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精霊と彼女のこと 1

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 ぐったりと力尽きたように眠るファテナを抱き寄せて、ザフィルは自己嫌悪に深いため息をついた。
 優しくしようと思っているのに、つい我を忘れて激しく抱いてしまった。
 それもこれも、あの精霊のせいだ。純潔を失ってなおファテナに執着するとは、どこまで彼女のことがお気に入りなのか。
 うっとりとした表情で精霊についていこうとしたファテナを思い出すと、苛立ちと焦燥でまだ動悸が激しくなる。偶然とはいえ、ファテナのもとを訪ねていて良かった。もしあの場にザフィルがいなければ、ファテナは精霊に連れ去られていたかもしれない。
 人間とは思えないあの美貌とただならぬ気配を思い出し、ザフィルは低く唸って舌打ちをする。
 あの精霊は、ファテナを攫ってどうするつもりだったのだろう。愛し子と言っていたことや慈しむようなその言動を思い返すと、餌として欲しがっているようには見えなかった。
 精霊がわざわざ人間を欲しがる理由は分からないが、花嫁にでもするつもりなのだろうか。精霊に抱きしめられて恍惚とした表情を浮かべていたファテナを思い出し、ザフィルは背筋がぞくりとするのを感じた。あのまま精霊に取り込まれていたら、対価に命を奪われるよりも恐ろしいことになっていたのではないか。
 絶対にファテナを渡してはなるものかと、ザフィルは敷布の上に投げ出された彼女の手を握りしめた。

 家族に虐げられ、生贄のように精霊に捧げられていたのを救い出したつもりではあるが、結局のところザフィルはファテナから全てを奪った。
 純潔も、精霊を呼ぶ力も、そして家族も故郷も。
 憎まれて当然のことをしておきながら、今もなおザフィルは彼女から奪い続けている。
 民のためにと自らの身体を差し出して抵抗ひとつしないファテナは、心の中でザフィルのことをどう思っているのだろうか。
 部屋を与え、かつての暮らしより格段にいい生活をさせているが、それが償いになるはずもない。
 ファテナに殺されるのなら、それもいいとほとんど丸腰で彼女のもとを訪ねることに、側近であるエフラはいい顔をしなかったが、彼女はいつも従順に身体を開く。それどころか、自分の価値はそれしかないのだからと自ら抱いてほしいと願うほどだ。
 家族に愛されずに育ったファテナは、人のぬくもりに飢えている。抱きしめてやるといつも安心したような表情を浮かべるのは、きっとそのせいだ。
 だから、彼女にぬくもりを与えることを言い訳にして、ザフィルはいつもファテナを抱く。
 家族と決別した日、ザフィルのことを大嫌いだと言って泣きながらも縋りついてきたことや、一人にしないでと懇願するように言ったことが忘れられない。
 ファテナの孤独を埋めるのに、ザフィルは少しでも役に立っているのだろうか。
 無意識なのだろうが、いつも彼女は身体を繋げる時に手を握ってほしそうにする。しっかりと指を絡めて握ってやると嬉しそうに笑い、先日は不意打ちのその笑顔に思わず挿入直後にもかかわらず暴発してしまったのは、少し恥ずかしい記憶だ。
 艶やかな濃紺の髪は、真っ白であった時よりも遥かに彼女に似合っていると思うし、落ち着いた灰色の瞳は、吸い込まれそうなほどに美しい。ザフィルが純潔を奪ったことで取り戻した、彼女の本当の色。
 いつか、快楽に溺れていない状況で微笑みかけてもらいたい、名前を呼んでもらいたいと思うのは、傲慢すぎる願いなのか。
 それでも、少しずつ心を開いてくれていると思っていたのに、まさか実体化した精霊がやってくるとは思わなかった。
 快楽で追い詰めて、無理矢理に自分はザフィルのものであると宣言させ、精霊のもとに行かないことを約束させたが、そんなことをしてもむなしいばかりだ。
 だが、精霊にファテナを渡すわけにはいかない。精霊から彼女を守りたいという気持ちがあるし、何よりザフィルがそばにいてほしいと思ってしまうのだ。
 どんな目に遭っても、泣きじゃくっていてさえ、ファテナは心の奥までは決して折れない。民のためにと前を向くその強さが愛おしくもあり、彼女自身の幸せを求めても良いのにと歯痒くもある。
「……散々奪っておいて、何を今更、だけどな。それでも俺は」
 眠りが浅くなったのか、ファテナが小さくうめいたのでザフィルは言葉を切った。もぞもぞと寝返りを打って再び熟睡し始めた彼女の髪をそっと撫でて、ため息をつく。
 大切にしてやりたいと思うし、幸せにしてやりたいとも思う。だが、ザフィルにその資格があるのかどうかは分からない。
「どうしたら、俺を見てくれるんだろうな」
 ザフィルは握りしめた手を見つめながら、ファテナの首から下げた札に触れた。精霊の嫌う香りを染み込ませた小さな木札は念のためにと彼女に持たせていたものだが、効果はあったようだ。紐がちぎれたからと今日は身につけていなかったことで、精霊はファテナを見つけ出してしまった。
 再び常に身につけておくようにと言い聞かせて新しい紐を用意したが、どうせ身につけさせるのなら装身具にしてもいいかもしれない。
 細く華奢な手を撫で、ザフィルは彼女に何が似合うかを考える。強欲だった家族たちとは違って、ファテナは装飾品の類を一切身につけていない。虐げられていた生活の中では、装身具を手にすることもなかっただろう。
「指輪……は、さすがにないよな」
 この白く細い指を飾るなら、自分の瞳のような青い石がいい……などと思いかけて、ザフィルは首を振る。テミム族において指輪とは、将来を誓い合った相手に贈るものだ。今の状況でファテナに渡せるはずがない。
 いつか指輪を贈れたらとは思うものの、そんな未来が来るかどうかは分からない。
 身体は数えきれないほどに重ねているのに、心の距離は全く縮まっていないことに少し切なくなりつつ、まずは笑いかけてもらえるようになるところから始めようと決めて、ザフィルはファテナの身体をもう一度抱き寄せると目を閉じた。
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