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中年童貞・藤倉の過去

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藤倉春樹は、40歳になった今でも女性と一度も交際したことがない。
セックスはもちろん、キスしたこともないし、それどころか、手を握ったことすらない男だった。
彼の身長は160センチ、小太りで、髪はハゲ散らかし、顔はまるでナマハゲのように怪異である。
絶望的なルックス、藤倉は鏡を見るたびにそう思う。
そしてその元から滑稽だった容姿は加齢とともに醜さを増してゆく。

彼の職業は新聞配達員。
この仕事以外にできる仕事はない。
低収入のため、風俗に行くことすらままならない。
毎日決まりきったルートを一人で回り、無言で新聞を配る。
それが藤倉の人生そのものだった。

彼の孤独感は若い頃からずっと続いている。
思春期の頃、藤倉は自分もいつか彼女ができ、恋愛を楽しむ日が来るのだろうと信じていたものだ。
だが現実は違った。
中学でも高校でもクラスメイトの女子からは気味悪がられ、話しかけることすらできない。
いつも彼は遠くから女子たちを眺め、彼女たちが自分の方を向くとすぐに目を逸らしてしまう。
その目は汚物を見つめるような嫌悪感に満ちていることが多かったからだ。
思えばその時から女性への憧れと憎悪が入り混じった感情を抱くようになっていた。


そんな藤倉の人生で唯一、「これは恋愛かもしれない」と思えた瞬間があったのは25歳の時だった。
どうしても彼女が欲しくてたまらないまま二十代後半になりつつあった彼は思い切ってマッチングアプリの使用を決意。
高校時代からアルバイトしていた新聞店の職場でもプライベートでも出会いは皆無だったし、ナンパなどもってのほかだったからだ。
周囲には誰も知らない、自分だけの方法で彼女を見つける――そんな期待があった。

そして、使用開始早々ヒットする。
相手は19歳の美咲と名乗る女、彼女は藤倉にとってまさに理想的な女性だった。
華奢な体型に大きな瞳、柔らかな笑顔。
初めて会って二回三回とデートを重ね、彼女と過ごす時間は藤倉にとって夢のようだった。

「藤倉さんって、本当に優しいね。こんなに大切にされたの、初めてかも」

その一言で、彼の心は完全に美咲に支配される。
彼は自分がこの女性に愛されていると信じ、彼女のために全てを捧げようとすら思った。
藤倉は夢にまで見た恋愛を自分も体験しているのだという感覚に酔いしれていたものだ。

五回目に会った時、美咲が言った。

「今日は、もう少し二人きりで静かに過ごしたいな」

何回も会っているのにどうしてもその先へ踏み出せなかった藤倉はその言葉に舞い上がり、彼女に誘われるがままラブホテルに足を運んだ。
これは自分の人生が変わる瞬間だと思った。
嫌われたくないとの思いからどうしても積極的になれなかったが、まさか向こうから来るとは思わなかったのだ。
部屋に入り、彼女が優しく手を取ると、藤倉の体は興奮で震える。

ついに自分にも愛が訪れたのだ――そう思った瞬間だった。

突然部屋のインターホンが鳴り、ドキリとする。
するとこちらを見つめ続けていた美咲がさっと手を放して入口に向かってゆく。
まるで予定していたかのように。

そして、ドアを開けるや勢いよく四人のガラの悪い男たちが部屋に押し入ってきた。

「おい、てめぇ、何やってんだよ!」

男たちのうち一人は混乱して立ち尽くした藤倉に肩を怒らせて近寄り、いきなり顔にパンチ。

「痛っ!」

鈍い音が響き、藤倉の顔面に衝撃が走った。
痛みが遅れてやってきた。
彼は頬を押さえて後ずさったが、男はさらに追い打ちをかけるように彼の腹に膝蹴りを叩き込む。

「ぐふっ…!」

息が詰まり、藤倉は床に崩れ落ちた。
頭の中が混乱し、何が起きているのか理解できないまま、苦しみに喘ぐ。

「この女が本気でオメーみたいな奴を好きになると思ったか?バーカ!」

男は嘲笑を浮かべ、倒れ込んだ藤倉を見下す。
その背後で、美咲が安心したように男の腕に手を絡ませ、まるでカップルのように寄り添っていた。

「ずっとやらしい目で見てきてさ、キモいったらありゃしない」と、美咲は冷たい声で言い放つ。
その言葉は、藤倉の心を一瞬で凍らせた。
これまで見せてきた彼女の優しい笑顔が、今は悪魔のような冷笑に変わっている。

「な、なんで…?」

藤倉は口の中でかすれた声を出したが、誰にも届くはずがなかった。
信じていた女性が、目の前で冷たく笑っている。
それも、自分を殴ったいかつい男に寄り添って…。

美人局だった。
自分はハメられたのだ。

藤倉は痛みに耐えながら、何とか立ち上がろうとしたが、他の男にすぐに蹴り倒され、再び暴行を受けた。

「痛い、痛い…もうやめてください…」

男たちは25歳の自分より若く、おそらく十代後半と思われたが、その圧倒的な恐怖のあまり屈辱的な懇願をする。
しかし無抵抗であるにもかかわらず、面白半分の拳と足が彼の体に叩き込まれた。

「金を出せ!」
「そんなに持ってないんですよ…勘弁してください…」

藤倉は震える声で再び懇願したが、それが男たちの怒りに火をつけた。

「ふざけんな!貧乏人が女口説こうとしてんじゃねぇよ!」
「この女がどんだけ嫌な思いしたか分かってんのかよ!!」

身勝手な理由でさらに拳が飛んできた。
顔が腫れ、体中が痛みに包まれる。
彼はただ耐えるしかなかった。

結局、藤倉は男たちに無理やり銀行に連れて行かれ、なけなしの貯金を全て引き出す羽目になった。
「これで全部です。勘弁してくださいよ…」藤倉は泣きそうな顔で言ったが彼らは満足しない。
男たちは藤倉を複数の金融業者に連れ込み、限度額いっぱいまで借金をさせた。

最後に悪党たちは札束片手に嘲るように言い放つ。

「その顔の分際で女とまともに付き合おうとした罰だぜ」
「お前みたいなのは一生部屋でしこってろ」
「顔だけじゃなく頭まで悪ぃんだからもう死んだ方がいいぞ」

そして最後に美咲が冷たい笑顔を見せながらこう言い放つ。

「ありがとうね、藤倉さん。楽しかったよ」

その時見せた笑顔は、これまでの人生で見たこともないくらい邪悪なものだったことを今も覚えている。
藤倉はその場に崩れ落ち、何も言えなかった。
ただ、心の中に深い虚しさと恨みが渦巻いていた。
美咲のあの邪悪な笑みを心に刻んで、あれが女の正体なんだという思いを胸に…。


あの日以来、藤倉は女性を信じられなくなった。

余りの恐怖と、事情が事情だけに警察に訴えることもできなかったし、金融屋の借金もつい三年前まで払っていた。
あの時のことは今でも忘れられない。

時折、若い女性を見ると食い入るように見つめ、ああいう女とやれたらなと思う反面、「どうせコイツも俺をバカにしてるんだろう」と心の中でつぶやくようになった。
道を歩いているカップルを見ると、双方に対して嫉妬と憎悪が入り混じった感情を抱く。
そしてカップルのうち男の方がこちらの視線に気づいて睨み返してきたりすると、藤倉はすぐに目をそらし、何も言えずにその場を立ち去るしかなかった。
腕力にも自信がないため、ケンカもできない。
そして、彼はますますみじめな気持ちに追い込まれていった。

一生このままなんだろうか?

夕刊を配り終えた藤倉は新聞店の寮で明日の朝刊に備えて早く寝ようと、今日もチューハイで刹那の安堵をむさぼっていたが、心の奥底では希望を見出せる材料が最近見つかっていた。

いや!俺だって変われるんだ。

藤倉は手元にある「愛される力を手に入れる ~本当の自分で繋がるために~」というタイトルの冊子を手に取っていた。
先日YouTubeの広告で見つけた彼のように過去のトラウマや孤独に悩む者を対象に自己変革と人間関係の構築を支援するNPO団体を訪ねた時にもらい、感銘を受けたものである。
そしてその団体名は「絆ネットワーク」であった。
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