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8 夜の訪問者
しおりを挟む気疲れする食事を終えて、ウィリアムはよろよろとサロンへ戻った。ここにはアウローズの者しかいないので、少しだけホッとする。思った以上に気を張っていたようだ。食事を食べた気がしないので、せめて喉を潤そうと、ウィリアムは棚からワインを取り出した。
「兄上、難しそうな顔をして、どうしたんですか?」
ソファに座ろうとしたウィリアムは、難しげな顔をしているアーネストに話しかけた。ウィリアム以上に社交嫌いの兄だが、これほどまでに眉間に皺を寄せているのは珍しい。
「……いや、少し考え事をね」
ウィリアムの差し出したグラスを受け取り、アーネストはそれを一気に干した。色白なアーネストの頬に、少し赤みがさす。
「珍しいですね、あまりお酒をあおることはないのに。何かありましたか?」
「んー、晩餐の前にミレイニア側から、鉱石の輸出量をもう少し上げられないかと打診されたんだ。だけど、当初の話の倍近くを提示されて迷ってる。一応許容範囲内ではあるけど、そのまま受けるにはこちら側のメリットが少なすぎると思ってね。ミレイニア側から、もう少し何か引き出せたらと思うんだけど、これといった決め手がなくて」
グラスをもてあそびつつ小さくため息をついたアーネストは、話題を変えるように手を振って笑みを浮かべた。
「まぁ、それは僕が考えることだから。何かあれば父上に連絡をとるつもりだし、その時はウィルの力が必要だから頼むよ」
「もちろん」
先日ウェステリアで発明された、通信用魔道具をウィリアムも持っている。アウローズの父のもとにも同じものを置いてきたので、何かあればウィリアムの魔力を使って連絡をとることができる。もっとも、まだ開発途中の魔道具なので、使用は最終手段として取っておくつもりだけれど。
アーネストは文官の女性を呼んで何やら相談を始めたので、ウィリアムはそっと席を外した。色々あって疲れたので、早めに部屋に戻ることにする。明日もまた、色々と予定が詰まっているのだ。疲れを翌日に残したくない。
部屋付きの侍女にも下がるよう伝えて、ウィリアムはようやくひとりきりになれた解放感からため息をついた。
上着を脱ごうとして、胸元のポケットに入れたガラスペンに気づいて取り出す。アマリアーナにもらったペンを使う機会はまだないが、何かの時の話題にもなるだろうと思って常に身につけていたのだ。
ガラスペンの冷たさが、酒のせいでほんの少し体温の上がった手に気持ちいい。酔うほど飲んだつもりはないのだが、疲れのせいか思ったより酔いが進んでいるのかもしれない。
ウィリアムはペンをしまって立ち上がると、テラスへと向かった。ひんやりとした夜風が気持ちよくて、手すりに上体を預けてしばし目を閉じる。
「……ウィル様」
囁くような声に、ウィリアムは目を開けて周囲を見渡した。
「……アマリアーナ姫」
テラスのすぐそば、庭園の灯りの下にアマリアーナが立っていた。既視感を覚えるやりとりに、ウィリアムは眉間に皺を寄せる。
「きみは、夜になると部屋を抜け出す癖でもあるのかな?」
「だって、ウィル様のお返事を、聞かせてもらってないんだもの」
悪戯っぽく笑うアマリアーナに、ウィリアムは頭痛を覚える。
「ねぇ、夜は冷えるの。お部屋に入れてくださる?見張りの騎士に見つかったら、大騒ぎになってしまうわ」
ウィリアムの返事を待たずに、アマリアーナはそばにやってきた。確かに王女が夜の庭園を1人でうろついていたら騒ぎになるだろうから、ウィリアムは仕方なく彼女を招き入れる。
よく考えたら、付き添った上で庭園を通って部屋に送れば良かったのだが、どうやら結構動転していたらしい。彼女が夜の庭園をうろつくことよりも、ウィリアムの部屋にいることが知れた方が、もっと騒ぎになるはずなのに。
「侍女を呼ぼう。誤解を招かないうちに、部屋に戻るんだ」
ベルを鳴らそうとしたウィリアムの手を、アマリアーナがつかんだ。ひんやりとしたその手の感覚に、ウィリアムは思わず動きを止める。
「わたしは、お返事を聞きにきたんです」
国王譲りの意思の強そうな赤い瞳がウィリアムを見据える。
「ウィル様は、わたしのことをどう思ってらっしゃるの」
「どう、って」
できることなら逃げ出したいが、アマリアーナの瞳が、つかんだ手がそれを許さない。ウィリアムはごくりと唾を飲み込んだ。10近くも年下の女性に完全に気圧されてしまっている。
「私、は」
裏返りそうな声に、ウィリアムはどっと汗をかく。アマリアーナは、じっとウィリアムの言葉を待っている。
「……きみのことは、好ましく思うよ。だけど、結婚の話は無しだ」
ウィリアムの言葉に、アマリアーナの瞳が大きく見開かれる。驚きのその表情は、ウィリアムの言葉の前者に対してなのか、それとも。
「きみは美しく聡明で、親に言われた結婚相手で妥協していいような人ではない。きみが心から望む相手と結ばれるべきだ。だから、王妃殿下には私から断りを入れるよ」
「……ウィル様は何も分かってないわ」
低い声でアマリアーナがつぶやく。そして、その赤い瞳をきらめかせてウィリアムを見上げた。
「わたしは、わたしの意思でこの結婚の話を受け入れたいと思っているんです」
そのまっすぐな眼差しに、ウィリアムは一瞬目を奪われる。
次の瞬間、アマリアーナはウィリアムに抱きついた。
「ちょ、アマリアーナ姫」
「アマリーと呼んでくれないと離しません」
「……アマリー。離してくれるかい?」
「嫌です」
「……」
抱きついたまま、アマリアーナは首を振った。温かく柔らかな身体の感覚や、腕をくすぐるさらりとした髪の感覚がウィリアムの理性に攻撃を仕掛けてくる。どうしてこうなったのだろう。
アマリアーナが、ウィリアムのことを好いてくれているのは分かった。そのこと自体は嬉しいのだが、軽々しくそれに乗れるほどウィリアムはもう若くない。アマリアーナにとってウィリアムは、きっと兄以外に初めてまともに触れた異性なのだ。今は熱に浮かされたようになっているだけで、いつか夢から覚めるように我にかえる時がくる。その時にすでにウィリアムと結婚していたら、取り返しがつかなくなる。
「ねぇアマリー、きみがこんな時間にここにいることが知られたら、きみは不名誉な噂の的になってしまう。私はきみを傷つけたくない」
「平気です。ここにいることでウィル様と結婚できるなら、何をされても構わないわ」
アマリアーナの言葉に、ウィリアムは今度こそ大きなため息をついた。
「……きみの方こそ、何も分かっていないよ」
ウィリアムは、抱きついているアマリアーナの腕を引き剥がすと、そのまま抱き上げた。驚いたようなアマリアーナの悲鳴が小さく響くが、それを無視してその身体をソファに押し倒すように横たえる。
「ウィル、様……?」
起きあがろうとするアマリアーナの細い肩をつかんでソファに押しつけると、アマリアーナの瞳にわずかに怯えの色がよぎった。
「こんな時間に、年頃の女性が男の部屋にいることがどういう意味か、本当に分かってる?アマリー」
「わ、分かってます、それくらいっ」
言葉は威勢がいいが、その瞳は動揺して揺らいでる。起きあがろうとアマリアーナはジタバタしているが、ウィリアムがほんの少し力を込めて押さえるだけで軽々と封じ込めることができてしまう。圧倒的なその力の差に、アマリアーナは顔を歪めた。
「分かってないよ、アマリー。ねぇ、このまま私に抱かれることが、本当にきみが望んだこと?」
唇が触れ合うほど近くに顔を寄せてそう囁くと、アマリアーナの瞳は怯えたように視線をさまよわせる。赤い瞳に、涙が滲んだ。
「……なんてね」
苦い笑みと共に、ウィリアムはアマリアーナの上から退いた。アマリアーナはゆっくりと起きあがったが、その手が小さく震えている。怖がらせてしまったことは申し訳なく思うが、仕方ない。荒療治かもしれないが、アマリアーナには夢から覚めてもらわなければ。
ウィリアムは上着を取るとテラスの方へと向かった。目が合った瞬間、びくりと身体を震わせるアマリアーナに申し訳ない気持ちと、これでいいのだと思う気持ちが半分。
「私も少し酔っているのかもしれない。頭を冷やしてくるよ。きみは早く部屋に戻った方がいい。送れなくて申し訳ないけど」
そう言い置いて、ウィリアムはテラスから庭園に出た。
庭園を歩きながら、ウィリアムは自己嫌悪に盛大なため息をつく。あの場を乗り切るためには仕方なかったと思うのだけど、それでも他に方法はあっただろう。涙を浮かべ、怯えたアマリアーナの瞳が頭から離れない。
きっと、嫌われただろう。そう仕向けたくせに、疼く胸にウィリアムは苛立つ。
抱き上げて内心驚いたほどに軽く柔らかな身体。吐息がかかるほど近くで見つめた瞳。ウィリアムの腕をくすぐった艶やかな髪の感触。全てまだ生々しく覚えている。
心のどこかで、思うままにアマリアーナを求めればいいという声がする。だって、アマリアーナはウィリアムのことを好いてくれている。彼女を自分のものにして、何が悪いのだ。年の差だって、王族のしがらみだって、気にしなければいい。
「……くそっ」
ウィリアムは、らしくない言葉を吐いて、髪をかき乱した。
結局のところ、ウィリアムは怖いのだ。アマリアーナを本気で求めて、いつかそれを拒絶されることが。
だから、わざとアマリアーナを遠ざけて、自分の心に幾重にも鍵をかけて、彼女への気持ちを押し込めようとする。
恋愛に夢を見るような若さはもうないし、そもそもウィリアムは自由に恋愛をできる環境にない。父や、いずれ王位を継ぐ兄を支えていかなければならないのだから。ただでさえ、執筆活動を理由に公務の負担を減らしてもらっているのだ。それ以外のウィリアムの全ては国のために捧げるべきだ。
自分が望む相手と結ばれるなんて、ウィリアムには過ぎた望みだ。
ふとウィリアムは、かつて想いを寄せたルーナのことを思い出した。彼女と共に過ごした日々は、今もウィリアムの大切な思い出のひとつとして、胸の中に残っている。あの時も、ルーナが欲しいと願う思いに蓋をした。もっとも、ルーナには綺麗さっぱり振られたけれども。あの時と同じように、この気持ちに蓋をしてしまえばいい。手に入るはずのないものを欲しがるなんて、傷つくだけだ。
◇
庭園のベンチに腰掛けて、どれほどの時間が過ぎただろう。ウィリアムは閉じていた目を開けると、何度か頭を振った。夜のひんやりとした空気が、ウィリアムの頭を冷やしてくれるようで心地いい。
アマリアーナは、さっきの出来事を誰かに報告するだろうか。よからぬ行いをしたのはウィリアムなので、彼女が誰かに報告をしたならば、ウィリアムは相応の罰を受けなければならない。そうすれば、父や兄にも迷惑をかけることになる。
でも、きっとアマリアーナは誰にも話さないだろう。結果的に何もなかったとはいえ、事が明るみになれば、アマリアーナの経歴に傷がつく。それは、きっと彼女も望まないことだから。
ウィリアムはゆっくりと立ち上がると、部屋へ戻るために歩き出した。
戻った部屋に、アマリアーナの姿はなかった。
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