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色は匂へど……
我慢の日々 8
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「兄さん、この先は階段だ。しっかり掴まってくれ」
「うん、分かった」
兄さんが素直に返事をしてくれるのが、心地良い。
今の兄さんは、俺がいないと階段も降りられない過酷な状況で、胸が塞がるが、この胸に沸き上がるのは別の熱い感情だった。
兄さんは……
ずっと俺の前を歩いていた人。
仏道を迷いなく進み何でも一人で決めてしまう……強がりな人だった。
その人が降りて来た。
俺の手元に。
まさに今はそんな状態だ。
兄さんの肩を支えてやり、階段を二人で抱き合うように降りていく。
こんな近くにいられるなんて、夢のようだ。
先ほど、丈からアドバイスされた言葉の意味を噛み締める。
……
幸い、流兄さんが触れるのだけは大丈夫のようですね。時間はかかるかもしれませんが、今、翠兄さんがいる場所は安全だということを、先程のように何度も何度も伝えて安心させ心を解していけば……きっと、また目が見えるようになるかと。
……
今の俺は兄さんにとって、一番安全で頼りになる存在なのか。
ずっと昔からそうなりたかったことが叶っていく。
視力が戻るまでは、いつだって兄さんの目となり、遠慮なく身体に触れることが出来る状態だ。もちろん兄さんが嫌がることは絶対にしない。兄さんは過敏な程、俺の前で肌を見せるのを嫌がっているのを承知しているから、ぐっとやましい感情は押し殺し、兄さんの負担にならない方法を考えた。
兄さんの心を大切にする。
絶対に怖がらせない。
もう一度、丈に言われたことを復唱した。
脱衣場を通り過ぎ、寝間着のまま兄さんを風呂場の中に引き入れた。
「流……お風呂は一人で入れるから……流は……」
「大丈夫だ。俺が洗髪してやるから、ここに横になってくれ。ええっと、頭はこっちで足はここだ」
「……どういうこと?」
「実は美容室のような洗髪チェアを作ってみた。だから服を着たまま横になれば、俺が洗ってやれるぞ」
「流は、そんな椅子まで作れるのか」
「あぁ、何のために造形美術を学んだと? さぁ早く早く!」
早く試してみたくてウズウズする。
兄さんの手を引いて風呂場に置いた移動式の簡易ベッドのようなものに寝かせてやった。
「ん……」
兄さんは見えない目で不安そうにキョロキョロし、簡易ベッドの端を必死に掴んでいた。そんな様子も愛おしくて仕方がない。
「大丈夫だ。落っこちないように手すりも付けたんだ。ほら、ここを握って」
「ふぅ、至れりつくせりだな。流は凄いよ。やっぱり僕の弟だけあるな」
兄さんも俺の提案が嬉しかったのか、珍しく透明感のある微笑みを浮かべてくれた。
久しぶりに垣間見る兄さんらしい微笑みだ。
仏のように柔和に微笑んでくれたことが嬉しくて、不覚にも涙が零れそうになってしまった。
「流……どうした?」
鼻をすする音に、兄さんが怪訝な顔をした。
「いや。褒めてもらえて嬉しくてさ」
「流……僕はいつだって流のことが大好きなんだよ。その、またお前とこうやって和やかに話すことが出来て、今、すごく嬉しいんだ。こんな状態だから、より一層強く思うよ。流は、僕の光だよ」
俺が兄さんの光だって?
兄さんをここまで追い詰めたのは俺なのに。
俺が頑なに心を閉ざしたことで、兄さんがどんなに苦しんだのか知っている。なのにこの俺を……『光』と言ってくれるのか。
「兄さんずっと……悪かった。でもこれからはずっと傍にいるから安心しろよ。さぁ洗髪するぞ」
これ以上話していると泣き崩れそうだった。だから慌ててシャワーの蛇口を捻って、水音に逃げこんだ。
兄さんの髪を濡らし、それからシャンプーを泡立て、見様見真似で頭皮をマッサージするように兄さんの髪に触れていく。
柔らかく明るい栗色の毛先は、乾燥して痛んでいた。
恐らく今回の事故のストレスだろう。
艶やかな髪の兄さんに戻って欲しい。
そうだ! トリートメントも購入してこよう。
今は楽しいことばかり、兄さんとの明るい未来ばかりが浮かんでくる。
「うん、分かった」
兄さんが素直に返事をしてくれるのが、心地良い。
今の兄さんは、俺がいないと階段も降りられない過酷な状況で、胸が塞がるが、この胸に沸き上がるのは別の熱い感情だった。
兄さんは……
ずっと俺の前を歩いていた人。
仏道を迷いなく進み何でも一人で決めてしまう……強がりな人だった。
その人が降りて来た。
俺の手元に。
まさに今はそんな状態だ。
兄さんの肩を支えてやり、階段を二人で抱き合うように降りていく。
こんな近くにいられるなんて、夢のようだ。
先ほど、丈からアドバイスされた言葉の意味を噛み締める。
……
幸い、流兄さんが触れるのだけは大丈夫のようですね。時間はかかるかもしれませんが、今、翠兄さんがいる場所は安全だということを、先程のように何度も何度も伝えて安心させ心を解していけば……きっと、また目が見えるようになるかと。
……
今の俺は兄さんにとって、一番安全で頼りになる存在なのか。
ずっと昔からそうなりたかったことが叶っていく。
視力が戻るまでは、いつだって兄さんの目となり、遠慮なく身体に触れることが出来る状態だ。もちろん兄さんが嫌がることは絶対にしない。兄さんは過敏な程、俺の前で肌を見せるのを嫌がっているのを承知しているから、ぐっとやましい感情は押し殺し、兄さんの負担にならない方法を考えた。
兄さんの心を大切にする。
絶対に怖がらせない。
もう一度、丈に言われたことを復唱した。
脱衣場を通り過ぎ、寝間着のまま兄さんを風呂場の中に引き入れた。
「流……お風呂は一人で入れるから……流は……」
「大丈夫だ。俺が洗髪してやるから、ここに横になってくれ。ええっと、頭はこっちで足はここだ」
「……どういうこと?」
「実は美容室のような洗髪チェアを作ってみた。だから服を着たまま横になれば、俺が洗ってやれるぞ」
「流は、そんな椅子まで作れるのか」
「あぁ、何のために造形美術を学んだと? さぁ早く早く!」
早く試してみたくてウズウズする。
兄さんの手を引いて風呂場に置いた移動式の簡易ベッドのようなものに寝かせてやった。
「ん……」
兄さんは見えない目で不安そうにキョロキョロし、簡易ベッドの端を必死に掴んでいた。そんな様子も愛おしくて仕方がない。
「大丈夫だ。落っこちないように手すりも付けたんだ。ほら、ここを握って」
「ふぅ、至れりつくせりだな。流は凄いよ。やっぱり僕の弟だけあるな」
兄さんも俺の提案が嬉しかったのか、珍しく透明感のある微笑みを浮かべてくれた。
久しぶりに垣間見る兄さんらしい微笑みだ。
仏のように柔和に微笑んでくれたことが嬉しくて、不覚にも涙が零れそうになってしまった。
「流……どうした?」
鼻をすする音に、兄さんが怪訝な顔をした。
「いや。褒めてもらえて嬉しくてさ」
「流……僕はいつだって流のことが大好きなんだよ。その、またお前とこうやって和やかに話すことが出来て、今、すごく嬉しいんだ。こんな状態だから、より一層強く思うよ。流は、僕の光だよ」
俺が兄さんの光だって?
兄さんをここまで追い詰めたのは俺なのに。
俺が頑なに心を閉ざしたことで、兄さんがどんなに苦しんだのか知っている。なのにこの俺を……『光』と言ってくれるのか。
「兄さんずっと……悪かった。でもこれからはずっと傍にいるから安心しろよ。さぁ洗髪するぞ」
これ以上話していると泣き崩れそうだった。だから慌ててシャワーの蛇口を捻って、水音に逃げこんだ。
兄さんの髪を濡らし、それからシャンプーを泡立て、見様見真似で頭皮をマッサージするように兄さんの髪に触れていく。
柔らかく明るい栗色の毛先は、乾燥して痛んでいた。
恐らく今回の事故のストレスだろう。
艶やかな髪の兄さんに戻って欲しい。
そうだ! トリートメントも購入してこよう。
今は楽しいことばかり、兄さんとの明るい未来ばかりが浮かんでくる。
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