蝙蝠怪キ譚

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第■■章《片羽の無い天使》

第■■章16『デキタテの兄妹』

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 二人のお兄さんはある日、黒く濁った結晶を持ってきました。正確には、“ラギョウ”と名乗る男の人から貰った、そうなんですが。

 お二人は、とても嬉しそうでした。

 マネキンなりにも、人の言葉が分かる方でしたので私もその存在を知っていたんですよ。

 “蝙蝠の欠片”。

 お兄さんたちの持っていたそれは、本物に間違いありませんでした。
 きっとお二人は、今のままの私に、満足できなくなってしまったのでしょうね。月日が経つにつれ、ただのマネキンにしか、見えなくなってしまったんでしょうね。お二人と同じように、私も嬉しかったんですよ。

 もちろん、嬉しかったんですよ。

 お二人はてきぱきと、私の右肩に“蝙蝠の欠片”を埋め込んでくださいました。

 べきべきと。めきめきと。にょきにょきと。

 初めての感覚でした。おそらく、こんなことを体験したマネキンは、私だけだと思いますよ。
黒くまばゆい光と共に、私の両肩から、たけのこのように人間の腕が生えてきたのです。

 背中もありました。
 おへそもありました。
 ろうでできた硬い肌は、年頃の乙女の柔肌に変わって。体には温度がありました。

 すっからかんだった身体は、途端に重みにあふれ、倒れてしまいそうでした。お二人はすぐに支えてくださって。ぽたぽたといっぱいに涙を流しながら、私を抱きしめてくださいました。

「おかえり、彩羽ぁ……! おかえり!」

 そう繰り返す姿を今でも覚えています。
 私も、抱きしめ返しました。
 お二人の中の、“イロハちゃん”に近づけた気がして。
 やっと私も、『羽』を手に入れられたみたいで。

 とても、しあわせでした。


 ××××

 話すこと。歩くこと。食べること。
 まばたきをすること。ケンカをすること。
 わらうこと。涙をながすこと。
 知ること。眠ること。
 抱きしめること。想うこと。
 返事をすること。料理をすること。
 愛されること。愛すること。
 服を自分で替えること。お風呂に入ること。
 腕立てをすること。握手をすること。鼻を掻くこと。
 学ぶこと。考えること。
 書くこと。描くこと。

 私はたくさんの『羽』を得て、人間に成れて、満たされて。これ以上ないくらいに、しあわせになったけれど。

 お兄さんたちは違ったみたいです。
 今の私でも、全然届かなかったみたいです。お兄さんたちの中の空白は、埋まることがありませんでした。


「こんなの、僕たちのイロハじゃない」


 お兄さんたちは口々にそう言いました。生気の無くなった声で。十二分に、くすんでしまった瞳で。
そう言いました。


 ××××


 そこから始まったのは、いわゆるでした。

 並び方を間違えてしまった歯みたいな私を、お二人は正しく戻そうとしてくださいました。
 お二人は何より忠実に、イロハちゃんを再現しようとしてくださいました。


「イロハは、そんな顔で笑わない」

「イロハは、そんな喋り方をしない」

「イロハは、そんな食べ方をしない」

 そのくらいの注意なら、すぐに直すことができたんですけど。お兄さんたちは、なにより“外見”にこだわっていました。


「イロハと目の大きさが違う」

「イロハと足の大きさが違う」

「イロハと舌の長さが違う」

「イロハと歯の並び方が違う」

「イロハと」「違う」

「イロハと」「違う」

「イロハと」「違う」

「イロハと」「違う」

「イロハと」「違う」

「イロハと」「違う」


 ──はやく直して、“イロハ”にしなきゃ。


 お兄さんたちは、そういった外面的な違いまで、しっかりくださいました。お医者さまに頼らず、すべてご自身たちの力で、私のことを矯正してくださったのです。

 ご立派ですよね。

 二人は腕組みをして、すっかりきれいに正された私を見下ろしました。でも、まだお二人は、笑ってくださいませんでした。

「何が足りないと思うのですのですか、ロッケイ」

「そうでいらっしゃいますね……カイ兄さん。足りない、ではなく足りすぎている、のでいらっしゃいませんかね」


 一人はそう言って、。到底、逃げることなんて叶わない力で。

「そうですね、飛行機が突っ込んで落ちたとき。あのとき、イロハの左腕はぐちゃぐちゃになっていましたのです」

 一人はそう言って、
 
 初めて、怖い、と思いました。
 死ぬんじゃないかと思いました。

 二人は当たり前のように、ノコギリをぴったり私の腕に沿わせて。

 ぎこ。

 ぎこぎこぎこ。
 ぎこぎこぎこぎこ。ぎこぎこぎこぎこぎこ。ぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこ。ぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこ。ぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこ。ぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこ。ぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこ。ぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこ。ぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこ。
 

 歯軋りのような音がずっと続いて。
 体に入れた蝙蝠の欠片は一個だったので、まだマネキン要素が残っていたのかもしれませんね。

 どんなに痛くても、私は死ねませんでした。

 ×××


 切り離された左腕は、布団の上にいつまでも転がっていました。冷たくなって、ぐちゃぐちゃになって初めて、お兄さんたちは笑ってくださいました。

「本物の、イロハだ」

 と、そう言ってくださいました。やっとそう言ってくださったのに、私は何故だか涙が止まりませんでした。

 『羽』が、むしり取られてしまったような気分でした。私の、羽が。
 失くなった左腕が生えてくることはありませんでした。肉の断面はきれいに、肌色に固まって。でも、腕が失くなってしまったので、学校は当分お休みしました。

 お兄さんたちは考えてくださいました。

 そして、私にぐちゃぐちゃの左腕を作ってくださいました。泥を焼いて、簡単に固めたものだそうです。ぐちゃぐちゃだから、オッケーだそうです。
 私は、泥でできた腕を隠すように、毎日長袖の制服を着るようになりました。過度な運動をすると、腕が崩れてしまうので、体育も行事も見学することになりました。

 “イロハちゃん”は左利きです。
 だから私も、左手で文字を書いて、左手で箸を持たなきゃ、いけないんです。お兄さんたちに、怒られないように。殺されてしまわないように。
 私は、神経すら通っていない泥の手で、左利きになりました。もちろん、泥の指はくっついているだけなので1ミリも動きません。
 文字は震えてミミズの這ったような字になってしまいます。お弁当は、誰にも見られないよう、トイレで食べていました。

 “イロハちゃん”の声で笑って。“イロハちゃん”の声で泣いて。

 そんなことは分かっているんです。当たり前なんです。私が“イロハちゃん”でいないと、すべてが狂ってしまうんです。大丈夫。大丈夫でした。

 ただ、人間でいる限り、求める心は尽きませんね。
 大事なものを失うと、埋め合わせが欲しくなるものです。

 イロハちゃんを失ったお兄さんたちのように。
 私も欲しくなったのです。

 “左羽”が。

 本物の左腕が。本物の左羽が。

 欲しくって欲しくってたまらなくなりました。
 心のどこかで、いけないことだと分かっていたんです。“イロハちゃん”ならこんなことはしませんし、何より、左腕が戻ればお兄さんたちに嫌われてしまうかもしれません。でも日に日に、思いは大きくなりました。
 私はこっそり、欠片で得た力を、使うようになったのです。

 見つかったらお兄さんたちに叱られてしまいます。

 でも、止まれませんでした。
 留まっているのが嫌でした。

 だから私は、氷雨レイ先輩にお手紙を出したんです。
 きっとあなたなら、この想いを、こんな私を、受け止めてくださると思ったから。

 それからのことは、皆さんもご存知のとおりです。
 この学校の飼育小屋の生き物たちと、十三羽のカラスたちの左翼を切り取り、レイ先輩に切りかかり、投身自殺を図り、こうして今、学園ポリスさんに捕まっている。

 これが私の、“香々イロハ”の真実です。


 ××××


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