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別れの章
さらに深く…2
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噂は本当だった。程なくして、翔の婚約者とエレベーターで乗り合わせてしまった。彼女の肩にかけられたバッグには、妊娠中の証であるマタニティーマークのチャームが誇らしげに揺れていた。
目が眩む程、眩しい光景だった。
同時にどうあがいても敵わないと思った。
完全なる僕の負けだ。
ただし僕は女性になって妊娠したいなどとは、少しも思っていない。
女性はずっと苦手だった。そう考えるとずっと奥手なだけだと思っていたが、本当は自分の性癖を理解していなかったのかもしれない。つまり翔に抱かれたからではなく、もともと男性しか愛せない性分だったのかもしれない。
だから男である僕のことを、翔がまるごど愛してくれた日々がただただ愛おしく、簡単に捨てられないのだ。だって……翔は、僕の初めての恋人で、僕の躰は翔しか知らないのだから。
それからという日々、部署で翔と同じ空気を吸うのが息苦しくて辛かった。他の人と翔が話す声すら、聞きたくない。耳を塞ぎたくなるほどだ。
「おい松本、お前たち最近どうしたんだ?あんなにつるんでいたのに翔と全然一緒にいないじゃないか」
「……別に何もないよ」
「喧嘩でもしたのか。あーさては妬いてるんだろ、翔だけあんな美人の奥さんもらうことになって」
「っつ、違うよ!そんなんじゃない」
「照れるなよ。今度彼女の友達を紹介してやろうか」
「……必要ないよ」
同僚たちも僕と翔のぎこちなさに気付き始めたそんなある日のことだ。翔のもとを離れることを決意せざる得ない、決定的なことが起きてしまった。
****
金曜日の夜のことだった。
「誰?こんな時間に……」
いつものように真っすぐ自宅のマンションに戻り、一人で缶ビール片手に時間を潰していると、しつこくドアのチャイムが鳴ったが、面倒なので無視していた。だが何度も鳴り響くので流石に近所迷惑になると思い、酔っ払って重たい躰をひきずるように玄関へ行った。
ドアの穴から覗くと、驚いたことに翔が立っていた。
えっどうして……?何故翔が、僕の家に来たのだろう。
少し酔っていた僕には、すぐには状況が理解出来なかった。三年間付き合っている間、どんなに誘ってもいつもはぐらかされて一度も来てくれなかったのに……なんで今更。
一瞬僕のところに戻ってきてくれたのかと甘い期待を抱いてしまったが、婚約者のうっすらと膨らみだしたマタニティ姿を思い出し、その考えはすぐに打ち消した。
駄目だ。絶対に出ては駄目だ。
危険信号が鳴り響く。
居留守を使おうと決めて、リビングの片隅にしゃがみ込み、両手で耳を塞いだ。
早く帰ってくれ。
なんで来たんだよ。今更……
早く諦めて帰ってくれ!
ところが……
幾度かのチャイムのあと、突然ドアがガチャっと開く音がした。
血の気が引いた。
なんで鍵を持っている?
頭の中が真っ白になった。
まずい…
この状況で翔と会うのは、絶対に良くないと思った。だがそう思うが逃げる間もなく、すぐにリビングのドアが勢いよくバンッと開いて、翔が冷たい眼で僕を見下ろした。
「あっ……」
「優也っ!お前って奴は……なんで俺に居留守なんて使うんだよ」
「……翔こそなんで勝手に……どうして鍵を?」
目が眩む程、眩しい光景だった。
同時にどうあがいても敵わないと思った。
完全なる僕の負けだ。
ただし僕は女性になって妊娠したいなどとは、少しも思っていない。
女性はずっと苦手だった。そう考えるとずっと奥手なだけだと思っていたが、本当は自分の性癖を理解していなかったのかもしれない。つまり翔に抱かれたからではなく、もともと男性しか愛せない性分だったのかもしれない。
だから男である僕のことを、翔がまるごど愛してくれた日々がただただ愛おしく、簡単に捨てられないのだ。だって……翔は、僕の初めての恋人で、僕の躰は翔しか知らないのだから。
それからという日々、部署で翔と同じ空気を吸うのが息苦しくて辛かった。他の人と翔が話す声すら、聞きたくない。耳を塞ぎたくなるほどだ。
「おい松本、お前たち最近どうしたんだ?あんなにつるんでいたのに翔と全然一緒にいないじゃないか」
「……別に何もないよ」
「喧嘩でもしたのか。あーさては妬いてるんだろ、翔だけあんな美人の奥さんもらうことになって」
「っつ、違うよ!そんなんじゃない」
「照れるなよ。今度彼女の友達を紹介してやろうか」
「……必要ないよ」
同僚たちも僕と翔のぎこちなさに気付き始めたそんなある日のことだ。翔のもとを離れることを決意せざる得ない、決定的なことが起きてしまった。
****
金曜日の夜のことだった。
「誰?こんな時間に……」
いつものように真っすぐ自宅のマンションに戻り、一人で缶ビール片手に時間を潰していると、しつこくドアのチャイムが鳴ったが、面倒なので無視していた。だが何度も鳴り響くので流石に近所迷惑になると思い、酔っ払って重たい躰をひきずるように玄関へ行った。
ドアの穴から覗くと、驚いたことに翔が立っていた。
えっどうして……?何故翔が、僕の家に来たのだろう。
少し酔っていた僕には、すぐには状況が理解出来なかった。三年間付き合っている間、どんなに誘ってもいつもはぐらかされて一度も来てくれなかったのに……なんで今更。
一瞬僕のところに戻ってきてくれたのかと甘い期待を抱いてしまったが、婚約者のうっすらと膨らみだしたマタニティ姿を思い出し、その考えはすぐに打ち消した。
駄目だ。絶対に出ては駄目だ。
危険信号が鳴り響く。
居留守を使おうと決めて、リビングの片隅にしゃがみ込み、両手で耳を塞いだ。
早く帰ってくれ。
なんで来たんだよ。今更……
早く諦めて帰ってくれ!
ところが……
幾度かのチャイムのあと、突然ドアがガチャっと開く音がした。
血の気が引いた。
なんで鍵を持っている?
頭の中が真っ白になった。
まずい…
この状況で翔と会うのは、絶対に良くないと思った。だがそう思うが逃げる間もなく、すぐにリビングのドアが勢いよくバンッと開いて、翔が冷たい眼で僕を見下ろした。
「あっ……」
「優也っ!お前って奴は……なんで俺に居留守なんて使うんだよ」
「……翔こそなんで勝手に……どうして鍵を?」
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