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小学生編

冬から春へ 10

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「お兄ちゃん、ボクは大丈夫だよ。いってらっしゃい!」

 瑞樹と宗吾の出発を、手を振って元気よく見送る芽生。

 優しく思いやりのある子に成長したな。

 宗吾と玲子さんが結婚していた頃は、甥っ子である芽生とは滅多に会わなかった。

 会っても、お互いに関心を持たなかった。

 いつもモノトーンの服を着せられお母さんの後ろに隠れている、子供らしくない子供だと漠然と思っていた。

 そういう私も子供の気持ちなど何一つ理解しない、頭でっかちな大人だった。

 今の芽生は……

 自分が相手のために出来ることは何か、いつも考えている。

 私も見習いたい。

 ふと、瑞樹の心配そうな顔が脳裏を過った。

 可哀想に、まだ弟さんと連絡が取れないのだろうか。せめて向こうから連絡があれば、瑞樹の不安も解消されるのだが、いかがしたものか。

 両親と弟を車の事故で亡くしているから、私たちが感じるよりもっと強い不安を抱いているはずだ。

 火事場では逃げ出すので精一杯で携帯が燃えてしまうのは、よくあることだ。気が動転して電話番号を思い出せない事例も多い。

 これは……どうにかしてやりたいな。

 私はPCを開いて、軽井沢のアパート火災のニュースをもう一度確認した。現場からの生中継の映像を見て確信した。

 怪我人はいない。

 避難した住民は呆然と周囲に立ち尽くしたり、座り込んでいる。

 この現場の管轄はどこだ?

 瑞樹と出会う前に『長野地方・家庭裁判所』に赴任していたことがあるので、軽井沢の警察や消防に知り合いがいることを思い出した。

 そうだ、まだ若手だが熱意のある彼なら、私の個人の願いを聞いてくれるかもしれないな。

 すぐに連絡を取ってみた。

 瑞樹の役に立ちたい一心で、身体が自然に動き出していた。

 火事場付近で座り込んでいる家族。両親と小さな男の子と赤ん坊を見かけたら、瑞樹の携帯に電話をかけるように促して欲しいと依頼した。

 安堵した気持ちで居間に戻ると、可愛い声が台所から聞こえた。

「おばあちゃん、今日のゆうごはんなあに? ボクもおてつだいするよ」
「まぁ、芽生、ありがとう。今日はコロッケを作っているのよ」
「わぁぁ、おばあちゃんの手作り?」
「そうよ」
「ボク、おばあちゃんのコロッケ大好物だよ」
「嬉しいことを言ってくれるのね。芽生は本当に優しい子ね」

 母が芽生を抱きしめると、芽生はくすぐったい顔をして笑った。

 芽生が我が家の食卓に加わると、とても明るい雰囲気になる。ハキハキと受け答えする利発そうな顔も、彩芽を可愛がる優しさも、積極的にお手伝いする気が利く所も、全部いい。

「芽生、春になったらまた私と野球を観に行かないか」
「行く! おじさんと行った時、ボク、本当に面白かったよ」
「そうか、そうか。約束しよう」
「おじさん、ありがとう」
「ん? 私は何もしてないよ」
「ううん、おじさんはいつも見えないところでいっぱいみんなを助けているんでしょ。おじさんって、すごいんだね」
「ええっ」

 こんな風に手放しで褒められたことはないので、猛烈に照れ臭いぞ。

「ボク、おじさんみたいにかっこよくなりたいな」
「ええっと……」

 しどろもどろになっていると、宗吾から電話が入った。

「どうした?」
「兄さんですよね。警察官に頼んでくれたのは」
「おぉ、無事に連絡が取れたのか」
「はい、バッチリでした。瑞樹が本当に嬉しそうで……兄さんのおかげです。ありがとうございます!」

 宗吾からストレートに礼を言われて、また照れ臭くなった。

 銀縁眼鏡を摘まんで、意味も無く上下に揺らしてしまう。

 照れ臭いという感情を抱くことが、また照れ臭いのだ。

「今、ちょうど車をSAで停めました。瑞樹が話したいと言っているので変わります」
「おぉ」
「憲吾さん、ありがとうございます。憲吾兄さんはすごいです。絶対に憲吾兄さんが手筈を整えてくれたと思いました。感動しました。潤たち全員無事でした。僕……本当は不安で……不安に押し潰されそうでした。車もとても運転出来る状態ではなかったんです。でも一気に気持ちが上がりました。潤の兄として……兄らしく駆けつけることが出来ます。全部、憲吾兄さんのおかげです」

 瑞樹がさっきから『憲吾兄さん』と連呼してくれる。

 その一言一言に感動を覚える。

 私の顔は赤く染まっているだろう。

 照れ臭すぎて、動悸が激しいぞ。

「潤くんが無事で良かったな。私がしたことは橋渡しに過ぎない。そんなにお礼を言われることでは……」
「いえ、僕には到底思いつかないし、出来ないことでした。憲吾兄さんだから出来たことです。ありがとうございます。僕、行ってきます! 弟たちのサポートをしたいんです」
「あぁ、こっちも全面的に協力する。困った時はお互い様だ」
「はい!」

 爽やかな風が吹き抜けるような心地だった。

 弟の元へ駆けつける兄。

 私を慕ってくれる可愛い弟。

 宗吾が瑞樹と出会ったことにより、私の世界もどんどん広がっていく。

 心配そうな顔で聞いていた芽生も安心させてやりたい。

「芽生、良かったな! 潤くんたち全員無事だそうだ。いっくんも元気だよ」
「ほ……ほんと? よかったー よかったよぅ、いっくんにまた会えるんだね」

 芽生が少し震えたので、すぐに抱きしめてやった。

「芽生も怖かっただろう。よくがんばったな。もう我慢しなくていいんだぞ」

 もしも瑞樹だったら、こんな風に言うのでは?

 そんな風にイメージを膨らませると、心に優しさが芽生えた。

 そして芽生が小さく身体を震わせて、私の胸に顔を埋めてくれた。

 私はその小さな背中にそっと手をあてて、撫でてやった。

「芽生、がんばったな。もう我慢するな」


 
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