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六章・愛してしまったので離婚してください
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玲司の車に乗り込みサイドミラーに小さく映る林田を見たくなくてぎゅっと目を閉じた。ゆっくりと動きだす車の振動を身体で感じながら身体を小さく丸めた。
無言の車内。先に沈黙を破ったのは玲司だった。
「穂乃果、僕は一人で出歩くなと言ってあったよね?」
穏やかな話し方だが声のトーンが低く確実に怒っていると分かるくらい言葉に棘がある。
「ご、ごめんなさい……」
車はすうっと道路の端に止まりハザードランプがカチカチと音を鳴らして光だす。田舎道で車通りは少なく、人も歩いていない。
「なにも、されてない?」
少しか細くなった玲司の声に穂乃果は顔を上げる。
「はい。腕を握られたくらいで玲司さんが来てくれたから……」
「腕を握られたくらいなんかじゃない。僕は穂乃果の指一本にさえ触れてほしくないのに。守りきれなくてごめん、怖い思いをさせてしまってごめん」
玲司はシートベルトをしているにもかかわらず身体をひねり助手席にいる穂乃果をぐっと抱き寄せた。
「玲司さんっ……こわ、かったっ……ううっ……」
ずっと我慢していた涙が瞳から溢れ出す。ぼろぼろ涙を流して、わんわん子供のように泣き叫んだ。手を握られただけなのに、怖かった、嫌だった、気持ち悪かった。
泣きすぎて声が枯れた。多分林田のことだけじゃない、工場のことだって、沢山の事が重なって溢れ出してしまったんだと思う。わんわん泣く穂乃果を玲司はなにも言わずにだただた強く抱きしめてくれていた。玲司の腕の中はどうしてこんなにも安心できるのだろう。安心しているからこそ、穂乃果は玲司に何度も涙を見せてしまっているのだ。心がやすらいでくる。玲司の腕の中は穂乃果をたくさん安心させ、泣いてもいいよ、と今まで甘えを知らなかった穂乃果を甘やかしてくれるのだ。
「すいません、泣いちゃて。もう大丈夫です」
玲司は真っ直ぐにじぃっと穂乃果をいつものように見つめて本当に大丈夫なのか、と瞳で聞いてくる。穂乃果はコクリと頷いた。
「ん、じゃあ帰ろうか」
「はい……」
変わりゆく景色を車の窓からぼーっと見ながら考えた。自分はいつも憎いと思っていたはずの男にずっと守られていたなんて。
工場の契約を切られ、畳み掛けるように工場は倒産。八つ当たりなのは分かっていても玲司が憎くて、悔しくて、でも桃果を守るために、お金の為に結婚した。近くにいれば玲司の弱みを握れて同じようにいつか地獄を見せられるかも、なんてことも考えていた。
なのに、自分の知らないところで玲司は動き守ってくれているなんて。何故工場のことも林田のことも教えてくれなかったのかは分からない。けれど西片が言っていたようにそれは玲司の優しさなのかもしれないと思えてきた。
その証拠に玲司はいつも穂乃果に優しかった。両親を亡くした穂乃果に沢山気遣ってくれ、熱を出した時は看病してくれ、桃果のことも家族として大切にしてくれている。少し強引なところもあるけれど、それも全て自分のためだったのではないかと思えてきた。
他の男に腕を握られただけで気持ち悪かったのに玲司に抱き締められると穏やかな波のように心が穏やかになり、寒い日に買う温かい飲み物のように、優しい温かさに心がぽうっと温かくなる。安心感を与えてくれ、安心して身体を預けることができるのだ。
現に父が亡くなって穂乃果は一人の夜はなかなか寝付けなかった。それが今は、玲司の一緒に眠るようになってからぐっすりと安心して眠れている。身体を玲司に預けることが増すにつれて抵抗がなくなってしまっていた自分がいた。こんな気持は初めてだ。
多分、いや、きっと自分は玲司に特別な想いを抱いてしまったのかもしれない。
――好き。
好き、いや、愛してるという特別な感情を。
それなのに自分はこんなにも優しい人を憎み、弱みを握って地獄に落としたいなんて考えていたなんて……玲司の優しさを知り、罪悪感で胸がぎゅっと締め付けられる。最初はただお金をだしてもらえるなら、それで桃果が助かるならいいと思っていた。でも、もうこんなに優しくていい人からお金だけだしてもらうなんて、迷惑をかけることは出来ない。愛してしまったからこそ、もう出来ない。
玲司には幸せになって欲しい。こんなに迷惑をかけるような女とではなく。だから、玲司と離婚しよう。
無言の車内。先に沈黙を破ったのは玲司だった。
「穂乃果、僕は一人で出歩くなと言ってあったよね?」
穏やかな話し方だが声のトーンが低く確実に怒っていると分かるくらい言葉に棘がある。
「ご、ごめんなさい……」
車はすうっと道路の端に止まりハザードランプがカチカチと音を鳴らして光だす。田舎道で車通りは少なく、人も歩いていない。
「なにも、されてない?」
少しか細くなった玲司の声に穂乃果は顔を上げる。
「はい。腕を握られたくらいで玲司さんが来てくれたから……」
「腕を握られたくらいなんかじゃない。僕は穂乃果の指一本にさえ触れてほしくないのに。守りきれなくてごめん、怖い思いをさせてしまってごめん」
玲司はシートベルトをしているにもかかわらず身体をひねり助手席にいる穂乃果をぐっと抱き寄せた。
「玲司さんっ……こわ、かったっ……ううっ……」
ずっと我慢していた涙が瞳から溢れ出す。ぼろぼろ涙を流して、わんわん子供のように泣き叫んだ。手を握られただけなのに、怖かった、嫌だった、気持ち悪かった。
泣きすぎて声が枯れた。多分林田のことだけじゃない、工場のことだって、沢山の事が重なって溢れ出してしまったんだと思う。わんわん泣く穂乃果を玲司はなにも言わずにだただた強く抱きしめてくれていた。玲司の腕の中はどうしてこんなにも安心できるのだろう。安心しているからこそ、穂乃果は玲司に何度も涙を見せてしまっているのだ。心がやすらいでくる。玲司の腕の中は穂乃果をたくさん安心させ、泣いてもいいよ、と今まで甘えを知らなかった穂乃果を甘やかしてくれるのだ。
「すいません、泣いちゃて。もう大丈夫です」
玲司は真っ直ぐにじぃっと穂乃果をいつものように見つめて本当に大丈夫なのか、と瞳で聞いてくる。穂乃果はコクリと頷いた。
「ん、じゃあ帰ろうか」
「はい……」
変わりゆく景色を車の窓からぼーっと見ながら考えた。自分はいつも憎いと思っていたはずの男にずっと守られていたなんて。
工場の契約を切られ、畳み掛けるように工場は倒産。八つ当たりなのは分かっていても玲司が憎くて、悔しくて、でも桃果を守るために、お金の為に結婚した。近くにいれば玲司の弱みを握れて同じようにいつか地獄を見せられるかも、なんてことも考えていた。
なのに、自分の知らないところで玲司は動き守ってくれているなんて。何故工場のことも林田のことも教えてくれなかったのかは分からない。けれど西片が言っていたようにそれは玲司の優しさなのかもしれないと思えてきた。
その証拠に玲司はいつも穂乃果に優しかった。両親を亡くした穂乃果に沢山気遣ってくれ、熱を出した時は看病してくれ、桃果のことも家族として大切にしてくれている。少し強引なところもあるけれど、それも全て自分のためだったのではないかと思えてきた。
他の男に腕を握られただけで気持ち悪かったのに玲司に抱き締められると穏やかな波のように心が穏やかになり、寒い日に買う温かい飲み物のように、優しい温かさに心がぽうっと温かくなる。安心感を与えてくれ、安心して身体を預けることができるのだ。
現に父が亡くなって穂乃果は一人の夜はなかなか寝付けなかった。それが今は、玲司の一緒に眠るようになってからぐっすりと安心して眠れている。身体を玲司に預けることが増すにつれて抵抗がなくなってしまっていた自分がいた。こんな気持は初めてだ。
多分、いや、きっと自分は玲司に特別な想いを抱いてしまったのかもしれない。
――好き。
好き、いや、愛してるという特別な感情を。
それなのに自分はこんなにも優しい人を憎み、弱みを握って地獄に落としたいなんて考えていたなんて……玲司の優しさを知り、罪悪感で胸がぎゅっと締め付けられる。最初はただお金をだしてもらえるなら、それで桃果が助かるならいいと思っていた。でも、もうこんなに優しくていい人からお金だけだしてもらうなんて、迷惑をかけることは出来ない。愛してしまったからこそ、もう出来ない。
玲司には幸せになって欲しい。こんなに迷惑をかけるような女とではなく。だから、玲司と離婚しよう。
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