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変わらず毎晩やってくるザフィルは、ファテナの体調を気遣うようにうしろから抱きしめた体勢で、お腹に手を当てて眠る。
痛みが酷い時に飲むようにと渡された丸薬と温石、そして彼のぬくもりのおかげで、いつもは憂鬱な期間を随分と楽に終えられた。
そしてファテナは今、新たな悩みに直面している。
体調も回復して再びザフィルを受け入れられる状態となったのだが、それを彼にどう伝えればいいのか分からないのだ。
すでに何度も抱いてほしいと言ったことがあるとはいえ、感情の昂りにまかせて口走ったかつてと今では全く違う。
決して抱かれるのが嫌なわけではないけれど、自分から誘うような真似をするのは恥ずかしい。アディヤに頼んで避妊のための薬も手配してもらって飲んでいる状況で、何を今更という気もするけれど。
ザフィルはきっと、ファテナの体調がまだ戻りきっていないと思っているのだろう。訪ねてきても必要以上にファテナに触れようとせず、さっさと眠ってしまう。
少し前までは毎日抱かれていたのに、今はただそばで一緒に眠るだけ。ぬくもりは確かに心地いいけれど、それだけでは物足りないと思ってしまう自分はすっかり快楽の虜なのだなと少し情けなくなりながら、ここ数日ファテナは妙に悶々とする夜を過ごしている。
「……あの」
「どうした? 早く寝るぞ」
今日こそはと思ってみても、ファテナの心の内など知るはずもないザフィルは、ふぁと大きな欠伸をして寝台の上から手招きする。
どうすればいいか分からなくて、結局ファテナは黙って彼の隣に横になった。うしろからすっぽりと抱きしめられる定位置に収まって、お腹に当てられた手にそっと自分の手を重ねると、ファテナは小さくため息をついて目を閉じた。
そんな日々を過ごしているせいか、あまり眠れていないファテナは朝になってもぼんやりと覇気なく過ごしている。集中力が続かなくて読む気の失せてしまった本をぱたんと閉じて、ファテナは伸びをした。
アディヤは、刺繍に使う珍しい糸が手に入りそうだからと行商人に会いに行っていて不在だ。自力ではファテナがここから出られないことを知っているからか、捕虜という立場なのにつきっきりで見張られることもいつの間にかなくなった。
気分転換に庭にでも出てみようと立ち上がった時、ぽとりと足元に何かが落ちた。
身につけておくようにと渡された札が、床に落ちている。首から下げるのに使っていた革紐が、切れてしまったようだ。
針と糸で縫い合わせようかと思うもののなんだか気乗りしなくて、ファテナは机の上に札を置くと庭に出た。
綺麗に咲き誇る花を見つめながら、今夜こそはザフィルにもう体調に問題ないことを伝えなければと考える。
「……別に、したいわけじゃない……けど。でも、私の役目はそれくらいしかないんだもの」
誰に聞かせるでもなく、言い訳じみたことをつぶやきながら、ファテナはため息をついた。
その時、ぶわりと強い風が吹いて、ファテナは風になぶられた髪を押さえた。同時に誰かに名前を呼ばれたような気がして、きょろきょろとあたりを見回す。ファテナの名前を呼ぶ相手なんてザフィルかアディヤしかいないが、聞こえた声はそのどちらでもない。
不思議に思いながら声の主を探していると、花壇の向こうに人影が見えた。ザフィルでもアディヤでもないその姿形に、ファテナは警戒して息を詰める。
「ようやく見つけた、ファテナ」
ゆっくりと近づいてくるその姿を見て、ファテナは思わず声をあげそうになって口元を押さえた。
腰ほどまでもある白い髪に、青白くも見える肌。切れ長の瞳は吸い込まれそうなくらいに透き通った水色をしていて、これまでに見たことがないほどに美しい顔立ちをした人だ。額には瞳と同じ色をした宝石のようなものが輝いていて、陽の光を浴びてきらきらと輝いている。
見慣れない白い衣服を纏うすらりとした背の高い細身の身体に凹凸はなく、男性のようにも女性のようにも見える。呼びかけられた声も、どこか中性的な響きをしていた。
目の前のその人が何故自分の名前を知っているのかという疑問を抱くまでもなく、ファテナはこの美しい人が精霊であることを直観的に悟っていた。
まわりの空気すら浄化してしまいそうな静謐なその雰囲気と、微かに身体が透けて向こうの景色が見えていることも、ファテナの予想を裏づける。
「どうして……」
掠れた声でつぶやいたファテナを見て、その人はにっこりと笑った。その瞬間、ファテナは全てを許されたような気がした。無意識のうちに涙がこぼれ落ち、いくつも顎を伝って落ちる。
「泣かないで、ファテナ。我が愛し子」
ひんやりとした指が涙を拭い、そのまま腕の中に引き寄せられる。まるで泉の中に潜った時のような心地よさに包まれて、ファテナはうっとりと目を閉じた。
痛みが酷い時に飲むようにと渡された丸薬と温石、そして彼のぬくもりのおかげで、いつもは憂鬱な期間を随分と楽に終えられた。
そしてファテナは今、新たな悩みに直面している。
体調も回復して再びザフィルを受け入れられる状態となったのだが、それを彼にどう伝えればいいのか分からないのだ。
すでに何度も抱いてほしいと言ったことがあるとはいえ、感情の昂りにまかせて口走ったかつてと今では全く違う。
決して抱かれるのが嫌なわけではないけれど、自分から誘うような真似をするのは恥ずかしい。アディヤに頼んで避妊のための薬も手配してもらって飲んでいる状況で、何を今更という気もするけれど。
ザフィルはきっと、ファテナの体調がまだ戻りきっていないと思っているのだろう。訪ねてきても必要以上にファテナに触れようとせず、さっさと眠ってしまう。
少し前までは毎日抱かれていたのに、今はただそばで一緒に眠るだけ。ぬくもりは確かに心地いいけれど、それだけでは物足りないと思ってしまう自分はすっかり快楽の虜なのだなと少し情けなくなりながら、ここ数日ファテナは妙に悶々とする夜を過ごしている。
「……あの」
「どうした? 早く寝るぞ」
今日こそはと思ってみても、ファテナの心の内など知るはずもないザフィルは、ふぁと大きな欠伸をして寝台の上から手招きする。
どうすればいいか分からなくて、結局ファテナは黙って彼の隣に横になった。うしろからすっぽりと抱きしめられる定位置に収まって、お腹に当てられた手にそっと自分の手を重ねると、ファテナは小さくため息をついて目を閉じた。
そんな日々を過ごしているせいか、あまり眠れていないファテナは朝になってもぼんやりと覇気なく過ごしている。集中力が続かなくて読む気の失せてしまった本をぱたんと閉じて、ファテナは伸びをした。
アディヤは、刺繍に使う珍しい糸が手に入りそうだからと行商人に会いに行っていて不在だ。自力ではファテナがここから出られないことを知っているからか、捕虜という立場なのにつきっきりで見張られることもいつの間にかなくなった。
気分転換に庭にでも出てみようと立ち上がった時、ぽとりと足元に何かが落ちた。
身につけておくようにと渡された札が、床に落ちている。首から下げるのに使っていた革紐が、切れてしまったようだ。
針と糸で縫い合わせようかと思うもののなんだか気乗りしなくて、ファテナは机の上に札を置くと庭に出た。
綺麗に咲き誇る花を見つめながら、今夜こそはザフィルにもう体調に問題ないことを伝えなければと考える。
「……別に、したいわけじゃない……けど。でも、私の役目はそれくらいしかないんだもの」
誰に聞かせるでもなく、言い訳じみたことをつぶやきながら、ファテナはため息をついた。
その時、ぶわりと強い風が吹いて、ファテナは風になぶられた髪を押さえた。同時に誰かに名前を呼ばれたような気がして、きょろきょろとあたりを見回す。ファテナの名前を呼ぶ相手なんてザフィルかアディヤしかいないが、聞こえた声はそのどちらでもない。
不思議に思いながら声の主を探していると、花壇の向こうに人影が見えた。ザフィルでもアディヤでもないその姿形に、ファテナは警戒して息を詰める。
「ようやく見つけた、ファテナ」
ゆっくりと近づいてくるその姿を見て、ファテナは思わず声をあげそうになって口元を押さえた。
腰ほどまでもある白い髪に、青白くも見える肌。切れ長の瞳は吸い込まれそうなくらいに透き通った水色をしていて、これまでに見たことがないほどに美しい顔立ちをした人だ。額には瞳と同じ色をした宝石のようなものが輝いていて、陽の光を浴びてきらきらと輝いている。
見慣れない白い衣服を纏うすらりとした背の高い細身の身体に凹凸はなく、男性のようにも女性のようにも見える。呼びかけられた声も、どこか中性的な響きをしていた。
目の前のその人が何故自分の名前を知っているのかという疑問を抱くまでもなく、ファテナはこの美しい人が精霊であることを直観的に悟っていた。
まわりの空気すら浄化してしまいそうな静謐なその雰囲気と、微かに身体が透けて向こうの景色が見えていることも、ファテナの予想を裏づける。
「どうして……」
掠れた声でつぶやいたファテナを見て、その人はにっこりと笑った。その瞬間、ファテナは全てを許されたような気がした。無意識のうちに涙がこぼれ落ち、いくつも顎を伝って落ちる。
「泣かないで、ファテナ。我が愛し子」
ひんやりとした指が涙を拭い、そのまま腕の中に引き寄せられる。まるで泉の中に潜った時のような心地よさに包まれて、ファテナはうっとりと目を閉じた。
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