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【番外編】アーネストの悩みごと

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 アーネストは、アウローズ王国の第二王子として産まれた。
 幼い頃から物静かな子供であったアーネストは、太陽のように明るく皆を惹きつける兄のランドルフを、尊敬している。いずれ王位を継ぐ、その兄を支えていくのが自分の使命であると思って、日々努力を重ねている。





 将来兄を支えていくことができるよう、アーネストは現在、宰相の補佐として働いている。書類仕事に忙殺されていると、ランドルフがたずねてきた。

「アーネスト!少し休憩にしないか」
 ランドルフが来ると、この部屋が一気に鮮やかに色づくような気がする。髪の色も目の色も、同じ色のはずなのに、ランドルフからは輝くような光を感じる。きっとそれは、彼の生来の明るさが持つ光。

「兄上、騎士団の視察に行かれていたのでは」
「さっき戻ったところだ。いやぁ、久しぶりにしごかれた。疲れたら甘いものが欲しくなってな。アーネストも好きだろう、これ」
 ランドルフが差し出したのは、アーネストがお気に入りの甘いショコラの箱。さして甘いものが好きなわけでもないのに、きっとアーネストのために持ってきてくれたのだろう。

「お茶をどうぞ」
 そばの机で書類のチェックをしていたはずの文官のエミリーが、いつの間に準備をしたのやら、アーネストとランドルフにお茶を出してくれる。
 アーネストの下で働くエミリーは、この部屋唯一の女性文官だ。だからなのか彼女はいつも率先してお茶を淹れてくれる。彼女は優秀な文官で、お茶汲み係として雇ったわけではないのだが、以前それを伝えたところ、自分がお茶を飲みたくなるタイミングで淹れているだけなのだから問題ないと返された。今回も、彼女は大きなマグカップになみなみと注いだお茶を自分の机の上に置いて、業務に戻っていった。

「ありがとう、エミリー。よかったら、きみもどうぞ」
 アーネストはエミリーにショコラの箱を差し出した。エミリーは、一瞬驚いたように目を見開いたあと、微笑みを浮かべて箱からショコラをひとつ、取った。
「ありがとうございます、いただきます」

 自分もひとつ口に放り込んで、アーネストはランドルフを振り返った。
「で、兄上は何故こちらに?お忙しい身でしょうに」
「今度、ウィルと一緒にウェステリアに行くことになったんだ。一応伝えておこうと思って」
 ランドルフの言葉に、アーネストは目を見開いた。
「ええっ!2人で?ずるいです、僕だってウィルや兄上と行きたかった!」
 末弟のウィリアムを、ランドルフとアーネストはそれはそれは可愛がっている。本人は、三十路も見えてきた男を子供扱いしないで欲しいと困った顔をするが、年の離れた弟はいつまでたっても幼い子供のように感じてしまうのだ。
 アウローズの三兄弟は、非常に仲がいいことで有名だ。

 文句を言ってみても、さすがに兄弟皆で行くわけにもいかないので、アーネストの留守番は決定事項だろう。ものすごく残念だけど。


◇◆◇


 ウェステリアから帰国したウィリアムを見て、アーネストは、おやと首をかしげた。いつも穏やかで、優しい空気を纏っているウィリアムが、どこか陰のある表情を浮かべることが増えたのだ。ウェステリアで何かあったのかと、ランドルフにそれとなく尋ねてみても、ウィリアムと城下町に遊びに行ったし、飲みにも行ったのだと自慢話を聞かされて終わった。ずるい。
 直接聞いてみようかとウィリアムの部屋を訪ねたら、疲れたようにソファに倒れこんでいる姿を見て驚く。いつもきちんとしているウィリアムのそんな姿を見ることは、滅多にない。


 父からの伝言で、ミレイニアへ行かなければならないことを伝えると、ウィリアムの表情が変わった。それは、驚きと喜びと、そして戸惑い。
 どうやら、ウィリアムの心に何らかの影響を与えたものは、ミレイニアに関係があるらしい。


「ウィルは先日のウェステリア訪問時に、ミレイニアのアマリアーナ王女と親交を深めたそうじゃないか」
 話しながら、アーネストは彼女の存在こそがウィリアムに影響を与えたであろうことを確信した。一瞬固く握りしめられた拳に、アーネストは気づかないふりをする。
 ミレイニアに同行するのが自分で良かったと、アーネストはこっそりとため息をついた。先日はランドルフがウィリアムとウェステリアに行ったのだから、今度は自分が、と強く父に進言した結果だが、ウィリアムの事情を考えればなおさらだ。
 ランドルフは明るく大らかで尊敬する兄ではあるが、人の心の機微には疎いところがある。ウィリアムがアマリアーナ姫に何らかの想いを抱いていることも、気づいていないだろう。

 ウィリアムがアマリアーナ姫を好きだというなら、アーネストはそれを応援するつもりだ。もちろんアマリアーナ姫の気持ちも大事だが、我が弟は客観的に見てもなかなかいい男だと思うから、彼女にウィリアムのいいところをアピールするのも、やぶさかではない。直接会ったことはないが、アマリアーナ姫は母親譲りの美貌をもつ姫だという。きっと似合いの2人だろう。
「……問題は、2人の兄君、か」
 アーネストはため息をついた。アマリアーナ姫には2人の兄がおり、年の離れた妹姫を、それはそれは可愛がっているらしい。アーネストらがウィリアムを可愛がるのと同じだから、その気持ちはよく分かるのだが。





 ウィリアムと共にミレイニアに向かい、アーネストはウィリアムの気持ちを確信する。驚いたことに、アマリアーナ姫も同じ気持ちのようで、ちらちらとウィリアムの方をうかがう様子が微笑ましい。
 これは自分が動くまでもないなと思っていたのだが、ウィリアムの表情は冴えない。素直にアマリアーナ姫のことが欲しいのだと認めればいいのに、なんだかんだと言い訳をして、気持ちを押しこめているらしい。ローレンスから、アーネストがまだ結婚していないのに順番は抜かせないと言っていたと聞いた時は、思わず頭を抱えた。



 公務の方は、ほとんど問題ないので、アーネストの目下の悩みはウィリアムのこと。頑ななウィリアムを動かすには、どうすればいいだろうか。
 ため息をつきつつ考えこんでいると、目の前にティーカップが置かれた。
 顔を上げると、エミリーが微かに微笑みを浮かべていた。優秀な文官である彼女を、アーネストがぜひにと言って同行させたのだ。そして、いつだってエミリーは、アーネストが欲しいタイミングでお茶を淹れてくれる。

「珍しいですね、アーネスト様がため息なんて」
 向かいのソファに座り、愛用のマグカップに口をつけながら、エミリーが首をかしげる。一度にたくさん飲めるからと、いつもマグカップを使うエミリーのために、アーネストが贈ったものだ。こんなところまで持ってきてくれているらしい。

「うん、ウィルのことで少しね」
 ため息をまたひとつ落としながら、ティーカップに口をつけると、エミリーは不思議そうな顔をした。
「ウィリアム様に何か、あったのですか?」
「アマリアーナ姫とのことだよ。お互い好きあってるくせに、ウィルが躊躇するせいで全然前に進まない」
「まぁ、そんなことが」
 エミリーは驚いたように目を見開いた。あまり感情を表に出さない彼女のそんな表情は珍しい。

「ウィルのやつ、変なところで真面目だから、僕より先に結婚するわけにはいかないとか言ってるらしくてさ。そんなこと、気にしなくてもいいのに」
 そう言ってアーネストはまた、ため息をついた。
 エミリーは首をかしげていたが、マグカップをことりとテーブルに置くと、アーネストの方を見た。

「では、アーネスト様が先に結婚してしまえば、全て解決では?」
 その言葉に、アーネストは苦笑を浮かべる。
「簡単に言わないでくれよ。相手もいないのに、どうやって結婚するのさ」
「……私では、駄目ですか?ずっとお慕いしておりました」
 エミリーの言葉に、アーネストは目を見開いた。突然、何を言い出すのだろう。

「え、エミリー?」
 アーネストは確かに今、彼女から愛の告白を受けたはずなのに、エミリーの表情は普段と変わらないように見える。だから、アーネストは少し身を乗り出して、エミリーの手を握った。微かに震えている、その細い指を撫でるようにしながら、エミリーの顔を見る。
「……本気でそれ、言ってるの?」
「ええ。アーネスト様さえ良ければ。そうすれば、ウィリアム様のお話も進むでしょう」

 握った手は、彼女の緊張を伝えてくれているのに、その表情は全く変わらない。
 アーネストは一度握った手を離すと立ち上がり、エミリーの隣に腰かけた。普段ではありえない距離感に、さすがにエミリーの表情にも戸惑いの色が浮かぶ。
「ねぇ、それ本当に本気で言ってる?」
 頬に手を当ててアーネストの方を向かせ、逃げられないように背中にも手を回すと、エミリーの瞳がまた、戸惑ったように揺れた。いつも冷静な彼女が見せたことのない表情に、アーネストは少しだけ満足する。

「一度つかまえたら、逃す気はないよ?エミリー」
「アーネスト、様?」
「ずっと僕のものにしたいと思ってたんだ。エミリーにはその気がなさそうだったから、こうして一緒に仕事ができるなら、それでいいかと思って諦めていたんだけど」
 まっすぐに見つめると、ついにエミリーの顔がじわじわと赤く染まっていく。
 アーネストだって、ウィリアムのことをとやかく言える立場ではない。こうしてエミリーへの気持ちを、押し込めていたのだから。
 だけど、エミリーもアーネストを慕ってくれているなら、話は別だ。

「ねぇ、エミリー。さっきの言葉、本気だと思ってもいいの?」
「本当に……私で、いいのですか?」
 いつも表情をあまり変えないエミリーが、真っ赤になって泣き出しそうに瞳を潤ませている。アーネストは、赤く色づいたなめらかな頬を、指先でそっと撫でた。
「結婚するなら、きみとじゃなきゃ嫌だ。ずっと、好きだったんだ」
 最初は、その優秀な仕事ぶりに驚かされた。そして、穏やかな性格と、時折見せる微かな微笑みに惹かれた。
 エミリーは、いつだってアーネストが欲しいタイミングで、お茶を淹れてくれた。それはきっと、彼女がアーネストのことをそれだけよく見ていてくれたということなのだろう。
 
「私も……好き、です。アーネスト様」
 今度は真っ赤な顔で告げられた言葉に満足して、アーネストはエミリーを抱き寄せた。





 結局、アーネストが動くまでもなくウィリアムはアマリアーナと結ばれたけれど、もちろんエミリーを手放すつもりはない。
 お互い派手なことは苦手なので、結婚式はごく少数の身内で簡素に済ませ、2人は夫婦となった。国民の関心は、同時期に結婚式をあげたウィリアムの方に向いていたので、あまり騒がれずに済んだのは良かった。隠れ蓑のようにするようで、少しだけ申し訳なかったけれど。

 エミリーは今日もアーネストのそばで、文官として働いている。
 書類仕事がひと段落して、ふうっとため息をつくと、目の前に差し出されるのはマグカップ。
「ありがとう、エミリー」
 アーネストは微笑んで、マグカップを受け取った。エミリーはお揃いのマグカップを手に、穏やかな微笑みを浮かべた。
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