上 下
3 / 19

2 贈り物

しおりを挟む
辺境伯ことネフリード・エトゥキオンは、エリスに好意を示しても反応が芳しくないことに悩んでいた。

 少年の時分から整った容姿に加えて、学業、剣術、攻撃魔法も優秀であった為、女性に人気があった。それ故に言い寄られることには慣れていても、自ら女性にアプローチするのは不慣れであった。己を巡る女性の醜い争いに巻き込まれた経験から女性不信になっていたことを理由に、女性の口説き方など必要ないと学んでこなかったツケが回ってきたのだ。

 しかし、今更誰かに教えを乞うということもできず、ただエリスに会って率直に好意を告げることしかできない。


 決裁書類を捌きながらも、そんなことを考えていた辺境伯に秘書官アルバが声を掛ける。


「辺境伯様、そのように不機嫌全開では、他の者が怯えて仕事になりません」

「不機嫌ではない」


 本人は本当に悩んでいるだけなのだが、その精悍な顔つきはただ無表情なだけで威圧感を感じさせるのに、眉間に皺を寄せて悩んでいると迫力がある。


 辺境伯が執務室を見渡すと、確かに文官たちの顔色が悪い。怯えているようだった。眉間に指をあててもみほぐす。


「この顔が悪いのか……だからエリスも……」


 やはりエリスのことを考えていたのかとアルバは呆れた。以前から自分を含む辺境伯の周囲の者は彼に早く結婚して世継をつくれとせっついていたが、仕事中に女のことを考えるほど色惚けろとは言っていない。だが現ぬかしながらも、仕事に不備は無いので強くは注意できない。実害は辺境伯が怖くてガチガチに緊張してしまう部下が普段ならしない軽度なミスをすること。


 アルバとしては辺境伯がエリスを落とすのなら早く落として欲しいが、そうしたらそうしたで浮ついて仕事に身が入らなくなりそうでもあるので悩ましい。しかし、主であり、一応幼馴染でもある辺境伯の恋路を応援したくもあるので、


「エリスさんに好かれたいなら、まずニナさんに懐かれることが重要でしょうね」


 エリスとニナは同い年のはずであるが、エリスはニナを実の子のように面倒を見ている。エリスを攻略するには、ほぼ子持ちのシングルマザーを口説くつもりで子供から攻めれば攻略は容易であると、アルバは推測している。


「……ニナ本人にもそれに近いことを言われた」

「では、もう自然に懐いてもらうのは不可能でしょうね」


 こりゃもう無理だな、と思ったが口に出さなかった自分を褒めてやるアルバ。辺境伯は更に眉間の皺が深くなる。


「ニナに懐いてもらえれば、楽にエリスとの仲を深められるとはわかっているのだが、いざエリスを前にすると彼女しか見えなくなるのだ。どうすればいい」


 知るか、どんだけ夢中なんだよ、と思ったが口に出さなかった自分を再び褒めてやるアルバ。


「もう、ニナさんを無視して直接エリスさんを口説くしかないでしょう」

「簡単に言ってくれるな……」


 辺境伯がペンを置き、両手を組んで深い溜息を吐く。


「はい、そこ、ペンを置かない。仕事を続けて下さい」


 それは無視して辺境伯が独り言のように呟く。


「贈り物をしても受け取って貰えないしな……」


 アルバが若干苛立ちを含んだ声で、


「そりゃ、いきなり指輪だの服だのは重すぎるでしょうよ」


 辺境伯は元貴族のエリスが喜ぶだろうと流行りの装飾品やドレスを贈ろうとしたが、どれも受け取って貰えなかった。そもそも平民となったエリスには必要のないものであるし、明らかに値段が高すぎるので受け取って貰えないのは当たり前である。今まで気まぐれに交際してみた女性たちはすぐにこういった物を強請るので、女性といえばこれを欲しがると思い込んでいた辺境伯には衝撃であった。


「そうか、重すぎるのか。……消耗品なら、気軽に受け取って貰えるだろうか……」


 今更誰かに教えを乞うのも恥ずかしいと思っていたはずの辺境伯だが、悩みが晴れず、つい弱気になって秘書官に相談してしまっていることに気付かない。


「例えば何を贈ろうと?」


 辺境伯が今迄の女性に強請られた物を思い出しつつ、


「……香水」


 何故、花を贈るなどの発想が無いのだろうとアルバは疑問に思ったが、そういえば気まぐれに付き合うにしても顔と金にしか興味ない女たちの中から選ぶしかなかったので無理もないと思いなおす。


「香水も好みでないと単なるゴミになります。贈られると嬉しくて遠慮なく捨てれるので邪魔にならないもの、それは花です」

「……花」


 辺境伯にとってそれは盲点であった。自分が花を見て綺麗などと思う感性を持っていないこともあって、女性に花を贈るという文化が完全に頭から消失していた。「そうだ、何も花屋は祝いの贈り物や祭りの飾りや墓に供える為だけにあるのでは無かった」と思い出す。


「そうか、ありがとう、アルバ」


 無表情だが、礼を言う声には感謝の気持ちが込められていた。アルバが辺境伯に礼を言われるなど、大昔にカマキリの卵が見たいと言った彼に取ってきて見せてやった以来だった。

 虫の卵以降、礼を言われたことが無いのは、基本的に彼が人の手を借りずとも何でもこなせる人物だからだ。そんな彼が女に悩ませられているとは、何とも可笑しいものだとアルバは声に出さずに笑った。







 翌日、朝の挨拶に治療室に訪れた際、辺境伯は白い薔薇の花束をエリスに差し出す。薔薇は二十四本だった。


「エリスによく合うと思ってこれを選んできた。受け取って貰えるか」

「ええと」


 これは意味を分かってのことなのだろうかと、エリスは困惑する。


「お前に受け取って貰えなければ、この薔薇は行き場がない。捨てることになる」

「ええと、まだ枯れていないのに、それは可哀想ですね……」


 そう言って、そろりとエリスが花束に手を伸ばす。その際、辺境伯が更に花束をエリスにほんの少し近づけた為、エリスの指が辺境伯の大きな手に触れた。


「あ、すみません……!」


 咄嗟に手を引っ込めて少し頬を染めるエリスに、辺境伯の目が少しだけ嬉しそうに細められた。普段無表情の辺境伯のわずかな微笑ともとれる表情の変化に、更にエリスの顔が赤くなる。


「てめ、おら、なにしてんだ、おら、え? え?」


 甘い雰囲気クラッシャーニナが、ずさささと音を立てながら滑り込んできた。辺境伯の脛を軽く蹴り蹴りし始めたので、エリスが焦って止める。


「こら、ニナ!」

「かまわない、全く痛くない」


 ニナが更に辺境伯の脇腹に向かって軽く拳を当てる。


「てりゃてりゃっ」

「こら、ニナ……!」


 そろそろ本気で怒られるなと察したニナは大人しくなる。


「ちょっとニナさんがトイレに行ってた隙にとは、おちおちトイレにも行けねーな」

「私はエリスに花を贈っていただけだ」

「ふぁああん? 花ぁ? そんなの私がエリスに既にあげたことあるんだよー、おらおら」


 ニナが辺境伯に向けてしゅっしゅとジャブする。


「でも私が受け取らないと、この花は捨てられてしまうそうよ。まだ瑞々しいのに、それは可哀想でしょう?」

「ぬーん……」


 それでも納得していないニナにエリスが、


「それに、これで少しだけど薔薇のジャムが作れるわ」

「ばらのじゃむ!?」


 ニナの緑の瞳がキラキラと光り始める。


「ええ、とても香りが良くて美味しいのよ。作り方を本で読んだことがあるから、いつかは作ってみたいと思っていたの」

「わーい、わーい」


 一転してはしゃぎ始めるニナ。果物の入ったお菓子は嫌う彼女だが、どういう訳かパンに塗るジャムは大好きだった。お菓子の甘味に対して更に果物の甘味が足されているのは嫌だが、甘くないパンに甘いジャムを塗るのは大丈夫というエリスにはよくわからない理由である。


 ニナが辺境伯の手から花束を奪ってエリスに渡す。それからエリスの周りをくるくる駆け回る。


「ふふふ、ニナが嬉しそう。ありがとうございます、辺境伯様」


 エリスがふわりと、ニナに向けるような柔らかな笑みで辺境伯に礼を言う。辺境伯はその美しさに見惚れて一瞬呼吸が止まり、


「……ああ」


 と、返すのがやっとであった。そのまま熱に浮かされたように、半ば無意識で城に戻った。


 執務室で机に向かっていてもどこかふわついている辺境伯に苛立ったアルバが何があったと問う。辺境伯はエリスたちとのやり取りを細かく説明した。


「はあ、それでエリスさんに喜んでもらえたと」


 今迄は雇い主に対する義務的な笑顔しか向けられていなかった辺境伯。初めて心からの笑みを向けられて、もうそれだけで幸せの絶頂である。


「やはり、ニナさんが重要ですね。これからもニナさんが喜ぶものならエリスさんは喜んで受け取るでしょう」

「つまり、食べられる花を贈り続ければ良いと」


 こいつ、幸せ過ぎて今頭動いてないな、とアルバが辺境伯に冷めた眼差しを向ける。この辺境都市に住まう女性の憧れ、麗しの辺境伯も恋をすればこんなにポンコツになるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子エンドを迎えたはずのヒロインが今更私の婚約者を攻略しようとしているけどさせません

黒木メイ
恋愛
日本人だった頃の記憶があるクロエ。 でも、この世界が乙女ゲームに似た世界だとは知らなかった。 知ったのはヒロインらしき人物が落とした『攻略ノート』のおかげ。 学園も卒業して、ヒロインは王太子エンドを無事に迎えたはずなんだけど……何故か今になってヒロインが私の婚約者に近づいてきた。 いったい、何を考えているの?! 仕方ない。現実を見せてあげましょう。 と、いうわけでクロエは婚約者であるダニエルに告げた。 「しばらくの間、実家に帰らせていただきます」 突然告げられたクロエ至上主義なダニエルは顔面蒼白。 普段使わない頭を使ってクロエに戻ってきてもらう為に奮闘する。 ※わりと見切り発車です。すみません。 ※小説家になろう様にも掲載。(7/21異世界転生恋愛日間1位)

農地スローライフ、始めました~婚約破棄された悪役令嬢は、第二王子から溺愛される~

可児 うさこ
恋愛
前世でプレイしていたゲームの悪役令嬢に転生した。公爵に婚約破棄された悪役令嬢は、実家に戻ったら、第二王子と遭遇した。彼は王位継承より農業に夢中で、農地を所有する実家へ見学に来たらしい。悪役令嬢は彼に一目惚れされて、郊外の城で一緒に暮らすことになった。欲しいものを何でも与えてくれて、溺愛してくれる。そんな彼とまったり農業を楽しみながら、快適なスローライフを送ります。

美形王子様が私を離してくれません!?虐げられた伯爵令嬢が前世の知識を使ってみんなを幸せにしようとしたら、溺愛の沼に嵌りました

葵 遥菜
恋愛
道端で急に前世を思い出した私はアイリーン・グレン。 前世は両親を亡くして児童養護施設で育った。だから、今世はたとえ伯爵家の本邸から距離のある「離れ」に住んでいても、両親が揃っていて、綺麗なお姉様もいてとっても幸せ! だけど……そのぬりかべ、もとい厚化粧はなんですか? せっかくの美貌が台無しです。前世美容部員の名にかけて、そのぬりかべ、破壊させていただきます! 「女の子たちが幸せに笑ってくれるのが私の一番の幸せなの!」 ーーすると、家族が円満になっちゃった!? 美形王子様が迫ってきた!?  私はただ、この世界のすべての女性を幸せにしたかっただけなのにーー! ※約六万字で完結するので、長編というより中編です。 ※他サイトにも投稿しています。

【全7話】ルピナス食堂

蕪 リタ
恋愛
捨てられても、好きな人たちに愛され好きなことをしているので大丈夫です!  多くのハンターや町民が利用する小さな食堂がある。店主は女性ーーいや、少女だ。兄貴分たちに可愛がられ、愛しい聖獣には世話をされ。時には、よくわからない人物にアプローチされ。  どんな日も愛する人たちのために大好きなご飯をつくっておもてなしする、そんな小さな食堂の日常のお話。 *Rは念のためです。暴力・残虐・性どれも含みます。 *カクヨムでも掲載しています。

ある日、嫌われていた王子の心の声が私だけに聞こえてきたら〜嫌われ王子は超ツンデレ!恥ずかしいから顔見て好きって連呼しないで!〜

瑞沢ゆう
恋愛
 とある事情により王宮で侍女見習いとして働くアリア。  侍女の仕事はさせて貰えず、厳しいメイド長の元で掃除や雑用をこなす日々。  そんなある日、幼馴染で第三王子のライル心の声が聞こえるようになってしまった。  ライルは口が悪くて横柄で嫌われ者。  そんな王子が運命の人!?  超ツンデレ王子のライルに、アリアは振り回されていく。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

『完結』人見知りするけど 異世界で 何 しようかな?

カヨワイさつき
恋愛
51歳の 桜 こころ。人見知りが 激しい為 、独身。 ボランティアの清掃中、車にひかれそうな女の子を 助けようとして、事故死。 その女の子は、神様だったらしく、お詫びに異世界を選べるとの事だけど、どーしよう。 魔法の世界で、色々と不器用な方達のお話。

【完結】悪役令嬢に転生したのでこっちから婚約破棄してみました。

ぴえろん
恋愛
私の名前は氷見雪奈。26歳彼氏無し、OLとして平凡な人生を送るアラサーだった。残業で疲れてソファで寝てしまい、慌てて起きたら大好きだった小説「花に愛された少女」に出てくる悪役令嬢の「アリス」に転生していました。・・・・ちょっと待って。アリスって確か、王子の婚約者だけど、王子から寵愛を受けている女の子に嫉妬して毒殺しようとして、その罪で処刑される結末だよね・・・!?いや冗談じゃないから!他人の罪で処刑されるなんて死んでも嫌だから!そうなる前に、王子なんてこっちから婚約破棄してやる!!

処理中です...