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予告通り深夜にやってきたザフィルは、起きて待っていたファテナを見て、先に寝ていろと言ったのにと言いつつもどこか嬉しそうな表情で寝台に上がってきた。
いつものように抱かれたあと、ザフィルは隣に身体を横たえながらファテナの手を取る。
「……確かに、これは独占欲が満たされるな」
「え?」
「いや、こっちの話だ、何でもない」
そう言いながら、ザフィルは何度も確認するようにファテナの腕輪を撫でる。
「精霊は、あのあと来てないよな」
「そう、思いますけど」
「もし俺のいない時に精霊が来ても、絶対に相手をするなよ」
怖いくらいに真剣な顔で見つめられて、ファテナは黙ってうなずいた。本当はもう一度精霊に会ってみたいと思っていることを知られたら、何を言われるか分からない。
ただし、精霊が再びあらわれたとしても、きっとファテナはその手を取ることはないだろう。テミム族の一員として新たな道を歩み始めた村人たちを守るのがファテナの一番の役目だ。ザフィルの意に沿わないことをして、彼らの生活を脅かしてはならない。
ファテナがうなずいたのを見て、ザフィルは小さく息を吐くと顔を上げた。
「実は、明日からしばらくここに来れなくなる」
「えっ」
「ちょっと遠出をする予定で、留守にするから」
交易のため、西の方の部族のもとへ向かうという。高い山の上に暮らす部族の名は、ファテナも耳にしたことがある。ここからかなり距離があるので、最短でも往復で十日ほどかかるだろう。
「そうですか。……気をつけて」
「俺が不在の間、何かあればアディヤに言え」
気遣うような言葉の裏には、彼女がファテナをしっかりと見張っているのだという意味が込められている。
ザフィルがいようといまいと、ファテナは逃げ出すつもりはない。承諾の意を込めて黙って微笑むと、ザフィルは安心したようにうなずいて、再び腕輪に触れた。
「あんたを置いていくのは心配だが……」
「ここから出たりしないわ。精霊が心配なら、庭にも出ない。私の使命は、皆の生活を守ることだもの」
「本当に……、いつまでもあいつらを気にかけるんだな、あんたは」
呆れたようにつぶやいて、ザフィルが再びファテナの上に覆いかぶさってきた。すでに一度抱かれているのに、今夜はまだ終わらないらしい。民を守りたいというなら、身体を差し出せということだろう。
「私にできることは、それしかないもの」
そう言ってザフィルの首裏に手を回すと、腕輪から甘い香りが漂った。いつの間にかこの香りすら、心地よく思えるほどになってしまった。精霊と共に生きていた頃には、吐き気を催すほどに嫌だったのに。
早く快楽に溺れてしまいたくて、ファテナはザフィルに口づけをねだる。ゆっくりと重ねられる唇に、ファテナの身体はすぐに反応して彼を受け入れる準備を始めた。
「離れたくないな」
身体を繋げ、手を握りながらひとりごとのように、ザフィルがつぶやく。しっかりと絡められた指先から伝わるぬくもりは心地よくて、離れがたく思うのはファテナも同じだ。彼に抱かれ、ぬくもりを感じているこの時だけは、自分が役に立っているという実感がある。
それが、ただ彼の欲を受け止めるために身体を差し出しているだけだとしても。
無言で手を握り返すと、ザフィルが小さく余裕のなさそうな息を吐いた。眉を顰めたその表情は、ファテナを抱く時にだけ見せるもの。いつもより妖艶なその顔を見上げながら、ファテナもせり上がってくる絶頂の予感に息を詰めた。
翌朝、ザフィルが身体を起こす気配を感じてファテナも目を開けた。窓の外はまだ薄暗く、夜は明けきっていないようだ。
身じろぎしたのに気づいたのか、服を身につけていたザフィルが振り返って眉を上げる。
「悪い、起こしたか」
「大丈夫です」
首を振りながら身体を起こしたファテナは、思った以上に怠さを感じて微かに顔を顰めた。明け方近くまでずっと抱かれていたので、ほとんど眠っていないせいだろう。
「無理するな、寝てろ」
「でも、見送りくらいは」
ふらつきながら立ち上がるとザフィルが慌てたように手を差し伸べてくれる。そのまま腕の中に抱き込まれ、ファテナは彼の胸に身体を預けた。そうしていないと、まっすぐに立っていられない。
ザフィルは、再び腕輪に触れながらファテナの耳元に唇を寄せる。彼の吐息が耳をくすぐって、ファテナは思わず小さく肩をすくめた。
「絶対に、腕輪を外すなよ」
「分かってます」
「もし、戻ってきた時にあんたがいなかったら……」
「そんなこと、しない。他に行くところなんて、私にはないもの」
ザフィルの言葉に被せるようにして、ファテナは強い口調で宣言する。ファテナが逃げ出すはずもないのに、未だにそれを信用していないようだ。
「どこにも行かないわ。ここで待ってる。戻ってきたあなたをちゃんと迎えるから。だから、気をつけて行ってきて。……あの、西の部族が住む山は険しいと聞くから、怪我のないように」
途中から別れを惜しむような、彼の身を案じるような発言になっている気がして、ファテナはごにょごにょと言葉尻を濁すとうつむいた。
小さく笑うザフィルの吐息が聞こえたあと、ファテナの身体は抱き上げられて寝台へと戻された。
「何か、土産を買ってきてやろう。だから、おとなしくここで待ってろ」
そう言って掛布をファテナの頭の上までかけると、ザフィルはその上から頭をがしがしと撫でて部屋を出て行った。
足音が遠ざかってから、ファテナはゆっくりと掛布から顔を出す。
「……気をつけて。行ってらっしゃい」
聞こえていないことが分かっていながら小さな声でつぶやくと、ファテナは再び掛布の中にもぐり込んだ。微かに残ったぬくもりを抱きしめるように身体を丸くして、目を閉じる。
しばらく一人で眠る夜は、とてもさみしく感じるような気がした。
いつものように抱かれたあと、ザフィルは隣に身体を横たえながらファテナの手を取る。
「……確かに、これは独占欲が満たされるな」
「え?」
「いや、こっちの話だ、何でもない」
そう言いながら、ザフィルは何度も確認するようにファテナの腕輪を撫でる。
「精霊は、あのあと来てないよな」
「そう、思いますけど」
「もし俺のいない時に精霊が来ても、絶対に相手をするなよ」
怖いくらいに真剣な顔で見つめられて、ファテナは黙ってうなずいた。本当はもう一度精霊に会ってみたいと思っていることを知られたら、何を言われるか分からない。
ただし、精霊が再びあらわれたとしても、きっとファテナはその手を取ることはないだろう。テミム族の一員として新たな道を歩み始めた村人たちを守るのがファテナの一番の役目だ。ザフィルの意に沿わないことをして、彼らの生活を脅かしてはならない。
ファテナがうなずいたのを見て、ザフィルは小さく息を吐くと顔を上げた。
「実は、明日からしばらくここに来れなくなる」
「えっ」
「ちょっと遠出をする予定で、留守にするから」
交易のため、西の方の部族のもとへ向かうという。高い山の上に暮らす部族の名は、ファテナも耳にしたことがある。ここからかなり距離があるので、最短でも往復で十日ほどかかるだろう。
「そうですか。……気をつけて」
「俺が不在の間、何かあればアディヤに言え」
気遣うような言葉の裏には、彼女がファテナをしっかりと見張っているのだという意味が込められている。
ザフィルがいようといまいと、ファテナは逃げ出すつもりはない。承諾の意を込めて黙って微笑むと、ザフィルは安心したようにうなずいて、再び腕輪に触れた。
「あんたを置いていくのは心配だが……」
「ここから出たりしないわ。精霊が心配なら、庭にも出ない。私の使命は、皆の生活を守ることだもの」
「本当に……、いつまでもあいつらを気にかけるんだな、あんたは」
呆れたようにつぶやいて、ザフィルが再びファテナの上に覆いかぶさってきた。すでに一度抱かれているのに、今夜はまだ終わらないらしい。民を守りたいというなら、身体を差し出せということだろう。
「私にできることは、それしかないもの」
そう言ってザフィルの首裏に手を回すと、腕輪から甘い香りが漂った。いつの間にかこの香りすら、心地よく思えるほどになってしまった。精霊と共に生きていた頃には、吐き気を催すほどに嫌だったのに。
早く快楽に溺れてしまいたくて、ファテナはザフィルに口づけをねだる。ゆっくりと重ねられる唇に、ファテナの身体はすぐに反応して彼を受け入れる準備を始めた。
「離れたくないな」
身体を繋げ、手を握りながらひとりごとのように、ザフィルがつぶやく。しっかりと絡められた指先から伝わるぬくもりは心地よくて、離れがたく思うのはファテナも同じだ。彼に抱かれ、ぬくもりを感じているこの時だけは、自分が役に立っているという実感がある。
それが、ただ彼の欲を受け止めるために身体を差し出しているだけだとしても。
無言で手を握り返すと、ザフィルが小さく余裕のなさそうな息を吐いた。眉を顰めたその表情は、ファテナを抱く時にだけ見せるもの。いつもより妖艶なその顔を見上げながら、ファテナもせり上がってくる絶頂の予感に息を詰めた。
翌朝、ザフィルが身体を起こす気配を感じてファテナも目を開けた。窓の外はまだ薄暗く、夜は明けきっていないようだ。
身じろぎしたのに気づいたのか、服を身につけていたザフィルが振り返って眉を上げる。
「悪い、起こしたか」
「大丈夫です」
首を振りながら身体を起こしたファテナは、思った以上に怠さを感じて微かに顔を顰めた。明け方近くまでずっと抱かれていたので、ほとんど眠っていないせいだろう。
「無理するな、寝てろ」
「でも、見送りくらいは」
ふらつきながら立ち上がるとザフィルが慌てたように手を差し伸べてくれる。そのまま腕の中に抱き込まれ、ファテナは彼の胸に身体を預けた。そうしていないと、まっすぐに立っていられない。
ザフィルは、再び腕輪に触れながらファテナの耳元に唇を寄せる。彼の吐息が耳をくすぐって、ファテナは思わず小さく肩をすくめた。
「絶対に、腕輪を外すなよ」
「分かってます」
「もし、戻ってきた時にあんたがいなかったら……」
「そんなこと、しない。他に行くところなんて、私にはないもの」
ザフィルの言葉に被せるようにして、ファテナは強い口調で宣言する。ファテナが逃げ出すはずもないのに、未だにそれを信用していないようだ。
「どこにも行かないわ。ここで待ってる。戻ってきたあなたをちゃんと迎えるから。だから、気をつけて行ってきて。……あの、西の部族が住む山は険しいと聞くから、怪我のないように」
途中から別れを惜しむような、彼の身を案じるような発言になっている気がして、ファテナはごにょごにょと言葉尻を濁すとうつむいた。
小さく笑うザフィルの吐息が聞こえたあと、ファテナの身体は抱き上げられて寝台へと戻された。
「何か、土産を買ってきてやろう。だから、おとなしくここで待ってろ」
そう言って掛布をファテナの頭の上までかけると、ザフィルはその上から頭をがしがしと撫でて部屋を出て行った。
足音が遠ざかってから、ファテナはゆっくりと掛布から顔を出す。
「……気をつけて。行ってらっしゃい」
聞こえていないことが分かっていながら小さな声でつぶやくと、ファテナは再び掛布の中にもぐり込んだ。微かに残ったぬくもりを抱きしめるように身体を丸くして、目を閉じる。
しばらく一人で眠る夜は、とてもさみしく感じるような気がした。
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