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小学生編
冬から春へ 37
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四丁目の交差点を抜けると、歌舞伎座が見えてくる。
その角を何度か曲がると、テーラー桐生のレトロな看板が現れた。
石造りの古めかしいビルを見上げ、瀟洒な造りにうっとりとする。
いつ来ても本当に素敵な場所だな。
テーラーには寄らずに、BARへ直行した方がいいかな。
僕は左横の少し急な階段で、地下へ降りた。
まだ営業前で電灯がついていないので、思ったより足下が暗い。
僕は視界を塞ぐ程の大きなミモザの花材を抱えているので、気をつけないと。
「あっ!」
そう思ったのに、3歩目でズルッと足を踏み外してしまった。
まっ、まずい!
ギュッと目を瞑って、やってくる衝撃に耐えた。
そのまま階段を転げ落ちてしまうはずだったのに、逞しい手が伸びてきて、グイッと両脇を支えられ、一気に上に引き上げられた。
「おっと! 危ない所だったな」
「あっ」
「瑞樹くん、怪我しなかったか」
振り返るとテーラーの店主、桐生大河さんに身体を支えられていた。
危なかった! 本当に危機一髪のところを助けてもらった。
「すみませんでした」
「とんでもないよ! ところで今のって、謝るシーンだったか」
「あ、そうじゃなくて……ありがとうございます」
「よしよし、瑞樹くんは素直だな、蓮とは真逆で。『ありがとう』は人と人を繋ぐ大切な優しい言葉だよな」
大河さんの言葉に、突然悲しい思い出が押し寄せてきた。
……
両親を亡くした事故で病院に入院中、遠い親戚のおじさんやおばさんがやってきて、お葬式の手筈を整えてくれた。幼い僕には到底出来ないことをしてもらっていると、事故のショックでぼんやりした頭でも理解できた。
だから病室に入って来たおじさんとおばさんに勇気を出してお礼を言った。
お母さんから「瑞樹、あなたのために誰かが時間をさいて何かをしてくれたら、心を込めて感謝してね。『ありがとう』は人と人を繋ぐ大切な優しい言葉なのよ」と教えてもらっていたから。
「おじさん、おばさん、あの……ありがとうございます」
と告げたら、思いっきり怒鳴られた。
「おいっ、ここは『ありがとう』じゃなくて『すみません』だ! どんだけの迷惑をかけているんだと思って? 感謝じゃなくて謝罪だ。謝罪! 全く何も処理できない子供のくせに謝ることも知らないのか。どういう育て方をしたんだ?」
こんな風に大人に容赦なく頭ごなしに叱られた経験がなかったので、恐怖で固まってしまった。
「ほら、ちゃんと頭を下げて謝罪しろ!」
「……ご……ごめんなさい。すみませんでした」
僕はカタカタと震えた。
手も足も震えて、心も震えていた。
だが誰も僕を抱きしめてはくれない。
暖めてくれない。
お父さん、お母さん、怖いよ。
どこなの? どこにいるの?
助けて……
どうして僕だけ置いていってしまったの?
「よし、謝ればいいんだ。お前はずっと謝り続ける人生になるだろうな」
「……すみません」
……
思い出すと胸に迫るものがあった。
僕の暗い過去は、まだ全て宗吾さんに曝け出せていない。
「瑞樹くん、どうした? 怪我でもしたか。よしよし怖かったんだな」
大河さんに髪をくしゃっと撫でられた。
なんだかお兄ちゃんみたいだな。
「あの……僕……謝り癖……治したいのに……なかなか」
「意識して言い換えていこう。『すみません』は、さっきのように『ありがとう』と」
確かにそうだ。僕は今はもうこんなに幸せなのに、今でもつい癖で『すみません』と謝ってしまう。
さっき思い出した、あの日の悲しい出来事が原因だったのだ。
でも、もうあれは……今の僕には必要のない過去だ。
「瑞樹くん、引きずられるな! 悲しい過去はここに置いていけよ」
顔をあげると、いつのまにか蓮さんが立っていた。
彼は、僕の落としたミモザの花束を軽々と片手に持っていた。
「あの、今の僕の心の内を……どうして?」
「……カクテルを無心で作っていると見えるようになったのさ。その人の心の内側が透き通るように」
「そんな魔法のようなことが?」
「ははっ、そんなことがあったらいいよな」
「え?」
蓮さんは悪戯な笑みを浮かべていた。
「よし、気持ちを切り替えられたな。今日は来てくれてありがとう。ミモザの季節になったら、君にBARに生け込みしてもらおうと決めていたのさ」
「そうだったのですね。ご指名をありがとうございます」
「それにしても物音がして扉を開けると、ミモザが降ってきて驚いた」
「あっ……すみません」
「いや、気に入った。このミモザを踊るように躍動的に生けて欲しい。瑞樹くんになら出来るさ!」
「ありがとうございます。頑張ります」
少しずつ、少しずつでいい。
焦らずにプラスの言葉で言い換えていこう!
そうすればきっと自然と否定的な言葉が減り、自己否定感も和らぐだろう。
今は蓮さんの言葉に騙されてしまおう。
ここに置かせてもらおう。
悲しい過去を、また一つ忘れられそうだ。
今の僕を一番大事にしたいから。
宗吾さんと芽生くんと過ごす毎日を大切にするって、そういうことだ。
ミモザの花言葉はいろいろあるが、僕が好きのは『感謝』だ。
お母さんから教えてもらった通り、『ありがとう』は人と人を繋ぐ大切な優しい言葉なんだ。
その角を何度か曲がると、テーラー桐生のレトロな看板が現れた。
石造りの古めかしいビルを見上げ、瀟洒な造りにうっとりとする。
いつ来ても本当に素敵な場所だな。
テーラーには寄らずに、BARへ直行した方がいいかな。
僕は左横の少し急な階段で、地下へ降りた。
まだ営業前で電灯がついていないので、思ったより足下が暗い。
僕は視界を塞ぐ程の大きなミモザの花材を抱えているので、気をつけないと。
「あっ!」
そう思ったのに、3歩目でズルッと足を踏み外してしまった。
まっ、まずい!
ギュッと目を瞑って、やってくる衝撃に耐えた。
そのまま階段を転げ落ちてしまうはずだったのに、逞しい手が伸びてきて、グイッと両脇を支えられ、一気に上に引き上げられた。
「おっと! 危ない所だったな」
「あっ」
「瑞樹くん、怪我しなかったか」
振り返るとテーラーの店主、桐生大河さんに身体を支えられていた。
危なかった! 本当に危機一髪のところを助けてもらった。
「すみませんでした」
「とんでもないよ! ところで今のって、謝るシーンだったか」
「あ、そうじゃなくて……ありがとうございます」
「よしよし、瑞樹くんは素直だな、蓮とは真逆で。『ありがとう』は人と人を繋ぐ大切な優しい言葉だよな」
大河さんの言葉に、突然悲しい思い出が押し寄せてきた。
……
両親を亡くした事故で病院に入院中、遠い親戚のおじさんやおばさんがやってきて、お葬式の手筈を整えてくれた。幼い僕には到底出来ないことをしてもらっていると、事故のショックでぼんやりした頭でも理解できた。
だから病室に入って来たおじさんとおばさんに勇気を出してお礼を言った。
お母さんから「瑞樹、あなたのために誰かが時間をさいて何かをしてくれたら、心を込めて感謝してね。『ありがとう』は人と人を繋ぐ大切な優しい言葉なのよ」と教えてもらっていたから。
「おじさん、おばさん、あの……ありがとうございます」
と告げたら、思いっきり怒鳴られた。
「おいっ、ここは『ありがとう』じゃなくて『すみません』だ! どんだけの迷惑をかけているんだと思って? 感謝じゃなくて謝罪だ。謝罪! 全く何も処理できない子供のくせに謝ることも知らないのか。どういう育て方をしたんだ?」
こんな風に大人に容赦なく頭ごなしに叱られた経験がなかったので、恐怖で固まってしまった。
「ほら、ちゃんと頭を下げて謝罪しろ!」
「……ご……ごめんなさい。すみませんでした」
僕はカタカタと震えた。
手も足も震えて、心も震えていた。
だが誰も僕を抱きしめてはくれない。
暖めてくれない。
お父さん、お母さん、怖いよ。
どこなの? どこにいるの?
助けて……
どうして僕だけ置いていってしまったの?
「よし、謝ればいいんだ。お前はずっと謝り続ける人生になるだろうな」
「……すみません」
……
思い出すと胸に迫るものがあった。
僕の暗い過去は、まだ全て宗吾さんに曝け出せていない。
「瑞樹くん、どうした? 怪我でもしたか。よしよし怖かったんだな」
大河さんに髪をくしゃっと撫でられた。
なんだかお兄ちゃんみたいだな。
「あの……僕……謝り癖……治したいのに……なかなか」
「意識して言い換えていこう。『すみません』は、さっきのように『ありがとう』と」
確かにそうだ。僕は今はもうこんなに幸せなのに、今でもつい癖で『すみません』と謝ってしまう。
さっき思い出した、あの日の悲しい出来事が原因だったのだ。
でも、もうあれは……今の僕には必要のない過去だ。
「瑞樹くん、引きずられるな! 悲しい過去はここに置いていけよ」
顔をあげると、いつのまにか蓮さんが立っていた。
彼は、僕の落としたミモザの花束を軽々と片手に持っていた。
「あの、今の僕の心の内を……どうして?」
「……カクテルを無心で作っていると見えるようになったのさ。その人の心の内側が透き通るように」
「そんな魔法のようなことが?」
「ははっ、そんなことがあったらいいよな」
「え?」
蓮さんは悪戯な笑みを浮かべていた。
「よし、気持ちを切り替えられたな。今日は来てくれてありがとう。ミモザの季節になったら、君にBARに生け込みしてもらおうと決めていたのさ」
「そうだったのですね。ご指名をありがとうございます」
「それにしても物音がして扉を開けると、ミモザが降ってきて驚いた」
「あっ……すみません」
「いや、気に入った。このミモザを踊るように躍動的に生けて欲しい。瑞樹くんになら出来るさ!」
「ありがとうございます。頑張ります」
少しずつ、少しずつでいい。
焦らずにプラスの言葉で言い換えていこう!
そうすればきっと自然と否定的な言葉が減り、自己否定感も和らぐだろう。
今は蓮さんの言葉に騙されてしまおう。
ここに置かせてもらおう。
悲しい過去を、また一つ忘れられそうだ。
今の僕を一番大事にしたいから。
宗吾さんと芽生くんと過ごす毎日を大切にするって、そういうことだ。
ミモザの花言葉はいろいろあるが、僕が好きのは『感謝』だ。
お母さんから教えてもらった通り、『ありがとう』は人と人を繋ぐ大切な優しい言葉なんだ。
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