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【番外編】bitter chocolate
しおりを挟む冬の終わりのこの時期、街の菓子店にはチョコレート菓子がたくさん並ぶようになる。
冬の精が、まだ眠りについている春の精を起こすために用意するのが甘いチョコレートで、その甘い香りに誘われて目覚めた春の精は、人々を恋の季節へと誘う……という話は、誰もが子供の頃に一度は聞くものだ。
それにあやかって、いつしか季節が変わる冬の終わりの最後の週末に、チョコレートのように甘い関係になれるように、と願いを込めて想い人に贈り物をしたり、恋人同士でチョコレートを贈りあったりするようになった。
◇
「……よし、準備はバッチリ」
小さくうなずいて、リリアナはエプロンの紐をしっかりと結び直した。
目の前に並んでいるのは、お菓子作りの材料と、初心者向けのレシピ本。
食べることは大好きだけど、料理はあまり得意でないリリアナは、『誰でも作れる超絶簡単スイーツ』と題した本を熟読して、その中でも自分にできそうだと判断したチョコレートクッキーを作ることにしたのだ。
苦手な料理に挑戦してまで頑張るのは、チョコレートを渡したい相手がいるから。
恋人のセドリックは、いつもリリアナに美味しいものを食べさせてくれる。だから、こういう時くらい、リリアナだってお返しをしたいと思うのだ。
やっぱり、恋人に手作りのお菓子を渡すというのは昔から憧れていたし、きっとセドリックは驚いた顔をしたあと、嬉しそうに笑ってくれると思うから。
そう思っていたのに、どうしてこうなったのだろう。
リリアナは、目の前のクッキー(?)を恨めしそうに見つめた。
レシピ通りに作ったはずなのに、出来上がったものは岩のように硬いクッキー。見た目だって、ところどころ焦げていて、全然美味しそうに見えない。
もう一度作り直すには、時間が足りない。だけど、セドリックに何も渡さないなんてことはできないので、急いでチョコレートを買いに行かなければ。
リリアナはため息をつくと、失敗作のクッキーを天板の上に置き去りにして、エプロンを外してキッチンを出た。
◇
急いでモールに行き、セドリックの好きな菓子店でチョコレートを購入する。素敵なチョコレートが手に入ったので一安心だけど、やっぱり手作りを渡したかったなぁとため息をこぼしてしまう。
ぼうっとそんなことを考えながら歩いていたからか、気づくとうっかりセドリックの通う学園のそばまで来てしまった。
リリアナは今日、お菓子を作るために仕事を休みにしていたけど、セドリックはまだ学校だ。
授業が終わったのか、制服を着た学生が門を出てくる。このままここでセドリックを待ってもいいかな、と思いつつ、ぼんやりと出てくる人波を眺めていると、見覚えのある横顔を見つけた。カフェオレ色をした、ゆるく癖のある髪は、見間違えるはずがない。セドリックだ。
2人で会う時はいつも私服だから、制服姿はいつもと違って新鮮に感じる。
声をかけようか一瞬迷ったけれど、リリアナの知らない友人らと楽しそうに話しているので、声をかけにくい。
それでも、せっかく偶然会えた恋人の姿を(しかもレアな制服姿だ)少しでも目に焼きつけておきたくて、リリアナは遠くからセドリックをじいっと見つめる。
その時、可愛らしい声がセドリックの名前を呼んだ。
声の主は、セドリックと同じ制服を着た少女だった。セドリックも、その声に反応して片手をあげる。
少女が嬉しそうにセドリックのもとに駆け寄り、何か話しかけている。セドリックも、笑顔でうなずきながら応えている。
――誰、あれ。
リリアナは、ドキドキと嫌な音をたてる鼓動に、思わず胸を押さえた。
少女は、頬を染めてセドリックに笑顔を向けていて、どう見てもセドリックに想いを寄せているとしか思えない。
艶やかな黒髪をした、美人だ。口元にあるほくろが色っぽさを醸し出している。そして何より、胸が大きい。ブレザーの中に着たシャツのボタンが弾け飛ぶのではと思うほどに豊満な胸を、リリアナは思わず凝視してしまう。
セドリックと楽しそうに話しながら、少女はいっそう嬉しそうに笑うと、セドリックの腕に抱きついた。どう見てもあれは、胸が当たっている。
リリアナのいる場所からは、セドリックの表情はよく見えない。だけど、振り払うような仕草は見せないので、もしかしたら腕に当たる胸の感触を楽しんでいるのかもしれない。
――なによ、デレデレしちゃって。
実際デレデレしているかどうかは分からないけれど、離れようとしない時点で同じだ。
魔法で後頭部に石でもぶつけてやろうか、などと物騒なことを考えながら、リリアナは踵を返した。
イライラする気持ちを抑えながら早足で歩いていたけれど、ふとリリアナは足を止めた。そして、自分の胸にそっと触れる。色々と試してみても、一向に成長する気配を見せないこの胸は、リリアナの唯一のコンプレックス。
セドリックは何も言わないけれど、やっぱりさっきの子みたいな大きい胸がいいのだろうか。
ぐちゃぐちゃの気持ちのまま帰宅したら、玄関で甘い匂いに出迎えられて、失敗したクッキーのことを思い出して更に落ち込む。
こんな気持ちでセドリックと過ごすなんて、できない。もしかしたらセドリックも、あの胸の大きな子と楽しく過ごしているかもしれないし。
今日は会えないって連絡をした方がいいかもしれない。
どんどん後ろ向きになる思考に苛つきながら、置きっぱなにしていたクッキーを片付けようとした時、呼び鈴が鳴った。
ため息をついて玄関に向かうと、そこにいたのはセドリックで。こんな落ち込んでいる時でも、セドリックの顔を見たらやっぱり嬉しいと思ってしまう。
「リリー、どうした?なんか体調悪い?」
セドリックは、すぐにリリアナの気持ちの変化を読み取ってしまう。いつもは嬉しいけれど、今日は気づいて欲しくなかったのに。
「ううん、平気」
誤魔化すように笑ってみせると、セドリックは首をかしげたあと、鼻をひくつかせた。
「なんかいい匂いする」
「あー……、えっと」
慌てて言葉を探すものの、何を言っていいか分からなくてリリアナはうつむく。
結局、隠し通せるわけがないので、リリアナは諦めてため息をつくとセドリックを見上げた。
「クッキー、作った……ん、だけど。失敗しちゃった。あ、ちゃんと代わりのチョコは買ってきたんだよ。待ってて、今取ってくるから」
早口にそう言って、自室に置いてきたチョコレートの包みを取りに行こうと歩き出したら、セドリックが腕をつかんだ。そしてそのまま柔らかく抱き寄せられる。
「リリーの手作り?」
耳元で囁かれて、リリアナは慌ててセドリックの胸を押す。だけど、腕に力を込められてしまって逃れられない。
「失敗したって言ったじゃん……!チョコ取ってくるから、離してっ」
「チョコより、リリーが作ったクッキーの方が欲しい」
「だからっ……」
「めっちゃ嬉しいんだけど。リリー、料理あんま得意じゃないって言ってたのに、俺のために作ってくれたんだろ?」
セドリックの声が本当に嬉しそうに聞こえるから、リリアナも抵抗を諦めて力を抜く。だけど、同時に湧き上がってくる涙を見せたくなくて、顔を上げられない。
「だって……失敗したもん。全然美味しそうにできなかった。簡単って書いてたのに」
「あーもう、泣くなって」
うつむいて涙を隠していたのに、声でバレたらしい。セドリックはリリアナの頬に触れると、顔を上向かせた。
まるで涙を吸い取るように目元に口づけたあと、セドリックはにっこりと笑って顔をのぞきこんだ。
「クッキー、欲しいな」
「……美味しくないよ。もしかしたらお腹こわすかも」
拗ねた口調で言ってみても、セドリックは笑って胸を張る。
「大丈夫。俺、胃腸は強いから」
悪戯っぽく言われて、リリアナは渋々ながら、小さくうなずいた。
一緒にキッチンに行き、置きっぱなしだった失敗作のクッキーを、リリアナは黙って指差す。
「美味いじゃん」
ひょいっとクッキーをひとつ取り上げて、口に放り込んだセドリックは、もごもごと咀嚼しながらもそう言って笑う。
「嘘。すごい硬いもん。ちょっと焦げたし」
「これ、俺のだよな?全部もらっていい?」
「無理しなくていいよ。チョコ買ってきたし」
食べてくれたことはとても嬉しいのに、リリアナはセドリックの褒め言葉を素直に受け取ることができない。口を開けば可愛くない言葉ばかり飛び出してくる。
「別に無理してないって。リリーが俺のために作ってくれたクッキーなんて、永久保存したいくらい」
「その前に傷むと思う」
「だよなー。残念」
明るく笑いながら、セドリックは天板の上のクッキーをパクパクと食べていく。
リリアナは、手を伸ばしてセドリックの腕をつかんだ。
「もう……いいよ。ありがと」
どうしても声が震えるのは隠せない。リリアナは、うつむいて唇を噛んだ。
「あたし、お菓子もマトモに作れないし、色気より食い気だし……っ」
こんな自分が嫌になる。基本的に自己評価の高いリリアナが、こんなにも、らしくないことを漏らしてしまうのは、セドリックに嫌われたくないから。
「リリー、何かあった?」
気遣うように頬に触れようとするセドリックの手を、リリアナは振り払った。
「……あたし、見たもん。胸……の大きな子に、抱きつかれてたとこ」
「え……」
当惑したように目を瞬いたセドリックは、しばらくすると小さく唸って頭をかいた。
「リリーっぽい後ろ姿を見た気がしたけど、やっぱあれ、リリーだったんだ」
小さく笑うと、セドリックはリリアナを抱き寄せる。抵抗しようとした手は、あっさりと捕まえられてしまった。
「可愛いやきもち、妬いてくれたんだ」
くすりとセドリックが笑うから、リリアナは唇を尖らせる。
「……あたし以外の子に抱きつかれて喜ぶなんて、あんなの……浮気だもん」
思い出しただけで、胸がざわざわするあの光景。リリアナは、それを追い出すようにぎゅっと目を閉じる。
「どうせ、あの子みたいに胸ないし……っ」
小さく叫ぶと、抱きしめる腕の力が強くなった。
「リリー、キッチンで押し倒したくなるようなこと言わないの」
「何、それ」
「あの子とは、何もないよ。俺の友達のことが好きで、チョコレートを贈りたいって言うから店の相談に乗ってたんだよ。んで、告白がうまくいったって報告を受けてたの」
「本当に……?」
セドリックのニットを握りしめつつ、つぶやくと、大きな手がなだめるようにリリアナの頭を撫でた。
「前から言ってるじゃん。俺はリリーが好きなのであって、リリーの胸が好きなわけじゃないし」
「だって……」
まだ素直になれないリリアナが唇を尖らせていると、セドリックがくすりと笑って顔をのぞきこんだ。
「俺が、胸の大きさで人を好きになるって思われてるなんて、心外なんだけど?」
セドリックの言うことは確かにその通りで、リリアナは小さくうなずいてうつむく。
「そう、だね。……ごめん」
「という訳で、リリーには、俺がどれくらいリリーのことを好きなのか、ちゃーんと理解してもらわなきゃな」
「え、ちょっ……待っ」
ひょいっと抱き上げられて、リリアナは思わずじたばたと暴れてしまう。
セドリックは、暴れるリリアナをものともせず、慣れた様子でキッチンを出てリリアナの部屋へと向かう。
リリアナをベッドの上に降ろすと、セドリックは鞄の中から可愛らしい包みを取り出してリボンを解いた。
小さな箱の蓋を開けると、中には色とりどりの宝石のようなチョコレートが入っていた。甘い香りがして、リリアナのお腹が空腹を訴え始める。よく考えたら、朝から何も食べていない。
セドリックは、赤いハート型をしたチョコレートを摘み上げると、リリアナの口元に差し出した。
思わずぱくりと食べると、甘酸っぱい苺の味と濃厚なチョコレートの味が混じりあって、その美味しさに頬が緩んでしまう。
「美味しい?」
「ん……、美味しい」
可愛くないことばかり言って、意地を張っていたけれど、甘いチョコレートを食べていたら、そんなことも馬鹿らしく思えてくる。
ふにゃりと表情を緩ませたリリアナを見て、セドリックが笑って頭を撫でてくれた。
「美味しいもの食べてる時の、リリーの笑顔が好き」
チョコレートを食べ終えたあと、笑って囁きながら、セドリックがゆっくりとリリアナをベッドに押し倒す。
「サラサラの髪も、キラキラした目も、ちっちゃくて可愛い口も好き。あぁ、喋ると案外毒舌なところも好きだな」
シーツの上に広がった髪を掬い上げて、愛おしそうに口づけながらセドリックが笑う。
「仕事を頑張ってるリリーのことが好きだし、自分の実力に自信を持ってるリリーも好き」
甘い表情で、そんなことを言われて、リリアナの頬は真っ赤に染まる。
「……っ、なんか、それ恥ずかしい」
まともにセドリックの顔が見られなくて、腕で顔を隠そうとしたら、にっこり笑ったセドリックに止められた。
「リリーの好きなとこ、まだまだいくらでも挙げられるよ。俺がどれほどリリーのことを好きなのか、ちゃんと知ってもらわないと」
「も、もう知ってる……!」
「えー。でもさっき、浮気を疑われてたっぽいしなぁ」
「それは……ごめんって!」
「うん、まぁそれはいいんだけど。でも、リリーからは愛情こもった手作りクッキーもらったし、俺もちゃんとお返ししなきゃいけないなーと思って」
そう言うと、セドリックはリリアナの頭を撫でたあと、優しいキスを落とす。
「俺、いっぱいクッキー食べたから、その分全部、お返しするな」
「え、どういう……、あ、ん……っ」
「うん、チョコの味残ってる」
笑いながら、息もできないほどのキスを与えられて、リリアナはセドリックの腕にしがみつく。
「キスに弱いのも可愛いし、ここらへんが弱いのも、可愛いよな」
「ん……っ、や、あ……っ」
ぺろりと鎖骨付近を舐められて、リリアナは思わず声を漏らす。
「俺しか聴けない、その声も好き」
「や……んんっ、セドリック……っ」
ふうっと耳元に息を吹きかけながら囁かれて、リリアナは身体をよじる。
くすくすと笑いながら、セドリックの手は服の中に侵入して、リリアナの胸を包み込む。
「俺の手にぴったりな、この胸も可愛い。……ほら、もう硬くなってきた。感じやすいとこもいいよな」
「や、もう……、分かった、からぁっ」
甘い声でリリアナの好きなところをひたすらに挙げられて、恥ずかしくて死にそうだ。
「えー、まだ足りないでしょ」
「もう……充分……っ」
「だめー。俺の愛を受け取ってよ、リリー」
「……っ」
そんなことを言われたら、リリアナにはもう何も言えない。
「あ、あたしだって、セドリックの好きなとこ、いくらでも挙げられるもん」
うっかり負けず嫌いが顔を出して、そう言うと、セドリックは嬉しそうに笑った。
「うん。じゃあ、リリーも教えて。どっちが先に出てこなくなるか……、競争だな」
負けたら骨つき肉おごりな、と言われて、リリアナは俄然やる気になる。
「よし、じゃあ勝負。……リリーのこの腰のラインが好き。すげぇそそるよな」
「や……、あんっ、そういうのナシ……っ」
ゆっくりとした手つきで腰を撫でられて、リリアナは逃げようと身体をよじる。
「細いのに、柔らかい太腿も、好き。ずっと触ってられる」
スカートの裾から忍び込む不埒な手を、リリアナは慌てて止めようとする。
「ちょ……っ、待っ、どこ触って……、やぁっ」
「ほら、リリーも俺の好きなとこ教えて」
「や、手……止めて……、んっ」
「本当可愛い、リリー」
くすくすと笑いながら、身体の色んな場所に触れて、リリアナの好きなところを挙げていくセドリックに翻弄されて、結局全くもって勝負にならなかった。
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