135 / 236
色は匂へど……
波の綾 4
しおりを挟むだだっ広い公園には、人っ子一人いなかった。
お盆の真っ只中、皆忙しいのか。
とにかく、ここには俺と翠しかいない。
願ってもいない環境に悦に入る。
背中に担いできた茣蓙《ござ》を、芝生のふかふかな場所を見定めて敷き、そこに兄さんを座らせた。
「ここにしよう」
「あぁ、絶景だね」
「そうだな、ほら手を貸せ」
「うん」
男にしてほっそりした手指を、おしぼりで丁寧に清めてやる。
翠はもう何もかも素直に、俺に身を任せてくれる。
この先はそうやって生きていくと誓ったことを、律儀に守っている。
本当にありがたい。
だから俺の中に潜むやましい情欲は、心の奥底にねじ込んで生きていく覚悟だ。
翠が傍にいてくれるだけで有り難い。視力が回復し再び俺を見つめてくれるだけでも奇跡なのだから。
あの海で溺れた翠を助けるために、御仏に念じた。
翠の命と視力の回復と引き換えに、俺の実兄に対して抱いてはならぬ情欲は封印する。だから助けて下さいと。
「腹減ったな」
「うん、ペコペコだよ。ほっとしたからかな」
握ってきたおにぎりにパリパリの海苔を巻いて渡すと、嬉しそうに食べてくれる。
こうやって翠の衣食住を担わせてもらえるだけで充分だ。
「美味しいね」
「だろ?」
「うん。お米も具も全部ふっくらしている。流の手は大きいから上手に握れるのだね」
翠が俺の手を取って、じっと見つめてくる。
「な、なんだ?」
「いや、大きくなったなぁと。昔は楓のように小さかったのに」
「まったくいつの話をしているんだか」
「ふふ、そうだね。流はこの大きな手で掴めるものも多いだろうに、いつもずっと僕の傍にいてくれてありがとう。今日も流が待っていてくれると思うと頑張れたんだ」
翠がコトンと俺の肩に頭をもたれさせた。
あぁ……こうやって甘えてもらえるだけで幸せだ。
「住職への道は険しいよな。俺には無理だったが、兄さんなら目指せるよ。応援しているよ」
「うん、険しい道だよ。近頃は休む暇もない」
「父さんが気を遣ってくれたのかもな。今日は……」
「……そうかもしれないね。住職は慈悲深いお方だ」
「いや……親の情だろう。皆、兄さんのことが大好きだから」
「……流も?」
兄さんがそっと聞いてくる。
「当たり前だ。兄さんのことが大好きだ。全身全霊で守りたい人だ!」
いかん。
これでは、まるで愛の告白だ。
だが言わずにはいられない。
伝えずにはいられなかった。
「流、ありがとう。時々……僕の全てを流に委ねたくなるよ」
兄さんは少し寂しそうに儚く呟いた。
意味深なことを……
だが、それはどういう意味だと問うのはやめた。
俺たちは実の兄弟だ。
超えてはならぬ高い壁がある。
しばらく無言で、持たれあっていた。
「あ、そろそろ行かないとね」
「もうそんな時間か。片付けるから待ってくれ」
「うん」
その時、急に日が陰り辺りが暗くなった。
ぽつりと大きな雫が、茣蓙を濡らした。
茣蓙に出来た黒い染みは、俺の心から溢れ落ちた涙のようだとも。
燻る想いを今は抑え込めても、何かをきっかけに暴れ出しそうで怖い。
「一雨来るぞ」
「……雷が鳴り出したね」
「しまった! 弁当に気を取られて、傘を車に忘れた。すまん」
「大丈夫だよ」
だが悠長なことは言っていられない。
雨の方が、先にザーッと降り出した。
「兄さん、あの木陰で雨宿りをしよう」
「雷が鳴っているから、木の下は危ないよ」
「そうだな。じゃあ早く車に戻ろう」
「うん」
大粒な雨が兄さんの袈裟を汚していくのは、見ていられない。
「これを」
俺は作務衣をサッと脱いで、兄さんに羽織らせた。
「えっ、流……僕は大丈夫だよ」
「俺が濡れる兄さんを見たくないんだ。さぁ行くぞ」
「あっ」
手を引いて急いで山を降りようとしたが、水溜りで足下が悪く、袈裟姿の兄さんがまごつく。それに兄さんは雷が苦手だから守ってやりたい。
俺は居ても立ってもいられなくなり、兄さんを有無を言わさぬ勢いでザッと抱き抱えた。
「りゅ、流!」
「いいからじっとしてろ! まだ午後の棚経もあるんだ。風邪を引かすわけにはいかない。大人しくしていろ」
裸の胸に兄さんの頭を押しつけて、その上に脱いだ袈裟をかけて雨合羽の代わりにした。
そのまま一気に歩き出した。
こういう時のために長い年月をかけて鍛え上げた身体だ。
俺より一回り小さく軽い兄さんを担ぐ位、難しいことではない。
「りゅ、流、お前が風邪を引いてしまうよ」
「大丈夫だ。鍛えている! それに風邪なんてずっと引いてないさ」
「流……どうして、僕にそこまでしてくれる?」
「言わなくても分かるだろう……」
兄さんが好きだから。
その言葉は呑み込んだ。
今はまだ駄目だ。
いつか夜空に浮かぶ悲しい月に許してもらえたら……
その時は、この手で掴みたいものがある。
遠い未来に夢を託して、山を駆け降りた。
10
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
寮生活のイジメ【社会人版】
ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説
【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】
全四話
毎週日曜日の正午に一話ずつ公開
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
愛され末っ子
西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。
リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。
(お知らせは本編で行います。)
********
上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます!
上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、
上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。
上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的
上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン
上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。
てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。
(特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。
琉架の従者
遼(はる)琉架の10歳上
理斗の従者
蘭(らん)理斗の10歳上
その他の従者は後々出します。
虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。
前半、BL要素少なめです。
この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。
できないな、と悟ったらこの文は消します。
※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。
皆様にとって最高の作品になりますように。
※作者の近況状況欄は要チェックです!
西条ネア
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる