エリート建築士は傷心した彼女を愛し抜きたい

森本イチカ

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 蒼司に抱き上げられたままホテルの一室に入った。バタンと勢いよく扉が閉まり、蒼司は乱雑に革靴を脱ぎ捨てる。
「あ、あのっ、宇賀谷様降ろして下さいっ」
 菜那の声が届いていたのか、いないのか。蒼司は菜那をベッドに背をつけて降ろした。
「えっ……ちょっと……」
 真っ白なふかふかのベッドに降ろされた菜那は困惑を隠せない。ギシリとベッドを軋ませ、蒼司は菜那に膝を立てて覆い被さった。
「っ……!」
 この状況って……。
 付き合っていた彼氏が浮気していた事を気が付かないような自分でも流石に分かる。菜那を見下ろす蒼司の瞳は完全に雄の目だ。どこをどうして蒼司のスイッチが入ったのかは全く分からないが、彼はもしかしたら自分のことを女として見ているのだろうか。
「っ……」
 囚われてしまいそうな鋭い瞳の奥には炎が揺らついているように見える。大きくて温かな手が菜那の頬を包みこんだ。
「好きです」
 低くて良く響く声。
 え……?
 驚きすぎるとなんの反応もとれないようだ。蕩けてしまいそうな蒼司の声が頭に響く。ぼーっとしてしまい、ただただ蒼司を見つめ返すことしかできない。
「菜那さんの事が好きで好きで堪らないんです。今日だって、ドレス姿はとても綺麗なのに誰にも見せたくないなんて思ってしまったし。なにより、芝居と分かっていても貴女の一言一言が本当に嬉しくて、本当はもっとロマンチックに告白しようと思っていたんですけど、もう我慢できなかった。菜那さんが好きだ」
 そっと蒼司の親指が動き、小さく開いた下唇に軽く触れた。顔を逸らせばいいだけなのに、金縛りにあったかのように動くことが出来ない。
 宇賀谷様が私の事を好き……? そんなこと……こんな何のとりえもない私を? なんで?
「俺、結構分かりやすくアピールしてたつもりだったんですけど、本当に気が付きませんでしたか?」
「えっと……」
 唇を動かそうとすると蒼司の指に上唇も触れてしまう。まるで自分から蒼司の指を食べてしまいそうで恥ずかしい。菜那はほんの少しだけ頭を動かして頷いた。
「やっぱり全然気づいてなかったんですね。この可愛くて柔らかな唇にキスまでしたのに……」
 下唇に触れていた親指に少し力が入り、ふにゅっと押された。
 あぁ、そういうことだったんだ……。
 あの時のキスを鮮明に思い出せる。傷を埋めてくれるような優しいキス。ただ、泣いている自分を慰めるために割り切ってしてくれた大人のキスだと思っていた。
 そっと蒼司が身体を倒し、胸元が触れるギリギリのところで菜那に覆いかぶさった。
「俺は菜那さんを恋人のふりにて終わらせる気はさらさらありませんでしたよ」
 蒼司との距離はあと数センチ。そして菜那の耳元で囁いた。
「俺を菜那さんの恋人にしてくれませんか?」
 脳を擽るような低くて甘い声に背筋がゾクゾクっと震えた。
「私が、宇賀谷様の恋人……」
 ようやく菜那が発した声はすぐに折れてしまいそうなか細い声。それで声にも出して確認せずにはいられなかった。それにこの状況はいくら何でも心臓に悪く、このふわふわふの綿あめのような甘い雰囲気に流されてしまいそうになる。
「宇賀谷様っ……」
 菜那はそっと蒼司の両肩を押し、身体を起こした。恥ずかしいけれど、蒼司の気持ちにちゃんと向き合わなければ。蒼司と向き合いようにベッドに座った。
 えっと、ど、どうしよう……。
 なかなか言葉が出てこない。自分の気持ちがよく分からないのだ。蒼司のことはとてもいい人だと思っている。優しくて、包容力があって、それでいて笑うと可愛い。見た目もかっこよくて完璧そうな人なのに片付けが苦手なところも人間味らしさがあって魅力的だ。でも、そんな素敵な人に自分が釣り合うのかどうかと言ったらそれはあり得ない。恋人をなくし、もうすぐで仕事もなくす。そして、いつかは最愛の母だって……。
 失ってばかりの人生に真新しいものを手に入れる自信がない。もしまた失ってしまったら? もう次は耐えられなさそうだ。今だって、蒼司との出会いが菜那を支えてくれたといっても過言ではない。いわば恩人、神様のように優しい人というカテゴリーなのだ。恋愛対象では、ないはず。
 唇を噛み、両手でくしゃっとシーツを掴む。蒼司はなかなか話ださない菜那を急かすことなく、ただただ優しい眼差しで見つめてくれていた。
 どうしよう。
 うまく言葉をまとめて話せないかもしれない。それでも今の自分の気持ちをちゃんと伝えなければ蒼司に失礼だ。菜那はごくりと生唾を飲み込み、覚悟を決めた。
「私には宇賀谷様の恋人になる自信が、ありません。うまく恋愛することも多分、できないです」
「……もしかして、うまく恋愛出来ないって言うのは菜那さんが泣いていたことに関係してる?」
 握りしめていた両手にふわりと温かさが被った。蒼司の大きな手が力の入りすぎていた菜那の手を優しくほどいていく。
 本当に、この人はどうしてこんなにも優しいのだろう。自分なんかよりもっと素敵な女性がいるに決まっている。ギュッと胸が締め付けられ、鼻の奥がツンと痛んだ。
「そう、です。私五年も付き合っていた彼氏に浮気されていたんです。彼と結婚すると私は思っていました。でも違ったんです……。だから、恋愛に嫌気がさしたのかもしれません。自分が次に誰かと恋愛するってことも今は考えられなくて、他の事でも頭がいっぱいなんです。それに、また失ったらきっと立ち直れない」
「俺が菜那さんをいつか手放すとでも?」
「恋愛、いつか終わりが来ますよね……? 自分の気持ちがまだ分からないんです。宇賀谷様にこうして思っていただけて嬉しい気持ちはあるんです。でも、すみません……」
 菜那は視線を下げた。その先には蒼司に包み込まれている自分の手。この優しい手を一度手に入れてしまったら……無くなってしまうときが怖すぎる。だから自分から握り返すことは出来ない。
「……嬉しいと思っていただけたんですね」
 柔らかな声が落ち込んだ頭上に降りそそぐ。そしてグッと身体を引き寄せられ、力いっぱい抱きしめられた。
「う、宇賀谷様っ……」
 菜那の両手が行き場を失いさ迷う。
「まだ返事は要りません。よく考えてください。私は長期戦になったって構いません」
「そんな……私はっ――」
「俺が、終わらない恋愛もあると証明してみせますよ」
 身体が少し離れ、視線が絡み合あった。真っすぐで、瞳を見ただけで本気なのだと伝わってくる。そっと頭を撫でられ、蒼司の手が頬で止まった。
「本当に、貴女って人は俺を煽らせる天才ですね」
「え……?」
 頬に冷たさを感じて驚いた。いつの間にか涙が瞳から零れ落ちている。
「その涙に俺はまだ自分に可能性があるって思ってもいいですよね?」
「っ……」
「俺たちはゆっくりと関係を進めていきましょう」
 もう一度優しく抱きしめられる。菜那はコクコクと頷くことしか出来なかった。どうして彼は自分の心を喜ばせる言葉をサラリと言ってくれるのだろう。何もかも彼にはお見通しなのだろうか。自分でもはっきりとわからないこの気持ちも。だったらもう少し、考えてみようと思う。彼との未来を――
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