204 / 236
色は匂へど……
春隣 20
しおりを挟む
「洋くん、入ってもいいかい?」
「あっ、翠さん、どうぞ」
離れで翻訳の仕事をしている洋くんに声をかけると、花が咲くように微笑んでくれた。
だいぶ打ち解けてもらえたようで、嬉しくなる。
「どう? 仕事は捗ってる?」
「はい、ここに来てから、とても集中出来ます。ここは静かで居心地がいいです。」
「それは良かった。あっ……ここ、まだ癒えないのか」
唇の端の傷は塞がったが、頬の黒く内出血した部分は、まだうっすら残っていた。
もうだいぶ経つのに可哀想に。
「すみません。傷の治りが悪いようで」
「謝ることはないよ。ここでは人目を気にしなくていい。それに、ここに来た当初よりずっと顔色も良くなったよ」
内出血は、じきに消えるだろう。
だが洋くんが過去に受けた義父からの性暴力は、まだ重く心にのしかかっているようだ。
癒えない傷、消えない傷を植え付けられる苦痛を、僕は知っている。
僕も経験したから。
僕の胸元に執拗につけられた火傷痕は、ずっと消えないで燻っている。
踏みにじられたプライドもそのままだ。
そのことを考えると鬱々としてしまう。
だが、いつまでも沈んでいられない。
二度と付け入る隙を見せないためにも、僕は清らかな気で月影寺を内側から持ちあげて、結界を張り巡らせていく。
「ところで洋くん、今日は何の日か分かる?」
「えっと……3月3日ですが」
「そう、ひな祭りだよ」
「あ……そう言えば……そうですね」
「おいで、実はね、ここは男所帯だが洋くんの歓迎会を兼ねて、ひな祭りのお祝いをしようと流と企画したんだ」
「えっ……俺の?」
洋くんが意外そう顔をする。
「そうだよ。君が来てくれて嬉しくてね。それから……弟の丈を深く愛してくれてありがとう。兄として礼を言うよ」
丈は、見違えるほど大人になった。
愛を知った人は強い。
愛を守るために、自分の殻を抜け出し、洋くんを包み込もうと必死な様子に毎回心を動かされる。
揺さぶられるよ。
君たちが想い合う姿に心打たれる。
僕も動きたくなる。
洋くんと庫裡の前を通ると、中から可愛い声がした。
耳を澄ますと……
「桜餅がひとつ、桜餅がふたつ~ 桜餅が……いっぱいですよぅ……でも……食べてはいけません」
「くすっ」
思わず頬が緩む。
さっきまでの暗い気持ちが払拭される。
この子の気は、本当に明るくて可愛くて良い。
天真爛漫な性格が、月影寺を明るく照らしている。
「あの……翠さん、彼は?」
「あぁ、通いの小坊主の小森くんだよ」
「通いの……ここには、丈のお父さんと翠さんと流さん以外にも人がいたのですね」
「彼は15歳の時から、僕が育てている愛弟子だよ。とても勘のいい子で……洋くんが馴染むまで気配を消していたようだね。今日は甘い物の誘惑に勝てずに出てきたようだ」
「くくっ」
洋くんが珍しく明るく声を出して笑った。
彼は儚く繊細なようでいて、時折艶めいた男らしい雰囲気を垣間見せる。
本当の君の性格の欠片だろうか。
いいね。
もっともっと君の姿を見せて欲しい。
夜空に浮かぶ月のように、いろんな面をもっていそうだ。
「どうしました?」
「あ、流……そろそろご飯かなと思って」
「食事の支度は整いましたが、参加者の準備がまだのようですね」
「え?」
「ひな祭りなのに、姫がいないのはつまらないですよ」
「流……まさか僕に女子の着物を着せるつもりか。それとも洋くんに?」
焦って問いただすと、流は豪快に笑った。
「ははっ」
人懐っこい笑顔は、昔のままだ。
余所余所しい話し方の向こう側に、今日も僕の流がいて、嬉しくなった。
「それはまたおいおいですよ。いきなり洋くんにそんなことをしたらドン引きされますし、丈に睨まれる。だから、これを作ってみたんです」
流が箱から恭しく取り出したのは、木目込み人形だった。
十二単を着た姫の顔は、僕と洋くんによく似ていた。
「我が家の雛人形ですよ。ここは男ばかりだから、ひな人形は姫二人でいいですよね」
「すごい……流さん、これ……もしかして俺ですか」
「そうだ、可愛いだろう」
「これは……母が……亡くなった母が……毎年……飾っていた人形と似ています」
「……そうか」
洋くんの口から初めて「母」という言葉が漏れた。
「……いつも雛祭りに飾って一緒に眺めていました」
「そうだったんだね」
「……母さんは姫が俺に似ていると笑って……」
僕と流は洋くんに寄り添って、彼が思い出に浸る時間を守った。
月影寺の雛祭りは、優しく懐かしい思い出に彩られていく。
「あっ、翠さん、どうぞ」
離れで翻訳の仕事をしている洋くんに声をかけると、花が咲くように微笑んでくれた。
だいぶ打ち解けてもらえたようで、嬉しくなる。
「どう? 仕事は捗ってる?」
「はい、ここに来てから、とても集中出来ます。ここは静かで居心地がいいです。」
「それは良かった。あっ……ここ、まだ癒えないのか」
唇の端の傷は塞がったが、頬の黒く内出血した部分は、まだうっすら残っていた。
もうだいぶ経つのに可哀想に。
「すみません。傷の治りが悪いようで」
「謝ることはないよ。ここでは人目を気にしなくていい。それに、ここに来た当初よりずっと顔色も良くなったよ」
内出血は、じきに消えるだろう。
だが洋くんが過去に受けた義父からの性暴力は、まだ重く心にのしかかっているようだ。
癒えない傷、消えない傷を植え付けられる苦痛を、僕は知っている。
僕も経験したから。
僕の胸元に執拗につけられた火傷痕は、ずっと消えないで燻っている。
踏みにじられたプライドもそのままだ。
そのことを考えると鬱々としてしまう。
だが、いつまでも沈んでいられない。
二度と付け入る隙を見せないためにも、僕は清らかな気で月影寺を内側から持ちあげて、結界を張り巡らせていく。
「ところで洋くん、今日は何の日か分かる?」
「えっと……3月3日ですが」
「そう、ひな祭りだよ」
「あ……そう言えば……そうですね」
「おいで、実はね、ここは男所帯だが洋くんの歓迎会を兼ねて、ひな祭りのお祝いをしようと流と企画したんだ」
「えっ……俺の?」
洋くんが意外そう顔をする。
「そうだよ。君が来てくれて嬉しくてね。それから……弟の丈を深く愛してくれてありがとう。兄として礼を言うよ」
丈は、見違えるほど大人になった。
愛を知った人は強い。
愛を守るために、自分の殻を抜け出し、洋くんを包み込もうと必死な様子に毎回心を動かされる。
揺さぶられるよ。
君たちが想い合う姿に心打たれる。
僕も動きたくなる。
洋くんと庫裡の前を通ると、中から可愛い声がした。
耳を澄ますと……
「桜餅がひとつ、桜餅がふたつ~ 桜餅が……いっぱいですよぅ……でも……食べてはいけません」
「くすっ」
思わず頬が緩む。
さっきまでの暗い気持ちが払拭される。
この子の気は、本当に明るくて可愛くて良い。
天真爛漫な性格が、月影寺を明るく照らしている。
「あの……翠さん、彼は?」
「あぁ、通いの小坊主の小森くんだよ」
「通いの……ここには、丈のお父さんと翠さんと流さん以外にも人がいたのですね」
「彼は15歳の時から、僕が育てている愛弟子だよ。とても勘のいい子で……洋くんが馴染むまで気配を消していたようだね。今日は甘い物の誘惑に勝てずに出てきたようだ」
「くくっ」
洋くんが珍しく明るく声を出して笑った。
彼は儚く繊細なようでいて、時折艶めいた男らしい雰囲気を垣間見せる。
本当の君の性格の欠片だろうか。
いいね。
もっともっと君の姿を見せて欲しい。
夜空に浮かぶ月のように、いろんな面をもっていそうだ。
「どうしました?」
「あ、流……そろそろご飯かなと思って」
「食事の支度は整いましたが、参加者の準備がまだのようですね」
「え?」
「ひな祭りなのに、姫がいないのはつまらないですよ」
「流……まさか僕に女子の着物を着せるつもりか。それとも洋くんに?」
焦って問いただすと、流は豪快に笑った。
「ははっ」
人懐っこい笑顔は、昔のままだ。
余所余所しい話し方の向こう側に、今日も僕の流がいて、嬉しくなった。
「それはまたおいおいですよ。いきなり洋くんにそんなことをしたらドン引きされますし、丈に睨まれる。だから、これを作ってみたんです」
流が箱から恭しく取り出したのは、木目込み人形だった。
十二単を着た姫の顔は、僕と洋くんによく似ていた。
「我が家の雛人形ですよ。ここは男ばかりだから、ひな人形は姫二人でいいですよね」
「すごい……流さん、これ……もしかして俺ですか」
「そうだ、可愛いだろう」
「これは……母が……亡くなった母が……毎年……飾っていた人形と似ています」
「……そうか」
洋くんの口から初めて「母」という言葉が漏れた。
「……いつも雛祭りに飾って一緒に眺めていました」
「そうだったんだね」
「……母さんは姫が俺に似ていると笑って……」
僕と流は洋くんに寄り添って、彼が思い出に浸る時間を守った。
月影寺の雛祭りは、優しく懐かしい思い出に彩られていく。
10
お気に入りに追加
76
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ずっと女の子になりたかった 男の娘の私
ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。
ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。
そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。
3人の弟に逆らえない
ポメ
BL
優秀な3つ子に調教される兄の話です。
主人公:高校2年生の瑠璃
長男の嵐は活発な性格で運動神経抜群のワイルド男子。
次男の健二は大人しい性格で勉学が得意の清楚系王子。
三男の翔斗は無口だが機械に強く、研究オタクっぽい。黒髪で少し地味だがメガネを取ると意外とかっこいい?
3人とも高身長でルックスが良いと学校ではモテまくっている。
しかし、同時に超がつくブラコンとも言われているとか?
そんな3つ子に溺愛される瑠璃の話。
調教・お仕置き・近親相姦が苦手な方はご注意くださいm(_ _)m
優等生の弟に引きこもりのダメ兄の俺が毎日レイプされている
匿名希望ショタ
BL
優等生の弟に引きこもりのダメ兄が毎日レイプされる。
いじめで引きこもりになってしまった兄は義父の海外出張により弟とマンションで二人暮しを始めることになる。中学1年生から3年外に触れてなかった兄は外の変化に驚きつつも弟との二人暮しが平和に進んでいく...はずだった。
肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?
こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。
自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。
ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?
変態村♂〜俺、やられます!〜
ゆきみまんじゅう
BL
地図から消えた村。
そこに肝試しに行った翔馬たち男3人。
暗闇から聞こえる不気味な足音、遠くから聞こえる笑い声。
必死に逃げる翔馬たちを救った村人に案内され、ある村へたどり着く。
その村は男しかおらず、翔馬たちが異変に気づく頃には、すでに囚われの身になってしまう。
果たして翔馬たちは、抱かれてしまう前に、村から脱出できるのだろうか?
ゆるふわメスお兄さんを寝ている間に俺のチンポに完全屈服させる話
さくた
BL
攻め:浩介(こうすけ)
奏音とは大学の先輩後輩関係
受け:奏音(かなと)
同性と付き合うのは浩介が初めて
いつも以上に孕むだのなんだの言いまくってるし攻めのセリフにも♡がつく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる