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11話
しおりを挟む――……悪魔だ。悪魔がいる。
鏡に映る己の姿に、レオは頭の中で呟いた。
身体のラインが際立つワインレッドを基調とした衣装。フィギュアスケート選手が着るような、煌びやかな装飾が要所要所に施されている。ちりばめられたスパンコールやクリスタルは、妖艶に絡みつく美しい蛇のようだ。
堅物の看守を篭絡する、淫靡な悪魔――……それが、今回の撮影におけるレオのコンセプトだ。
露わになっている肌は、顔から胸元までとそこまで広くない。だが、レオの顔立ちを強調するようなメイクと合わさって、露出の少ない衣装でもしっとりとした色気が出ている。
鏡に映る自分の姿は、悪魔というより淫魔のようにも見える。
そんなレオの姿を見て、将生が感嘆の声を上げた。
「……綺麗だ」
「ええ、本当に綺麗ですよ……! こんなに魅力的なレオ君を、あの西窪さんに撮ってもらえるなんて……あぁ、今後の事を考えたらドキドキするなぁ……!」
将生の隣で、マネージャーの柴田がうっとりと目を細めた。
高名な写真家である彼女、西窪麻美に撮ってもらえるチャンスは、レオのようなタレントにとって喉から手が出るほど欲しいものだった。
彼女に撮ってもらった人間は売れるというジンクスがある。
事実、無名に近い俳優や女優が、彼女の写真をきっかけに売れるようになったという話は山のようにある。
彼女の写真をつかった雑誌は飛ぶように売れ、個展を開けば平日だろうと行列ができる。
それほど彼女の写真には魅力があり、彼女には人の魅力を見抜く力があった。
ストーリー性のある写真と、現実から少し離れた幻想的な世界観は、多くのファンを獲得している。
だが、そんな今を時めく写真家の西窪は、顔を曇らせてスタジオ内を行ったり来たりと歩き回っていた。
レオの相手役のモデルが、遅れているのだ。
「……ねぇ、まだ連絡つかないの?」
「先程から、何度かかけているんですが……――あっ、もしもし? 今どこに……えっ、事故⁉」
電話に出たスタッフが驚きの声を上げた。事故という単語に、スタジオ内に不穏な空気が流れ始める。
「ここに来る途中で、交通事故にあったみたいです。幸い、怪我は大したことなかったらしいんですが……今日の撮影に来るのは難しいと」
「そんな……彼は私のイメージにぴったりだったのに、他のモデルで撮れっていうの……⁉ いえ、そもそも、そんな簡単に代役なんて……」
西窪が険しい顔でスタジオを眺め――ぴたりと止まった。
つかつかと足早に近づいてきた彼女が、将生を上から下までじっくりと舐めるように見つめる。
「……あなた……どこかで見たことあるような……俳優さん? モデルの経験は?」
「えぇっ、と……俺は、レオさんのボディーガードです。モデルは……若いころに、少し」
「ふぅん、ボディーガードねぇ……」
西窪の目が、一瞬レオをちらりと見やる。
「あなた……モデルの代役、お願いできないかしら? 体格も理想的だし、イメージにも合ってる。メイクもするし、あまり顔が見えない衣装を使うから、多分言わなきゃあなただって分からないわ。……このまま、撮影中止にしたくないの」
「み、峰守さん! 僕からも、僕からもお願いします……!」
柴田と西窪に詰め寄られ、目を丸くした将生がふとこちらを見た。途端に、覚悟を決めたような顔で頷く。
「――わかりました。お引き受けします」
「ありがとう! それじゃあ、さっそく着替えて。メイクもお願い」
大急ぎで衣装とメイクを施され、将生は堅物そうな看守へと姿を変えた。
本物の制服ではなく、所々がクリスタルで飾られた黒い軍服のようなかっちりとした上着を素肌に羽織っている。襟の開いた胸元から、鍛えられた胸筋がのぞいている。
あの胸に抱かれるところを想像し、思わずごくりと喉が鳴った。
同様にクリスタルで装飾された制帽を目深に被れば、メイクも相まって将生だとは分からないだろう。
柴田がぽうっとなって「峰守さん、かっこいい……!」とため息交じりにつぶやいた。
撮影セットは石造り風の牢獄だった。牢の前には、刑務官用の簡素な椅子と机が置かれている。
「さぁ、悪魔さん。看守を誘惑して……思いっきりね」
西窪の指示を受けて、椅子に座る将生の前に、レオが挑発するように立つ。
今回の写真に込められるストーリーは、堅物の氷のような看守を悪魔が誘惑し、篭絡して恋に落とすというものだ。
……マサキさんと、一緒に仕事が出来る……!
思わぬところで将生との共演が叶い、レオの胸は高鳴っていた。
将生はすでに役柄になり切っているのか、ぴくりとも動かずこちらを無視している。
目深に被った帽子で、将生の目は隠されていた。
……何としてでも、こちらを振り向かせたい。そんな欲が湧いた。
禁欲的な相手の、堕落した姿が見たい。
獲物を狙う悪魔となったレオは将生を見つめ、腕を絡ませ、しなだれかかるように抱きついた。
「いいわ、いいわよ、そう、そのまま……!」
西窪が興奮しながらシャッターを切る。フラッシュが光るたびに、レオはポーズを変えて将生に迫った。
将生の手が、レオの腕を掴んだ。
驚く間もなく抱き寄せられる。目が合うと、帽子の下で瞳が燃えるように光っていた。
「……レオ君、綺麗だよ」
「……ッ!」
抱きしめられた耳元で、熱っぽく囁かれた。顔が熱くなり、悪魔の仮面が取れそうになる。
「マサキさんも……かっこいいですよ」
将生は顔を上げ、帽子の下から焦がれるように見つめてきた。物欲しげに開かれた唇に、視線がくぎ付けになる。
キスをしたい。そんな欲望を抑え込みながら、レオは悪魔として挑発するような笑みを浮かべた。
……このまま、撮影が終わらなければいい。将生の腕に抱かれる心地良さに、そんなことさえ考えた。
――撮影を終え、満足したらしい西窪は上機嫌だった。
「すっごく素敵な写真が撮れたわ……あなたに代役を任せて正解だった」
「いえ、お役に立てたなら良かったです。俺も、貴重な体験をさせていただきました」
「堅物看守を落とそうとした悪魔が、気付けば恋に落ちていたなんて、かわいいストーリーじゃない」
「……そんなコンセプトでしたか?」
レオの問いかけに、西窪は肩をすくめた。
「写真を見て、よりふさわしいストーリーに変えることもあるわ。とにかく、完成データを楽しみにしてて」
そう言って、西窪は意味深にウインクをしてきた。
控室に戻り、帰り支度を終えたレオは、将生に頭を下げた。
「今日は、本当にありがとうございました。おかげで撮影が無事に終わりました」
「いえ、こちらこそ。レオさんの役に立てたなら嬉しいですよ」
「まさか……こんな風に共演してもらえるなんて、思いませんでした」
「そう言ってもらえると……なんだか、照れますね」
将生が目を細める。気のせいか、頬がいつもより少し赤く見えた。
――後日、写真が女性誌のグラビアを飾った。
雑誌に掲載されたのは一部の写真であり、すべてのストーリー写真は、今後発売される西窪の写真集に掲載されるらしい。
悪魔に扮したレオが誘惑するようにうっとりと看守を見つめる写真には、「恋する悪魔」とタイトルがつけられている。
彼女が撮った「斎藤レオ」と謎のモデル「M M」の写真はSNSでも話題となり、グラビアの載った雑誌は売り切れが続出した。
「いやぁ、まさかこんなに反響があるなんて……! やっぱり、彼女に撮ってもらえて良かったよ」
大喜びの柴田にレオも頷く。
「そうですね。それに、峰守さんと一緒だったのも良かったみたいです。イニシャルだけの無名のモデルってことで、一部で話題になっていますよ」
「ねぇ、峰守さん。このまま復帰するつもりはないんですか?」
柴田の問いかけに、将生は首を振った。
「いやぁ、そんなに甘い世界じゃないでしょう? 俺も分かってますし、戻るつもりはないですよ」
「まぁ、確かにそうだけど……でも、もったいないと思ってさぁ……」
未練がましい目で見つめる柴田に、将生は苦笑するだけだった。
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