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5 過去のこと

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 とろりとした柔らかな眠りの中で、ルフィナは夢を見ていた。
 それは、アルデイルに嫁ぐ前、カミルと初めて会った時のこと。
 
 その日、ルフィナは城の廊下をドレスの裾を翻して走っていた。もしも誰かに見られたなら、はしたないと眉を顰められるくらい優雅さに欠ける行動。だけどこんな王宮の端には、ほとんど人がいないから平気だ。
 王女らしからぬ速さで廊下を駆けているのは、早く自室に戻りたいからだ。庭でのんびり花を愛でていたら、突然兄がこちらへ向かっているとの連絡を受けたのだ。ルフィナのことを嫌っている彼がわざわざ訪ねてくるということは、何か大事な用件がある可能性が高い。
 急いで戻らなければ、また叱責されてしまう。先触れもなく訪問してくる兄の方が礼儀に欠けるはずだが、それを指摘できるわけもない。
 いつもはもう少し身軽なのだが、今日は両手いっぱいに花を抱えているからあまり速く走れない。この時期に満開を迎えるリリベルの花は、ルフィナのお気に入りだ。真っ白な釣鐘状の小さな花が揺れるたび、甘く爽やかな香りがする。
 本当なら、もっとのんびりと他の花も見て回りたかったのにと思いつつ、ルフィナは廊下を急ぐ。

 角を曲がったところで部屋の前に背の高い黒髪の男が立っているのが見えて、ルフィナは慌てて足を止めた。深く頭を下げつつ、さりげなく乱れた呼吸を整える。ぎりぎり間に合うかと思ったが、残念ながら彼の到着の方が一足早かったようだ。
「ごきげんよう、ヴァルラムお兄様」
「どこに行っていた、ルフィナ」
 不機嫌さを隠そうともしない冷ややかな声に、ルフィナはゆっくりと顔を上げる。氷のように冷たい青い瞳が、射抜くようにルフィナを見下ろしていた。
「えぇと、あの、中庭に行っていました。ほら、リリベルの花が咲いたから」
「ふん、そんな雑草まがいの花を好むとは。身分の卑しい者の考えることは分からんな」
 そう言ってヴァルラムは、ルフィナの腕の中からリリベルの花束を取りあげると床にぽいと放った。小さな花のいくつかが、その衝撃で落ちて床に散らばる。足元に転がってきたそれを、ヴァルラムは無表情のまま真っ黒なブーツで踏み潰した。
「あ」
 思わず声をあげてしまうと、ヴァルラムはルフィナをじっと見つめた。観察するような彼の表情を受けて、ルフィナは眉尻を下げて悲しげな表情を作る。
「……酷いです、お兄様」
 目に涙を浮かべてみせれば、ヴァルラムは満足したように唇の端を上げた。彼は、こうしてルフィナを泣かせることを楽しんでいる。ルフィナが傷つけば傷つくほど、彼は愉悦の表情を浮かべるのだ。
「遊んでいる暇があるなら、夜会に向けて支度をしておけ。おまえの取り柄など、その見てくれにしかないのだから」
「分かりました」
 素直にうなずいたのに、ヴァルラムは苦々しげな表情を崩さない。彼はルフィナが何をしても、気に入らないのだから仕方ないが。
「今日の夜会には、アルデイルの王太子が来る。野蛮な獣人に興味はないが、あの国の軍事力だけは魅力的だ。おまえもせいぜい着飾って、未来の夫に気に入られるよう努力するんだな。男に媚びて寵を得るのは、母娘そろって得意だろう?」
 ヴァルラムは笑顔を浮かべているが、目は全く笑っていない。ルフィナをのぞき込むその瞳の奥には、燃えるような憎悪がちらついている。ここまで嫌うなら構ってくれなくていいのに、彼は時々ルフィナの前に姿をあらわしてはこうして嫌味を言ってくる。
「かしこまりました。お兄様の期待に応えられるよう、努力します」
 そう言って微笑んでみせれば、ヴァルラムは蔑むような目をしながらもうなずいた。
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