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5 隠したい想い
しおりを挟むウィリアムが貸した上着は、翌日丁寧なお礼状と共に届けられた。アマリアーナがまた叱られていないといいな、とウィリアムは思う。
お礼状とは別に、エルバートとクリスティーナからのメッセージを携えた小鳥も飛んできており、ウィリアムは軽く首を傾げながら腕に止まった小鳥の背を撫でる。
アマリアーナに貸した上着のお礼と、明日の茶会の誘いを小鳥は囀る。アマリアーナが初めて茶会を主催するので、ある程度気心の知れたウィリアムやランドルフを誘いたいということらしい。先日の外出の礼も兼ねているのだろう。
明後日には帰国するので、最後に思い出としてアマリアーナとの茶会に参加するのもいいだろう。ウィリアムは、小鳥に了承のメッセージを乗せて返した。
◇◆◇
「ランドルフ様、ウィリアム様、ようこそお越しくださいました」
城の庭園の一角にある温室に向かうと、アマリアーナが出迎えてくれた。淡い緑色のドレスを着たアマリアーナの、瑞々しい若葉のような美しさに、ウィリアムは一瞬目を奪われる。
「やぁ、アマリアーナ姫。本日はお誘いありがとう」
ランドルフが挨拶する声に、ハッとして内心で気合いを入れる。そして、にこやかな笑みを浮かべてウィリアムは手に持った花籠を差し出した。
「お誘いありがとう、アマリアーナ姫。こちら、お気に召すといいのですが」
「まぁ、素敵なお花……と?」
笑顔を浮かべて花籠を受け取ったアマリアーナの表情が、その中身を確認した瞬間に輝いた。
「これ……『マダム・シエル』のクッキー……!」
目を輝かせたアマリアーナを見て、ウィリアムはうなずいた。
「先日は買えなかったからね」
『マダム・シエル』はウェステリアで一番の女性人気を誇る菓子店だ。可愛らしいデザインのクッキーは、お茶会映えすると人気で、中でも数量限定の季節の限定クッキーは、昼にもならないうちに売り切れてしまうほど。アマリアーナも、もちろん行きたがったのだが、店についた時点で目当てのものは売り切れており、残念そうにしていた。
そのため、ウィリアムは今朝、開店と同時に店に行き、限定クッキーを手に入れてきたのだ。アマリアーナのことを諦めるつもりでいながら、そんなことをしてしまう自分に、少しだけ情けなくなりながら。
それでもやはり、アマリアーナのこの表情を見ることができたなら、買いに行ったかいがあったというもの。もちろん、ウィリアム1人からというわけではなく、花はランドルフに選んでもらい、2人からの手土産という体にして、ウィリアムはこの気持ちを包み隠す。
◇
茶会を主催するのは初めてだというアマリアーナだったが、その振る舞いは堂々としている。そばについているクリスティーナも、安心した表情で見守っている。
いくら気心の知れたメンバーとはいえ、今日の茶会はほとんど公的なものだ。ウィリアムも、いつものラフな格好ではなく、きちんとフォーマルな装いで参加している。交わす言葉も、まわりに控える侍女らを意識して、よそいきのもの。社交が得意ではないウィリアムだが、それでもそつなくこなすだけのマナーは身につけている。なのに、今日はこの場が息苦しくてたまらない。アマリアーナがこちらに向ける微笑みも、気取った言葉も、本当のアマリアーナはそうじゃないのにと思ってしまう。
――何を分かったようなことを。彼女のことなど、そこまで深く知りもしないのに。
ウィリアムは苦い気持ちを押し流すように、香りの良い紅茶を流し込んだ。
◇
「……なぁ、ウィル」
「え、あ……、すみません、何でしたっけ」
突然ランドルフに話しかけられて、ウィリアムはハッとして顔を上げた。
「アマリアーナ姫に、ぜひともアウローズにもお越しいただきたいという話だよ。姫の兄上も、我が国に興味をお待ちのようだし」
「あぁ、そうですね。ぜひ」
ウィリアムは、社交用の笑みを貼りつけて微笑んだ。もしもアマリアーナがアウローズに来たら、また会えるかもしれないと、勝手に期待する心に舌打ちしたくなる気持ちを隠しながら。
それでも、茶会の席での話題は社交辞令が大半だ。アマリアーナがアウローズに来ることはないだろう。国どうしのやりとりには、必ず何か政治的な思惑が絡む。女性の社会進出も増えてはいるものの、現状では政治の場は、やはり男性が優位。ミレイニアがアウローズに誰かを送るとするならば、王子のどちらかになるだろうから。
だから、ウィリアムはにこやかな社交用の笑顔を貼りつけたまま、アマリアーナの方を見る。
「その時には、また私がご案内しますよ」
「まぁ、楽しみですわ」
うなずくアマリアーナの微笑みも、淑女らしい控えめなもの。天真爛漫な笑顔が見られないことを残念に思いながら、ウィリアムはゆっくりと紅茶を飲んだ。
◇◆◇
アウローズに帰国したウィリアムは、国王への報告や滞っていた公務の消化に忙殺されていた。第三王子とはいえ、多少の公務はあるのだ。特に海碧鉱石に関することは、ウィリアムがそのほとんどを対応しているので。
長い会議を終えて、城の執務室に戻ったウィリアムは、大きなため息をついた。ついでに襟元を緩めて行儀悪くソファに倒れ込む。会議自体は滞りなく終わったが、気を張っていたせいか精神的な疲労が強い。ウィリアムには側仕えがいないので、行儀の悪さを咎める者はいない。
ソファに倒れ込んだまま、ウィリアムはぼんやりと天井を眺めていた。ふと頭によぎるのは、アマリアーナの笑顔。それを振り払うように、ウィリアムは頭を振った。
会わなければ忘れる、そう思っていたけれど、ふとした拍子にアマリアーナのことを思い出してしまう自分に嫌気がさす。未練がましく、もらった手紙とペンを大切にしまい込んでいることも。
「お、珍しいな、ウィルのそんな姿」
「あ、兄上?」
突然聞こえた声に、ウィリアムは慌てて居住まいを正す。この兄がノックもせずに入ってくることはないだろうし、相当ぼんやりしていたらしい。
くすくすと笑いながらやってきたのは、次兄のアーネストだった。どうやら差し入れに来てくれたらしく、手にした大量の菓子をテーブルに並べている。
「会議が随分と長引いていたからな、疲れた時には甘いものだ」
「兄上が食べたいだけでしょうに」
アーネストは甘党だ。宰相補佐として日々激務に追われているせいか、常に甘いものを欲している。ウィリアムのもとにこうしてやってくる時は、彼も疲れている時なので、ウィリアムは黙ってお茶の準備を始めた。
「そうそう、父上からの伝言を伝えにきたんだ」
歯が溶けそうなほどに甘いショコラを食べながら、アーネストがそう言う。
「父上の?」
「詳しい話は後ほどと言っていたが、来月、ミレイニアに行ってもらいたい、と」
「なっ……」
思わず、ぽろりと食べようとしていたクッキーを取り落としてしまう。アーネストも困った顔で頷いた。
「そうだよなぁ。ついこの前ウェステリアから帰国したばかりなのに。父上は、ウィルの執筆活動の忙しさをあまり分かっておられない」
アーネストは、ウィリアムの小説家としての仕事を気にしてくれているらしい。正直なところ、そちらは今は特に差し迫った状況にないのだが。それより問題は。
「……何故ミレイニアに?」
「今や海碧鉱石は、どこの国も喉から手が出るほど欲しいものだからなぁ。ミレイニアも例外ではないだろう。それに、ウィルは先日のウェステリア訪問時に、ミレイニアのアマリアーナ王女と親交を深めたそうじゃないか」
「……っ」
その名前に一瞬身体をこわばらせたウィリアムに気づくことなく、アーネストは話を続ける。
「ミレイニアとしては、その縁を離したくないんじゃないかな。ぜひともウィリアム王子に、とご指名のようだ。まぁ、海碧鉱石関連は、ウィルが担当なのは事実だけども」
アーネストの話は、理解できる。アウローズでしか採れない海碧鉱石の希少さは、今や各国で話題だ。どの国も輸入を確保したくて、ウィリアムに取り次ぎを頼んでくる。ここのところは、その関係で忙殺されていたのだ。ミレイニアが、ウィリアムと親しくなった王女の存在をちらつかせてくることも、納得できる。もし逆の立場なら、ウィリアムだってそうしただろうから。
ミレイニアに行けば、またアマリアーナに会える。そのことに喜びを感じる反面、彼女を政治利用するような罪悪感も少し。もっとも、大国ミレイニアとの関係がこの鉱石の輸出で深まるならば、それはアウローズにとっても良いことだし、そのためにもウィリアムは、有利な条件で輸出できるよう尽力するだけ。この国に生まれた王子である以上、ウィリアム個人の気持ちより、国の利益が優先するのは当然のことだ。
「そう、ですか。分かりました。心づもりをしておきます」
「うん。あぁ、僕も一緒に行くから」
「え、兄上も?」
「さすがに王太子が続けて不在にするのは不味いからって、父上が。だから、今回は僕が。書類仕事や交渉ごとは、僕の方が得意だしね」
前回のウェステリア行きの際に留守番だったことが不満だったのだろう、アーネストが父をうまく言いくるめたに違いない。多少私情が混じっているものの、アーネストは優秀だ。兄弟には甘いが、政治的な駆け引きは誰よりもうまい。必ず、アウローズにとって有利な、それでいてミレイニアにも決して不満に思わせない条件を勝ち取るだろう。
「兄上が一緒なら、心強いです」
ウィリアムの言葉に、アーネストは嬉しそうにうなずいた。
休憩を終えたアーネストが仕事に戻っていくのを見送ると、ウィリアムは大きなため息をついた。
まさか、ミレイニアに行くことになるとは思わなかった。多かれ少なかれ、海碧鉱石の件でやりとりをすることになるとは思っていたが、ミレイニア側から誰かが訪ねてくるものだと思っていたので、気持ちの整理が追いつかない。
現在のアウローズとミレイニアの関係は、良くもなく悪くもなくといったところか。位置関係として、間にウェステリアがあるせいか、今までそこまで交流がなかったのだ。父がわざわざウィリアムとアーネストを向かわせるということは、ミレイニアとも、もう少し深い関係を結ぶべきだということなのかもしれない。
ウィリアムはゆっくりと立ち上がると、机のひきだしを開けた。そして、奥底にしまっておいた細長い箱を取り出す。まさかこんなにすぐ、開けることになろうとは。
箱の中には、アマリアーナからもらったガラスペンが入っている。新緑のような淡い緑色は、最後に会った時のアマリアーナのドレスを思い出させた。
このペンは、ミレイニアに持って行かなければ。向こうが、アマリアーナとウィリアムの交流を知っているのだから、こちらもそれを利用することになるだろう。彼女からもらったこのペンは、きっと会話のきっかけにもなる。
そう考えながら、ウィリアムは苦い笑みを浮かべた。
「……所詮、その程度の気持ちだ」
アマリアーナは、きっと純粋な気持ちでこのペンを贈ってくれたのに。政治的な駆け引きの材料としてそれを使おうとしている自分が嫌になるが、ウィリアムには、王子としてやるべきことがある。自分の気持ちなんて、二の次だ。
ウィリアムは固く目を閉じて、脳裏に浮かぶアマリアーナの笑顔を意識の奥底に沈めた。
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