127 / 236
色は匂へど……
光の世界 8
しおりを挟む
薙は僕の大切な息子だ。
父さんに諭されたように、離婚したから親子の縁が切れたわけではない。
ようやく薙に会える。
あの子は赤ちゃんの時から僕に似た顔立ちで、成長すると流に似たやんちゃな面も見え隠れし……張矢家の血を色濃く受け継いでいると思った。
そんな薙の健やかな成長は、僕の生き甲斐だった。
君の笑顔は、都心の高層マンションで沈みがちな僕の心を、しっかり地上に繋ぎ止めてくれた。
離婚した時、薙はまだ5歳だった。
僕に懐いていた可愛い息子と、あんな形で別れてしまうなんて……
薙は否応なく彩乃さんに連れて行かれ、今は彩乃さんのご実家で暮らしている。
本当にすまない。
あの頃の僕は、精神的にとても不安定だった。
自分のことで精一杯で抗う術がなかった。
僕の身勝手な事情を、まだ5歳の息子に分かってもらのは無理な話だ。
突然父親が消えてしまい、僕に捨てられたと思っているのでは?
僕の口から説明する前に、僕は大怪我をし視力も失ってしまったので、君を何ヶ月も放置してしまった。
とてもデリケートで大切なことだったのに。
僕は息子からの信頼を失うのが怖い。
もうあの可愛い笑顔を見せてくれないかもしれない。
耐えられるだろうか。
僕に……
受け止められるだろうか。
僕は……
これから起こりうる最悪のパターンを考えると胸が塞がる。
でも可愛い息子の顔を一目だけでも見たい。
期待と不安が交差していく。
駅までの道すがら、薙のことばかり考えていた。
こうなると予想出来たから、流には甘えられなかった。
僕は流の兄であり、薙の父だ。
だから……ごめん、ごめんよ。
流の心配をよそに、振り返りもせずに勢いで飛び出してきてしまった。
薙との親子関係は僕だけの問題だから、一人で背負っていかないといけない。流を巻き込むわけにはいかないんだ。
分かっておくれ。
いつも都内の大学病院に行く時は、流の運転する車だったので、本当に久しぶりに上りの電車に乗った。
休日なので都心に向かう電車は混んでいた。
そこに意を決して乗り込んだ。
雑多な雰囲気に押され、人の話し声が妙に大きく聞こえて不快だった。
誰かに見られているのではと、緊張してしまう。
吊り革に掴まる手は、どんどん冷たくなっていた。
なんとか耐え忍び、品川駅で山手線に乗り換え渋谷へ向かった。
渋谷駅は、人、人、人の洪水だ。
息が出来ない。
なんとか雑踏を抜け、彩乃さんのご実家の寺門前に立つと足が震えた。
時計を見ると約束の時間5分前だった。
インターホンは押さずに待っていると、彩乃さんに手を引かれて、幼い薙がとぼとぼとやってきた。
薙だ、僕の息子――
俯いているので表情がよく分からない。
「翠さん、お久しぶりね」
「……彩乃さん、元気だった?」
「すっきりしたので毎日楽しいわ。そういう翠さんもすっかり元気になっちゃって、よほど北鎌倉の水が合うのね」
久しぶり会ったというのに、この会話だ。
もう何も言い返す気が起こらない。
それよりも薙の様子が気になる。
「あら、もうお得意のだんまり? まぁいいわ。約束だから薙は貸すけど、16時には返して頂戴。今日は17時からピアノのお稽古があるのよ」
その台詞には黙っていられなかった。
「……薙は物じゃない! そんな言い方よしてくれ! 大事な子供だ」
「なぁに、珍しく怒ったりして、あーこわっ」
「そんなつもりじゃ」
「ママぁ……もう……いっていい?」
薙がやっと顔をあげてくれた。
あぁ、やはりとても寂しそうな顔をしている。
「もう早く行って、二人だけの時間が減るわよ。せいぜいごゆっくり」
薙の手を振り払い、彩乃さんは去っていった。
取り付く島もないとは、このことだ。
今日は薙だけを見つめよう。
「薙……お父さんだよ。長い間、連絡出来ずごめん。本当にごめんね」
「……パパ……あいたかったよ」
「薙っ」
まだ心は繋がっているのか。
熱い物が込み上げてくる。
こんな小さな子供の心に、重い負担をかけてしまった。
親として情けないことをした。
同時に……この子を心から愛していると実感した。
その場にしゃがんで薙と目線を合わせ、一言一言噛みしめるように伝えた。
「父さんも薙に会いたかったよ。会えて良かった」
そのまま薙を懐に抱きしめた。
小さな心が壊れないように、優しく、そっと――
父さんに諭されたように、離婚したから親子の縁が切れたわけではない。
ようやく薙に会える。
あの子は赤ちゃんの時から僕に似た顔立ちで、成長すると流に似たやんちゃな面も見え隠れし……張矢家の血を色濃く受け継いでいると思った。
そんな薙の健やかな成長は、僕の生き甲斐だった。
君の笑顔は、都心の高層マンションで沈みがちな僕の心を、しっかり地上に繋ぎ止めてくれた。
離婚した時、薙はまだ5歳だった。
僕に懐いていた可愛い息子と、あんな形で別れてしまうなんて……
薙は否応なく彩乃さんに連れて行かれ、今は彩乃さんのご実家で暮らしている。
本当にすまない。
あの頃の僕は、精神的にとても不安定だった。
自分のことで精一杯で抗う術がなかった。
僕の身勝手な事情を、まだ5歳の息子に分かってもらのは無理な話だ。
突然父親が消えてしまい、僕に捨てられたと思っているのでは?
僕の口から説明する前に、僕は大怪我をし視力も失ってしまったので、君を何ヶ月も放置してしまった。
とてもデリケートで大切なことだったのに。
僕は息子からの信頼を失うのが怖い。
もうあの可愛い笑顔を見せてくれないかもしれない。
耐えられるだろうか。
僕に……
受け止められるだろうか。
僕は……
これから起こりうる最悪のパターンを考えると胸が塞がる。
でも可愛い息子の顔を一目だけでも見たい。
期待と不安が交差していく。
駅までの道すがら、薙のことばかり考えていた。
こうなると予想出来たから、流には甘えられなかった。
僕は流の兄であり、薙の父だ。
だから……ごめん、ごめんよ。
流の心配をよそに、振り返りもせずに勢いで飛び出してきてしまった。
薙との親子関係は僕だけの問題だから、一人で背負っていかないといけない。流を巻き込むわけにはいかないんだ。
分かっておくれ。
いつも都内の大学病院に行く時は、流の運転する車だったので、本当に久しぶりに上りの電車に乗った。
休日なので都心に向かう電車は混んでいた。
そこに意を決して乗り込んだ。
雑多な雰囲気に押され、人の話し声が妙に大きく聞こえて不快だった。
誰かに見られているのではと、緊張してしまう。
吊り革に掴まる手は、どんどん冷たくなっていた。
なんとか耐え忍び、品川駅で山手線に乗り換え渋谷へ向かった。
渋谷駅は、人、人、人の洪水だ。
息が出来ない。
なんとか雑踏を抜け、彩乃さんのご実家の寺門前に立つと足が震えた。
時計を見ると約束の時間5分前だった。
インターホンは押さずに待っていると、彩乃さんに手を引かれて、幼い薙がとぼとぼとやってきた。
薙だ、僕の息子――
俯いているので表情がよく分からない。
「翠さん、お久しぶりね」
「……彩乃さん、元気だった?」
「すっきりしたので毎日楽しいわ。そういう翠さんもすっかり元気になっちゃって、よほど北鎌倉の水が合うのね」
久しぶり会ったというのに、この会話だ。
もう何も言い返す気が起こらない。
それよりも薙の様子が気になる。
「あら、もうお得意のだんまり? まぁいいわ。約束だから薙は貸すけど、16時には返して頂戴。今日は17時からピアノのお稽古があるのよ」
その台詞には黙っていられなかった。
「……薙は物じゃない! そんな言い方よしてくれ! 大事な子供だ」
「なぁに、珍しく怒ったりして、あーこわっ」
「そんなつもりじゃ」
「ママぁ……もう……いっていい?」
薙がやっと顔をあげてくれた。
あぁ、やはりとても寂しそうな顔をしている。
「もう早く行って、二人だけの時間が減るわよ。せいぜいごゆっくり」
薙の手を振り払い、彩乃さんは去っていった。
取り付く島もないとは、このことだ。
今日は薙だけを見つめよう。
「薙……お父さんだよ。長い間、連絡出来ずごめん。本当にごめんね」
「……パパ……あいたかったよ」
「薙っ」
まだ心は繋がっているのか。
熱い物が込み上げてくる。
こんな小さな子供の心に、重い負担をかけてしまった。
親として情けないことをした。
同時に……この子を心から愛していると実感した。
その場にしゃがんで薙と目線を合わせ、一言一言噛みしめるように伝えた。
「父さんも薙に会いたかったよ。会えて良かった」
そのまま薙を懐に抱きしめた。
小さな心が壊れないように、優しく、そっと――
10
お気に入りに追加
76
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ずっと女の子になりたかった 男の娘の私
ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。
ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。
そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。
3人の弟に逆らえない
ポメ
BL
優秀な3つ子に調教される兄の話です。
主人公:高校2年生の瑠璃
長男の嵐は活発な性格で運動神経抜群のワイルド男子。
次男の健二は大人しい性格で勉学が得意の清楚系王子。
三男の翔斗は無口だが機械に強く、研究オタクっぽい。黒髪で少し地味だがメガネを取ると意外とかっこいい?
3人とも高身長でルックスが良いと学校ではモテまくっている。
しかし、同時に超がつくブラコンとも言われているとか?
そんな3つ子に溺愛される瑠璃の話。
調教・お仕置き・近親相姦が苦手な方はご注意くださいm(_ _)m
優等生の弟に引きこもりのダメ兄の俺が毎日レイプされている
匿名希望ショタ
BL
優等生の弟に引きこもりのダメ兄が毎日レイプされる。
いじめで引きこもりになってしまった兄は義父の海外出張により弟とマンションで二人暮しを始めることになる。中学1年生から3年外に触れてなかった兄は外の変化に驚きつつも弟との二人暮しが平和に進んでいく...はずだった。
肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?
こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。
自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。
ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?
変態村♂〜俺、やられます!〜
ゆきみまんじゅう
BL
地図から消えた村。
そこに肝試しに行った翔馬たち男3人。
暗闇から聞こえる不気味な足音、遠くから聞こえる笑い声。
必死に逃げる翔馬たちを救った村人に案内され、ある村へたどり着く。
その村は男しかおらず、翔馬たちが異変に気づく頃には、すでに囚われの身になってしまう。
果たして翔馬たちは、抱かれてしまう前に、村から脱出できるのだろうか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる