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小学生編

降り積もるのは愛 8

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「パパ、ボクもタマゴ、わってみたいなぁ」
「おっと、卵はダメだ。芽生は混ぜるところだけな」
「えー」

 芽生が途端にしょんぼりする。
 あぁもう……こんな時、瑞樹ならどう答えるだろうか。
 もう小学生だし挑戦させてもいいのか。

「わかったよ。こっちのお皿に試しに割ってみろ」
「うん!」

 芽生が真剣な顔で卵を机の角に当てて割るが、ぐしゃっと潰れて、大きな白い殻が白身に巻き込まれてしまった。

「わ……わわ、ごめんなさい」
「大丈夫だ。失敗して覚えていけばいい」
「うん!」
「いいか、卵は平らな場所で割るのがコツなんだよ。尖ったところに当てると、殻の破片が卵の中に入りやすいんだ」
「そうなんだね!」

 俺も離婚するまで知らなかったよ。必死に動画を見ながら練習したんだ。

 コンコンとノックするような音が響き、大きなヒビが入る。

「そうそう、その境目を両手の親指で広げてみろ」
「うん!」
「あとは殻をふたつに広げて、中身をそっと出して」
「よいしょっと」
「よし! 今度は成功だな」
「やったぁ~!」

 トラの子芽生が、ぴょんぴょん跳ねて喜ぶ。

 ははっ、トラじゃなくて兎みたいだな。

 それにしても、卵ひとつでこんな笑顔になれるのなら、俺たちの日常には幸せの素が沢山転がっていることになるな。

  

 卵と粉と牛乳を混ぜてバターを引いたフライパンでじっくり焼くと、次第に香ばしい香りが漂ってきた。踏み台にのぼって、その様子をじっと見つめる芽生もご機嫌だ。

「おいしそう~」
「ほら、もう焼けるぞ」
「あのね、お兄ちゃん、まだ起きないかな? ボクの作ったパンケーキをたべてもらいたいな」
「そうだな、次は焼くところもやってみるか」
「うん! あとね……お兄ちゃん……またトラさんになってくれるかな?」
「ん?」

 心配そうに芽生が呟く。

「さっきお兄ちゃんのトラがね、ベッドの下にグシャグシャになっていたんだよ。あれじゃ……ベッドのおばけに吸い込まれちゃうよ~」
「はは……そうか、そうか」
「お兄ちゃん、いつもキレイにたたむのにヘンだよね。今、何を着てねむっているのかな? まさかスッポンポンじゃないよね?」
「お、おう、どうだろうな?」

 おっと、子供の目線が低いことを忘れていたぜ! 

 昨日俺が剥ぎ取ったトラの着ぐるみの行方、さっきドアを開けた一瞬でちゃんと見ていたのか。芽生も小学生になったんだし、俺たちももう少し気をつけないとな。

「そうだ! ボク、お兄ちゃんのようすを見てくるよ。もしトラがきえていたらサンバくんを呼ばないと」

 芽生がピョンっと踏み台から降り寝室に向かって走り出したので、慌てて追いかけた。

 まずい! 瑞樹は、まだ裸だ!

 しかも昨日かなり彼の身体にマーキングしちまった!

 白い素肌に散らばる花弁を見たら、また怪我したと大騒ぎだ。

「芽生~ ストップ!」

 そのタイミングで、寝室の扉が開いて瑞樹が登場した。

 彼は気恥ずかしそうに目元を染めた、可愛いトラの姿になっていた。寝起きでぼんやりしていることもあり、色っぽいトラの出現に俺の心臓が高鳴った。

 あぁぁ……ヤバイって。(この衣装はオールインワンで目立つんだ!)

「あー! お兄ちゃん、今日もトラさんだ!」
「芽生くん、宗吾さん、おはようございます。あの……寝坊しちゃって……すみません」
「疲れているんだから、もっと眠っていてもいいのに」
「いえ、美味しそうな匂いがしたので」
「お兄ちゃん、おなかすいてる?」

 瑞樹が芽生と視線が合うようにしゃがみ込んで、ニコッと微笑む。

「うん、とても空いているよ」
「じゃあちょっと待ってね」
「あ……芽生くん、僕ね、その……トラの衣装が暑くて寝汗をかいたから、シャワー浴びてきてもいいかな?」
「あーだからぬいでいたんだね。わかった! じゃあ天井にとどくほどのパンケーキをやいておくよ」
「ふふ、楽しみだよ」



 セーフ!!
 
 瑞樹は芽生の相手が上手だと感心しつつ、俺も一緒にシャワーを浴びたくなった。俺たち、昨日かなり運動したもんな。君がいつになく積極的だったから、俺も止まらなかった。すごく良かったぜ!

「パパ、焦げくさいよ~、ん? あれれ?」

 何故か芽生が俺のトラに顔を埋め、クンクンと鼻を鳴らす。

「どうした?」
「ふしぎだな~ お兄ちゃんからはパパの匂いがして、パパからはお兄ちゃんの匂いがするねぇ」
「え?」
「いいなぁ~ ボクも今日はいっしょがいい」
「お、おう!」




 今日はトラの着ぐるみのまま、ゴロゴロと過ごそう!
 
  ホテルメイドのおせちを肴に、昼からコタツでビールと日本酒を飲んで、コタツでゆっくりまったり……最高の寝正月だ。

 正月休みは四日までだから、気持ちもゆったりだ。


****

「北野さん、車借りていいですか。今日は外出してきます」
「潤、寝正月はやめて友達と会う気になったのか。それともまたお兄さんが遊びに来てくれるのか」
「実は急に函館から母が遊びに来てくれることになって」
「へぇ、良かったな。どこに行くんだ?」
「これを兄からもらったので」

 北野さんに軽井沢プリンセスホテルのアフタヌーンティー・ペアチケットを見せた。

「これはスペシャルだな」
「はい!」
「おっと……潤、俺のジャケットを着て行くか」
「あ……そうか」

 オレは相変わらず気が回らない。毛玉だらけのセーターを見て、急に恥ずかしくなった。

「北野さん、ぜひ貸して下さい」
「潤はお母さんにカッコイイところ見せたいのか」
「そうですよ」

 意気揚々と答えると、北野さんが突然態度を変えた。

「じゃあ貸すのはやーめた」
「へ? 何でですか」

 意図が読めない。
 オレ、怒らすようなことしたか。
 
「軽井沢駅の向こうにはアウトレットがあるだろう。あそこでお母さんに着る物を見繕ってもらえ」
「え?」
「ほら、これは俺からのお年玉だ。正月特別手当だよ」
「そんな、悪いですよ」
「お前は……なんだか親戚の坊主みたいで放っておけないんだよ」

 そんなわけで、俺は今、作業服のまま軽井沢駅に立っている。

 去年の冬は、こうやって瑞樹達を出迎えたのが懐かしいな。

 今年は、俺の母さんを待っている。

 北野さんには「他人の借り物よりも、まずは今のお前のありのままの姿を見せて来い。それでたまには母親と買い物でもするといい」と言われてしまった。

 参った、照れるぜ!

 母さんと買い物なんて、そんなことした記憶がないから。

 それでも久しぶりに母さんに会える。

 そのことで胸がいっぱいだった。

 俺は父親の顔を覚えていない。だから俺が思い浮かべる親は、母さんだ。そして兄貴と兄さんが父親がいない分、精一杯支えてくれた。

 俺って今更気付いたが、一人で勝手に大きくなったわけじゃないんだな。

 母を待ちながら、胸にじわじわと熱い思いが込み上げてきた。

 母と兄貴に反抗し、瑞樹を苛めた過去は消えないが、やり直せることと、やり直してもいいことを、去年、瑞樹に教えてもらった。

 母さんも兄貴も兄さんも、俺を幸せにしてくれた。

 大好きだぜ!

 やがて改札に、母さんの姿を捉えた。キョロキョロと辺りを見渡していて、なかなか俺に気付いてくれない。そういう所、おっとりした兄さんと似ているな。あぁもうっ、じっれったい。

 オレはここにいる、ここだ!

 無意識のうちに、周囲が驚く程の大声で母さんを呼んでいた。

「母さん! こっち! こっちだよ!」

 
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