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35 リリベルの花と、アルゥの実(カミル視点)

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 いい雰囲気になっていたと思ったのに、突然拒絶の声をあげて逃げるように四阿を出て行ったルフィナを見送り、カミルは深いため息をついた。
「……ちょっと、がっつきすぎたか」
 ぐしゃぐしゃと髪を掻きむしって、カミルは低く唸る。指先に何か触れたと思ったら、髪に小さな白い花びらが引っかかっていた。それは、アルゥの花びらだ。果実に紛れてくっついてきたものが、何かの拍子に絡まったのだろう。指先で摘まんだ花びらをぽいと投げ捨てて、カミルは再びため息をついて顔を覆う。
 久しぶりに味わったルフィナの唇は甘くて、歯止めが利かなかった。キスは受け入れてくれていたように思うのだが、それ以上の触れ合いがだめだったのだろうか。体調がすぐれないと言ったのは逃げ出すための口実だろうが、表情が硬かったのが気になる。あとでちゃんと謝罪しなければならないだろう。
「やっぱり外でこんなことは……だめだったな。誰もいないとはいえ、落ち着かないよな」
 外なら人目を気にして理性を保てるだろうと考えて、四阿で新婚夫婦らしい触れ合いをできればと思ったのだが、彼女には負担だったのかもしれない。だが、密室だときっとカミルの理性がもたない。夜だって、必要もない書類を持ち込んで仕事をしているふりを装って、ルフィナが先に寝るのを待っているくらいなのだ。起きている彼女とベッドの上で向かい合えば、襲わない自信などない。
 先程少しだけ触れた胸の柔らかさを思い出して、カミルは思わず手を握りしめる。
 抱いて欲しいと口にする割に、ルフィナは閨事に関する知識に偏りがあるように思う。男性を高める方法は知っていても、自らの身体に受け入れるために準備が必要なことすら知らなかったのだから。
 少しずつ触れ合いを増やして、彼女の身体を慣らし、いつかはカミルを受け入れてもらいたい。時間はかかるだろうし、理性と欲望の狭間で苦しむことは間違いない。だが、カミルはもうルフィナを傷つけたくないのだ。ちゃんとした初体験は、しっかりと彼女を蕩かして、痛みなど感じないほどにしてやりたい。
「そういえば、他の香りって何のことだろうな」
 去り際にルフィナが口にした言葉に心当たりがなくて、カミルは首を捻る。何となく不安になって自分の体臭を確認してみるが、臭ってはいないはずだ。多分。
 ルフィナはいつも、いい匂いがする。石鹸とも香水とも違う、清廉で涼やかな香り。そばに寄るだけで心の落ち着くあの匂いは、ルフィナ自身の香りなのだろう。実物を見たことはないが、リリベルの花はきっと彼女のような香りがするのではないかとカミルは思っている。
 ふと、以前にルフィナと出かけた時のことを思い出す。リリベルの花をモチーフにしたネックレスを嬉しそうに見つめていた彼女に、いつか同じ花のデザインの指輪を贈ると約束をした。彼女の身も心も手に入れられる日が来たら、指輪を受け取ってもらえるだろうか。
「……工房に顔を出して、ちょっと指輪の相談をしてみるか」
 リリベルの花を知る者は、アルデイルにはほとんどいない。ホロウードでも雑草に近い扱いをされているそうだが、ルフィナの好きな花ならそのデザインで指輪を贈りたい。いつか実物を見られたらいいのだがと思いながら、カミルは立ち上がった。
 テーブルの上には飲みかけのお茶と、封の開いていないチョコレートの箱。ルフィナと食べようと思っていたのに、すっかり忘れてしまっていた。
 先日、彼女にチョコレートを食べさせた時の記憶は、今もなお甘い思い出としてカミルの心の中に残っている。
 美味しいと笑った顔や指先で触れた唇の柔らかさ、微かに潤んでカミルを見つめたピンク色の瞳が、忘れられない。部屋で二人きりなら、またああやってカミルの手からチョコレートを食べてくれるだろうか。
 カミルは熱いため息を落とすと、箱を手に取って四阿を出た。
 
 ◇

 工房に寄って指輪の相談をしたあと、カミルはルフィナを訪ねようと部屋に向かっていた。
 外で親密な触れ合いをしたことを謝罪し、許してもらえたらまた一緒にチョコレートが食べたい。
 ルフィナが何やら匂いを気にしているようだったので、念のために着替えてシャワーまで浴びてきた。
 廊下を歩いていると、前方から見知った女性がやってくるのが見えた。
「こんにちは、カミル殿下。お出かけですか?」
 笑顔で近づいてきたのは、兎獣人のサラハだった。父親が宰相職に就いていることから、彼女もよく城に顔を出す。ついでにカミルの執務室に来ることも多く、昼前にも彼女とは会ったばかりだ。
 年が近いこともあってカミルとは昔から付き合いがあるし、過去にはカミルの結婚相手として名前が挙がったこともあった。可憐な見た目で城で働く男たちの間でも人気の高い彼女だが、カミルはサラハが少し苦手だった。
 大人しく儚げに見えるのだが妙に距離感が近いし、カミルに向ける視線はじっとりとした熱をはらんでいて、何だか食われそうな気がするのだ。
「あぁ、うん。ちょっとな」
 あまり長話はしたくないと言葉を濁すが、サラハは微笑みながら更に距離を詰めてきた。
「ホロウードからいらした花嫁様の……ルフィナ様、でしたっけ。先程ちょっとお見かけしたのですけれど、顔色が悪く見えたので心配ですわ」
「え? ルフィナが?」
 逃げ出す口実として体調がすぐれないと言ったのではなかったのだろうか。本当に体調が悪かったのなら、もっと酷いことをしてしまったとカミルは内心焦る。
「えぇ、随分とお辛そうなご様子で。やはり慣れない環境に移ってこられて、肉体的にも精神的にもお疲れなのかもしれませんね。ホロウードとアルデイルは、気候も生活習慣も、何もかもが違いますもの」
 サラハの言葉に、カミルもうなずいた。いつも笑顔で元気そうに振舞っているルフィナだが、慣れない異国での生活で気を張っていることは間違いない。そろそろ疲れも出る頃だろう。
 もっと大切にしなければ、やはり彼女との関係を進めるのはまだ先だなと考えつつ、カミルはルフィナのもとへ急ごうと決める。
「殿下、もしよろしければこちらをルフィナ様に。アルゥの実は冷やして食べれば喉ごしも良いですし、栄養価も高いですからお疲れのルフィナ様にもよろしいかと」
 そう言ってサラハは、鞄の中からアルゥの実を取り出した。兎獣人の一族のみが栽培方法を知るアルゥは、定期的に王にも献上されている。どうやらサラハは、アルゥの実を届けに来たところだったようだ。甘く爽やかな果実はカミルもお気に入りで、乾燥させたアルゥの実を執務中の口寂しい時によく食べている。甘いものが好きなルフィナも、きっと気に入るだろう。
「ありがとう、サラハ」
「どうぞカミル様ご自身の手で、ルフィナ様に食べさせて差し上げてくださいな。体調の悪い時の女性は、愛する人からの優しさが特に身に染みるものですのよ」
 そう言って笑うサラハの言葉に、確かにこの甘い果実をルフィナに手ずから食べさせてやるのもいいかもしれないなどと考える。思わず緩んだ頬を隠すように頬を押さえつつ、カミルはアルゥの実を受け取った。
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