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33 本当に愛されているのは、どっち?

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 あふれ出す涙を乱暴に拭いながら、ルフィナは足早に自室へと向かっていた。
 こんなにも涙が止まらないなんて、らしくない。いつだって笑顔でいようと心がけていたのに。
 思った以上に自分はカミルのことが好きなのだと、ルフィナは自覚した。彼に関することだと、平静でいられない。 

 部屋に戻ったルフィナは、冷たい水で顔を洗って涙を洗い流した。まだ少し目は赤いけれど、酷い泣き顔は改善したはずだ。イライーダはどこかへ行っているらしく不在で、そのことに少し安心する。きっとこんな顔を見られたら、心配させてしまう。
 兄のヴァルラムに何を言われても、何をされても、母親が昏睡状態になった時でさえ、ルフィナは本気で泣いたことはなかった。流した涙は全て、従順で気弱な小娘を演じるためのものだったから。
「初めてかもしれないわね、こんなに泣いたのって」
 冷やしたタオルで目を押さえながら、ルフィナはぽつりとつぶやいた。
 その時、部屋のドアが小さくノックされた。いつも対応してくれるイライーダは不在なので、ルフィナ自身がドアへと向かう。
 開いたドアの向こうには、サラハが立っていた。
「ごきげんよう、ルフィナ様」
「あ……、お約束は今日だったかしら」
 そういえば、今日は閨授業の日だったとルフィナは思い出す。朝にカミルからお茶会に誘われたので、断りの連絡を入れようと思って忘れていた。
「ルフィナ様、もしかして泣いてらしたの? 目が少し赤くなっていますわ」
 軽やかな足取りで部屋の中に入ってきたサラハは、心配そうな表情でルフィナの顔をのぞき込む。その瞬間漂う甘い香りにルフィナは吐き気を覚えて、思わず口元を押さえた。
「カミル様のつがいでないことが、そんなにショックですか?」
 ソファに腰かけたサラハは、ゆったりと足を組む。いつもの可憐で儚げな様子は鳴りを潜め、妖艶な雰囲気を纏っている彼女は、別人のようだ。この部屋の主はルフィナのはずなのに、今はまるで彼女がこの場を支配しているかのように見える。
「カミル様のつがいは、このわたくしです」
 堂々とした声で、サラハが宣言する。眉を顰めるルフィナを、彼女はまるで憐れむような目で見つめた。
「所詮、ルフィナ様は政略結婚で結ばれただけのお相手。あの方が執着するほどのものを持ち合わせていなかったということです。カミル様がどのようにわたくしを抱くかご存知? いつもわたくしを抱きながら、情熱的な愛の言葉を囁いてくださるの。一度で終わるなんてこと、絶対にありませんわ。二度三度と求められて、わたくし足腰が立たなくなることすらありますの。いつも尻尾が可愛いと、優しく愛でてくださるのよ。そうされると、たまらない気持ちになって……」
「……やめて、聞きたくないわ」
 硬い声でそう言うものの、サラハはくすくすと笑ってそれを受け流す。ルフィナを見つめる濡れた黒曜石の瞳は、勝ち誇った色をしている。
「もちろん最初は、閨の担当としてのお勤めだけだったのですよ。ですが、カミル様はすぐにわたくしを抱きたいと望まれましたの。この胎の中に、何度も子種を注いでいただきましたわ」
「嘘よ、そんなの……信じない」
 首を振るルフィナを見て、サラハは着ていた服の胸元を緩める。豊満な胸の上部に散った赤い痕を確認させるかのように、彼女は身を乗り出した。
「見えるところはさすがにルフィナ様に申し訳ないからと、控えていただくようお願いしているんですけど……、カミル様ったら夢中になると忘れてしまうところがおありだから。こうして胸元を隠す服しか最近は着られなくて、困ってるんです」
 頬を押さえてため息をついてみせながら、彼女は更に首筋を露出させた。そこにも、赤い歯型のような痕が残っているのが見える。
「わたくしたち獣人は、つがいを抱く時には逃さないようにという本能から首筋を噛むのです。あぁ、人族でらっしゃるルフィナ様はご存知ないかと思いますけど。もちろん、カミル様にこうして首を噛まれたことなんて……ないですよね?」
 答えなど聞く前から分かっているはずなのに、わざわざ問いかけてサラハは笑う。ルフィナは、震える唇を噛みしめて黙っていることしかできなかった。サラハの前で涙だけは絶対に見せてなるものかと、その気持ちだけで必死に耐える。
「近いうちに、わたくしがカミル様の側妃として召し上げられると思います。ホロウード王国との関係がありますから、正妃の座はルフィナ様にお譲りしますわ。ですが、どちらがより深く愛されているかは一目瞭然。お世継ぎの子もわたくしが産みますから、ルフィナ様は何も気にすることなくお飾りの妻でいてくださいませ」
「そんなの……。あなたが決めることではないわ」
 低い声で反論すると、サラハは困ったようにため息をついた。ルフィナに向ける視線にはもう、好意など全く含まれていない。
「ホロウードの妖精姫たるルフィナ様なら、あとから迎えた側妃の方が寵愛を得ることもあるって、よくご存知かと思ったのですけれど」
「……っ」
 両親のことを暗に示されて、ルフィナは思わず口をつぐむ。王妃を差し置いて王の寵愛を受けた側妃の子、それがルフィナだ。どこまで調べたのか分からないが、サラハはルフィナの過去を知っているらしい。
 黙りこくるルフィナを見て、サラハはとどめとばかりに鞄の中からネックレスを取り出した。
「そしてこれが、わたくしがカミル様に愛されている何よりの証拠ですわ」
「それ、は」
 サラハの手の中で輝くネックレスを見て、ルフィナは息をのんだ。
 黄金に輝くコインに彫られているのは、釣鐘状の花。下を向いて咲く花のひとつひとつに白く輝く真珠が埋め込まれている。それは、ルフィナがカミルにもらったリリベルの花のネックレスにそっくりだった。一度しかサラハに見せていないはずのネックレスとほとんど同じものが、彼女の手にあるなんて信じられない。やはりカミルがサラハに送ったものなのだろうか。
「ルフィナ様のものは、屋台で購入したものなのでしたっけ。わたくしのものは、金細工で有名な王家御用達、ラトル家の職人に作らせたものですの。カミル様、わたくしの身体を飾るものは最高級のもので揃えたいからと仰って」
 ネックレスに口づけたあと、身につけてルフィナを見るサラハは、まるでルフィナが泣き出すのを待っているかのようだ。
 しばらく見つめてもルフィナの表情が変わらなかったからか、彼女は少し不満げに鼻を鳴らすと指先でネックレスを弄んだ。
「とにかく、本日を持ちまして閨教育の講義は終了とさせていただきますね。少しでもルフィナ様のお役に立てればと思っておりましたが、残念な結果となったこと、わたくしも申し訳なく思っておりますわ。ですが全てはカミル様のお心のままに。わたくしがカミル様をお慰めいたしますから、ルフィナ様はどうぞご自分の人生を楽しんでくださいませ」
 にっこりと笑ってそう言い残し、サラハは綺麗なお辞儀をして部屋を出て行った。
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