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5 どんよりーげる
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エリスは塗り薬を持って休日の市場に出店したが売れなかった。というか一個しか売れなかった。これに納得できないニナは辺境軍兵士に口コミを広めてもらおうと考えた。
魔物討伐任務を終えて帰還した兵士が医務室に向かうのを待ち伏せし、
「軽い怪我の奴ちょっとこっちこいー!」
両手を上げるカマキリのポーズで迎えるニナに兵士たちは面食らう。
「どうしたんだニナちゃん」
「治癒術使うほどでもない怪我の奴は薬をぬってやる!」
辺境軍には治癒術師が二名いるが、軽度の損傷であれば軍医が対処にあたる。
治癒術が使用されるのは、致命傷への応急措置と、医術で対処すると後遺症が残りそうな場合のみ。後者は治癒術でも一度で治そうとすると後遺症が残ることが多いため、入院して何度も治癒術を受ける必要がある。
若い兵が最近やたらと壁役や囮を引き受けたがったり、殿を務めようとしたりするのは、入院してエリスとお近づきになりたいからである。エリスはかなりの美人で品があり、元貴族であるのに全く偉そうにしないため、兵士に人気がある。辺境伯に靡いてない今ならチャンスがあると考える兵士は多い。
しかし、そんな輩が上手く入院できたとしても担当がアルカになってひどく落胆するのがオチだったりする。
「薬って、一体なんの薬だい」
「どうせニナちゃんが適当に草を練って作った謎薬だろ?」
「それか草の汁煮詰めたか」
「単なる塩かも」
「エリスさんに近づく輩にはニナちゃんが物理的に傷口に塩を塗り込んでやるってことか」
「おいおい、勘弁してくれよー」
兵士たちがハハハと笑い合うのにイラっとしたニナだが「エリスの薬の凄さを証明するためなのだ」と破壊魔法を使うのは堪えた。
「ちゃうわー! これ嗅いでみろ! 薬の匂いだろーが!」
ニナが瓶の蓋を開けて兵士の一人に嗅がせる。
「うーん、確かに薬っぽい」
「エリスが作ったので何となくいい香りな気がするだろー」
「「「エリスさんが!?」」」
若い兵士三人の声が綺麗に重なった。
「それ聞いたら薬が輝いて見える……」
「神々しい……」
「塗ったら浄化されそう……」
「教会の聖水より除霊できそう……」
拝み始めた三人にニナは眉根を寄せる。
「お前らエリスを何だと思ってるんだー? それより、早く怪我みせろー」
「じゃあ、俺から頼むよ」
少し年配の兵士が包帯を取った手の甲をニナに向ける。そこには獣の爪に切り裂かれたような傷があり、消毒はしているようだった。
「痛いかー?」
「まあ、そこそこな」
「それはちょうどいい」
指で小さじ一杯分ほどの薬をとり、傷にゆっくり塗り込んでゆく。
「おくすりぬりぬり」
「……ん!? えっ? おい、ニナちゃん、これ本当に使って大丈夫な薬か?」
「エリスはいつも手荒れにこの薬つかってるぞー。どうだー、効きすぎて怖いか―」
兵士の戸惑った声にニナは笑う。
「確かにちょっと怖えわ」
「どういうことだ?」
「塗った瞬間痛みが無くなるんだよ」
「はあ?」
「とにかくお前も塗って貰え」
その場の兵達の傷に塗り終わると、
「すげえ、マジで痛くねえ!」
「傷は治って無いのに!」
「この薬は痛み止めらしいから、あとでちゃんと傷は診てもらえー」
「わかった。痛み止めってことは、これ古傷にも効くかも……あっ効くわ!」
「もしかして、ありとあらゆる痛みに効くとか?」
とんでもない秘薬なのではと大興奮の兵たちにニナが注意しておく。
「ニナさんが膝打った時は効いたけど、頭痛の時は舐めても治らなかった」
「ニナちゃん塗り薬なのに舐めたのか……」
「にがかった……」
舌に広がる苦みを思い出してしわしわの顔になるニナを兵士の一人がナデナデしてやる。
「つまり、外傷なんかには全て効くってことか?」
「どちらにせよ、すごい薬だな」
「そのとーり、エリスの薬はすごいのだ」
ニナは胸を張ってフンスと得意げに鼻を鳴らしてから、兵士たちに一瓶ずつ薬を手渡す。
「これやるから、どっか痛い人に塗りたくってくれー。そんで、この薬すごいって広めてくれー」
「いいけど、広めてどうするんだ?」
「休日の市場で売るからそこで買えってゆってほし」
薬を受け取った兵たちはニナに頼まれた通り、同僚、家族、友人、知人、お隣さんなどに薬を紹介した。それからは、市場に出店するたびにちらほら客が来るようになり、一か月後には出店即完売するようになった。
噂を聞きつけた薬問屋がエリスに交渉とともに「この薬を貴女が直接売るのは危険だ。貴女を狙う輩が現れかねない」と忠告をした。それを聞いて、エリスは非常に悩む。
この頃には自分の薬が他の薬とどうやら違うらしいと自覚したエリスは売るのをやめるべきかと考える。しかし、市場で「この薬のおかげで働けるようになった」「腰痛で寝た切りの祖母が起きれるようになった」などと感謝を伝えてきてくれる人の為にもやめるべきでは無いとも思う。
考えあぐねた末に、雇用主である辺境伯へ相談することにした。
「何故、僕では無いんだ……」
エリスが辺境伯に相談中の応接間の扉前で呆然とするのはリーゲル。ニナが腕を伸ばして、その肩をポンと叩く。
「そりゃー辺境伯のが大人だし? こようぬしだし? こればっかりは仕方ない」
「わかっている、わかっているが……納得できない。僕は王位継承権を放棄したとはいえ、王族だ。それなりの権限は与えられています。この薬の件だって、僕でも対応できるというのに……何故僕より付き合いが短い辺境伯に……僕はそんなに頼りないのか……」
普段の優しい雰囲気はどこへやら、そこにいるのは陰気な男であった。
「リーゲルきのこ生えてきそう」
「ええ、そうですとも、エリス様に頼られない僕なんて菌床になった方がいいですとも。第四王子から生えたきのこ、なんて謳って売り出されそうですね。ははは、一体どんな味でしょうね。役立たずな僕から生えたんだから無味でしょうか。栄養も無さそうだな。出汁も取れないに違いない」
「うーん、このじめじめはニナさんにはどうしようもない」
励ますのは早々に諦めてニナは廊下に設置された長椅子でくつろぐことにする、が、一応もう一度リーゲルに声を掛けておく。
「リーゲルそこに居たら出てきたエリスと鉢合せするぞー」
リーゲルはいつもの如く城に役所からの書類を届けに来ていて、偶然エリスと辺境伯が応接間に入るのを目撃し、ニナに事情を聞いただけ。エリスはリーゲルがここに居ることを知らない。絶賛じめじめ中の情けない姿をエリスに目撃されないように早くこの場を去った方が良い。
「……そうですね、辺境伯とエリス様が並んで扉から出てくるのを見たら今夜悪夢にうなされそうだ。では、ニナ嬢、失礼します……」
足取りも覚束ないままふらふらと、どんより雲を背負ったリーゲルが廊下の角に消えていった。
魔物討伐任務を終えて帰還した兵士が医務室に向かうのを待ち伏せし、
「軽い怪我の奴ちょっとこっちこいー!」
両手を上げるカマキリのポーズで迎えるニナに兵士たちは面食らう。
「どうしたんだニナちゃん」
「治癒術使うほどでもない怪我の奴は薬をぬってやる!」
辺境軍には治癒術師が二名いるが、軽度の損傷であれば軍医が対処にあたる。
治癒術が使用されるのは、致命傷への応急措置と、医術で対処すると後遺症が残りそうな場合のみ。後者は治癒術でも一度で治そうとすると後遺症が残ることが多いため、入院して何度も治癒術を受ける必要がある。
若い兵が最近やたらと壁役や囮を引き受けたがったり、殿を務めようとしたりするのは、入院してエリスとお近づきになりたいからである。エリスはかなりの美人で品があり、元貴族であるのに全く偉そうにしないため、兵士に人気がある。辺境伯に靡いてない今ならチャンスがあると考える兵士は多い。
しかし、そんな輩が上手く入院できたとしても担当がアルカになってひどく落胆するのがオチだったりする。
「薬って、一体なんの薬だい」
「どうせニナちゃんが適当に草を練って作った謎薬だろ?」
「それか草の汁煮詰めたか」
「単なる塩かも」
「エリスさんに近づく輩にはニナちゃんが物理的に傷口に塩を塗り込んでやるってことか」
「おいおい、勘弁してくれよー」
兵士たちがハハハと笑い合うのにイラっとしたニナだが「エリスの薬の凄さを証明するためなのだ」と破壊魔法を使うのは堪えた。
「ちゃうわー! これ嗅いでみろ! 薬の匂いだろーが!」
ニナが瓶の蓋を開けて兵士の一人に嗅がせる。
「うーん、確かに薬っぽい」
「エリスが作ったので何となくいい香りな気がするだろー」
「「「エリスさんが!?」」」
若い兵士三人の声が綺麗に重なった。
「それ聞いたら薬が輝いて見える……」
「神々しい……」
「塗ったら浄化されそう……」
「教会の聖水より除霊できそう……」
拝み始めた三人にニナは眉根を寄せる。
「お前らエリスを何だと思ってるんだー? それより、早く怪我みせろー」
「じゃあ、俺から頼むよ」
少し年配の兵士が包帯を取った手の甲をニナに向ける。そこには獣の爪に切り裂かれたような傷があり、消毒はしているようだった。
「痛いかー?」
「まあ、そこそこな」
「それはちょうどいい」
指で小さじ一杯分ほどの薬をとり、傷にゆっくり塗り込んでゆく。
「おくすりぬりぬり」
「……ん!? えっ? おい、ニナちゃん、これ本当に使って大丈夫な薬か?」
「エリスはいつも手荒れにこの薬つかってるぞー。どうだー、効きすぎて怖いか―」
兵士の戸惑った声にニナは笑う。
「確かにちょっと怖えわ」
「どういうことだ?」
「塗った瞬間痛みが無くなるんだよ」
「はあ?」
「とにかくお前も塗って貰え」
その場の兵達の傷に塗り終わると、
「すげえ、マジで痛くねえ!」
「傷は治って無いのに!」
「この薬は痛み止めらしいから、あとでちゃんと傷は診てもらえー」
「わかった。痛み止めってことは、これ古傷にも効くかも……あっ効くわ!」
「もしかして、ありとあらゆる痛みに効くとか?」
とんでもない秘薬なのではと大興奮の兵たちにニナが注意しておく。
「ニナさんが膝打った時は効いたけど、頭痛の時は舐めても治らなかった」
「ニナちゃん塗り薬なのに舐めたのか……」
「にがかった……」
舌に広がる苦みを思い出してしわしわの顔になるニナを兵士の一人がナデナデしてやる。
「つまり、外傷なんかには全て効くってことか?」
「どちらにせよ、すごい薬だな」
「そのとーり、エリスの薬はすごいのだ」
ニナは胸を張ってフンスと得意げに鼻を鳴らしてから、兵士たちに一瓶ずつ薬を手渡す。
「これやるから、どっか痛い人に塗りたくってくれー。そんで、この薬すごいって広めてくれー」
「いいけど、広めてどうするんだ?」
「休日の市場で売るからそこで買えってゆってほし」
薬を受け取った兵たちはニナに頼まれた通り、同僚、家族、友人、知人、お隣さんなどに薬を紹介した。それからは、市場に出店するたびにちらほら客が来るようになり、一か月後には出店即完売するようになった。
噂を聞きつけた薬問屋がエリスに交渉とともに「この薬を貴女が直接売るのは危険だ。貴女を狙う輩が現れかねない」と忠告をした。それを聞いて、エリスは非常に悩む。
この頃には自分の薬が他の薬とどうやら違うらしいと自覚したエリスは売るのをやめるべきかと考える。しかし、市場で「この薬のおかげで働けるようになった」「腰痛で寝た切りの祖母が起きれるようになった」などと感謝を伝えてきてくれる人の為にもやめるべきでは無いとも思う。
考えあぐねた末に、雇用主である辺境伯へ相談することにした。
「何故、僕では無いんだ……」
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「そりゃー辺境伯のが大人だし? こようぬしだし? こればっかりは仕方ない」
「わかっている、わかっているが……納得できない。僕は王位継承権を放棄したとはいえ、王族だ。それなりの権限は与えられています。この薬の件だって、僕でも対応できるというのに……何故僕より付き合いが短い辺境伯に……僕はそんなに頼りないのか……」
普段の優しい雰囲気はどこへやら、そこにいるのは陰気な男であった。
「リーゲルきのこ生えてきそう」
「ええ、そうですとも、エリス様に頼られない僕なんて菌床になった方がいいですとも。第四王子から生えたきのこ、なんて謳って売り出されそうですね。ははは、一体どんな味でしょうね。役立たずな僕から生えたんだから無味でしょうか。栄養も無さそうだな。出汁も取れないに違いない」
「うーん、このじめじめはニナさんにはどうしようもない」
励ますのは早々に諦めてニナは廊下に設置された長椅子でくつろぐことにする、が、一応もう一度リーゲルに声を掛けておく。
「リーゲルそこに居たら出てきたエリスと鉢合せするぞー」
リーゲルはいつもの如く城に役所からの書類を届けに来ていて、偶然エリスと辺境伯が応接間に入るのを目撃し、ニナに事情を聞いただけ。エリスはリーゲルがここに居ることを知らない。絶賛じめじめ中の情けない姿をエリスに目撃されないように早くこの場を去った方が良い。
「……そうですね、辺境伯とエリス様が並んで扉から出てくるのを見たら今夜悪夢にうなされそうだ。では、ニナ嬢、失礼します……」
足取りも覚束ないままふらふらと、どんより雲を背負ったリーゲルが廊下の角に消えていった。
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