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第三章、更に甘い唇にたくさんのキス

9、何も知らなかった

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 頭が痛い。ズキズキするこめかみを押さえながら突然の事実をひとつひとつたたむようにして頭の中で整理する。


「……何も知らなかった」


 知りたかったが父親はなにも教えてくれなかった。それは母親に暴力を振るっていたことを知られたくなかったからなのだうか。なにも知らずに五歳の俺は母親に捨てられたとばっかり思って絶望していた。もう考えたくなくて、事実を知ろうとするのを止めたのは自分だ。もし、もっと自分がもがいていれば何かが違ったのだろうか。母親がDVに苦しんでいる事を知っていれば五歳の自分でもなにか出来ただろうか。悠夜もこんな風に人を憎しむことはなかったのだろうか。日和がこんな目に遭わなくてもすんだのだろうか。
 ――だったのだろうか、が頭の中をぐるぐると巡る。


「だろうね。なんにも知らないで金にも困らず裕福に暮らしてきたんだろう? 女だって淫魔だから好きなだけセックスし放題だもんね。日和さんのことだってどうせ精気目当てなんでしょう? 可愛そうな日和さん」


 酷い言葉を日和に投げつけた。悠夜は日和の身体だけではなく心まで傷つけようとする。
 洸夜は悠夜を力強く押し飛ばし、悠夜はドサッと尻餅をついた。日和の元へ駆け戻るといつも強気で力強い日和の瞳が悲しげで弱々しく洸夜を見つめてくる。


「そうなの……?」


 そんな顔をさせたくなかったのに……他の女なんてだたのその辺の道端に転がっている石ころ。日和だけが強く光り輝く宝石だ。洸夜は強く、強く抱きしめた。


「確かに俺は淫魔だけど日和しか抱いてない、日和、あんな奴の言うことはもう気にするな。俺の部屋に行こう」


 小さな身体を抱き上げた。手首には強く握りしめられた後が赤黒く残っている。声にならない怒りを抑え込み、今はとにかく日和を安心させてやることが第一だ。
 自分の事はどうでもいい。


「なに? 逃げるの? やっぱり弱虫なんだなぁ」


 クスクス洸夜を馬鹿にする笑い声。腹が立つ。弱虫なんてこと自分が一番よく分かってる。そう怒鳴りたくなった。でもギリっと奥歯を噛み締めて我慢する。


「ねぇ、私はもう大丈夫だから……悠夜さんとお母さんのことちゃんとハッキリさせたほうがいいんじゃない? 本当はアンタだって気になってるんでしょう?」


 洸夜の腕の中で日和は切なげに顔を覗き込んできた。日和は自分の心配よりも洸夜の事を考えてくれている。


「大丈夫なわけないだろう!」


 まだ少し震えている身体。これのどこが大丈夫なんだ。


「本当に大丈夫だから、私は悠夜さんが言ったこと全く気にしてないわよ。だって、アンタは私が好きなんでしょう?」


 ジッと洸夜を見つめる日和の瞳は洸夜を信じていると強く現れている気がする。


「日和……」


 そっと日和を下ろした。日和の目には力強さが戻っている。自分の惚れた女はどうしてこんなに芯のある力強い女なんだ……自分よりも他人を心配してくれる優しさ。こんな場面なのに愛おしさが湧き上がってくる。


「なーにイチャイチャしてんの? ムカつくよ?」
「悠夜……だっけ? 俺は何も知らなかった、何も知らない俺に本当のことを教えてくれないか?」


 日和を自分の後ろに隠し、しっかりと腰を抱き寄せる。自分から少しも離さないように。離れないように。


「……気安く名前で呼ぶなよ」
「でもそれがお前の名前なんだろ?」


 洸夜と悠夜、似たようなニュアンスだ。母親がそう名付けてくれたのだろうか。正直もう顔も思い出せないくらい洸夜の記憶から母親は薄れてしまっているけれど、捨てられてと言う事実だけはずっと心の中に留まり、絡まっていた。
 それが今、少し解けようとしているのだろうか。怒りで震え、事実を知る不安で震え、日和のされた事を考えると震える。怖かっただろうに、それなのに日和はギュッと色んな感情で震える洸夜の身体をしっかりと繋ぎ止めてくれていた。


「悠夜、教えてくれないか?」


 何度も深いため息をついては苛つき髪をぐしゃぐしゃにする悠夜。「あぁ、うざいな!」と吐き出すと憎しみが篭った黒い瞳で睨みつけてきた。刃物のような鋭い目つき。胸をひとつきで刺されそうだ。


「母さんは死ぬ時までずっとお前のことを気にしてたよ。ごめんね、ごめんねってお前の名前を呼びながら死んだんだ! ずっと一緒に二人で生きてきた僕じゃなくてお前の名前をな! 母さんはずっとお前の小さい頃の写真を手帳に挟んでたよ、お前の誕生日には金がないくせにケーキを買って僕と二人で食べてさ、悠夜には本当はお兄ちゃんがいたんだよって、優しい顔で言うんだよ、優しくて泣きそうな顔で。死ぬ最後の最後まで大切にされていた兄貴ってどんな奴なんだろうって気になって調べたら、うちとは違って裕福で何も不便がなさそうで、おまけに社長で女つき。そんなにたくさんのものを持ってるんだから一つくらい僕が貰ったっていいだろう! 僕は一人になっちまったのにお前はなんでもあるんだ。女の一人くらい貰ったっていいだろ!」


 悠夜の瞳からは透明の雫が溢れ、まるで小さな子どものように鼻を赤くしている。


(悠夜はもしかしてずっと母親が死んで一人になって寂しかったんじゃないのか……?) 


 洸夜は母親に捨てられ絶望してたがすぐに日和という心の拠り所の女の子に出会えた。もし、日和に出会えていなかったら洸夜はずっと母親の事を思い、悲しみ、もしかしたら自分を捨てた事に憎んでいたかもしれない。日和がいたから洸夜は母親への想いは薄れ、今までどんなに辛いことがあっても乗り越えられた。
 けれど悠夜は?
 二人だけの家族、自分のように大切な人と出会っていない悠夜は今一人ぼっちだ。頼る人もいなかったのだろう。けれどそれとこれは別。日和だけは渡せない。
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