5 / 67
5 過去のこと
しおりを挟む
とろりとした柔らかな眠りの中で、ルフィナは夢を見ていた。
それは、アルデイルに嫁ぐ前、カミルと初めて会った時のこと。
その日、ルフィナは城の廊下をドレスの裾を翻して走っていた。もしも誰かに見られたなら、はしたないと眉を顰められるくらい優雅さに欠ける行動。だけどこんな王宮の端には、ほとんど人がいないから平気だ。
王女らしからぬ速さで廊下を駆けているのは、早く自室に戻りたいからだ。庭でのんびり花を愛でていたら、突然兄がこちらへ向かっているとの連絡を受けたのだ。ルフィナのことを嫌っている彼がわざわざ訪ねてくるということは、何か大事な用件がある可能性が高い。
急いで戻らなければ、また叱責されてしまう。先触れもなく訪問してくる兄の方が礼儀に欠けるはずだが、それを指摘できるわけもない。
いつもはもう少し身軽なのだが、今日は両手いっぱいに花を抱えているからあまり速く走れない。この時期に満開を迎えるリリベルの花は、ルフィナのお気に入りだ。真っ白な釣鐘状の小さな花が揺れるたび、甘く爽やかな香りがする。
本当なら、もっとのんびりと他の花も見て回りたかったのにと思いつつ、ルフィナは廊下を急ぐ。
角を曲がったところで部屋の前に背の高い黒髪の男が立っているのが見えて、ルフィナは慌てて足を止めた。深く頭を下げつつ、さりげなく乱れた呼吸を整える。ぎりぎり間に合うかと思ったが、残念ながら彼の到着の方が一足早かったようだ。
「ごきげんよう、ヴァルラムお兄様」
「どこに行っていた、ルフィナ」
不機嫌さを隠そうともしない冷ややかな声に、ルフィナはゆっくりと顔を上げる。氷のように冷たい青い瞳が、射抜くようにルフィナを見下ろしていた。
「えぇと、あの、中庭に行っていました。ほら、リリベルの花が咲いたから」
「ふん、そんな雑草まがいの花を好むとは。身分の卑しい者の考えることは分からんな」
そう言ってヴァルラムは、ルフィナの腕の中からリリベルの花束を取りあげると床にぽいと放った。小さな花のいくつかが、その衝撃で落ちて床に散らばる。足元に転がってきたそれを、ヴァルラムは無表情のまま真っ黒なブーツで踏み潰した。
「あ」
思わず声をあげてしまうと、ヴァルラムはルフィナをじっと見つめた。観察するような彼の表情を受けて、ルフィナは眉尻を下げて悲しげな表情を作る。
「……酷いです、お兄様」
目に涙を浮かべてみせれば、ヴァルラムは満足したように唇の端を上げた。彼は、こうしてルフィナを泣かせることを楽しんでいる。ルフィナが傷つけば傷つくほど、彼は愉悦の表情を浮かべるのだ。
「遊んでいる暇があるなら、夜会に向けて支度をしておけ。おまえの取り柄など、その見てくれにしかないのだから」
「分かりました」
素直にうなずいたのに、ヴァルラムは苦々しげな表情を崩さない。彼はルフィナが何をしても、気に入らないのだから仕方ないが。
「今日の夜会には、アルデイルの王太子が来る。野蛮な獣人に興味はないが、あの国の軍事力だけは魅力的だ。おまえもせいぜい着飾って、未来の夫に気に入られるよう努力するんだな。男に媚びて寵を得るのは、母娘そろって得意だろう?」
ヴァルラムは笑顔を浮かべているが、目は全く笑っていない。ルフィナをのぞき込むその瞳の奥には、燃えるような憎悪がちらついている。ここまで嫌うなら構ってくれなくていいのに、彼は時々ルフィナの前に姿をあらわしてはこうして嫌味を言ってくる。
「かしこまりました。お兄様の期待に応えられるよう、努力します」
そう言って微笑んでみせれば、ヴァルラムは蔑むような目をしながらもうなずいた。
それは、アルデイルに嫁ぐ前、カミルと初めて会った時のこと。
その日、ルフィナは城の廊下をドレスの裾を翻して走っていた。もしも誰かに見られたなら、はしたないと眉を顰められるくらい優雅さに欠ける行動。だけどこんな王宮の端には、ほとんど人がいないから平気だ。
王女らしからぬ速さで廊下を駆けているのは、早く自室に戻りたいからだ。庭でのんびり花を愛でていたら、突然兄がこちらへ向かっているとの連絡を受けたのだ。ルフィナのことを嫌っている彼がわざわざ訪ねてくるということは、何か大事な用件がある可能性が高い。
急いで戻らなければ、また叱責されてしまう。先触れもなく訪問してくる兄の方が礼儀に欠けるはずだが、それを指摘できるわけもない。
いつもはもう少し身軽なのだが、今日は両手いっぱいに花を抱えているからあまり速く走れない。この時期に満開を迎えるリリベルの花は、ルフィナのお気に入りだ。真っ白な釣鐘状の小さな花が揺れるたび、甘く爽やかな香りがする。
本当なら、もっとのんびりと他の花も見て回りたかったのにと思いつつ、ルフィナは廊下を急ぐ。
角を曲がったところで部屋の前に背の高い黒髪の男が立っているのが見えて、ルフィナは慌てて足を止めた。深く頭を下げつつ、さりげなく乱れた呼吸を整える。ぎりぎり間に合うかと思ったが、残念ながら彼の到着の方が一足早かったようだ。
「ごきげんよう、ヴァルラムお兄様」
「どこに行っていた、ルフィナ」
不機嫌さを隠そうともしない冷ややかな声に、ルフィナはゆっくりと顔を上げる。氷のように冷たい青い瞳が、射抜くようにルフィナを見下ろしていた。
「えぇと、あの、中庭に行っていました。ほら、リリベルの花が咲いたから」
「ふん、そんな雑草まがいの花を好むとは。身分の卑しい者の考えることは分からんな」
そう言ってヴァルラムは、ルフィナの腕の中からリリベルの花束を取りあげると床にぽいと放った。小さな花のいくつかが、その衝撃で落ちて床に散らばる。足元に転がってきたそれを、ヴァルラムは無表情のまま真っ黒なブーツで踏み潰した。
「あ」
思わず声をあげてしまうと、ヴァルラムはルフィナをじっと見つめた。観察するような彼の表情を受けて、ルフィナは眉尻を下げて悲しげな表情を作る。
「……酷いです、お兄様」
目に涙を浮かべてみせれば、ヴァルラムは満足したように唇の端を上げた。彼は、こうしてルフィナを泣かせることを楽しんでいる。ルフィナが傷つけば傷つくほど、彼は愉悦の表情を浮かべるのだ。
「遊んでいる暇があるなら、夜会に向けて支度をしておけ。おまえの取り柄など、その見てくれにしかないのだから」
「分かりました」
素直にうなずいたのに、ヴァルラムは苦々しげな表情を崩さない。彼はルフィナが何をしても、気に入らないのだから仕方ないが。
「今日の夜会には、アルデイルの王太子が来る。野蛮な獣人に興味はないが、あの国の軍事力だけは魅力的だ。おまえもせいぜい着飾って、未来の夫に気に入られるよう努力するんだな。男に媚びて寵を得るのは、母娘そろって得意だろう?」
ヴァルラムは笑顔を浮かべているが、目は全く笑っていない。ルフィナをのぞき込むその瞳の奥には、燃えるような憎悪がちらついている。ここまで嫌うなら構ってくれなくていいのに、彼は時々ルフィナの前に姿をあらわしてはこうして嫌味を言ってくる。
「かしこまりました。お兄様の期待に応えられるよう、努力します」
そう言って微笑んでみせれば、ヴァルラムは蔑むような目をしながらもうなずいた。
105
お気に入りに追加
386
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
【R18】素直になれない私が、得体の知れない薬のおかげで幼馴染との距離を強引に縮めた話。
夕月
恋愛
薬師のメルヴィナは、かつてないほどに焦っていた。ちょっとした正義感を発揮した結果、催淫剤を飲んでしまったのだ。
優秀な自分なら、すぐに解毒剤を調合できると思っていたのに、思った以上に身体に薬が回るのが早い。
どんどん熱くなる身体と、ぼんやりとしていく思考。
快楽を求めて誰彼構わず押し倒しそうなほどに追い詰められていく中、幼馴染のフィンリーがあらわれてメルヴィナは更に焦る。
顔を合わせれば口喧嘩ばかりしているけれど、本当はずっと好きな人なのに。
想いを告げるどころか、発情したメルヴィナを見てきっとドン引きされるはずだ。
……そう思っていたのに、フィンリーは優しい笑みを浮かべている。
「手伝うよ」
ってそれは、解毒剤の調合を? それとも快楽を得るお手伝い!?
素直になれない意地っ張りヒロインが、催淫剤のおかげで大好きな人との距離を縮めた話。
大人描写のある回には★をつけます。
冷酷な兄が連れてきたのは竜人の王子でした
能登原あめ
恋愛
* 幸せな竜人のつがいものです。R18は本編終了後となります。
レナの兄は残酷なことを好む性格で、カードゲームで負けた相手を連れてきて鞭で打つ。
翌日こっそり怪我の手当てをするのがレナの日常。
ある日、褐色の肌を持ち、金色の髪と瞳の顔の綺麗な男が連れられてきた。
ほの暗いスタートとなりますが、終盤に向けてほのぼのです。
* 本編6話+R含む2話予定。
(Rシーンには※印がつきます)
* コメ欄にネタバレ配慮しておりませんので、ご注意下さい。
* Canvaさまで作成した画像を使用しております。
【R18】国王陛下はずっとご執心です〜我慢して何も得られないのなら、どんな手を使ってでも愛する人を手に入れよう〜
まさかの
恋愛
濃厚な甘々えっちシーンばかりですので閲覧注意してください!
題名の☆マークがえっちシーンありです。
王位を内乱勝ち取った国王ジルダールは護衛騎士のクラリスのことを愛していた。
しかし彼女はその気持ちに気付きながらも、自分にはその資格が無いとジルダールの愛を拒み続ける。
肌を重ねても去ってしまう彼女の居ない日々を過ごしていたが、実の兄のクーデターによって命の危険に晒される。
彼はやっと理解した。
我慢した先に何もないことを。
ジルダールは彼女の愛を手に入れるために我慢しないことにした。
小説家になろう、アルファポリスで投稿しています。
狼王のつがい
吉野 那生
恋愛
2020.4.12修正
私は「この世界」を何も知らなかった。
迷い込んだ世界で出会い、傷つき、迷い、そして手に入れたもの…。
*
一部、残酷であったり暴力的、性的な表現があります。
そのような話のタイトルには★がつきますので、苦手な方は飛ばしてお読みください。
強面騎士団長、異世界ギャルを嫁にもらう
さねうずる
恋愛
顔面凶器のランゲ団長のお嫁さんは異世界のヤマンバギャル?
ギャルリスペクトなんですが、設定上貶すような言葉が出てきます。ご注意ください。
強面堅物騎士団長×尽くしたい系ヤマンバギャル
もふもふに変身できる先祖返りの平民侍女は、罠にかけられた不器用な生真面目令息を救いたい。
石河 翠
恋愛
親に捨てられ孤児として生きてきた、訳あり主人公ポーラ。侍女として働いている彼女は、お屋敷の坊っちゃんに恋をしている。しかし、身分差と種族差ゆえに想いを伝えることさえ叶わないと思っていた。
そんなある日、坊っちゃんが横領の罪で逮捕されたという。あの堅物坊っちゃんがそんなことをするはずがない。怪しいにおいを感じ取ったポーラは、坊っちゃんが閉じ込められている監獄に単身で乗り込む。
そこでこの逮捕劇が、第二王子の策略だったことを告げられる。さらに堅物坊っちゃんには、添い遂げたい大切な相手がいることを知り……。
気持ちを伝えられなくてもいいから一生そばにいたいと思っている、アホに見えて実は健気なヒロインと、頭はいいのに四角四面で無駄に敵を作る、不器用一途なヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
【R18】酔った勢いでうっかりポチったセクシーランジェリーが、片想い中のお隣さん宅に誤配送されたんだけど!?
夕月
恋愛
酔った勢いでセクシーランジェリー(サンタ風スケスケ下着)を購入してしまった美梨と、美梨の想い人である隣人の井阪。
何故か誤配送されてしまった下着は、彼の手に。
「誰のために買ったの、こんなスケスケセクシー「わぁぁ、商品名読み上げないで!?」みたいな会話から始まる、2人のこと。
※実際のところ、商品名はそのまま記載しないよう配慮してくださってるお店が大半かと思いますが、フィクションということで。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる