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9 アルデイルへ
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出発の日、ルフィナはカミルと共にアルデイルの大きな船に乗った。国力をあらわすような、雄大で立派な船だ。
船に乗って海を三日三晩越えた先が獣人の国、アルデイル王国だ。見送りも警備もごく少人数で王女の輿入れとは思えない規模だが、それもヴァルラムの指示なのだろう。急だったので国民に周知する時間も取れなかったのだと、兄がカミルに言い訳をするのを、ルフィナは黙って聞いていた。
別れの挨拶なんてお互い必要ないと思っていたが、周囲の目もあるので、まるで別れを惜しむようにお互い向き合って立つ。
「ようやくおまえの顔を見ずにすむな。その顔と身体で、せいぜいあの獣人の機嫌を取るんだな。もうホロウードにおまえの居場所はないのだから、戻ってきたいなどと言い出すなよ」
肩に手を置くそぶりを見せながら、ヴァルラムが吐き捨てる。その表情は笑顔に見えるが、瞳の奥は凍りついたように冷たい。遠くから見れば、嫁ぐ妹との別れを惜しむ優しい兄、に見えるのだろうが。
「はい、分かりました。お兄様もどうぞお元気で」
微笑み返してみせれば、ヴァルラムが一瞬苦々しげな表情になった。すぐに取り繕うように笑顔になったが、頬が微かに震えている。
「里帰りは認めない。連絡も寄越してくるな。おまえが死んだ時と、それから――子が生まれた時にだけ教えてもらえればそれでいい」
「承知いたしました。では、なるべく早く懐妊の連絡を差し上げられるよう、努力いたしますね」
にっこりと笑ってルフィナは、異母兄に深く頭を下げた。きっともう二度と、会うことはないだろう。
出港してしばらくすると、カミルがルフィナの部屋にやってきた。初めて乗った船に最初ははしゃいでいたのだが、揺れに耐えきれず盛大に酔ってしまったのだ。そのため、ルフィナは部屋でぐったりと気持ち悪さに耐えていた。すぐにそれに気づいたカミルが薬をくれたので吐き気は落ち着いたものの、まだぐらぐらと全身が揺れているようだ。
「姫、体調はどうですか。こちらの香草茶は、飲むとすっきりすると思うのですが」
心配そうな表情で差し出されたグラスには、緑の薬草が浮いた氷水が入っていた。爽やかな香りに、これなら飲めそうだとルフィナもうなずいて受け取る。清涼感のある味は、気持ち悪さを洗い流してくれるようだった。
あっという間に飲み干したルフィナは、姿勢を正すとカミルに向き直った。
「申し訳ありません、カミル殿下。体力には自信があったのですが……船酔いは、盲点でしたわ」
「謝ることなどありませんよ。俺があなたを手放したくないと願うあまり、無理を言って一緒に来てもらったのです。心の準備もできず、慌ただしい日々にお疲れも出たのでしょう」
そう言ってカミルはルフィナの頬に触れた。思いがけない触れ合いに驚いてしまうものの、彼は顔色を確認したかっただけのようだ。頬に赤みが戻ってきたと安心したように告げられる。
「ご心配いただき、ありがとうございます。おかげさまで、随分と良くなりましたわ」
「それは良かったです。ところで、我々は婚約者同士となった身。堅苦しいことは抜きにしませんか」
カミルの提案に、ルフィナは微笑みを浮かべてうなずいた。
「もちろんです。でしたら私のことはどうぞルフィナとお呼びください」
「分かった、ルフィナ。じゃあ俺のこともカミルと」
「承知いたしました、カミル様」
「うーん、まだ堅苦しいけど……。まぁいいや、それはおいおい。実はひとつルフィナに聞きたいことがあって」
「聞きたいこと、ですか?」
首をかしげたルフィナに、カミルは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「そう。きみは、ふわふわしたものが好きなんじゃないかなって思って」
「あ……」
にっこりと笑顔を浮かべながら顔をのぞき込んでくるカミルは、絶対に分かってやっているはずだ。だって、ルフィナの目の前に彼の耳があるのだ。ぴこぴこと動く様子を見せられて、思わずルフィナはこくりと息をのむ。
「きみになら、触らせてあげる。いいよ」
囁かれた言葉に誘われて、ルフィナはゆっくりと手を伸ばした。緊張して少し震える手で彼の耳に触れると、ふわふわの毛が指先をくすぐる。
「……どう?」
「すごく、素敵。ふわふわで柔らかくて……」
柔らかな毛並みにうっとりとしながら、ルフィナは答える。もふもふを愛でているだけなのに、何だか甘く官能的な空気が流れているような気がするのが不思議だ。
カミルも気持ちがいいのか、目を細めている。
「結婚したら、毎日だって触らせてあげる。きみは、俺の特別だから」
「ふふ、それはとても素敵ですね。私も、カミル様をお支えできるよう励みますね」
優しい言葉が嬉しくて思わず微笑むと、カミルも嬉しそうにうなずいてくれた。
「アルデイルは、とてもいいところだ。きみは王太子妃ということになるが、あまり気負わず自由に過ごしてくれればいい。我が国はあまり堅苦しいことを好まないし、家族の皆もきみに会えるのを楽しみにしている」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。私も、アルデイル王国の皆様にお会いするのが楽しみです」
アルデイル国王夫妻であるカミルの両親にも、同じようにもふもふの耳があるのだろう。カミルを育てた人だ、きっとあたたかくて素敵な人たちに違いない。
故郷を離れた寂しさなど一切感じないまま、ルフィナはアルデイルでの新生活に胸をときめかせていた。
船に乗って海を三日三晩越えた先が獣人の国、アルデイル王国だ。見送りも警備もごく少人数で王女の輿入れとは思えない規模だが、それもヴァルラムの指示なのだろう。急だったので国民に周知する時間も取れなかったのだと、兄がカミルに言い訳をするのを、ルフィナは黙って聞いていた。
別れの挨拶なんてお互い必要ないと思っていたが、周囲の目もあるので、まるで別れを惜しむようにお互い向き合って立つ。
「ようやくおまえの顔を見ずにすむな。その顔と身体で、せいぜいあの獣人の機嫌を取るんだな。もうホロウードにおまえの居場所はないのだから、戻ってきたいなどと言い出すなよ」
肩に手を置くそぶりを見せながら、ヴァルラムが吐き捨てる。その表情は笑顔に見えるが、瞳の奥は凍りついたように冷たい。遠くから見れば、嫁ぐ妹との別れを惜しむ優しい兄、に見えるのだろうが。
「はい、分かりました。お兄様もどうぞお元気で」
微笑み返してみせれば、ヴァルラムが一瞬苦々しげな表情になった。すぐに取り繕うように笑顔になったが、頬が微かに震えている。
「里帰りは認めない。連絡も寄越してくるな。おまえが死んだ時と、それから――子が生まれた時にだけ教えてもらえればそれでいい」
「承知いたしました。では、なるべく早く懐妊の連絡を差し上げられるよう、努力いたしますね」
にっこりと笑ってルフィナは、異母兄に深く頭を下げた。きっともう二度と、会うことはないだろう。
出港してしばらくすると、カミルがルフィナの部屋にやってきた。初めて乗った船に最初ははしゃいでいたのだが、揺れに耐えきれず盛大に酔ってしまったのだ。そのため、ルフィナは部屋でぐったりと気持ち悪さに耐えていた。すぐにそれに気づいたカミルが薬をくれたので吐き気は落ち着いたものの、まだぐらぐらと全身が揺れているようだ。
「姫、体調はどうですか。こちらの香草茶は、飲むとすっきりすると思うのですが」
心配そうな表情で差し出されたグラスには、緑の薬草が浮いた氷水が入っていた。爽やかな香りに、これなら飲めそうだとルフィナもうなずいて受け取る。清涼感のある味は、気持ち悪さを洗い流してくれるようだった。
あっという間に飲み干したルフィナは、姿勢を正すとカミルに向き直った。
「申し訳ありません、カミル殿下。体力には自信があったのですが……船酔いは、盲点でしたわ」
「謝ることなどありませんよ。俺があなたを手放したくないと願うあまり、無理を言って一緒に来てもらったのです。心の準備もできず、慌ただしい日々にお疲れも出たのでしょう」
そう言ってカミルはルフィナの頬に触れた。思いがけない触れ合いに驚いてしまうものの、彼は顔色を確認したかっただけのようだ。頬に赤みが戻ってきたと安心したように告げられる。
「ご心配いただき、ありがとうございます。おかげさまで、随分と良くなりましたわ」
「それは良かったです。ところで、我々は婚約者同士となった身。堅苦しいことは抜きにしませんか」
カミルの提案に、ルフィナは微笑みを浮かべてうなずいた。
「もちろんです。でしたら私のことはどうぞルフィナとお呼びください」
「分かった、ルフィナ。じゃあ俺のこともカミルと」
「承知いたしました、カミル様」
「うーん、まだ堅苦しいけど……。まぁいいや、それはおいおい。実はひとつルフィナに聞きたいことがあって」
「聞きたいこと、ですか?」
首をかしげたルフィナに、カミルは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「そう。きみは、ふわふわしたものが好きなんじゃないかなって思って」
「あ……」
にっこりと笑顔を浮かべながら顔をのぞき込んでくるカミルは、絶対に分かってやっているはずだ。だって、ルフィナの目の前に彼の耳があるのだ。ぴこぴこと動く様子を見せられて、思わずルフィナはこくりと息をのむ。
「きみになら、触らせてあげる。いいよ」
囁かれた言葉に誘われて、ルフィナはゆっくりと手を伸ばした。緊張して少し震える手で彼の耳に触れると、ふわふわの毛が指先をくすぐる。
「……どう?」
「すごく、素敵。ふわふわで柔らかくて……」
柔らかな毛並みにうっとりとしながら、ルフィナは答える。もふもふを愛でているだけなのに、何だか甘く官能的な空気が流れているような気がするのが不思議だ。
カミルも気持ちがいいのか、目を細めている。
「結婚したら、毎日だって触らせてあげる。きみは、俺の特別だから」
「ふふ、それはとても素敵ですね。私も、カミル様をお支えできるよう励みますね」
優しい言葉が嬉しくて思わず微笑むと、カミルも嬉しそうにうなずいてくれた。
「アルデイルは、とてもいいところだ。きみは王太子妃ということになるが、あまり気負わず自由に過ごしてくれればいい。我が国はあまり堅苦しいことを好まないし、家族の皆もきみに会えるのを楽しみにしている」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。私も、アルデイル王国の皆様にお会いするのが楽しみです」
アルデイル国王夫妻であるカミルの両親にも、同じようにもふもふの耳があるのだろう。カミルを育てた人だ、きっとあたたかくて素敵な人たちに違いない。
故郷を離れた寂しさなど一切感じないまま、ルフィナはアルデイルでの新生活に胸をときめかせていた。
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