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1 夜会にて
しおりを挟むウィリアムは、アウローズ王国の第三王子だ。上に2人の兄がいるので、ウィリアムに王位がまわってくることはないだろう。跡目争いとは無縁の穏やかな情勢と、優秀な王太子である兄のおかげで、ウィリアムは比較的気楽な王子生活を満喫している。
そんな彼の、最近の一番の仕事は、王子としての公務ではなく、小説を書くこと。
幼い頃から夢見がちで、空想の世界で遊ぶことの多かったウィリアムに、兄がそれならばと物語を書くことを勧めた。自分の中にある物語を形にしていく作業は思った以上に大変だったが、出来上がった物語を兄たちに読んで聞かせるのは楽しかった。
もっと他の話が読みたいという兄のリクエストで、色々な物語を書いているうちに、気がつけば小説家になっていた。もちろん、本名での活動は色々と問題があるので、ペンネームを使っているが。
そんなわけで、ウィリアムは王子と小説家という2つの顔をもつ。
◇◆◇
「ウィル!」
うしろから声をかけられて、ウィリアムは足を止めた。王太子である長兄ランドルフが、手を振りながら走ってくる。艶やかな黒髪と紅茶色の瞳はウィリアムと同じなのに、この兄からはいつも、輝くような光を感じる。
「城に来てるなら、声をかけてくれよ」
「あとで兄上のところにも、顔を出すつもりにしていましたよ」
ウィリアムは城下に屋敷を持っており、執筆作業に集中する時はそこで寝起きすることが多い。身の回りのことは大抵自分でできるし、家政婦を雇っているので不自由することはない。
ランドルフは、自身も多忙であることから、愛する弟との時間を多く持てないことをいつも悲しんでいる。ウィリアムの一番のファンを名乗り、執筆活動を一番応援してくれるのも、この兄なのだが。
「アーネストも、最近ウィルに会っていないと言って寂しそうだったぞ」
「……3日前に会ったばかりですよ」
次兄のアーネストも、ランドルフに負けず劣らず兄馬鹿だ。宰相補佐を務める彼は、忙しい執務の合間を縫って、ウィリアムのもとをよく訪れる。つい3日前にも、締め切りに追われるウィリアムの話をどこかで聞きつけたのか、大量の差し入れと称した菓子と共に現れた。
ため息をつくウィリアムに、ランドルフは楽しそうに笑う。
「まぁそんな顔をしてやるな。俺もだが、アーネストは、ウィルが可愛くて仕方ないんだから」
「……私はもう29ですよ。子供扱いにも限度があるでしょう」
兄2人が、年の離れた末っ子であるウィリアムのことを可愛がるのは、今に始まったことではないが、そろそろ三十路も見えてきたこの年になっても変わらぬ溺愛ぶりに、ウィリアムは気恥ずかしさを覚える。もちろん、兄たちのことは大好きなのだが。
「それで、今日は?アーネストから、締め切りに追われていると聞いていたんだが」
「そちらはなんとか昨日、終わらせましたよ。今日は、父上に呼ばれまして。海碧鉱石の件で、兄上と共にウェステリア王国に行くようにと言われました」
海碧鉱石は、数年前にアウローズ国内で発見された魔鉱石だ。その名の通り、海のような青い色をした魔鉱石で、魔力の吸収と伝導に優れている。使い勝手のよいその魔鉱石は、今ではアウローズの輸出産業の中心となっている。もともと風光明媚な立地で観光業に特化していたアウローズは、魔鉱石の発掘技術も加工技術もほとんど持っていなかった。そのため、優れた魔導師が多く、魔石の発掘技術や加工技術を持つ隣国ウェステリアに、一定の輸出を約束する代わりに技術提供を受けているのだ。
ウィリアムは、現在の王家の中で唯一魔力を持っていて、魔導師の資格も持っている。魔鉱石を扱うウェステリア王国の魔導師らとの交流も多く持っているので、海碧鉱石に関することは、ウィリアムが担当している。
「そうか、ウィルも一緒なのか!」
ランドルフの顔が喜びに溢れたものになるのを見て、ウィリアムは思わず苦笑した。
◇◆◇
数日後、ウィリアムはランドルフと共にウェステリア王国へと向かった。1人留守番となったアーネストは盛大に拗ねていたが。
ウェステリアに到着したその日、ウィリアムらの歓迎の夜会が開催された。あまり華やかな場は得意ではないウィリアムだが、公務なので仕方ない。
ランドルフが、ウェステリアの王太子であるエルバートと仲良く談笑しているのを横目で見つつ、ウィリアムはそっと壁際に移動する。挨拶回りはあらかた済んだので、ややこしい誰かに捕まる前に、できれば早めに部屋に戻りたい。独身のウィリアムは、適齢期の女性たちに狙われやすい。第三王子という立場も、女性からはポイントが高いらしい。
「ウィル、主役がそんな端にいていいのか?」
背後から投げられた聞き覚えのある声に、ウィリアムは苦笑した。
「夜会嫌いはきみも同じだろう、レイオン」
振り向いた先に立っていたのは、ウェステリア王国の筆頭魔導師、レイオンだった。恐ろしく整った美貌の彼は、銀の刺繍が贅沢に施された黒いドレスローブを身に纏っている。
「久しぶりだね、レイオン。相変わらず忙しくしてるみたいだね」
「おかげさまでな」
ウィリアムは笑いながら友人の方に向き直ると、首をかしげた。彼が片時も離そうとしない、彼の妻の姿が見当たらない。
「あれ、ルーナは留守番?」
「いや、あそこに」
レイオンが指さす先に、宰相の娘と楽しそうにデザートを選んでいる姿が遠くに見えた。その微笑ましい様子に、ウィリアムも思わず笑みを浮かべる。
「新しい本が出たから、お土産がわりに持ってきたんだ。ウェステリアの本屋に並ぶのはまだ先だろうからね」
「ありがとう。ルーナが喜ぶ」
彼の妻は、ウィリアムの本の大ファンなのだ。
1年ほど前、ウィリアムは偶然ルーナと出会い、自分のファンなのだと嬉しそうに語る彼女のことが、少しだけ気になっていた。その時点ですでに彼女はレイオンと婚約していたので、その想いは明確な形をとることなく消えたのだけど。
今は、友人の妻として、そしてファンと作家という関係で、うまくやっていると思う。
「滞在中に、また飲みに行こう。ランドルフ様も誘って」
「そうだね、兄にも伝えておくよ」
妻のもとへ向かうレイオンを笑って見送り、ウィリアムはグラスのワインを飲み干した。ルーナへの想いはもうないけれど、仲睦まじい2人を見ていると、独り身のウィリアムは少しだけ寂しい気持ちになる。
「ウィリアム様?」
うしろから女性の声で呼びかけられて、ウィリアムは内心どきりとしながら振り返った。
「クリスティーナ様」
そこにいたのは、ウェステリアの王太子妃クリスティーナだった。声をかけてきたのがウィリアム狙いの令嬢でないことにホッとしながら、笑顔を浮かべる。
「ウィリアム様、ご紹介させてくださいませ。あたくしの姪の、アマリアーナですわ」
大輪の薔薇を思わせる、深紅のドレスを身に纏った王太子妃クリスティーナのうしろに、淡いピンクのドレスを着た若い女性が立っていた。彼女はクリスティーナの言葉に合わせて、綺麗な所作でお辞儀をする。真珠のような光沢を持つ薄紅色をした長い髪が、動きに合わせてさらりと肩を流れ落ちた。
「初めまして、ウィリアム殿下。ミレイニアの第一王女、アマリアーナと申します。お会いできて光栄です」
「あたくしの兄の、末娘ですの」
クリスティーナがそう言って微笑む。確か、クリスティーナはミレイニア王国の出身で、現国王の妹だ。言われてみれば、アマリアーナもミレイニアの国王と同じ、鮮やかな赤い瞳を持っている。かの人物よりも、目の前の彼女の瞳の方が、甘い色をしているが。
そろそろ年頃となったアマリアーナの花嫁修行のため、ウェステリアに滞在しているのだそうだ。国王と2人の兄が、アマリアーナを溺愛するあまり、まだ嫁には出さんと花嫁修行に消極的で、業を煮やした王妃が、夫の妹であるクリスティーナに頼んでウェステリアに送りこんだのだとか。
こういった場での振る舞いを学ぶため、夜会にも出席しているのだろう。社交があまり得意ではないウィリアムは、内心でアマリアーナに同情しつつも、にっこりと笑みを浮かべた。
いくらか当たり障りのない会話を交わすと、クリスティーナはアマリアーナを連れて行った。また他の誰かと交流するのだろう。
そのタイミングで、ウィリアムはそっと会場を出た。さすがに部屋に戻るわけにはいかなかったので、庭園へと足を向ける。
夜の庭園は静かで、甘い花の香りが漂っていた。その香りに引き寄せられるように奥へ奥へと向かうと、小さな噴水のある広場に出た。人々の笑いさざめく声が随分遠く聞こえるので、会場からは大分離れたようだ。
ウィリアムは襟元を緩めると、ふうっとため息をついて噴水の縁に腰かけた。水は流れていないので、服を濡らすことはないだろう。
随分と肩が凝っていることに気づき、やはり社交は向いていないと、つくづく感じる。できることなら、ずっと小説だけ書いて暮らしていたいのが本音だ。
何をするでもなく、ぼうっと空を見上げていたウィリアムの耳に、不意に小さな悲鳴と木々の揺れる音が聞こえた。暗がりが多いとはいえ、城の庭園には騎士が見張りに立っている。さすがに王城で不埒な行いをする者はいないと思うが、聞こえた悲鳴は確かに女性のもので、ウィリアムは音と声のした方へと歩き出す。
「……や、……んもぅ!」
微かに聞こえる女性の声。何やら嫌がっているようにも聞こえて、ウィリアムは足を早めた。
「……!」
目の前の光景に、ウィリアムは思わず目を瞬いた。
茂みに、女性が引っかかっていたのだ。髪やドレスに木の葉や小枝が絡みついている。まさかとは思うが、この茂みにわずかに開いた隙間を通り抜けようとして動けなくなったのだろうか。ドレスで通り抜けられる隙間ではなさそうなのだが。
「……あ、」
ウィリアムの気配に気づいたのか、もがいていた女性が顔を上げる。その顔を見て、ウィリアムは、ぽかんと口を開けた。
「……アマリアーナ姫?」
「えへへ、ウィリアム様、ごきげんよう」
アマリアーナは、ウィリアムの顔を見上げて笑う。その顔は、悪戯が見つかった子どものよう。
「……何、してるの」
動揺のあまり、言葉を取り繕うのを忘れてウィリアムは問う。
「何って……、えぇと、この隙間を通ろうとしたら失敗しちゃいました。ドレスの幅のこと、すっかり忘れてたらこの有様です」
てへ、と笑うアマリアーナは、先程のお手本のような礼を見せた姫とは別人のようだ。口調も、随分砕けたものになっている。こちらが本来の彼女なのだろうか。
「こんなところを通り抜けて、どこへ行くつもりだったんだい?クリスティーナ様と一緒にいたんじゃなかったの?」
ため息をついて、ウィリアムはアマリアーナを茂みから救出すべく手を伸ばす。
「だぁって。せっかくの夜会なのに、礼儀作法の練習ばかりでつまらないんですもの。クリスティーナ様が誰かとお話してる隙に逃げてきちゃいました」
あとで怒られるかもしれないけど、とペロリと舌を出すアマリアーナは、多分反省していない。
「だとしても、勝手にいなくなれば皆心配するだろう。この国においてきみは、ミレイニアからお預かりしている大切な姫君だよ。自分の立場を理解しないと」
諭すようなウィリアムの言葉に、アマリアーナは小さく口を尖らせて、黙ってうつむく。泣かせたか、と内心焦りながら、ウィリアムは枝に引っかかったドレスのレースを外すことに専念する。
「……ありがとうございます」
なんとかアマリアーナとドレスを救出し、手を貸して立ち上がらせる。アマリアーナは小さな声でつぶやいた。
ウィリアムはうなずくと、手のひらの上に魔力で作った小鳥を出した。そして、庭園で転んだアマリアーナと出会ったこと、部屋に送り届けることを吹き込んでクリスティーナのもとへと飛ばす。
魔力を纏った小鳥が飛んでいくのを見送って、アマリアーナは小さく首をかしげた。
「……黙っててくださるの?逃げてきたこと」
「脱走に失敗して、茂みに引っかかってた、って報告した方が良かった?」
揶揄うように言うと、アマリアーナは慌てたように首を振った。ウィリアムは小さく笑うと、アマリアーナの髪にまだ残っていた木の葉を取った。
「まぁ、そのドレスの惨状じゃ、ただ庭園を散策していました、は通じないだろうからね。私が不埒な行いをしたわけじゃないことは、くれぐれも伝えておいてくれよ」
そう言ってウィリアムは、首に巻いていたストールを外すとアマリアーナの肩にふわりとかけた。
まだ体温の残るストールの感覚に、アマリアーナが驚いたように顔を上げたが、ウィリアムは少し目をそらしつつアマリアーナの肩を指差した。木の枝に引っかけたのだろう、左肩のレースが裂けて肌があらわになっていた。
「肩のところが、ほつれている。こんなものしかなくて申し訳ないが、ないよりはマシだろう」
「……ありがとうございます」
最初の勢いはどこへやら、すっかり大人しくなったアマリアーナを連れて、ウィリアムは庭園をあとにした。
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