1,068 / 1,730
小学生編
誓いの言葉 26
しおりを挟む
東銀座、テーラー桐生。
シャッターを下ろすために外に出ると、遠くからバイクのエンジン音が聞えた。
暗い路地に眩しい光が届く。
蓮が帰って来た!
振り返ると、速度を落としたバイクが俺の前でキュッと停止した。
ヘルメットを取った蓮は、少し長めの前髪を掻き分け、ふっと微笑する。
その一連の動作に……我が弟ながらドキッと胸が高鳴る。
相変わらず細くて華奢なのに、黒豹のようにしなやかな男だ。
「お帰り、蓮」
「ただいま、兄さん」
少し汗ばんだ額に浮かぶ汗すらも美しい男だ。
「無事に届けてきたよ」
「菫ちゃん、元気だったか」
「……幸せそうだったよ」
「結婚式が間近だしな」
「……兄さん……」
蓮の言葉の先を読み、店のシャッターを素早く下ろし、地下に降りた。
Barミモザの開店まで、あと1時間。
蓮の娘の迎えまで、あと30分。
「蓮、今日はありがとうな」
「兄さんの役に立てて嬉しいよ」
「軽井沢までぶっ通しで往復なんて、疲れただろう、店に立てるか」
「ふっ……おれはタフだよ。こんなことも出来る位にね」
蓮が背伸びして、口づけしてくる。
熱く甘い弟の唇を、貪るように吸った。
****
「潤、写真を送ってくれてありがとう!」
「兄さんのイメージ通りだったか」
「その上を行くよ。インスピレーションが湧いたし」
「何の?」
「お母さんのブーケに使う花のこと……実は迷っていたんだ」
「そうだったのか。言ってくれたら相談に乗ったのに」
電話の向こうの潤の声は、どこまでも穏やかで優しい。
傍にいっくんがいるようで、モゾモゾと動く音がした。
「パパぁ?」
「いっくん、ちょっと待ってな」
「だあれ?」
「パパのおにーちゃんだよ」
「みーくん? めーくんのパパぁ?」
まだ舌っ足らずのしゃべり方が可愛いな。
芽生くんも出会った頃こんなしゃべり方をしていたので、懐かしいよ。
「いっくん、もしもししたいなぁ」
「はは、挨拶してくれるのか」
「うん! いっくんちゃんとできるよ」
聞いている僕も、胸がポカポカになってくる。
潤……すっかりいいパパになって!
「兄さん、悪い、ちょっと話してもらえるか」
「もちろんだよ」
「もちもち、みーくんでしゅか」
「はい、みーくんですよ」
僕も口調を合わせるように優しく答えると、ぱぁと明るい空気を感じた。
「あのね、いっくん、パパとね、しろいおはなつくっているんだよ。おばあちゃんにあげるんだ!」
「写真を見たよ。とっても上手だね」
「えへへ」
「頑張ってね」
「うん! あのね、みーくん」
「なあに?」
「ありがと」
「え?」
どうしてお礼を言われたのか分からなくて、キョトンとしてしまった。
「何だろう?」
「あのね、パパのおにーちゃんで、ありがと」
「……いっくん」
参ったな。子供の何気ない一言にグッと来て、ほろりと泣いてしまいそうだ。
だからなのか……潤と出会ってからの日々に思いを馳せてしまった。
あぁそうか、潤とは……上手くいっていなかった時期の方がまだ長いんだな。
10歳で潤と出会い、僕が高校を卒業するまで一つ屋根の下で暮らした。あの頃は潤の存在が怖かった。苦手で話すのが苦しいと思ったこともあった。
だから家を出た。
上京してからは、積極的には帰省出来なかった。
あれは思春期の好奇心だったのか。ただただ……潤からの悪戯がエスカレートするのが怖くて怯えていたんだ。
そんな潤との蟠りが解けて今のように滑らかな関係になったのは、皮肉なことに、あの事件がきっかけだった。
あの事件は僕に生涯消えない傷痕を残したかもしれないが、その代わり潤と和解出来て、潤を受け入れられるようになった。また宗吾さんと芽生くんとの関係も一気に深まり、函館の実家との縁も強まった。
失ったものも多かったが、得たものの方が多いと思いたい。
僕を無理矢理手に入れようとしたあの人の顔は、もう朧気だ。
悔い改め……罪を償って謝罪していると風の便りで一度聞いたが、それ以上のことを知るのは避けた。
あの日、絶望の淵で見た光景は、まだ僕の心の奥底に潜んでいる。
だが今の……僕の日常は、こんなにも幸せで溢れている。
だから恨むことはやめた。
怒りや憎しみからは、何も生まれないから。
今、息をして……幸せを感じながら生きていることに感謝したい。
「みーくんとパパ、なかよししゃんだね」
「うん! そうだよ」
いっくんからのハートフルな言葉に、また涙が溢れそうになった。
いろいろあったが、僕は潤の兄になれてよかったよ。
「パパぁ、おはなしできたよ!」
「いっくん、えらかったな。もしもし兄さん?」
もう一度潤の声を聞くと、どこまでも愛おしく感じた。
潤は……僕の大切な弟だ。
「あ……あのね。僕は……潤の兄さんだよね?」
「当たり前だろ? オレの大事な兄さんだよ」
「……ありがとう。あ、そうだ……潤は白い薔薇を育てている?」
「あぁ職員用のプライベートガーデンで育てているよ。ちょうどいい頃合いだ」
「良かった! その薔薇でお母さんのブーケを作ってもいいかな?」
「えっ、本気で……オレの育てた薔薇で?」
「うん、潤が育てたのがいいな」
そう伝えると、電話の向こうの潤が声を詰まらせた。
「あーもうっ! 兄さんは、人を泣かす天才だ」
「え……じゅーん? もしかして……泣いているの?」
「嬉しいに決まってんだろ! 母さんの門出にオレの育てた花を使ってくれるなんて! しかも兄さんがブーケに束ねてくれるなんて最高だ。全部……オレの夢だった」
じゅーん……
潤の夢、憧れ。
そこにいつも僕がいるのが、今はとても嬉しいよ。
「潤、いい結婚式になるといいね。僕たちの大事なお母さんの門出なんだから」
「兄さん、三兄弟の力を合わせような!」
「うん!」
明るく強く力強い約束を、潤と交わした。
兄弟がいるっていいね。
頼もしいよ。
潤の存在が……今は、とてもね。
シャッターを下ろすために外に出ると、遠くからバイクのエンジン音が聞えた。
暗い路地に眩しい光が届く。
蓮が帰って来た!
振り返ると、速度を落としたバイクが俺の前でキュッと停止した。
ヘルメットを取った蓮は、少し長めの前髪を掻き分け、ふっと微笑する。
その一連の動作に……我が弟ながらドキッと胸が高鳴る。
相変わらず細くて華奢なのに、黒豹のようにしなやかな男だ。
「お帰り、蓮」
「ただいま、兄さん」
少し汗ばんだ額に浮かぶ汗すらも美しい男だ。
「無事に届けてきたよ」
「菫ちゃん、元気だったか」
「……幸せそうだったよ」
「結婚式が間近だしな」
「……兄さん……」
蓮の言葉の先を読み、店のシャッターを素早く下ろし、地下に降りた。
Barミモザの開店まで、あと1時間。
蓮の娘の迎えまで、あと30分。
「蓮、今日はありがとうな」
「兄さんの役に立てて嬉しいよ」
「軽井沢までぶっ通しで往復なんて、疲れただろう、店に立てるか」
「ふっ……おれはタフだよ。こんなことも出来る位にね」
蓮が背伸びして、口づけしてくる。
熱く甘い弟の唇を、貪るように吸った。
****
「潤、写真を送ってくれてありがとう!」
「兄さんのイメージ通りだったか」
「その上を行くよ。インスピレーションが湧いたし」
「何の?」
「お母さんのブーケに使う花のこと……実は迷っていたんだ」
「そうだったのか。言ってくれたら相談に乗ったのに」
電話の向こうの潤の声は、どこまでも穏やかで優しい。
傍にいっくんがいるようで、モゾモゾと動く音がした。
「パパぁ?」
「いっくん、ちょっと待ってな」
「だあれ?」
「パパのおにーちゃんだよ」
「みーくん? めーくんのパパぁ?」
まだ舌っ足らずのしゃべり方が可愛いな。
芽生くんも出会った頃こんなしゃべり方をしていたので、懐かしいよ。
「いっくん、もしもししたいなぁ」
「はは、挨拶してくれるのか」
「うん! いっくんちゃんとできるよ」
聞いている僕も、胸がポカポカになってくる。
潤……すっかりいいパパになって!
「兄さん、悪い、ちょっと話してもらえるか」
「もちろんだよ」
「もちもち、みーくんでしゅか」
「はい、みーくんですよ」
僕も口調を合わせるように優しく答えると、ぱぁと明るい空気を感じた。
「あのね、いっくん、パパとね、しろいおはなつくっているんだよ。おばあちゃんにあげるんだ!」
「写真を見たよ。とっても上手だね」
「えへへ」
「頑張ってね」
「うん! あのね、みーくん」
「なあに?」
「ありがと」
「え?」
どうしてお礼を言われたのか分からなくて、キョトンとしてしまった。
「何だろう?」
「あのね、パパのおにーちゃんで、ありがと」
「……いっくん」
参ったな。子供の何気ない一言にグッと来て、ほろりと泣いてしまいそうだ。
だからなのか……潤と出会ってからの日々に思いを馳せてしまった。
あぁそうか、潤とは……上手くいっていなかった時期の方がまだ長いんだな。
10歳で潤と出会い、僕が高校を卒業するまで一つ屋根の下で暮らした。あの頃は潤の存在が怖かった。苦手で話すのが苦しいと思ったこともあった。
だから家を出た。
上京してからは、積極的には帰省出来なかった。
あれは思春期の好奇心だったのか。ただただ……潤からの悪戯がエスカレートするのが怖くて怯えていたんだ。
そんな潤との蟠りが解けて今のように滑らかな関係になったのは、皮肉なことに、あの事件がきっかけだった。
あの事件は僕に生涯消えない傷痕を残したかもしれないが、その代わり潤と和解出来て、潤を受け入れられるようになった。また宗吾さんと芽生くんとの関係も一気に深まり、函館の実家との縁も強まった。
失ったものも多かったが、得たものの方が多いと思いたい。
僕を無理矢理手に入れようとしたあの人の顔は、もう朧気だ。
悔い改め……罪を償って謝罪していると風の便りで一度聞いたが、それ以上のことを知るのは避けた。
あの日、絶望の淵で見た光景は、まだ僕の心の奥底に潜んでいる。
だが今の……僕の日常は、こんなにも幸せで溢れている。
だから恨むことはやめた。
怒りや憎しみからは、何も生まれないから。
今、息をして……幸せを感じながら生きていることに感謝したい。
「みーくんとパパ、なかよししゃんだね」
「うん! そうだよ」
いっくんからのハートフルな言葉に、また涙が溢れそうになった。
いろいろあったが、僕は潤の兄になれてよかったよ。
「パパぁ、おはなしできたよ!」
「いっくん、えらかったな。もしもし兄さん?」
もう一度潤の声を聞くと、どこまでも愛おしく感じた。
潤は……僕の大切な弟だ。
「あ……あのね。僕は……潤の兄さんだよね?」
「当たり前だろ? オレの大事な兄さんだよ」
「……ありがとう。あ、そうだ……潤は白い薔薇を育てている?」
「あぁ職員用のプライベートガーデンで育てているよ。ちょうどいい頃合いだ」
「良かった! その薔薇でお母さんのブーケを作ってもいいかな?」
「えっ、本気で……オレの育てた薔薇で?」
「うん、潤が育てたのがいいな」
そう伝えると、電話の向こうの潤が声を詰まらせた。
「あーもうっ! 兄さんは、人を泣かす天才だ」
「え……じゅーん? もしかして……泣いているの?」
「嬉しいに決まってんだろ! 母さんの門出にオレの育てた花を使ってくれるなんて! しかも兄さんがブーケに束ねてくれるなんて最高だ。全部……オレの夢だった」
じゅーん……
潤の夢、憧れ。
そこにいつも僕がいるのが、今はとても嬉しいよ。
「潤、いい結婚式になるといいね。僕たちの大事なお母さんの門出なんだから」
「兄さん、三兄弟の力を合わせような!」
「うん!」
明るく強く力強い約束を、潤と交わした。
兄弟がいるっていいね。
頼もしいよ。
潤の存在が……今は、とてもね。
11
お気に入りに追加
832
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる