蝙蝠怪キ譚

なす

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第■■章《片羽の無い天使》

第■■章17『空白の代償』

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 ◆◆◆◆


 香々イロハ──のフリをしていた彼女は、笑った。えずくように、笑った。なにがなんだか、分からなくなってしまった。と。そういう風に。

「自分の『羽』が、欲しかっただけなのに……私だって、羽ばたきたかったんですよ。自分の好きなことをして、自分の思うように生きて」

 決壊したように、彼女は話し始めた。変な敬語も使わない、イロハちゃんじゃない彼女が、声を上げて。それはどこか、罪の告白のようにも聞こえた。いや、自らの中に潜む、エゴの懺悔と言ったほうが正しいかもしれない。

「“イロハちゃん”じゃなく、“私”として! “イロハちゃん”として生きることだって楽しかった! お兄さんたちだって、大好きで、やっぱり、本当に大好きで……! 私が“イロハちゃん”をやめたら、きっと全てが壊れちゃうんです、それが嫌でそれも嫌で。我慢しなきゃいけないのに、わがままなんて言える立場じゃないのに……駄目ですよね、駄目だなぁ……」

「────」

「毎日を過ごすたびに、“私”として生きたいっていう思いが、強くなっていくんですよ。………だから、死のうとしたんです。氷雨先輩の肩甲骨が手に入らなかったら、死のうと思ってたんです。“イロハちゃん”を殺して、“私”になるために」

 あーあ。

 すべてに失敗してしまった彼女は天を仰いだ。潤んだ瞳を隠すように。

「──なんにしろ、蝙蝠の欠片を使い続ける君を、黙認する訳にはいかないよ。カケラは回収させてもらうし、君はマネキンに戻ってもらう」

「──え」

 彼女は口を開け、呆然とした。告白の件は嬉しかったし、お礼も言ったけど、それはそれ。これはこれである。まるで、裏切られたかのような顔をするじゃないか。やめてほしいものだ。ボクは最初から、君の味方でも何にもないのに。

「……めて、やめて! やめてくださいっ!」

 彼女は、縋るようにボクの腕にしがみついた。泥に固められた、その腕で。

「そんなことしたら、本当に……! お兄さんたちがおかしくなってしまうんです。だから、だから見逃して……」

「ボクには、君たちが幸せだなんて、そんな風には見えないんだよ」

 耳に痛い金切り声を、ばっさりと両断する。

「幸せだ幸せだって、そう繰り返してはいるけどさ。君は確かに、ロッカイ君もロッケイ君も、愛してはいるけどさ。でも、あいつらが愛してんのは、君じゃなくって“イロハちゃん”なんだぜ。亡くなった妹を忘れないように、つなぎとめる道具としか見られてないんだよ。それってさ、めっちゃくちゃ不公平じゃないか?」

 どんなに頑張っても、どんなに努力してもそれは“イロハちゃん”の功績になる。他人の人生を代わることなんて、いくらマネキンでも不可能だ。他人に成り代わるってことは、その分『自分』を捨てなきゃならない。自分の『羽』を、自分でもぎとらせるなんて残酷すぎるじゃないか。

「君は、自由に羽ばたきたかったんだろ。だったら自分の望みを、否定なんかすんなよ。自分を生きたいって思うのは、駄目なんかじゃない。いけないことなんかじゃない」
 
「そんなことない……。わ、私は、マネキンで、人間じゃ、ないんですよ!?」

「マネキンだったとしても、今の君は人間だ。そんなの、当たり前のことじゃねえか。君は、怒って、怒鳴りつけて暴れて、当然なんだよ。良いんだよ!」

「だって……だって、だって!」

「嫌なんだよ、なんか。見ていらんないんだよ。そんな絆、“間違ってる”って思うから。だからさ、もう互いに、自分を縛りつけ合うのはやめたらどうだ。なあ、そうだろ、香々兄妹」

 言いたいことはもう言った。だから次は、向かい合う番だ。ボクは閉めきりだった扉を開け放った。

 かちゃ。

 解き放たれる音がして。彼女は、思わず退いてしまっていた。そうなるのは当たり前で、ホントはボクも少しだけビビッていたけれど。そこに、居たのは。


「────イロハ」

「兄さ、ん」

 美術室の入り口に立っていたのは、香々ロッカイと、ロッケイの二人だった。その背後には、仁王立ちするカコミちゃんや、アリボトケまで見える。あっちも、口を割ったらしい。

「ああ、あ、あああ」

 口から零れたものは、言葉にすらなっていない。悲鳴とも言える嗚咽だった。今にも泣き出してしまいそうなのに、それを押し殺して。こんなところを見つかったら、“矯正”される。また、羽がなくなってしまう。二人の兄を目にした少女は、まるで小動物のように背をかがめていた。

 怖くて、仕方がなかったはずだ。自己暗示なんて所詮その程度のもので。左腕を切り落とされて、自身の尊厳を一つ残らず奪われたのだから。忘れようとしても、体は覚えている。最後まで、彼女は二人を愛して、許容しようとしたけれど。そんなこと、普通の人間なら、怖くて怖くて仕方がないはずなんだ。
 たとえそれがマネキンでも。狂気への恐怖を、消すことなんてできないのだから。

「イロハ……じゃなくて、何て呼んだらいいのか分からないのですが。いや、……彩羽」

 あえて、一人は繰り返した。もうどちらがどちらだか、見分けはつかない。ただ、もう片方の考えていることも、言いたいことも全て同じだろうと見当は着く。二人は、互いの瞳に互いを映し、向き直り、

「ごめんなさい」

 と、頭を下げたのだった。


 ◆◆◆◆


 そりゃそうだ。

 いつだって時は進むし、進み続ける。ロッカイ君だってロッケイ君だって、自覚をもつ大人になる。いつまでも、お人形とおままごとをしている子供じゃないんだから。二人だって、心のどこかで分かっていたのだろう。

 “イロハちゃん”が、もう亡くなっていることを。
 “イロハちゃん”を演じ続けるマネキンの心に、限界が来ていることを。
 だから二人は、大げさにアピールした。

 ──かわいい妹を失わないように。

 本当、兄妹揃ってまわりくどい。自分たちを止めてほしいって大声で叫んでくれないと、分かんないだろうが。

「……ごめん、ごめんなさい。今まで本当に、辛いことばかっりさせて。ずっとずっと信じたくなくて。イロハが、死んじゃったなんて考えるのが嫌で、嫌で。ずっと、逃げて」

「君に、君の、人生を奪って、壊して……ごめん」

 謝った。

「勝手に、イロハにしようとしてた、君の、気持ちなんて、何にも考えずに……僕は」

 謝っていた。
 膝から崩れながら。まだ判別のつかない子供のように。泣きじゃくりながら。泣きじゃくりながら。へりくだり過ぎた敬語すら忘れて。少女は、怯えながらも手を伸ばす。

「違います、私は、嬉しかったんです。……イロハちゃんになれて、本当の妹として扱ってくれて、守ってくれて。人間にまでしてくれて、私は、マネキンだった私の心は十二分に満たされたんです。だから、顔を上げてください」

「違う、ちがっ、……うんだよ。全部、完璧じゃなくても良かったんだ」

「都合がいいのは分かってる。一生許してもらえなくたって、憎まれたって仕方がないって、そう思ってる。だけど、……俺たちの妹になってくれて、ありがとう」

「イロハに、なろうとしてくれた、……他でもないのことがっ」

「イロハじゃない、のことが……」

「大好きだ」

「────っ!」

 おこがましいのを百も承知で、二人は、マネキンちゃんを抱きしめた。強く、強く、強く。正面から、抱きしめた。

「私も、大好きです。ケイ兄さんのことが、カイ兄さんのことが……同じように好きで、大好きで。だからずっと、ずっと嫌われたく……なくって」

「嫌ったりしないよ……どんな君でも」

「マネキンに。君は、僕らの自慢の妹なんだから」

 イロハちゃんは、長袖を捲り上げた。右腕には、恐ろしくくっきりと、羽の形の黒い痣が、浮かびあがっていた。覚悟が、できたということだ。鼻水をすすった香々兄弟も、彼女の真っ白な柔肌に、爪を立てた。痣の、辺りに。

「お兄さん、私は、お兄さんたちの空白を、埋めることができたでしょうか……?」

 細めた目に映るのは、幼かった少年たちのあの泣き顔だ。それを笑顔に変えることなんて、できたのだろうか。

「できました、のですよ」

「そーだそーだ、あなたがいるだけで、俺たちは毎日が楽しくていらっしゃったのです」

「そうですか……本当に、良かった」

「イロハ、君に羽を返します。いままでありがとう」

 そう言ってロッカイ君は、彼女の蝙蝠の欠片を引っこ抜いた。ことん、腕の中の彼女は力を失い、温度も、中身もない、ただのマネキンに戻ってしまった。その、蝋のような透けた唇が、柔らかい微笑を湛えていたのを、ボクは鮮明に覚えている。

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