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1 クラリスの悩みごと

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「ため息をつくと、幸せが逃げるわよ」
 呆れたような口調で指摘されて、クラリスは慌てて姿勢を正した。
「……っ申し訳ありません」
「別に構わないけど、このところ、ずっとそんな様子じゃない。悩みがあるなら、相談に乗るわよ」
 クラリスの主人である、王女のアンジェリカは唇に指を当てて首をかしげた。長い栗色の髪を優雅に巻いた彼女は、美しく堂々としていて、まるで女王様のようだ。いずれこの国の頂点に立つ人なのだから、間違ってはいないのだけど。

「いえ、個人的なことですから」
 首を振るクラリスに、アンジェリカは小さく身を乗り出した。
「隠さなくてもいいのよ。ご両親から、結婚の話を出されているのでしょう」
「どうしてそれを……っ」
 驚きに目を見張るクラリスを見て、アンジェリカはくすりと笑った。
「あなたのお父様から連絡があったのよ。3ヶ月後までに相手が見つからないなら、あのディーテ家に嫁ぐことになるんですって?」
 悩みの内容を正確に指摘されて、クラリスはうなだれる。

 王女付きの侍女として働くようになって3年。そろそろ適齢期となったクラリスに、両親は早く結婚するようにと口うるさい。跡継ぎの弟の結婚を来年に控えており、その前に姉のクラリスを嫁がせたいのだ。
 世間体を気にする両親は、姉より先に弟が結婚することを良しとしない。
 かといって、相手が誰でも許されるわけでもない。両親の認める家柄の男でなければならない。
 現在恋人もいないクラリスは、結婚なんてまだまだ考えられないのだが、両親はそれを許してくれない。
 3ヶ月後までに両親が認める相手を連れて来なかったら、父親の知り合いであるディーテ家に嫁がせると宣言されたのだ。

 ディーテ家は、海運業で最近勢いのある家だ。でも、クラリスの相手になるであろう当主の息子は、40をとうに過ぎた男で、クラリスとは、ほぼ二倍の年の差だ。当主に甘やかされて育ったせいか、部屋からほとんど出ない引きこもりの男だという。そんな男に娘を嫁がせようとする両親が信じられないが、クラリスの実家の事業を考えれば、ディーテ家との繋がりを得たいと考えるのも分かる。
 だけど、クラリスはどうしてもそれを受け入れられない。家のために好きでもない男のもとに嫁ぐなんて、と思ってしまう。政略結婚なんてものが、自分の身に降りかかるなんて、考えてもみなかった。
 それに、クラリスには好きな人がいる。

 クラリスはそっと、扉の前に姿勢よく立つ男を見た。
 アンジェリカ王女を護衛する、近衛騎士のネイトのことを、クラリスはずっと密かに想っていた。
 青みがかった黒髪の短髪に、黒い瞳を持ち、騎士らしく引き締まった身体を持つネイト。
 仕事中は冷たい無表情だが、勤務時間外には優しい笑みを浮かべることをクラリスは知っている。
 だけど、時折業務上の言葉を交わすのが精一杯で、特に親しいわけではない。この想いを告げたとして、受け入れてもらえることはないだろう。
 あと3ヶ月で、両親が納得する相手を見つけられるあてもない。数ヶ月後の未来を想像すると、クラリスはため息ばかりついてしまうのだ。


「クラリスは可愛いんだから、すぐにお相手は見つかりそうなのにねぇ」
 優雅にお茶を飲みながら、アンジェリカがクラリスを見る。
 仕事中は纏めているけれど、緩やかに波打つ金の髪に、若葉色の瞳はクラリスも気に入っている。アンジェリカのような華やかさはないけれど、美人の母親似と言われるこの顔は、悪くはないと思う。
 だけど、肝心な想い人に可愛いと思ってもらえないなら、何の意味もない。

「あら、そうだわ。ネイト、あなた恋人はいないわよね。クラリスのこと、どう思って?」
「アンジェリカ様!?」
 突然アンジェリカがそんなことを言い出すので、クラリスは思わず大きな声をあげてしまう。

「自分は――」
 だけどネイトが口を開いたので、クラリスは黙って次の言葉を待つ。密かに想いを寄せるネイトが、クラリスのことをどう思っているのかは、確かに気になる。

「クラリス嬢は、とても可愛らしい方だと思います。仕事に対しては真面目で、そんなところも好ましいと思います」
 真面目な表情でそう言うネイト。褒めてくれているけれど、当たり障りのないその答えは、誰に対しても当てはまるもの。
「あ、ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げながら、クラリスの心は少しだけ沈んでしまう。ネイトが、クラリスのことを何とも思っていないことを改めて自覚してしまうから。

「3ヶ月以内に相手を見つけようと思ったら、あれよ。合コンしかないわね」
「合コン、ですか」
 王女の口から出たとは思えない言葉に、クラリスは目を瞬く。
「ネイト、騎士仲間に声をかけて合コンを開催できないかしら。クラリスに、早く相手を見つけてあげないとならないでしょう。ディーテ家は遠いから、もし結婚となったら、クラリスは辞めてしまうわ。それは困るもの」
 アンジェリカは楽しそうに扉の前のネイトを振り返る。クラリスのことを心配してくれているのは分かるのだけど、ネイトを巻き込むのは勘弁して欲しい。

「――いえ、自分はそういった場は不慣れでして。クラリス嬢にご紹介できるような知人のあてもありませんし」
 ネイトの返答に、クラリスは肩の力を抜いた。好きな人に誰かを紹介されるなんて、悲しすぎる展開は、どうやら回避できそうだ。
 アンジェリカはつまらなさそうにため息をつくと、優雅な仕草で椅子の背にもたれかかる。

「あら、そう。なら仕方ないわねぇ。クラリスが恋人を募集していると知ったら、手を挙げる男は多そうだけど。いっそ城内に釣書でも配ってみる?」
「いえ、そこまでは……」
「冗談よ。でも困ったわねぇ。誰かいい人が見つかるといいんだけど」
 頬に手を当てて、アンジェリカはため息をついた。
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