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小学生編

白薔薇の祝福 23

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 3塁側の指定席に、芽生を座らせた。

 前から10列目と、見やすい席だった。

 芽生は3年生にしては大きな身体つきかもしれないが、大人に囲まれるとまだまだ小さく座席と人に埋もれそうだった。

「いいか、ファールボールが飛んでくるかもしれないから気をつけるんだぞ」
「うん!」
「さぁ、間もなく始まるぞ」
「あ、あのね、ボクもおじさんがすきなチームをおうえんしてもいい?」
「いいのか?」
「もちろんだよ。ボクの大好きなおじさんがスキなチームだもん。スキとスキっていいよね」
「あ、あぁ」

 ボクの大好きな?

 今、本当にそう言ってくれたのか。

 不覚にも涙が出そうになった。

 小さな子供から慕われることが、最近の私にはこの上ない喜びだ。

 以前は電車で騒ぐ子供をじろっと見ると泣かれてしまう日々だったが、あれはもう過去だ。

「おじさん、まずはルールをおしえて」
「そうだったな」

 私はバッターが打席に立つ度に、今のはボール、今度はストライクだ、ボールが4つになると『フォアボール』で塁に出られる。今のはヒットだと一塁、二塁……あそこは三塁だ。

 芽生は入院中、野球盤ボードゲームでルールをざっと学んだようだが、実践はまた別だ。特に最初が肝心だと考え、懇切丁寧にルールを教え込んだ。

 こういう緻密な作業は私の得意分野なので、つい熱が入る。

 芽生も「うんうん、あ、あれは? そっか、そうなんだね」と都度反応が素直なので、有頂天になってしまう。

 すると前の席の初老の男性が振り返ったので、しまった! 声が大きかったか……と焦ったが、そうではなかった。

「いやぁ、実に微笑ましい光景ですな。私も息子が小さい時そうやって手取り足取り教えてあげたものですよ。ルールに間違いがあっては大変だから最初はしっかり大人が教えてあげることは良いことですな」
「あ、ありがとうございます」

 自分のこの細かい性格を認めてもらったようで、嬉しくなった。

 大人も褒められると嬉しくなるんだな。

「おじさん、あれはなにをかついでいるの?」
「あぁ、ビールだよ」
「ビール? わぁ、パパのすきなのだ! おじさんもすき?」
「好きだよ。だが、私は昼間は飲まないんだよ」
「そうなんだ? じゃあジュースは?」
「はは、芽生は飲みたいのか」
「えっとね、いっぱいおしゃべりしたら、少しのどかわいちゃった」
「そうだな! よし買ってやろう」

 ふたりでストローでジュースを飲んだ。

 ストローを使うのなんて、何年ぶりだろう。

 私も童心に返っていく。

「だいたいルールは覚えられたか」
「うん! 今度、お兄ちゃんに教えてあげるんだ」
「よしよし、芽生は私に似て記憶力が良いようだ」
「そうかな~ うれしいよ!」

 ここからはリラックスして、野球観戦を楽しもう!

「おじさん、いっしょにいっぱいおうえんしようね」
「芽生の応援は心強いよ。宗吾も瑞樹も今頃頑張っているだろう」
「うん! パパもお兄ちゃんもとってもがんばりやさんだよ」
「そうだな。おじさんも二人が大好きだ」
「おじさん、ありがとう」

 こんな素直に弟を好きだと言える日が来るなんて――



****

「もしかして瑞樹くんのご両親さまですか」
「はい、そうです」
「私はこの庭園のオーナーの冬郷雪也です。今回、私が指名して息子さんに、GW中ここで働いてもらうことになりました。先ほどは、とても良い提案をありがとうございます。早速本部と掛け合ってきます。息子さんの身体に負担を強いてしまい申し訳なかったです」
「そうだったのですね。いえ、息子がお世話になっています。」

 くまさんとお母さんと、雪也さんの会話が擽ったく感じた。

 まるで文化祭に親が来てくれて、先生に挨拶しているみたいだ。

 こんな光景……いつか見たかった。

 それが今なんだ。

 誕生日に駆けつけてくれてありがとう。

 ここにも立ち寄ってくれてありがとう。

 お父さんとお母さんの存在がシンプルに嬉しい。

 手をそっと開いたり閉じたりして、動きをそっと確認した。

 良かった。まだ大丈夫。でもこの後は分からない。
 
 そんな僕の不安と迷いは、花にも伝わってしまう。

 後半は何度か花鋏を握る指先がつって、落としそうになった。

 必死に耐えたが、お母さんは気付いてくれた。

 僕が発した小さなSOSを――

「みーくん、少し休憩しておいで。俺が手伝えそうなことはしておくよ。雪也さん、俺は大工仕事なら何でも出来ますので手伝います」
「そうですか、それはとても心強いです」

 雪也さんに庭師の小屋に行くように言われたので、斉藤くんに場を任せて向かった。すると小屋の前で桂人さんが恭しく出迎えてくれた。庭師のテツさんも傍にいる。

「瑞樹さん、聞いたよ。手を見せて」
「あ、あの……大丈夫です」
「テツさんは薬草の魔術師だ。任せて」

 桂人さんは僕の手の傷痕をじっと見つめて、少し苦しげな表情をした。

「これはかなり痛かったね。数年前に指を曲げる働きをする屈筋腱を切ってしまったようだな」
「あ、あの、普段は動きます。その一時期動かなかったのですが、奇跡的に動き出したのです」
「……そうか。俺も歩けなくなる深手を負ったことがある。だから……その痛みの強さが分かるんだ。だが、触れたくない話だったよな、悪い」
「いえ、桂人さんなら大丈夫です」
「そうか、テツさん、彼を頼む」

 テツさんがぬるま湯を張った洗面器を用意してくれた。

「ここに手を浸しなさい。『手浴』といって温泉と同様の効果がある。アロマオイルを垂らすから香りもよく嗅いで」
「あ、はい」

 お湯に手を浸すと、たったこれだけのことなのに温泉に入ったような幸せな気持ちになった。

「ラベンダーと檜のエッセンスを入れた。鎮静作用があり疲れた心を癒し穏やかな気持ちにさせる働きがある精油だ」
「気持ちいいです」

 強ばっていた指先がじわりと解れていく。

 5分、10分……喧噪を忘れ無になった。

 目を閉じて身体の力を抜いていると、僕の大好きな人の香りがラベンダーと檜の中に混ざってきた。

「えっ、宗吾さん?」
「おぅ! 瑞樹、俺だ」

 目を開ければ大好きな人の笑顔が待っていた。
  
 すぐに僕の右手をお湯の中からすくって、宗吾さんが両手で優しく包んでくれた。

「よかったな。王子様のおでましだ」

 桂人さんが囃《はや》す。

「いや、俺は……王子様という柄ではないですよ」
「しっ、ここはおとぎの国だ。魔法が解けてしまう」

 桂人さんは唇に人差し指をあてて艶っぽく微笑んだ。

 どんなに年を重ねようとも、その人の魅力は健在なんだな。

「宗吾さん、ありがとうございます」
「無理させたな。もう少し考えれば良かったよ。さっき雪也さんから知らせを聞いてすっ飛んで来た」
「すみません、心配かけて」
「すみませんはなしだぞ」
「あ……はい、そうでしたね。あの……さっきお父さんが提案してくれたんです。ワークショップ型にしてみたらと……どうでしょう?」
「大賛成だ! 君の負担を軽減できるし『柊雪』を大切にしてもらえるしな」
「あ……僕と同じ事を考えて」
「以心伝心さ! だから明日からはワークショップスタイルだ。今日は助っ人を頼ってもいいか」
「あ……お母さん」
「そう、花の命を大切に扱ってくれる強力な助っ人だろう。それで会場設営には……」
「お父さん?」
「そうだ! 瑞樹の両親は頼もしいな!」
「でも外部の人間なのに大丈夫ですか」
「現地スタッフとして契約する手はずも整えた」
「でも……上手くいくでしょうか」
「出来ると思えば出来るものさ!」



 五月の青空の下で、宗吾さんが快活に笑っている。

 眩しい人。

 頼もしい人。

 宗吾さんが笑ってくれると、全てが上手くいく。

 そんな明るい気分になっていく。



 


 

 
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