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小学生編
ムーンライト・セレナーデ 10 (月影寺の夏休み編)
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「菫さんは、槙くんと、この部屋でお寛ぎ下さい」
月影寺のご住職さま、翠さんに案内されたのは、庭がよく見える明るい和室だった。縁側近くにベビーベッドとゆりかごが用意されており、ちゃぶ台も置かれていた。
「どうぞ、ごゆるりと足を伸ばしてお過ごし下さい」
「あ、あの、こんなの至れり尽くり過ぎませんか。私達はある意味、この集まりの部外者なのに、ここまでしていただくのは申し訳ないです」
思い切って、気になっていたことを伝えた。
「……そんなことは決してありませんよ。不要な人間など、この世には存在しないのです。それぞれが誰かにとって大切な存在で、幸せな存在なのですよ。それに菫さんは皆の良き理解者です。僕達の特有の世界を受け止めて下さって感謝しています。菫さんは、僕たちにとって烏滸がましいかもしれませんが、妹のような存在です。何故だか、懐かしい気持ちになります。だからどうかお気になさらず、ここでは皆に甘えてお過ごし下さい」
ご住職さまの涼しげな声は、聞いているだけで心が洗われるよう。
潤くんと出会うまで、こんなに誰かに何かをしてもらうことはなかった。
意固地になって差し出される手を突っぱねているうちに、誰も近寄らなくなってしまったのは自業自得。
『二十代前半で夫を亡くした気の毒な未亡人。父親が亡くなった後に産まれた赤ちゃんって気の毒ね、まともに育つのかしら?』
そう産院で囁かれていたのを偶然耳にしてから、どうしても周囲に素直になれなかった。人を信じられなくなってしまったの。
私だけでも樹はしっかり育てて見せる!
今となっては、そんな自分勝手な気負いが、いっくんに負担をかけ、健やかな成長を妨げてしまった気がして止まないわ。
「菫さん、樹くんは仏様がお授け下さった可愛い可愛いお子さんですよ。ここまであなたは頑張りました。本当に良い子にお育てになりましたね」
「ご住職さま」
「僕の息子はもう高校生になったので、樹くんや槙くんを見ていると当時を懐かしく思い出します。なので、ここでは遠慮なく僕達におちびちゃんたちのお世話をさせて下さい」
樹を可愛くて良い子だと言ってもらえて、幸せ。
赤ちゃんのお世話も、もっともっと甘えてみよう。
この人達ならば、このお寺の中ならば素直になれるから。
「ありがとうございます」
「菫さん、人生は長いです。ゆるり、ゆるりとですよ」
「はい」
ベビーベッドに槙を寝かせて、和室で私も足を伸ばして寛がせてもらった。
お寺の中庭では、さっきから賑やかに流しそうめんが行われている。
目にも鮮やかな竹林から零れる木漏れ日。
庭一杯に、無邪気な声が響いている。
ふふっ、いっくん、うれしそう!
芽生くんと一緒にぴょんぴょん飛び跳ねて、ずっとご機嫌ね。
初めてだもんね、こんなに賑やかな夏休み。
生後間もなく保育園に預け、夏休みも毎日預けっぱなしだったから、それが当たり前だと思っていたでしょうね。
潤くんと出逢ってから、少しずつ知る外の世界は、あどけないいっくんには、刺激いっぱいの日々。
「よいしょ、よいしょ、ママぁ、おそうめんをどうぞ」
「いっくんがとってきてくれたの? ありがとう」
「あのね、いっくんね、じょうずにおはしでとれるようになったんだよ」
「すごい美味しそう! 赤いハートの蒲鉾も入っているわ」
「えへへ、ママのだよ。ママがすきだから」
「いっくん、ありがとう」
いっくんをギュッと抱きしめてあげると、いっくんはふわっと笑ってくれた。
いっくんの最高の笑顔、掴まえた!
****
流しそうめんも終わり、翠兄さんと流兄さんは檀家さん巡りに行ってしまった。
「丈、夕方までここは任せたぞ」
「流兄さん、分かりました。洋と頑張ってみます」
「あぁ、そうだ。お前は一人じゃない」
お盆真っ最中なのだから当然なのだが、兄たちがこの場にいられないのは少し残念だ。出来たらずっと一緒に過ごしたい人達だから。
さぁここからは私が仕切らないと。子供の相手は不慣れなので不安になるが、流兄さんの言う通り、皆がいるから大丈夫だろう。
「あー コホン、これからプールをしようと思います。各自水着に着替えて下さい。ちなみに芽生くんと樹くんの水着はこちらで用意しています」
「わぁ~ どんなの?」
「いっくんのもあるの? いっくんのみずぎー」
私を見上げるつぶらな瞳はキラキラと輝き期待に満ちている。
薬を買うついでに子供用品売り場に立ち寄って正解だな。久しぶりに小児科の研修時代を振り返り、男児の成長データーも丸暗記して行ったので、二人の息子の父の気分でジャストサイズを購入出来た。ペパーミントグリーン色が、あどけない子供達にぴったりだと思った。
「これで、どうだ?」
「わぁ、かっこいいー」
「そうか、樹くんはこっちだ」
「いっくんのもおんなじだ、めーくんといっしょだね」
「いっくん、水着になろう!」
「あい!」
二人は庭に、ぽいぽいと服を脱ぎ捨てていく。それを潤くんと瑞樹くんが笑いながら拾い集めている。
今日は夏祭り、ここは月影寺、すべて無礼講だ。
だが医師として準備運動の指導だけは怠るわけにはいかない。だから今にもプールに飛び込みそうな子供に、準備運動を熱心に指導し、それから縁側に座らせて水遊びに注意事項を説いた。
暫く話していると、洋がやってきて「丈せんせ、それくらいで充分では?」と囁かれた。
見ると縁側に座った二人は肩を寄せ合い、こっくりこっくりと……
苦笑してしまった。
つい熱が入ってしまったな。これは職業病だ。
和室では菫さんが槙くんと昼寝をしているのも見えた。
のどかな昼下がりだ。
「よし、じゃあ、入ろう、プールはお子様ように浅くしてあるが誰か引率を」
「オレが入るよ」
「俺が行くよ」
手を上げたのは、宗吾と薙だった。
宗吾はちゃっかり自分の水着を持参していた。薙はだいぶ大人の体つきになってきたな。といっても翠兄さんに似て細身だが、筋肉も程よくついてしなやかに成長していた。
「さぁ、エンジェルズ、自由に遊んでいいぞ」
「わぁ、わぁ、いこう!」
「うん、行こう!」
浮き輪をつけたいっくんとしっかり手を繋ぐ芽生くん。
お揃いの水着を着て、誰が見ても仲良し兄弟だ。
芽生くんと樹くんと槙くん。
君たちは、月影寺の新しい時代の三兄弟だ。
****
宗吾さんたちが子供たちをプールに連れて行ってくれたので、僕は潤と休憩した。こうやって大人が順番に子供の相手をするのもいいね。大家族ならではだろう。
「兄さん、冷たい麦茶、飲む?」
「うん、ありがとう。あ……菫さんも槙くんもお昼寝しちゃったね」
「最高のBGMだよ。人の団欒って」
「うん、僕も大好きだよ」
「兄さん……あのさ……オレさ、こんな夏休み経験したことないから、いっくんに何をしてやったらいいのか分からなくて……だから誘ってくれてありがとう」
潤に頭を下げられて、慌てて上げさせた。
「潤にしてあげたかったことが出来て、僕も嬉しいよ」
僕には10歳までの思い出があるが、潤にはない。生まれた時からずっとお父さんのいない世界を生きてきた。だからしたかったこと、憧れていたことを、兄さんが今からでも叶えてあげたい。
僕達は縁あって繋がった兄弟なんだから。
「ふぎゃ、ふぎゃ……」
「あ、槙くん、起きちゃったね」
「おう、まき~ おっきしたのか」
「ふぎゃ、ふぎゃ」
潤が赤ん坊を抱いている姿を、改めて間近で見て感動した。
「泣き止まないな」
「おむつかな?」
「替えてみようか」
「兄さん手伝ってくれる?」
「うん」
槙くんの小さな手、小さな足、小さな命に触れ、僕は少しだけ涙ぐんでしまった。
たぶん、幸せ過ぎて――
月影寺のご住職さま、翠さんに案内されたのは、庭がよく見える明るい和室だった。縁側近くにベビーベッドとゆりかごが用意されており、ちゃぶ台も置かれていた。
「どうぞ、ごゆるりと足を伸ばしてお過ごし下さい」
「あ、あの、こんなの至れり尽くり過ぎませんか。私達はある意味、この集まりの部外者なのに、ここまでしていただくのは申し訳ないです」
思い切って、気になっていたことを伝えた。
「……そんなことは決してありませんよ。不要な人間など、この世には存在しないのです。それぞれが誰かにとって大切な存在で、幸せな存在なのですよ。それに菫さんは皆の良き理解者です。僕達の特有の世界を受け止めて下さって感謝しています。菫さんは、僕たちにとって烏滸がましいかもしれませんが、妹のような存在です。何故だか、懐かしい気持ちになります。だからどうかお気になさらず、ここでは皆に甘えてお過ごし下さい」
ご住職さまの涼しげな声は、聞いているだけで心が洗われるよう。
潤くんと出会うまで、こんなに誰かに何かをしてもらうことはなかった。
意固地になって差し出される手を突っぱねているうちに、誰も近寄らなくなってしまったのは自業自得。
『二十代前半で夫を亡くした気の毒な未亡人。父親が亡くなった後に産まれた赤ちゃんって気の毒ね、まともに育つのかしら?』
そう産院で囁かれていたのを偶然耳にしてから、どうしても周囲に素直になれなかった。人を信じられなくなってしまったの。
私だけでも樹はしっかり育てて見せる!
今となっては、そんな自分勝手な気負いが、いっくんに負担をかけ、健やかな成長を妨げてしまった気がして止まないわ。
「菫さん、樹くんは仏様がお授け下さった可愛い可愛いお子さんですよ。ここまであなたは頑張りました。本当に良い子にお育てになりましたね」
「ご住職さま」
「僕の息子はもう高校生になったので、樹くんや槙くんを見ていると当時を懐かしく思い出します。なので、ここでは遠慮なく僕達におちびちゃんたちのお世話をさせて下さい」
樹を可愛くて良い子だと言ってもらえて、幸せ。
赤ちゃんのお世話も、もっともっと甘えてみよう。
この人達ならば、このお寺の中ならば素直になれるから。
「ありがとうございます」
「菫さん、人生は長いです。ゆるり、ゆるりとですよ」
「はい」
ベビーベッドに槙を寝かせて、和室で私も足を伸ばして寛がせてもらった。
お寺の中庭では、さっきから賑やかに流しそうめんが行われている。
目にも鮮やかな竹林から零れる木漏れ日。
庭一杯に、無邪気な声が響いている。
ふふっ、いっくん、うれしそう!
芽生くんと一緒にぴょんぴょん飛び跳ねて、ずっとご機嫌ね。
初めてだもんね、こんなに賑やかな夏休み。
生後間もなく保育園に預け、夏休みも毎日預けっぱなしだったから、それが当たり前だと思っていたでしょうね。
潤くんと出逢ってから、少しずつ知る外の世界は、あどけないいっくんには、刺激いっぱいの日々。
「よいしょ、よいしょ、ママぁ、おそうめんをどうぞ」
「いっくんがとってきてくれたの? ありがとう」
「あのね、いっくんね、じょうずにおはしでとれるようになったんだよ」
「すごい美味しそう! 赤いハートの蒲鉾も入っているわ」
「えへへ、ママのだよ。ママがすきだから」
「いっくん、ありがとう」
いっくんをギュッと抱きしめてあげると、いっくんはふわっと笑ってくれた。
いっくんの最高の笑顔、掴まえた!
****
流しそうめんも終わり、翠兄さんと流兄さんは檀家さん巡りに行ってしまった。
「丈、夕方までここは任せたぞ」
「流兄さん、分かりました。洋と頑張ってみます」
「あぁ、そうだ。お前は一人じゃない」
お盆真っ最中なのだから当然なのだが、兄たちがこの場にいられないのは少し残念だ。出来たらずっと一緒に過ごしたい人達だから。
さぁここからは私が仕切らないと。子供の相手は不慣れなので不安になるが、流兄さんの言う通り、皆がいるから大丈夫だろう。
「あー コホン、これからプールをしようと思います。各自水着に着替えて下さい。ちなみに芽生くんと樹くんの水着はこちらで用意しています」
「わぁ~ どんなの?」
「いっくんのもあるの? いっくんのみずぎー」
私を見上げるつぶらな瞳はキラキラと輝き期待に満ちている。
薬を買うついでに子供用品売り場に立ち寄って正解だな。久しぶりに小児科の研修時代を振り返り、男児の成長データーも丸暗記して行ったので、二人の息子の父の気分でジャストサイズを購入出来た。ペパーミントグリーン色が、あどけない子供達にぴったりだと思った。
「これで、どうだ?」
「わぁ、かっこいいー」
「そうか、樹くんはこっちだ」
「いっくんのもおんなじだ、めーくんといっしょだね」
「いっくん、水着になろう!」
「あい!」
二人は庭に、ぽいぽいと服を脱ぎ捨てていく。それを潤くんと瑞樹くんが笑いながら拾い集めている。
今日は夏祭り、ここは月影寺、すべて無礼講だ。
だが医師として準備運動の指導だけは怠るわけにはいかない。だから今にもプールに飛び込みそうな子供に、準備運動を熱心に指導し、それから縁側に座らせて水遊びに注意事項を説いた。
暫く話していると、洋がやってきて「丈せんせ、それくらいで充分では?」と囁かれた。
見ると縁側に座った二人は肩を寄せ合い、こっくりこっくりと……
苦笑してしまった。
つい熱が入ってしまったな。これは職業病だ。
和室では菫さんが槙くんと昼寝をしているのも見えた。
のどかな昼下がりだ。
「よし、じゃあ、入ろう、プールはお子様ように浅くしてあるが誰か引率を」
「オレが入るよ」
「俺が行くよ」
手を上げたのは、宗吾と薙だった。
宗吾はちゃっかり自分の水着を持参していた。薙はだいぶ大人の体つきになってきたな。といっても翠兄さんに似て細身だが、筋肉も程よくついてしなやかに成長していた。
「さぁ、エンジェルズ、自由に遊んでいいぞ」
「わぁ、わぁ、いこう!」
「うん、行こう!」
浮き輪をつけたいっくんとしっかり手を繋ぐ芽生くん。
お揃いの水着を着て、誰が見ても仲良し兄弟だ。
芽生くんと樹くんと槙くん。
君たちは、月影寺の新しい時代の三兄弟だ。
****
宗吾さんたちが子供たちをプールに連れて行ってくれたので、僕は潤と休憩した。こうやって大人が順番に子供の相手をするのもいいね。大家族ならではだろう。
「兄さん、冷たい麦茶、飲む?」
「うん、ありがとう。あ……菫さんも槙くんもお昼寝しちゃったね」
「最高のBGMだよ。人の団欒って」
「うん、僕も大好きだよ」
「兄さん……あのさ……オレさ、こんな夏休み経験したことないから、いっくんに何をしてやったらいいのか分からなくて……だから誘ってくれてありがとう」
潤に頭を下げられて、慌てて上げさせた。
「潤にしてあげたかったことが出来て、僕も嬉しいよ」
僕には10歳までの思い出があるが、潤にはない。生まれた時からずっとお父さんのいない世界を生きてきた。だからしたかったこと、憧れていたことを、兄さんが今からでも叶えてあげたい。
僕達は縁あって繋がった兄弟なんだから。
「ふぎゃ、ふぎゃ……」
「あ、槙くん、起きちゃったね」
「おう、まき~ おっきしたのか」
「ふぎゃ、ふぎゃ」
潤が赤ん坊を抱いている姿を、改めて間近で見て感動した。
「泣き止まないな」
「おむつかな?」
「替えてみようか」
「兄さん手伝ってくれる?」
「うん」
槙くんの小さな手、小さな足、小さな命に触れ、僕は少しだけ涙ぐんでしまった。
たぶん、幸せ過ぎて――
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