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色は匂へど……
我慢の日々 6
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「兄さん、大丈夫だ! ここは月影寺だ! 俺が……流がいるから」
気が付くと弟の流にすっぽり抱きしめられていた。
流は取り乱す僕の耳元で、宥めるように何度も何度も必死に囁いてくれた。
「大丈夫だ。俺がいるから」
「もう怖くないよ。兄さん」
その言葉に、徐々に自分を取り戻していく。
流の背中におずおずと手を回し、流の肉体が確かにここに存在することを確かめて、安堵した。
流……いつの間にかこんなに逞しくなって……もうとっくに僕の小さな弟ではないのは理解していたが、こんな風に立場が逆転したかのように抱きしめられると、妙な気持ちになってしまうよ。
「あぁ……もう大丈夫だ。取り乱して、ごめんよ。忘れてくれ……」
気丈に答えるが身体の力が抜けてしまい、ずるずると畳にしゃがみ込んだ。
立っていられない程の疲労感に襲われる。
僕の身体は一体どうなってしまったのか。
こんな風に周りに心配をかけるのが一番嫌だった。
だからずっと一人で歯を食いしばって頑張ってきたのに。
暗闇が怖い。
人の心どころか、顔が見えないことへの恐怖。
暗闇で急に丈に乱暴に肩を掴まれた時、酷い嫌悪感に苛まれた。
何かを思い出しそうで怖かった。
僕はあの日、どうして新宿の……あのような、いかがわしい繁華街にいのか。
事故の一週間程前に離婚届を彩乃さんから唐突に突きつけられ、失意のあまりに虚脱した日々だったのは覚えている。
だが、その後の記憶が朧気だ。
一体、僕はあそこで何をしていたのだろう。
思い出すのがとても怖い。
「兄さん、大丈夫か」
「流……ごめん、今は……少し眠りたい。流の作ったものはあとで教えてくれるか」
「わぁ、分かった。それでいい。そうした方がいい。ほら布団に入れ」
横たわると、すぐに猛烈な睡魔がやってきた。
逃避したい気分だった。
何もかもから。
「兄さん、もう大丈夫だ。眠るまで手を繋いでいるから……大丈夫だ」
今は……この流の温もりだけを感じていたい。
****
「丈、さっきは怒鳴って悪かったな」
「いえ……私の方こそ軽率でした。すみません」
翠兄さんが眠ったのを確認してから場所を移した。
折り入って話たいことがあったので、流兄さんの作業場にやってきた。
ここは母屋の奥庭に建つ、掘っ立て小屋だ。
「で、折り入って話ってなんだ?」
「まずは翠兄さんの症状をもう一度教えてください。先程のように取り乱すことは、今までもあったのですか」
「……実は俺以外の人が突然触れると、さっきみたいになる。何度かどうしても俺が出掛けなくてはいけなくて、ヘルパーさんに頼んだがダメだった。なぁ丈……兄さんは一体どうなってる? あんな風になるなんて、やはり大きな引き金があったのか」
この先を話すべきか否か、少し迷った。
「……翠兄さんを侮辱するかもしれないと思い、黙っていたのですが、先程の症状を見る限りでは……」
「なんだ? 話せよ」
「実はここに来るまでに、翠兄さんの症状について精神科の友人に可能性を示唆してもらってきたのですが……もしかして『メイル・レイプ』の可能性があるのでは? それに近い何かが起きたショックの後遺症ではないかと思う節があります」
「なんだよっ、その言葉! 翠兄さんがそんなに目に遭ったっていうのかよ!」
流兄さんは手元に転がっていた鉛筆をへし折った。
「落ち着いてください! 最終的な行為に至らぬとも、それに近いことが起きた可能性があると言ったまでです。それは男性の性被害について表現するために生み出された用語です」
流兄さんの握り拳が震えている。怒りが沸き起こってきているのだ。
「そんな……まさか……翠兄さんに限って」
深呼吸してから私の見解を一気に伝えた。
「いいですか。流兄さんよく聞いてください。男性がやられる方が、恥の感情が強いため、周囲に全く相談ができない境地に陥りやすいのです。だから自分の視界や記憶を閉じて自己防衛することがあるそうです。兄さんの症状は残念ながら全部あてはまります。先ほど……男の私が乱暴に身体に触れたことへの拒絶感もすごかったです。今の翠兄さんはおそらく『恥ずかしいことをされてしまった。でも、全部……自分が弱いからいけなかった』という気持ちの闇を抱えている状態なのかもしれません。これは憶測ですが……翠兄さんはもしかしたら誰にも言えない深い心の傷を負ってしまったのでは?」
「何故……そんな」
流兄さんの顔は、いよいよ蒼白だ。わなわなと唇が震えている。
「おっ、俺はどうしたら?」
「幸い……流兄さんが触れるのだけは大丈夫のようですね。時間はかかるかもしれませんが、今翠兄さんがいる場所は安全だということを、さっきみたいに何度も何度も伝えて安心させ心を解していけば……きっと……また目が見えるようになるかと。でもどうか嫌な記憶は、今は無理して掘り起こさないで下さい。簡単に扱うのは危険です」
「分かった」
今はまだその時ではない。
まずは月影寺で心を休めるべきだ。
平穏な毎日を過ごし、ボロボロになってしまった心身を調えて、視力の回復を優先すべきだ。
今、根掘り葉掘り聞き出すのは非常に危険だと、私の心が警笛を鳴らしている。
気が付くと弟の流にすっぽり抱きしめられていた。
流は取り乱す僕の耳元で、宥めるように何度も何度も必死に囁いてくれた。
「大丈夫だ。俺がいるから」
「もう怖くないよ。兄さん」
その言葉に、徐々に自分を取り戻していく。
流の背中におずおずと手を回し、流の肉体が確かにここに存在することを確かめて、安堵した。
流……いつの間にかこんなに逞しくなって……もうとっくに僕の小さな弟ではないのは理解していたが、こんな風に立場が逆転したかのように抱きしめられると、妙な気持ちになってしまうよ。
「あぁ……もう大丈夫だ。取り乱して、ごめんよ。忘れてくれ……」
気丈に答えるが身体の力が抜けてしまい、ずるずると畳にしゃがみ込んだ。
立っていられない程の疲労感に襲われる。
僕の身体は一体どうなってしまったのか。
こんな風に周りに心配をかけるのが一番嫌だった。
だからずっと一人で歯を食いしばって頑張ってきたのに。
暗闇が怖い。
人の心どころか、顔が見えないことへの恐怖。
暗闇で急に丈に乱暴に肩を掴まれた時、酷い嫌悪感に苛まれた。
何かを思い出しそうで怖かった。
僕はあの日、どうして新宿の……あのような、いかがわしい繁華街にいのか。
事故の一週間程前に離婚届を彩乃さんから唐突に突きつけられ、失意のあまりに虚脱した日々だったのは覚えている。
だが、その後の記憶が朧気だ。
一体、僕はあそこで何をしていたのだろう。
思い出すのがとても怖い。
「兄さん、大丈夫か」
「流……ごめん、今は……少し眠りたい。流の作ったものはあとで教えてくれるか」
「わぁ、分かった。それでいい。そうした方がいい。ほら布団に入れ」
横たわると、すぐに猛烈な睡魔がやってきた。
逃避したい気分だった。
何もかもから。
「兄さん、もう大丈夫だ。眠るまで手を繋いでいるから……大丈夫だ」
今は……この流の温もりだけを感じていたい。
****
「丈、さっきは怒鳴って悪かったな」
「いえ……私の方こそ軽率でした。すみません」
翠兄さんが眠ったのを確認してから場所を移した。
折り入って話たいことがあったので、流兄さんの作業場にやってきた。
ここは母屋の奥庭に建つ、掘っ立て小屋だ。
「で、折り入って話ってなんだ?」
「まずは翠兄さんの症状をもう一度教えてください。先程のように取り乱すことは、今までもあったのですか」
「……実は俺以外の人が突然触れると、さっきみたいになる。何度かどうしても俺が出掛けなくてはいけなくて、ヘルパーさんに頼んだがダメだった。なぁ丈……兄さんは一体どうなってる? あんな風になるなんて、やはり大きな引き金があったのか」
この先を話すべきか否か、少し迷った。
「……翠兄さんを侮辱するかもしれないと思い、黙っていたのですが、先程の症状を見る限りでは……」
「なんだ? 話せよ」
「実はここに来るまでに、翠兄さんの症状について精神科の友人に可能性を示唆してもらってきたのですが……もしかして『メイル・レイプ』の可能性があるのでは? それに近い何かが起きたショックの後遺症ではないかと思う節があります」
「なんだよっ、その言葉! 翠兄さんがそんなに目に遭ったっていうのかよ!」
流兄さんは手元に転がっていた鉛筆をへし折った。
「落ち着いてください! 最終的な行為に至らぬとも、それに近いことが起きた可能性があると言ったまでです。それは男性の性被害について表現するために生み出された用語です」
流兄さんの握り拳が震えている。怒りが沸き起こってきているのだ。
「そんな……まさか……翠兄さんに限って」
深呼吸してから私の見解を一気に伝えた。
「いいですか。流兄さんよく聞いてください。男性がやられる方が、恥の感情が強いため、周囲に全く相談ができない境地に陥りやすいのです。だから自分の視界や記憶を閉じて自己防衛することがあるそうです。兄さんの症状は残念ながら全部あてはまります。先ほど……男の私が乱暴に身体に触れたことへの拒絶感もすごかったです。今の翠兄さんはおそらく『恥ずかしいことをされてしまった。でも、全部……自分が弱いからいけなかった』という気持ちの闇を抱えている状態なのかもしれません。これは憶測ですが……翠兄さんはもしかしたら誰にも言えない深い心の傷を負ってしまったのでは?」
「何故……そんな」
流兄さんの顔は、いよいよ蒼白だ。わなわなと唇が震えている。
「おっ、俺はどうしたら?」
「幸い……流兄さんが触れるのだけは大丈夫のようですね。時間はかかるかもしれませんが、今翠兄さんがいる場所は安全だということを、さっきみたいに何度も何度も伝えて安心させ心を解していけば……きっと……また目が見えるようになるかと。でもどうか嫌な記憶は、今は無理して掘り起こさないで下さい。簡単に扱うのは危険です」
「分かった」
今はまだその時ではない。
まずは月影寺で心を休めるべきだ。
平穏な毎日を過ごし、ボロボロになってしまった心身を調えて、視力の回復を優先すべきだ。
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