上 下
1,281 / 1,730
小学生編

心をこめて 12

しおりを挟む
「よーし、いっくん、今からサッカーを教えるぞ!」
「パパぁ、いっくん、がんばるね」

 ところが、いっくんは四歳になったとはいえ、まだ身体も同じ年頃の子よりも一回りも小さく、あどけない。

 一体何をどうやって教えてやればいいのか、ろくに人に教えた経験もないので分からない。

 一方、いっくんはボールを大事そうに抱えて、キラキラと瞳を輝かせている。このワクワクした気持ちを、何よりも大切にしてやりたいな。

 よし! まずは純粋にサッカーボールに触れることを楽しもう!

 兄さんが贈ってくれたサッカーボールは幼児用だったので、軽く柔らかい。これなら小さないっくんにも安全で痛くないだろう。

「いっくん、まずはボールを蹴ってみようか」
「いっくんが、けってもいいの?」
「あぁ、そこに置いて、足でこうやって蹴ってごらん」
「うん! そーれ!」

 小さい足ではボールが少し動く程度だったが、いっくんはとにかく大喜びだ。

「お、ちゃんと当たったな」
「わぁぁ! いっくん、さっかーできたぁ」
「あぁ、すごいぞ」

 小さな達成感を身体全体で感じる様子が可愛くて、目を細めた。

「パパも楽しくなってきたよ」
「いっくんも、しゅごくたのちい!」

 いっくんがボールの周りを、ぐるぐると駆け回る。

「おんもであそぶのってたのしいねぇ」
「そうだな! これからはサッカーだけでじゃなく、パパとお外で沢山遊ぼう! よーし、おいかけっこしようか」
「うん!」

 オレがボールを蹴りながら軽く走ると、いっくんが歓声をあげて追いかけてくる。息を弾ませて冬の野原を何周も駆け回っていると、いっくんもオレも鼻の頭が赤くなっていた。

「だいぶ遊んだな。少し冷えてきたな。今日はこの位にして帰ろうか」
「うん……あのね、パパぁ……このボールしゃん、おうちにつれてかえってもいいの?」
「あぁ」
「……どろんこしゃんだけど、いいの?」
「玄関にいっくんのボール置き場を作ってあげるよ」
「わぁ、ボールしゃん、おうちまで、いっちょだね」
 
 いっくんはボールを大事そうに抱きかかえて、頬ずりしている。

 ほっぺに泥がついたが、大人しいいっくんがグッと、わんぱくそうに見えて可愛かった。

 こんなに大切にしてもらえるなんて、このボールは幸せだな。

 柄ではないことを思ってしまった。いっくんといると、オレの脳内もどんどん柔らかくなっていくよ。

 玄関を開けると、すみれが立っていた。

「ママぁ……どうちたの?」

 いっくんが心配そうに、すみれを見上げた。

 その表情は、少し心配そうだった。

「あ……どろんこ……ママ、ごめんなしゃい」

 いっくんは自分の汚れを気にしていた。同時に外遊びの件を、我が儘を言ったと思ったのだろうか。

 どこか、おどおどした調子になってしまった。

 すみれと二人の時はいつも聞き分けよく大人しくしていたのが伺えて……泣けてしまうよ。

 すみれが悪いんじゃない。

 そうしないと成り立たなかったのだろう。

 誰も責められないよ。

 あぁ、参ったな。

 かつての瑞樹兄さんを思い出しちまう。オレの代わりにいつも周りに謝って、口癖のように「すみません」とばかり言っていた兄さんの寂しい顔を。

 たった10歳で見知らぬ家にやってきて、気ばかり遣って……

 すみれといっくんのこれからは、そうじゃない。そうはしたくない。

「すみれ、いっくん、よく聞いてくれ。これからはオレがいるんだ。オレには今までの分も沢山甘えて欲しい。世間体なんて気にしないで、そうして欲しい!」

 初めてかもしれない。オレの方から必死に切実に叫んでいた。

「……潤くん」
「パパぁ?」

 いっくんはポカンとしていた。

 すみれはハッとした表情の後、すぐにいっくんを抱きしめた。

「いっくん、ママはあなたがだーいすきよ。お外は楽しかった?」
「ママぁ~ ママぁ~ しゅき。いっくんもしゅきだよぅ」

 いっくんの小さな手が、すみれの背中にそっと回される。

「パパとサッカーできてよかったね」
「うん! しゅごく……しゅごく、たのちかった!」
「よかったね! これからはパパがいるから沢山お外遊びもしていいのよ。どろんこになっても大丈夫! 元気な証拠だわ!」

 すみれが、いっくんのどろんこのほっぺを優しく撫でた。

「すみれには……ひとりで抱えてきた荷を全部下ろして欲しい」
「潤くん、ありがとう。私……まだどこかでいっくんを縛っていたみたい」
「……いいんだよ。ずっと頑張ってきたんだ。本当にここまでいっくんをこんなにいい子に育ててくれてありがとう」
「……潤くん……いつもそんな風に言ってくれるのね」
「当たり前だ。何度でも言うよ。いっくんはオレたちの子だ」

 すみれとオレは、いっくんに降り注ぐ暖かい太陽の光になろう!

 
****

「芽生くん、起きられそう?」
「ん……お兄ちゃん」
「もう一度、お熱を測ろうね」
「う……ん」

 芽生くんは3時間ほど眠っていた。

 額に手をあてると、まだ燃えるように熱かったので、やはり午後の診察で病院に行くべきだと決心した。芽生くんが眠っている間に宗吾さんに連絡して指示を仰ごうと思ったが、会議に入っているようで連絡が取れなかった。今は病院に行く方が先だ。後で結果を添えて連絡しようと思う。

「うーん、まだ38℃超えているね。やっぱり病院に行こうね」
「うん……行く、せんせいにみてもらうよ」
「よし、じゃあ汗を拭いて部屋着に着替えようね」
「……うん。おにいちゃん、おきがえさせて」

 熱で少しぼんやりしているが少し眠ってすっきりしたようだ。

 今なら連れて行ける。

 夜、熱が上がる前にお医者さまに診てもらおう。

 かかりつけの小児科には何度か一緒に行ったし、大丈夫だ。

 保険証と一応母子手帳も持って芽生くんに水分を取らし、ダウンコートとマフラーと手袋でしっかり防寒し、外に出た。

「ゆっくり歩こうね」
「う……ん」

 当日の予約は一杯だったので、待つのは覚悟の上だった。

「わぁ……すごい人だね」
「みんな、おかぜかなぁ」

 やはり冬の小児科は想像よりずっと混んでいた。具合が悪いのは芽生くんだけじゃない。みんな辛そうだ。

「おにいちゃん……さっきから、おのど……いたい……」
「そうなんだね」
「つばのみこむのもいたいよ」

 かわってあげたい……本当にそう思う。

 いつもの笑顔が消えてしまった芽生くんが、心配で堪らないよ。

 しっかりしろ、瑞樹。

 深呼吸して、待合室で心を整えた。

「からだ……だるい……よぅ」
「芽生くん、お兄ちゃんのお膝を枕に寝ていていいよ」
「う……ん」

 芽生くんが全力で僕を頼ってくれる。それが伝わって力になった。





「滝沢芽生くん、お待たせしました」

 ようやく名前が呼ばれたのは、それから1時間も後だった。

「芽生くん、先生に診ていただこうね」
「う……ん」

 40代後半の先生は、芽生くんを赤ちゃんの頃から診てくれているので、症状を伝えると、熱心に耳を傾けてくれた。

「なるほど……芽生くん舌を出して、あーん」
「うーん。病名をはっきりさせるためにも検査をしようね」
「けんさ? い……たい?」
「大丈夫だよ。保護者の方は、しっかりだっこしてあげてくださいね」
「おにいちゃん……こっちきてぇ」

 芽生くんが必死に僕を呼ぶ。

 芽生くんは注射や検査が苦手なんだ。

「うんうん、おにいちゃんがいるから、がんばろうね」
「う……ん」

 喉と鼻の奥の粘膜を取られ、半泣き状態だ。

「ぐすっ」
「芽生くん、がんばったね」
「おにいちゃん……おにいちゃん」
「病名が分かったら、よく効くお薬も出るから早く良くなるよ」
「そう……なの?」
「帰りに好きなゼリーを買おうね」
「モモがいい……」
「うん、うん」

 甘えていいよ、もっともっと……

 こんな時こそ、全力で甘えて欲しい。

 今は『ごめんね』も『ありがとう』も置いて、ただただ甘えておくれ。

 それが僕の願いだよ。

「りんごも……ほしいな……」
「ゼリーなら食べられそうだね。どっちも買おう!」
「おにいちゃん、だいすき!」

 心からの言葉に、じわりと心が温まる。

「はやくなおるといいなぁ……」
「明日もずっと一緒だから焦らなくていいよ」
「ほんと?」
「うん、だから、大丈夫だよ」

 ここはリーダーのアドバイスに、素直に従おう。

 僕は……ずっと病気になるのが怖かった。一人で眠っていると、また世の中にひとりぼっちになってしまったようで……孤独に押し潰されそうだった。

 芽生くんにそんな寂しい思いはさせたくない。




 検査結果は、インフルエンザは今のところ陰性で、溶連菌が陽性だった。

 溶連菌の説明を受けて、なるほど症状とあてはまると納得出来た。

 それに病名が分かって、少しホッとしたよ。

 原因不明の高熱は怖いから……

「お薬をしっかり飲んで眠ったら、ちゃんと治るからね」
「うん、なんかほっとした」
「うんうん、そうだね」

 桃とリンゴのゼリーを買ってあげると、芽生くんがようやく少し笑ってくれた。

 その笑顔に元気をもらった。

 僕には、芽生くんのために出来る事がある。

 だから、心をこめて看病するよ。

 

 

 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

処理中です...