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生贄の花嫁(イーヴ視点)
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ルベリアに揶揄われて逃げるように部屋に戻ったイーヴは、皺の寄った眉間を揉みつつソファに腰を下ろした。
うっかりいつもの癖でシェイラの頭を撫でてしまったが、にやにやと笑みを浮かべたルベリアの表情を思い出すと、うかつだったなとため息が漏れる。あとで揶揄われること間違いなしだ。
シェイラの生い立ちを知るたびに、イーヴは苦しくなる。生贄となるその日までただ生かされただけ、と言うのがぴったりなほどに抑圧された彼女の生活。ドレージアで見るものすべてに目を輝かせるその姿は、彼女がこれまでどれほど虐げられて育ってきたのかを思い知らされる。
なのにシェイラ自身はそれを問題だと思っておらず、何がいけないのかと首をかしげるばかり。
そのうえ故郷のためにと身体を捧げるような真似までされて、その危うさにイーヴは胸が痛い。
イーヴだって健全な男だし、勢いよく肌を晒したシェイラを見て何も思わなかったわけではない。だけどそれに流されるのだけは絶対してはならないと腹に力を込めて雑念を振り払った。もしも欲に負けて彼女を抱いてしまったなら、国のために生贄として喰われることが定めだと言い聞かされて育ったシェイラのその間違った考えを、肯定してしまうと思ったから。
ドレージアでの生活に慣れて、無邪気な笑顔を見せるようになったシェイラを、イーヴは守ってやりたいと思う。狭い部屋に閉じ込められて育った彼女にこの世界は広いのだということを教えてやりたいと思ったから、背に乗せて誰にも教えたことのないお気に入りの場所に連れて行ったし、彼女がしたいと望んだことを何でも叶えてやりたいと思う。
その気持ちを告げると、何故か再び夜の営みを求められたのには困惑したけれど。
いつもにこにこと笑って、素直に感情を表に出すシェイラを見ていると、つい頭を撫でてしまう。さらさらと指先に絡む髪が気持ちいいのもあるし、はにかんだような彼女の笑顔を向けられることが嬉しいから。
だけどそれは、恋心ではない。竜族にとって人間は、庇護すべき存在なのだ。
イーヴはずっと、自分にそう言い聞かせている。
眉間を揉んでいた手をそのままに、手のひらで視界を遮って目を閉じていると、ドアがゆっくりとノックされた。呼びかける声の主は、レジスだ。どうやら外出から戻ったらしい。
「おや、珍しくお疲れのようですね。お茶でも淹れましょうか」
部屋に入ってきたレジスは、イーヴの返事を待たずにお茶の準備を始める。長年のつきあいで、彼が何か話をしたがっていることに気づいたイーヴは、ため息をついてソファに座り直した。
「ルベリアに留守を任せてどこに行っていた」
「長に呼ばれまして、黒竜の館へ。長は、ラグノリアの花嫁の様子を気にしておいででしたよ」
「心配するくらいなら、最初から俺のところに寄越さなければ良かったんだ」
苛立ちを込めてつぶやくと、まぁまぁとたしなめるような声と共に目の前にカップが置かれる。
「シェイラ様が元気で過ごされていることをお知らせしたら、長も安心していました」
現在ドレージアの長を務めているのは、黒竜一族の当主。早くに両親を病気で亡くしたイーヴを何かと手助けしてくれた彼は、今でもイーヴを孫のように可愛がり、何かと心配してくれる。それはありがたくもあり、成人して随分とたつ身としては時々面倒でもあるけれど。
「もしもシェイラが俺を怖がっていたら、長はどうするつもりだったんだろうな」
ぽつりとつぶやくと、自分のカップに山盛りの砂糖を入れようとしていたレジスが動きを止めた。小さく息を吐いたあと、レジスは砂糖を入れたカップをスプーンでぐるぐるとかき混ぜる。
「起こらなかったことを、心配する必要はありません。シェイラ様は、あなたに非常に懐いてらっしゃる。怖がってなど、いないでしょう」
「だけど、もしまた……っ」
「イーヴ様」
かちゃりと耳障りなほどの音を立ててスプーンを置き、レジスがイーヴを見る。その表情は酷く真剣で、イーヴは思わず口をつぐんだ。
「シェイラ様は、あの方とは違う。そのことは、イーヴ様が一番よく分かっているのでは?」
「……っ」
その瞬間、イーヴの脳裏に一人の少女の姿がよぎる。長い黒髪がうつむいた顔を隠して表情は見えないけれど、きっと彼女は震えながら泣いている。
それは今も忘れることのできない、イーヴが守れなかった人。
「どうしても重ねてしまうのは分かります。我々もそうでしたから。だけど、シェイラ様は大丈夫です。イーヴ様のことを、受け入れてくれているでしょう」
優しく諭すようなレジスの言葉に、イーヴは低く呻いて顔を覆った。そして震える吐息を漏らしながら、ゆっくりと口を開く。
「分かってる。シェイラはあの子とは違う。俺のことを恐れないばかりか、竜の姿だって受け入れてくれる」
イーヴのことを、怖くないと笑ってくれたシェイラ。竜の姿すら褒められて、その笑顔にイーヴがどれほど救われたか、彼女は知らないだろう。怖がらせるだろうからと見せるつもりのなかった胸の鱗も、シェイラは綺麗だと言ってくれた。彼女の細く柔らかな指が鱗に触れた時は、思わず抱きしめたくなるのを必死で堪えたほどだ。
「えぇ、いつもにこにこと笑顔で接してくださるシェイラ様に、我々はとうに心を撃ち抜かれておりますよ。アルバンなんて、目に入れても痛くないほどの可愛がりようですからね」
くすくすと笑いながら、レジスは優雅な仕草でカップを傾けた。こくりと一口飲んで、またじっとイーヴを見つめる。
今度は何だと首をかしげたイーヴに、彼は楽しそうな表情で身を乗り出した。
「仲睦まじいお二人を見ていると、いずれは本当に花嫁として……」
「やめてくれ、レジス。シェイラが俺に懐いてくれていることは否定しない。だけど彼女を縛りつけるような真似はしたくないんだ。ただでさえあの子は、国のために生贄となるよう言い聞かせられて育ってきたんだ。俺の――いや、竜族の言葉はシェイラにとって、故郷を守るための命令になりかねない。俺は、あの子が自由に生きられたらそれでいいと思っている。これから先も、彼女は形だけの花嫁として扱うつもりだ」
首を振るイーヴを見て、レジスは一瞬残念そうな顔を浮かべたものの、目を伏せてうなずいた。
「そう、ですね。出過ぎたことを言いました。ですが我々は、イーヴ様の幸せも願っているのですよ」
「俺は今でも十分、幸せだよ」
はぐらかすようにそう言って、イーヴはカップに残った紅茶を飲み干した。
うっかりいつもの癖でシェイラの頭を撫でてしまったが、にやにやと笑みを浮かべたルベリアの表情を思い出すと、うかつだったなとため息が漏れる。あとで揶揄われること間違いなしだ。
シェイラの生い立ちを知るたびに、イーヴは苦しくなる。生贄となるその日までただ生かされただけ、と言うのがぴったりなほどに抑圧された彼女の生活。ドレージアで見るものすべてに目を輝かせるその姿は、彼女がこれまでどれほど虐げられて育ってきたのかを思い知らされる。
なのにシェイラ自身はそれを問題だと思っておらず、何がいけないのかと首をかしげるばかり。
そのうえ故郷のためにと身体を捧げるような真似までされて、その危うさにイーヴは胸が痛い。
イーヴだって健全な男だし、勢いよく肌を晒したシェイラを見て何も思わなかったわけではない。だけどそれに流されるのだけは絶対してはならないと腹に力を込めて雑念を振り払った。もしも欲に負けて彼女を抱いてしまったなら、国のために生贄として喰われることが定めだと言い聞かされて育ったシェイラのその間違った考えを、肯定してしまうと思ったから。
ドレージアでの生活に慣れて、無邪気な笑顔を見せるようになったシェイラを、イーヴは守ってやりたいと思う。狭い部屋に閉じ込められて育った彼女にこの世界は広いのだということを教えてやりたいと思ったから、背に乗せて誰にも教えたことのないお気に入りの場所に連れて行ったし、彼女がしたいと望んだことを何でも叶えてやりたいと思う。
その気持ちを告げると、何故か再び夜の営みを求められたのには困惑したけれど。
いつもにこにこと笑って、素直に感情を表に出すシェイラを見ていると、つい頭を撫でてしまう。さらさらと指先に絡む髪が気持ちいいのもあるし、はにかんだような彼女の笑顔を向けられることが嬉しいから。
だけどそれは、恋心ではない。竜族にとって人間は、庇護すべき存在なのだ。
イーヴはずっと、自分にそう言い聞かせている。
眉間を揉んでいた手をそのままに、手のひらで視界を遮って目を閉じていると、ドアがゆっくりとノックされた。呼びかける声の主は、レジスだ。どうやら外出から戻ったらしい。
「おや、珍しくお疲れのようですね。お茶でも淹れましょうか」
部屋に入ってきたレジスは、イーヴの返事を待たずにお茶の準備を始める。長年のつきあいで、彼が何か話をしたがっていることに気づいたイーヴは、ため息をついてソファに座り直した。
「ルベリアに留守を任せてどこに行っていた」
「長に呼ばれまして、黒竜の館へ。長は、ラグノリアの花嫁の様子を気にしておいででしたよ」
「心配するくらいなら、最初から俺のところに寄越さなければ良かったんだ」
苛立ちを込めてつぶやくと、まぁまぁとたしなめるような声と共に目の前にカップが置かれる。
「シェイラ様が元気で過ごされていることをお知らせしたら、長も安心していました」
現在ドレージアの長を務めているのは、黒竜一族の当主。早くに両親を病気で亡くしたイーヴを何かと手助けしてくれた彼は、今でもイーヴを孫のように可愛がり、何かと心配してくれる。それはありがたくもあり、成人して随分とたつ身としては時々面倒でもあるけれど。
「もしもシェイラが俺を怖がっていたら、長はどうするつもりだったんだろうな」
ぽつりとつぶやくと、自分のカップに山盛りの砂糖を入れようとしていたレジスが動きを止めた。小さく息を吐いたあと、レジスは砂糖を入れたカップをスプーンでぐるぐるとかき混ぜる。
「起こらなかったことを、心配する必要はありません。シェイラ様は、あなたに非常に懐いてらっしゃる。怖がってなど、いないでしょう」
「だけど、もしまた……っ」
「イーヴ様」
かちゃりと耳障りなほどの音を立ててスプーンを置き、レジスがイーヴを見る。その表情は酷く真剣で、イーヴは思わず口をつぐんだ。
「シェイラ様は、あの方とは違う。そのことは、イーヴ様が一番よく分かっているのでは?」
「……っ」
その瞬間、イーヴの脳裏に一人の少女の姿がよぎる。長い黒髪がうつむいた顔を隠して表情は見えないけれど、きっと彼女は震えながら泣いている。
それは今も忘れることのできない、イーヴが守れなかった人。
「どうしても重ねてしまうのは分かります。我々もそうでしたから。だけど、シェイラ様は大丈夫です。イーヴ様のことを、受け入れてくれているでしょう」
優しく諭すようなレジスの言葉に、イーヴは低く呻いて顔を覆った。そして震える吐息を漏らしながら、ゆっくりと口を開く。
「分かってる。シェイラはあの子とは違う。俺のことを恐れないばかりか、竜の姿だって受け入れてくれる」
イーヴのことを、怖くないと笑ってくれたシェイラ。竜の姿すら褒められて、その笑顔にイーヴがどれほど救われたか、彼女は知らないだろう。怖がらせるだろうからと見せるつもりのなかった胸の鱗も、シェイラは綺麗だと言ってくれた。彼女の細く柔らかな指が鱗に触れた時は、思わず抱きしめたくなるのを必死で堪えたほどだ。
「えぇ、いつもにこにこと笑顔で接してくださるシェイラ様に、我々はとうに心を撃ち抜かれておりますよ。アルバンなんて、目に入れても痛くないほどの可愛がりようですからね」
くすくすと笑いながら、レジスは優雅な仕草でカップを傾けた。こくりと一口飲んで、またじっとイーヴを見つめる。
今度は何だと首をかしげたイーヴに、彼は楽しそうな表情で身を乗り出した。
「仲睦まじいお二人を見ていると、いずれは本当に花嫁として……」
「やめてくれ、レジス。シェイラが俺に懐いてくれていることは否定しない。だけど彼女を縛りつけるような真似はしたくないんだ。ただでさえあの子は、国のために生贄となるよう言い聞かせられて育ってきたんだ。俺の――いや、竜族の言葉はシェイラにとって、故郷を守るための命令になりかねない。俺は、あの子が自由に生きられたらそれでいいと思っている。これから先も、彼女は形だけの花嫁として扱うつもりだ」
首を振るイーヴを見て、レジスは一瞬残念そうな顔を浮かべたものの、目を伏せてうなずいた。
「そう、ですね。出過ぎたことを言いました。ですが我々は、イーヴ様の幸せも願っているのですよ」
「俺は今でも十分、幸せだよ」
はぐらかすようにそう言って、イーヴはカップに残った紅茶を飲み干した。
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