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第五章
彷徨う人 14
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「さぁ、あんたはまだ少し休んだ方がいい」
「……実はまだ眩暈も酷くて……そうさせてもらおう」
信二郎が促すと、湖翠さんは自ら横になり静かに目を閉じた。そして俺のことを手招きした。
「夕凪……どこだ?」
「はい」
「悪いが、少しの間だけでいいから、僕と手を繋いで欲しい」
「……そんなのお安い御用です。湖翠さん」
どこか不安そうな湖翠さんの手を取ると、彼はふっと悲し気に笑った。
「ありがとう。恥ずかしいのだが……どうにも怖くてね」
「湖翠さんともあろうお方が……一体何を恐れているのですか」
「うん……目を閉じても明けても、世界が真っ暗で……たまに自分が何処にいるのか分からなくなるのだ。それにしても、せっかく夕凪に会えたのに、君の可愛い顔を見ることが出来ないなんて残念過ぎるな……」
俺に話しかけながら、湖翠さんはウトウトと微睡みだした。
どうか……そのまま静かに眠ってください。
ひと時の安らぎを、湖翠さんにお与えください。
酷い現実は、もう忘れた方がいい。
「夕凪……お前、大丈夫か」
「信二郎……」
「俺は変な対応をしなかったか。大丈夫だったか」
「あぁ夕凪は頑張ったよ、さぁこっちに来い」
湖翠さんが寝息を立て始めたのを確認してから、俺と信二郎は庭に出た。信二郎の広い胸に抱かれ、淡い口づけをもらった。
「……辛かったな」
「湖翠さんは……もう全部忘れてしまっているようだった。だがあまりに都合のよいように解釈するのも悲しくて……泣けてしまう」
「そうだな……湖翠さんが探し求める相手はもう……今は」
「それは言わないでくれ」
そのまま俺は信二郎の腕を離れ芝生に膝をついて、墓石を抱きしめた。この石に刻まれた名前を指先で辿ると、すっと指先が切れて赤い血が滴った。
「おいっ大丈夫か。石に尖ったところがあったのか?消毒しないと」
「大丈夫だ。この位……あの人の無念を思えばこんなのはっ」
赤い血は生きている証。
あの人はもう血すら流せない。
****
翌朝、湖翠さんの容態はだいぶ落ち着いていた。
「夕凪……すまないが、風呂を使わせてもらってもいいか。どうも躰がべたついて気持ち悪くてね。昨夜もしかしたら寝汗をかいたのかな」
「もちろんです。もしよかったら俺が湯を流しましょうか」
「悪いね。湯治場では介添の男に頼んでいたが……ん?あの男はどこに行ったのかな。僕は目が見えないから滞在中は確か……身の回りの世話をしてもらっていたはずだが」
介添えの男の裏切りだろう。湖翠さんがあんな目に遭ったのは……
まずい。湖翠さんに余計なことを思い出させては駄目だ。
だから慌てて話題を変えた。
「湖翠さんは宇治に来た事はありますか」
「いや、ないよ。京都は何度か仏事で訪れたことはあるのだが、本当なら夕凪に会いに流水と一緒に来るはずだったんだよ。……もうそれは遠い昔の約束だが。そういえば昨日、流水の夢を見たよ」
「え……どんな夢でしたか」
「楽しい夢だった。夕凪と三人で庭掃除をしていたよ。落ち葉を山のように集めてね。そうしたら夕凪がどうしても焼き芋を食べたいというから、流水と顔を見合わせて笑ったんだ」
「焼き芋?ふふっ、俺が焼き芋を?なんだかおもしろい夢ですね」
「だろう?」
湖翠さんは、もう大丈夫だ。
嫌な記憶を、優しい記憶で塗り替え始めている。
彼が寿命を全うするまでの時間は果てしないだろう。
流水さんのことだから、湖翠さんに今生で……いつまでも負担をかけたくないと願ったに違いない。
「夕凪、昨日も話したがここはいいね。君の住まいはとても落ち着くよ。なんだかとても馴染みのある人の匂いがするような、温かい場所だ」
「……ありがとうございます。さぁ……そろそろ風呂に行きましょう」
「……実はまだ眩暈も酷くて……そうさせてもらおう」
信二郎が促すと、湖翠さんは自ら横になり静かに目を閉じた。そして俺のことを手招きした。
「夕凪……どこだ?」
「はい」
「悪いが、少しの間だけでいいから、僕と手を繋いで欲しい」
「……そんなのお安い御用です。湖翠さん」
どこか不安そうな湖翠さんの手を取ると、彼はふっと悲し気に笑った。
「ありがとう。恥ずかしいのだが……どうにも怖くてね」
「湖翠さんともあろうお方が……一体何を恐れているのですか」
「うん……目を閉じても明けても、世界が真っ暗で……たまに自分が何処にいるのか分からなくなるのだ。それにしても、せっかく夕凪に会えたのに、君の可愛い顔を見ることが出来ないなんて残念過ぎるな……」
俺に話しかけながら、湖翠さんはウトウトと微睡みだした。
どうか……そのまま静かに眠ってください。
ひと時の安らぎを、湖翠さんにお与えください。
酷い現実は、もう忘れた方がいい。
「夕凪……お前、大丈夫か」
「信二郎……」
「俺は変な対応をしなかったか。大丈夫だったか」
「あぁ夕凪は頑張ったよ、さぁこっちに来い」
湖翠さんが寝息を立て始めたのを確認してから、俺と信二郎は庭に出た。信二郎の広い胸に抱かれ、淡い口づけをもらった。
「……辛かったな」
「湖翠さんは……もう全部忘れてしまっているようだった。だがあまりに都合のよいように解釈するのも悲しくて……泣けてしまう」
「そうだな……湖翠さんが探し求める相手はもう……今は」
「それは言わないでくれ」
そのまま俺は信二郎の腕を離れ芝生に膝をついて、墓石を抱きしめた。この石に刻まれた名前を指先で辿ると、すっと指先が切れて赤い血が滴った。
「おいっ大丈夫か。石に尖ったところがあったのか?消毒しないと」
「大丈夫だ。この位……あの人の無念を思えばこんなのはっ」
赤い血は生きている証。
あの人はもう血すら流せない。
****
翌朝、湖翠さんの容態はだいぶ落ち着いていた。
「夕凪……すまないが、風呂を使わせてもらってもいいか。どうも躰がべたついて気持ち悪くてね。昨夜もしかしたら寝汗をかいたのかな」
「もちろんです。もしよかったら俺が湯を流しましょうか」
「悪いね。湯治場では介添の男に頼んでいたが……ん?あの男はどこに行ったのかな。僕は目が見えないから滞在中は確か……身の回りの世話をしてもらっていたはずだが」
介添えの男の裏切りだろう。湖翠さんがあんな目に遭ったのは……
まずい。湖翠さんに余計なことを思い出させては駄目だ。
だから慌てて話題を変えた。
「湖翠さんは宇治に来た事はありますか」
「いや、ないよ。京都は何度か仏事で訪れたことはあるのだが、本当なら夕凪に会いに流水と一緒に来るはずだったんだよ。……もうそれは遠い昔の約束だが。そういえば昨日、流水の夢を見たよ」
「え……どんな夢でしたか」
「楽しい夢だった。夕凪と三人で庭掃除をしていたよ。落ち葉を山のように集めてね。そうしたら夕凪がどうしても焼き芋を食べたいというから、流水と顔を見合わせて笑ったんだ」
「焼き芋?ふふっ、俺が焼き芋を?なんだかおもしろい夢ですね」
「だろう?」
湖翠さんは、もう大丈夫だ。
嫌な記憶を、優しい記憶で塗り替え始めている。
彼が寿命を全うするまでの時間は果てしないだろう。
流水さんのことだから、湖翠さんに今生で……いつまでも負担をかけたくないと願ったに違いない。
「夕凪、昨日も話したがここはいいね。君の住まいはとても落ち着くよ。なんだかとても馴染みのある人の匂いがするような、温かい場所だ」
「……ありがとうございます。さぁ……そろそろ風呂に行きましょう」
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