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家族 1

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 与えられた部屋で過ごすようになって、五日あまり。相変わらずザフィルは毎晩訪ねてくるものの、ファテナに触れようとはしない。ファテナは寝台で、ザフィルは床で眠る日々が続いている。
 そして、少しずつ精霊のいない日々にも慣れてきた。そのことを悲しく思う気持ちはあるけれど、どれほど耳を澄ましても精霊の声は聞こえないし、何度呼びかけても祈ってもファテナの声に精霊が応えてくれることはない。
 身の回りの世話をしてくれるアディヤにそれとなく聞いてみたところ、テミム族は精霊に祈る習慣もなければ精霊に力を借りることも滅多にないようだ。そんなテミム族に、ウトリド族の者がうまく馴染めているのかどうか、それがファテナの最近の気がかりだ。

 昼食を終えた頃、突然ザフィルがやってきた。いつもは夜更けに顔を出す彼がこんな時間に来るのは、初めてだ。
 出迎えのために慌てて立ち上がろうとしたファテナにそのまま座っているよう言うと、ザフィルはアディヤに何事かを耳打ちした。心得たようにうなずいた彼女が持ってきたのは、濃い色のベールだった。それを頭からかぶるように言われ、ファテナは戸惑って目を瞬く。
「今から、あんたの家族に会いに行く。表向きにはあんたは死んだことになってるからな、髪色が変わっているから気づかれないとは思うが、なるべく顔は隠しておきたい」
 死んだはずのファテナが生きていることも、精霊に見限られたことも内密にしておきたいのだろう。少し見慣れてきた紺の髪に触れたあと、ファテナはそれを隠すようにベールをかぶった。
 自分のことで精いっぱいで考えが及ばなかったが、別の場所に捕らえられているという家族はどうしているのだろう。
 テミム族は捕虜にも最低限度の生活は保障するとザフィルが言っていたから、酷い扱いを受けていないといいが。
 家族はファテナを今の姿を見たら、どう言うだろうか。酷く叱責されるような気がして、ファテナはぐっと苦しくなった胸を押さえた。
 
 逃げ出すことを危惧しているのか、ザフィルに手首を掴まれた状態でファテナは部屋を出た。ファテナの存在を隠すと言った彼の言葉通り、この部屋は外からは分かりにくい場所にあるという。ザフィルの部屋にはここに通じる隠し扉があり、彼は毎晩そこから訪ねてきているらしい。
人目を避けるようにしながら歩くザフィルのうしろを、ファテナは黙ってついていく。痛くはないものの、手首は大きな手にしっかりと握られている。ウトリドの民を人質に取られたような状況でファテナが逃げるわけもないのだが、彼は随分と用心深い性格のようだ。
 初めて目にしたテミム族の集落は、広く建物も畑も大きく立派だ。これだけ豊かなのに更に勢力を拡大しようと考えるなんて、近隣の部族の統一を目指しているのだろうか。その割にザフィルはほとんど装身具を身につけず、着ているものもあまり派手ではない。ウトリド族ではきらびやかに着飾って富を誇示するのが権力の証とされていたので、あまり着飾る様子のないザフィルの姿はファテナにとって不思議なものとして映る。
 それでも、太陽の光に溶けるような金の髪や真っ青な空のような瞳の色は、妹が身につけていた指輪のきらめきよりも綺麗かもしれない。
 自分から全てを奪った憎むべき相手なのに、どうしてもその容姿に目を惹かれることにファテナは複雑な思いでうつむいた。きっと彼の容姿が珍しいから、何度も確認するように見つめたくなるのだ。
 人目を避けるように薄暗い道を選んで進んでいたザフィルが、ふと足を止めるとファテナを振り返った。何事かと首をかしげたファテナの目の前で、彼はすっと前方を指さした。
「元ウトリドの民は、あのあたりにまとまって暮らしている」
 そこには、立ち並ぶ住居と畑仕事に精を出す人々の姿があった。少し距離はあるが、その顔ぶれに見覚えがある。確かにウトリド族の者たちだ。いつだったかファテナにシュクリの実をくれた少女の姿を見つけ、元気そうなその姿に思わずファテナは顔をほころばせた。
 穏やかな彼らの表情を見れば、酷い扱いを受けているわけではないことが分かる。ファテナは、安堵のため息をついた。
「念のために監視はつけてるが、特に混乱なくテミム族の生活に馴染んでる」
「そうですか……、良かったです」
「精霊の力なんて借りなくても、こうやって生活していくことは充分可能だ」
 精霊の力を借りてきたことを否定するようにつぶやくと、ザフィルは再び歩き出した。ファテナがいなくても彼らは何も困っていないのだと見せつけたかったのだろう。精霊に祈り続けた今までの自分の人生は、何だったのだろう。
 自然と足取りが重くなったが、ザフィルは何も言わずにファテナの腕を引いた。

 やがて古びた建物の前でザフィルは足を止めた。彼の表情を見て、この先に家族がいるのだとファテナも直感する。
「地下牢に、あんたの家族はいる。……あんたには、辛い思いをさせるかもしれないが」
 少し躊躇うような表情を見せたあと、ザフィルは階段を下りるよう促した。
 やはり家族は酷い扱いを受けているのだろうか。自分と同じように、若いディアドも誰かに乱暴されたかもしれないと思い至って、ファテナは一気に青ざめる。
 地下に続く階段に近づくと、薄暗い奥から何やら悪態をつく声が聞こえてきた。何を言っているのかは壁に反響して分からないが、それは父親の声に違いなかった。
「相変わらず元気だな」
 呆れたような声でつぶやくザフィルと共に冷たい石造りの階段を下りていくと、だんだん言葉がはっきりと聞き取れるようになってくる。
「――だから、ファテナはどこにやったんだと聞いている。精霊に愛された巫女姫だぞ、傷つけたらどんな報復があるかも分からんのだ、早くここへ連れてこい」
 しきりにファテナに会わせろと訴える父親の声を聞き、ザフィルが嘲るように小さく鼻で笑った。同時にファテナの手首を掴む手が強くなる。そのままぐいっと腕を引かれ、牢の前に押し出された。
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