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小学生編

冬から春へ 27

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「えっと、まず『あ』から教えるよ。こうやって書くんだよ」
「あい! えっとぉ~ うーん、あれれ?」

 いっくんに『あ』という文字はむずかしいのかな?

 ぐるぐる、うずまきになっていくよ。

「ううん、じょうずにかけないよぅ」
「うーん、むずかしそうだね」
「いっくん、むじゅかちいよぅ。パパぁにおてがみかけないよぅ」
「えっと……」

 いっくん、しょぼんとしちゃった。

 ううん、困ったな。

 いっくんに、どうやってひらがなを教えたらいいのかな?

 そもそもボクでいいのかな?

 ボクは先生じゃないのに、文字を教えて大丈夫かな?

 まちがったことをおしえたら大変だよね。

 お勉強はあまり得意じゃないから、ちょっと心配だよ。
 
 急に不安になって、お兄ちゃんを探しちゃった。

「芽生くん、どうしたの?」

 お兄ちゃんはすぐにボクに気付いてくれる。

 お茶を飲んでいた手を止めて、駆け寄ってくれる。

 優しくふんわり微笑んでくれる。

「あ、あのね、いっくんにひらがなを教えてあげたいけど、むずかしいお勉強じゃなくてね……えっとね……その……やっぱり『あ』から教えないとだめなのかな?」

 いっくんの書きたい『パ』までは遠いよ。

 うーん、言いたいことが上手くまとまらないな。

「芽生くん、ここは小学校じゃないのだから、自由でいいんだよ」
「じゃあ、いっくんの好きな文字から教えてもいいのかな?」
「うん、そうしてごらん。よく気付いたね。『好きこそものの上手なれ』という言葉があって、好きなことは上達が早いんだよ。だから、いっくんが文字に興味を持つきっかけになりそうだよ」
「わぁ……そっか、よかった」

 ボクね、まだ小さいから困ってしまうことも多いけど、お兄ちゃんがいつもこうやって優しく背中を押してくれるの。

 だから、どんどん自分が好きになるよ!

 そしてお兄ちゃんがもっと好きになるよ

「いっくん、おまたせ。まずはパパの『ぱ』から教えてあげるよ」
「わぁ……いっくん、うれちい。あとね、めーくんの『め』もおしえてね」
「え?」
「いっくん、めーくんだいしゅきだもん」
「わぁ、うれしいな。えへへ」
「えへへ」
「じゃあ、ボクのまねをしてね」
「あい! よいちょ、よいちょ」
「わぁ、すごくじょうずだよ」
「えへへ」
 
****

 芽生くんがいっくんに一生懸命文字を教えている様子にほっこりした。

「瑞樹、芽生にとっても、いい経験になるな」
「はい、芽生くんは相手の立場を考えて行動出来てすごいです」
「それは君のおかげさ。瑞樹に似てきめ細やかな子になったなぁ」
「あの、芽生くんは宗吾さんに似て行動力があります」
「へへっ、俺たちの子は可愛いな」
「あ、はい」

 宗吾さんに肩を抱かれたので、そっと寄りそった。
 
 心が近いと思う瞬間だ。

(俺たちの子は可愛い)

 俺たちという言葉をそっとリフレイン。

 宗吾さんの相手を引き込む話し方が大好きだ。

 僕にそんな貴重なポジションを下さってありがとうございます。

 心の中でお礼を言うと、宗吾さんがこめかみにチュッとキスをした。

「あっ……」
「キスしたくなった」
「も、もう――」
 
 そのタイミングでソファに座っていた菫さんが何気なく振り返ったので、照れ臭かった。

「あ、えっと……」

 菫さんは少女のように微笑んで「ごちそうさま」と……

 その台詞に、僕は耳朶まで赤くなる。

「す、すみません」
「とんでもないです。お二人の家なのですから、いつも通り過ごして下さいね。それにしても今の、潤くんが見たらどんな反応するかしら」
「いっ、言わないで下さいね」
「ふふ、言いませんよ。でも潤くんは瑞樹くんが溺愛されているのが嬉しいようですよ」
「そ、そうなんですか」
「えぇ、宗吾さんは大事な兄さんを大切にしてくれるから最高だって、よく話しています。そんな私も潤くんに大切にされています。って、あら? 私も惚気ましたね」
「くすっ」
「ふふっ」

 自然と場が和んでいく。

 火事というショッキングの出来事の後に、ようやく心から笑えた。

「潤くん、一人で大丈夫かしら?」
「僕もそれが心配で……でも今頃きっと大沼から助っ人が到着したはずです」
「あ……もしかしてご実家のご両親が」
「はい、朝一の飛行機で」

 そう伝えると菫さんは心から安心したようだった。

「良かった。潤くん……私たちに焼け野原の残骸を見せたくなかったと思います。あそこは亡くなった彼と一緒に借りた部屋だったので思い出も沢山あったのですが……思い出はもう心に刻んで先に進む時でした。だから前向きに捉えようと思います。今度こそ私たちの家に引っ越しますね」
「無事に見つかるといいですね」
「はい」

 今頃もうお父さんたちは軽井沢に到着しただろう。

 僕も潤の傍にいてあげたかったが、菫さんたちを避難させるという役目があった。だから任せた。

 くまさんのフットワークは軽く、お母さんのフットワークも軽くなった。

……
「みーくん、潤のことは任せろ」
「え?」
「俺たちがしっかり支えるよ。潤だって怖かったはずだ。父親として夫として今は踏ん張っているが、とても怖かったはずだ」
「お父さん……そこに気付いてくれていたのですね」
「あぁ、だから俺たちが支えてやりたいよ。全部、過去の俺が出来なかったことだ」
……

 くまさんの後悔もこうやって塗り替えられていく。

 僕と潤の関係も、どんどん進んでいく。

 振り返ってばかりでは駄目だ。

 同じ場所に停滞していると、新しい景色とは出会えない。

****

「潤の携帯、火事でなくしちゃったの?」
「そうなんだ。逃げ遅れた人を救助にいって、その時に落としたみたいだ」
「そうだったのね。それは仕方が無いわよ。命の方が大事ですもの。他に連絡する所はない? 私の携帯をとりあえず使って」
「でも、それじゃ母さんが困るだろう?」

 母さんはお父さんを見つめて、ふふっと微笑んだ。

「私たち、ここではずっと一緒だから大丈夫よ」
「そうだそうだ。だから気にするな」

 親の惚気をまともに喰らって、思わず笑みが漏れた。

「くくっ」
「あら、笑顔になったわね」
「あぁ、母さんたちがオレの目の前でイチャイチャするからさ」
「ふふっ、あのね、芽生くん語録では『あちち』と言うそうよ。さぁ潤も菫さんたちを一刻も早く呼び戻せるようにファイトよ。あ、ちょっと待って」

 母さんは俺の手を握って、手の甲に絆創膏を貼ってくれた。

「……これは名誉の負傷ね、潤は私の自慢の息子だわ」

 心のこもった言葉が、オレを奮い立たせてくれる。

 よし、動き出すぞ。

 強力な助っ人はすぐ傍にいてくれる。

 オレを丸ごと優しく包んでくれているのだから、オレは動き出せる!

「母さん、電話を貸してくれないか。まずは職場に電話をしたいんだ」

 失った物を、この手で一つ一つ取り戻していこう!

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