上 下
1,013 / 1,730
小学生編

にこにこ、にっこり 4

しおりを挟む
 少し早めの昼食は、ミートソースのスパゲティだった。

「これ、プリンセスホテルの名物なんだ」
「わぁぁ、いっくん、これ、だいしゅき!」
「待って待って、いっくんはエプロンをつけようね」
「うん! つけるよぅ」

 いっくんは用意されていた紙のエプロンをつけてもらい、ニコニコ笑っている。芽生くんは、その様子をじっと見つめていた。
   
  えっと……この場合、芽生くんもつけた方がいいのかな? でも今日はお兄ちゃんらしくふるまっているので、つけない方がいいのかな?

 そんなことで悩んでいると、芽生くんに笑われてしまった。
 
「お兄ちゃん、ボクはとっても気をつけてたべるよ。お兄ちゃんもだよ」
「わ……わかった」

 湯布院での騒動を思い出し、恥ずかしくなった。

「ふふっ、子供のお世話しているうちに、自分が零しちゃったりしませんか」

 菫さんに話しかけられて、図星だったので真っ赤になってしまった。

「あ、あります!」

 しかもガタッと立ち上がってしまい、テーブルを揺らす始末だ。

 今日の僕……なんか格好悪い。きっと潤がカッコ良すぎるせいだ。
 
「兄さん? ちょっと落ち着いて。そんなに落ち着きなかったっけ?」
「ご、ごめん」
「なんだか話に聞いていた印象と少し違うけれども、とっても可愛いお兄さんだわ」
「菫さん、分かってくれる? その通りなんだよ。俺の兄さんはすごく可愛い人なんだ」

 広樹兄さんならともかく、潤の口から何度も『可愛い』だなんて。

 そんなことを言われる日が来るなんて、夢にも思わなかった。

 ふぅ……少し落ち着こう。

 慣れないシチュエーションに、動揺し過ぎだ。

「えっと、潤……そのセーター、今日も着てくれたんだな」
「この菫色のセーターのおかげで挨拶も順調だったよ。兄さんありがとう」

 潤の晴れやかな笑顔は、いつまでも見ていたいほど明るいものだった。

「お兄ちゃん、はやくたべないとさめちゃうよ」
「わ! 本当だね」

 食べながら、今度は芽生くんが洋服にソースを飛ばさないか確認し、ついクセで、潤の胸元もちらちら見てしまった。

「おいおい、兄さん~ 俺はもう子供じゃないぞ」
「くすくす、お兄さんから見たら潤くんはまだまだ子供よね」
「あ……ご、ごめんっ、そんなつもりじゃ」

 慌ててフォークを置いたら、ソースがピシャッと胸元に跳ねてセーターに赤いシミが点々が出来てしまった。

「わっ……どうしよう」

 想定外のことに動揺し、今度は真っ青になる。

「大丈夫、これはすぐに落とせますよ」
「兄さん、菫さんの言う通りだ。大丈夫だからな」
「お兄ちゃん、だいじょうぶだよ」
「みーくん、なかないでぇ」

 全員にフォローされて、恥ずかしかったけれども、心の中がポカポカになった。

 ずっと目立ちたくなかった。

 両親と弟を交通事故で亡くした可哀想な子供。
 
 一人だけ生き残った不憫な子供。
 
 もうこれ以上心配されるのも憐憫の情をかけられるのも嫌だった。
 
  でも、今は違う。

   こんな優しい人たちに囲まれて、生きている。

 セーターは菫さんがすぐに応急処置をしてくれたので、事なきを得た。

「私はアパレル業界にいるので、いつもシミ落としグッズを持ち歩いているんですよ」
「そうなんですね。綺麗に落ちて助かりました」
「あ、そうだ……よかったら結婚式で、芽生くんにフラワーボーイを息子と一緒にやってもらえませんか」
「フラワーボーイ?」
「挙式で、バスケットに入れた花びらをバージンロードにまきながら、花嫁の前を歩く子供のことですよ」
「なるほど、花には『清め』の意味があるから……バージンロードを清める役割なんですね」

 その輝かしい光景を、想像してみた。

 五月のよく晴れた日。
 
 薔薇の咲く庭での、ガーデンウェディング。
 
 花かごを持って無邪気に微笑むのは、いっくんと芽生くんだ。

「兄さん、あのさ……俺からも頼みがあって」
「何? 僕が出来る事なら全力でサポートするよ」

 潤と菫さんは、優しく見つめ合った。
 
「実は兄さんに菫さんのウェディングブーケと俺の胸元のコサージュを作って欲しいんだ」
「僕でいいの? イングリッシュガーデンのスタッフに任せた方がいいんじゃないかな?」

 嬉しい申し出だが、結婚式が模擬結婚式も兼ねていると聞いていたので躊躇してしまう。

「イベント担当の北野さんの了承は得ているから、そこは大丈夫だ。俺たち、兄さんがいいんだ」
「瑞樹くん、どうかよろしくお願いします」

 それを聞いていた、いっくんもぺこんと頭を下げる。

「みーくん、ままにとってもかわいいのつくってねぇ」

 続いて芽生くんの拍手!

「わぁ、お兄ちゃんのお花、だいにんきだね。ボクもうれしいよ」
「僕でいいの? 本当に」

 この後に及んで心配症な僕は、つい弱気になってしまう。

「兄さんがいいんだ」
「瑞樹くんがいい」
「みーくんにきまりだね」
「お兄ちゃん、がんばって」

 言葉の力って、すごい。

 力ではなく、言葉によって動かされる。
 
 優しい言葉に包まれて、また泣いてしまいそうになった。

 僕は幸せになってから、涙脆くなった。

 宗吾さんが隣りにいてくれたら、彼の胸にもたれて泣いてしまいそうだ。

「に、兄さん。泣くのはまだ早い」
「ご……ごめん。小さかった潤の結婚式に参列出来るだけでも嬉しいのに、花を捧げられるなんて、嬉しくてね」
「兄さん……俺こそ、兄さんに参列してもらえて嬉しいんだよ」




 
 昼食後、広大なアウトレット施設の庭を、皆で散歩した。

 芽生くんといっくんはすっかり仲良しになって、二人で駆け回っている。

「いっくん、転ばないようにね」

 ベシャッ!

 そう声を掛けた途端、いっくんがカエルのようにぺたんこに転んでしまった。

「ぐすっ……う……えーん、えーん、えーん」

 すぐに起き上がれず、寝そべったまま泣き出した。

「こらっ、だから言ったでしょう」
「いっくん、大丈夫か」

 菫さんが駆け寄り潤が抱き起こすと、膝小僧を大きく擦り剥いてしまっていたので、すぐに潤がいっくんを抱えて手洗い場に駆け込んだ。

 潤の焦った顔、心配そうな顔。

 どれも……もう立派な父親の顔だね。

 血が滲む膝小僧をそっと手当してやる様子に、僕と芽生くんは顔を見合わせた。

「ジュンくん、カッコイイね」
「そうだね」
「あのね、ボクがころんだときのお兄ちゃんとおなじお顔だよ」
「え……そうなの?」
「あの時のお兄ちゃん、とってもカッコよかったよ。あ、今もだよ」
「あ……ありがとう、芽生くん」

 芽生くんにとって、カッコよい存在でいられることが嬉しかった。

 芽生くんは、まだ泣いているいっくんの頭を、そっとなでてあげていた。

「いっくんの、いたいのいたいのとんでいけ」

 僕が以前芽生くんにしてあげたことは、芽生くんの心にしっかり吸収されていた。

 そうか……優しさって、こうやって……人から人へ伝えられるものなのだね。 
  
  子育てって、一方通行じゃない。

 手をかけた分、こうやって成長という形で見せてもらえるんだね。

「いっくんね、めーくんと、もっとあそびたい」
「じゃあ、こんどは原っぱにいこう。ころんでもいたくないよ」
「うん!」

 小さな背中には、可愛い羽が生えているように見えた。

 僕の地上の天使。
 潤の地上の天使。

 軽井沢の春はもう少し先だけれども、僕の心には確かな春がやってきた。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

処理中です...