座れるベンチがあるだけマシだが、硬くて冷たくって座りごこち最悪だし。しまいには机じゃなくて、低いガラス棚があるし。別に埃が落ちているわけじゃなかったが、そこは。
 紛うことなき、──汚部屋だった。

「あのレイ君に言われるなんてこの部屋も相当だねえ」

「ああ、素晴らしい散らかり具合だ」

 これならあのダンボール箱(inミイラちゃん)を置いても、なんら違和感なかった。背景に同化しているくらいだ。

「そうだ、じゃあ早速見てもらおうか。あの人に」

 はためくカーテンの前に、その人は立っていた。窓の外を眺めているだけなのに、変人っぷりが背から滲み出ていた。未だに、認めたくはない。この人が、不思議部顧問であることも。──本物の、教師であることも。

「レイ君を連れてきたよ、タオ先生」

「ああ、相談したいって言うから、びっくりしちゃったけど……。そっか、その子がいるなら、納得だね」

 振り返った男──反面教師、倒生蘭二タオセイランジは、そう言った。ボクらがこうして相談に来ることも、何もかも、お見通しのような口ぶりで。
 あっけらかんとしていて。飄々としている。キツネに頬をつままれている最中のような気分になるのだ。この人と対峙していると。はるかは、すぅーっと頬に空気を溜め、

「何にも分かってないくせにそれっぽい雰囲気出すのはやめてってば、タオ先生! もうっ、初見の人が先生のこと、ラスボスで黒幕だと思っちゃう可能性もあるんだからって何回言ったら分かるの!? ほら、レイ君もこんなに怯えて」

「えぇーごめんよぉ、思わせぶりなわたし、やっぱり罪な男だねえ」

「なんだ……雰囲気だけだったのかよ」

 ビビッて損した。とんだ肩透かしを食らってしまった。全く、ボクこの人苦手だ。
 ちくちくとはるかに小言を言われる様まで情けない。なんか、よくあるだろう。一目見た瞬間、ああこの人とは仲良くなれないなあと思っちゃうやつ。倒生先生に会ったとき、ボクはそれを感じたのだ。
 だらしないとか、へタレだとか、偏見は悪いことだが最初に入ってきた視覚的情報が最悪すぎた。第一印象もなんにも変わらない。何故この人をはるかたちが顧問に選んだのかも謎のままだ。どうせ、適当に決まったんだろう。

「僕たちの青春に付き合ってくれる先生が、この人しかいなかったんだ」

「なんか、壮大な学園ドラマみたいだな」

 違和感解明に、青春に付き合ってくれる人が、この男以外に居なかった。はるかのうやむやにしたような笑みに、ボクはなんだか笑えなくなってしまった。

「さてさて、つくしちゃんは不在だけど、先に話を進めようか。レイ君、君の部屋にあったミイラ、わたしに見せてくれないかな。どれ、生物学教師として」

「え、物理教師じゃ」

「へへーん、科学、化学、地学、物理学、心理学、天文学、生物学、さらにすこーしだけ医学もかじってる。理系全方位カバーの受験生の優しい味方、それがわたしなんだよーん」

 いちいちいらっとくるなあ。しぶしぶ彼にダンボール箱を渡すと、倒生先生は舐めるように中を観察し始めた。鍾乳洞のように動きがぬめぬめしている。間違えた。サンショウウオのように動きがぬめぬめしている。少し引いた。七歩ほど下がったという意味だ。
 ゼロ水分のミイラちゃんに絡む仕草に肌がぞわぞわする。本当に舐めかねないゼロ距離じゃないか。乾燥ワカメのようにぺろぺろと舐めだすんじゃなかろか。

「うん、乾燥ワカメみたいだねぇ」

「ぎょっ!?」

 か、被ったぁぁぁぁぁぁぁっ、思考回路が被ったあああああああ。

「じゃあ、お湯かけてみようか」

「ほっ」

 流石にそこまではボクも考えない。良かった。あと少しで脳につながりを感じるところだったじゃないか。

「──いや。よくねえよ!? あんた今何つった!」

 お湯!? お湯を!? かけるって!? ミイラに、ミイラちゃんにか?! 今この人、大分ぶっ飛び発言したよな。いつもとなんら変わらぬテンションで。

「お湯っ!?」

「そ。お湯、もしくは熱湯でもいい」

「お、お湯を、この、このこのこの、ミイラちゃんにっ?」

「もう、そんなに言うならちょっとくらいぬるくたって良いよぅ」

「いや、そこは別にどーでも良いんですっ! なあ、はるかも何とか」

「──確かに、お湯をかければ生き返るかも」

「何っ!? 二人してミイラちゃん生き返らせようとしてんの?」

「うんっ!」

「なっ、なっ、なんなんだぁああああっ」

 童心ありまくりじゃねぇか、思考回路が幼児並みの中年なんて誰得だよ。しかもよく見たらこの男、言うほど中年でもなかった。顔のパーツは整っている(そういうところもムカつく)。
 ヒゲだ。この男、ヒゲと髪の毛で老けて見えるのだ。たしかにこんなちゃらんぽらんが全うな大人であるはずが無いんだ。ボクらの倍以上生きていたってこうはなるまい。

「タオセイ先生、逆アポト○シンは独自に入手したんですか? それともご自身で作ったんですか?」

「ん~? さてねぇ」

「こうやって濁すからまた、黒幕と間違われるんだよー、タオせんせ」

 案の定、しらばっくれる大人は学習していなかった。する気もなかった。というか、黒幕という響き、満更でもなさそうだった。

「じゃ、かけようか」

 じょぼぼぼぼおぼぼぼっ。

「えええええええええぇっ、ティーポット常備なのかよおおおおっ」

 ヤカンじゃなくてティーポットだし。さっきから叫びすぎて喉が痛いっ。ツッコミすぎて心が痛い。誰か、もう一人くらいツッコミをくれっ。
 いや、そんなことを考えている場合でなく、ためらわれることもなくダンボールの中に注がれている透明な液体。音の割には怪しさゼロパーセントのお湯のようだ。
 このままじゃ、箱の中のミイラちゃんがどんどん水分を得てしまうではないかっ。どうするんだ、この子がウォーキングデットさながら襲い掛かってきたら。

「そのときはそのときだねえ」

「のんきかっ!」

 十字架か、にんにくか、あとは何だ。札か。ポケットの中をまさぐっても、何一つ出てきやしなかった。ティッシュどころか、きゅんすら出ないぜこのやろう。

「おおおおおっ何で戦えば良いんだ」

 もくもくと蒸気が上がり、カルキの臭いが立ち込める。すごい、理科室のにおいがする。だというのに、タオセイ先生は一向にそれを傾ける手を止めなかった。
 もうダンボールの四つ角はじんわり変色してきている。

「くっ、倒生先生そろそろミイラちゃんが可哀想です、止めましょう」

 なみなみな水の中であっぷあっぷしているミイラちゃんの姿が目に浮かぶ。今頃中は大惨事だろう。水でぐちゃぐちゃふやけてべちゃべちゃ。

「倒生先生、止めて下さい!!」

「分かった、レイ君が“タオ先生”って呼んでくれたら快く止めるよ!」

 すがすがしいまでのグーサインがでてしまった。根に持っていたとは。くそぅ、良い笑顔じゃねえか。

「──た」

 呼ぶだけ。呼ぶだけ。なんらハードルは高くない。
 
「た、……た、た、た」

 反抗心を消すんだ、この人に対する、反抗心を。

「た、っ、タオ先生ぇえええええ」

「よく出来ましたぁっ!」

 空を割るようなボクの叫びに、ティーポットから溢れていた水が止まった。そして、

「さぁ、お姫様のお目覚めだ」

 ゆらり、と煙が動き出し。また、タオ先生は、悪役っぽく笑ってみせたのだった。

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