上 下
749 / 1,730
小学生編

見守って 9

しおりを挟む

 青い車を抱きしめていると、芽生くんがパタパタと戻ってきた。

「お兄ちゃん、明日のじかんわりあわせたよー! はやくお風呂に入ろう」
「そうだね」

 早くお菓子が食べたいなので、すばしっこいね。
 
 満面の笑みで誘われたら、断れないよ。

 裸ん坊になった芽生くんのお腹はぷっくり膨れていて、それがまた可愛かった。

 餃子沢山食べていたものなぁ。しかし甘い物は、やはり別腹だね。

「あのね、さっきお兄ちゃんのわらったおかおとボクにてるっていわれて、うれしかったよ」
「お兄ちゃんもだよ」
「えへへ」

 宗吾さんによく似た顔で、にっこり笑う芽生くんのことを、目を細めて見つめた。

 本当に君は、僕の大好きな人の面影を色濃く受け継いでいるね。

 大好きだよ。ずっと――

「早く、あらわないと」
「あっ、もうお膝は痛くない?」
「うん! もうだいじょうぶだよ」
「良かった」

 転んで怪我をしても、ちゃんと皮膚は元通りになっていく。人生もそうだね。良くない事が起きても、ちゃんと治療すれば……元通りになっていく。僕の右手の傷痕も……もうこんなに薄くなった。ちゃんと動くようになった。

 お風呂上がりに、芽生くんにホットミルクを作ってあげた。

「どれにする?」
「えっとね、このクッキーがおいしそう。こんがりしていて」
「そうだね。今日はこれを食べてみよう」

 芽生くんとクッキーを食べると、ほろりとした気持ちになった。
 
 この味って、もしかして?

「お兄ちゃん、とってもおいしいね。手作りっていいね」
「うん! そうだ、セイにお礼の電話をしてくるね」
 
 この時間なら、セイも一息ついてゆっくりしているだろう。

「もしもし、セイ?」
「お、瑞樹! 元気か。久しぶりだな」
「うん! 変わらず元気にやっているよ。今日荷物が届いたよ、ありがとう」
「あー、勝手に送りつけてごめんな」
「いや、ちょうど僕もこの青い車を思いだして、送ってもらおうと思っていたから驚いたよ」

 芽生くんが電話の横で、青い車を走らせていた。

「うちの子がさ、瑞樹の使っていた部屋で見つけたんだ。まだおもちゃを丁寧に扱えない年頃だからさ、妻と話し合って瑞樹の元に戻すことにしたんだ。あれはとても大切な宝物なんだろう?」
「ありがとう。そうだったのか。ごめんね。まだ私物が……その通り、母が買ってくれた大切な車だよ」
「やっぱりな、あとで車の裏を見て見ろよ」
「うん? あ、あとクッキーなど沢山ありがとう。セイの手作り、すごく美味しい」
「よかった。宗吾さんにも食わせてやれよ」
「わかった。あの……」

 あれは母のレシピ……僕の舌が覚えている。

「セイ、ありがとう。懐かしい味だった」
「へへっ分かったか? 瑞樹の母さん、料理上手だったよな。お菓子もいつもうまかったよ。俺も作っていて懐かしくなった。小学生の瑞樹は、いつも美味しそうな匂いがしていたもんな」
「え?」
「お菓子の匂いがしみついていたのかもな」
「そんな、くすっ」

 僕って、もしかして匂いを吸収しやすいのかな?
 宗吾さんには花の香りがすると言われるし。

「また遊びに来いよ。芽生くんも大きくなっただろうな」
「春から小学生だよ」
「そっか、じゃあお菓子は入学お祝いだ。遠慮無く受け取ってくれ」

 セイとの電話を切ったあと、芽生くんを呼んだ。

「芽生くん、車の裏を見せてくれる?」
「うん?」

 くるりとひっくり返すと、黒いマジックで文字が書かれていた。

「あ、何か書いてあるよ」
「なんて?」
「『みーくん』って」
「あ……」
「ほら?」

 僕の膝にのせられた車の腹には『みーくん』と懐かしい母の文字。

「うっ……」

 ただでさえ母の味のクッキーに懐かしい気持ちが迫り上がっていたのに、もう駄目だ。

 震える指……右手の人差し指で、その文字を一文字ずつ丁寧に辿った。


 ……

「瑞樹? そんな所で何をしているの?」
「……な、なんでもない」

 僕は子供部屋の片隅で、膝を抱えて蹲っていた。

「みずき? 何を持っているの?」
「何も……」
「ほら、おいで」

 お母さんが僕を立ち上がらせると、足下に青い車が残った。
 車輪が取れてしまった……壊れた車だった。

「あら? 壊れちゃったの?」
「ご……ごめんなさい」
「いいのよ、もしかして……夏樹がこわしちゃったのね」
「ち、ちがうよ。僕のせいだ」

 僕が大切な車を出しっぱなしにしていたからだ。夏樹には悪気はなかった。まだ小さくて、加減が分からないだけだ。

「ぐすっ、ご、ごめんなさい」
「いいのよ。みーくん」

 お母さんがギュッと抱きしめてくれると、ホッとした。

「こっちにおいで」

 お母さんに手を引かれて階段を下りた。

「パパ、これ修理できそう?」
「ん? あぁ出来そうだ。小さなネジ回しを持ってきて」
「よかったね」

 お父さんが器用に分解して、車輪のパーツを取り付けてくれた。

「あ、ありがとう」
「瑞樹、ちょっと壊れた位で全部駄目になったと悲観するな。こうやって修理したり出来るんだからな」
「うん……」
「そうだ。瑞樹、お名前ペン持って来て」

 お母さんが青い車の腹に『みずき』と丁寧に名前を書いてくれた。

「これはママとみーくんの思い出の車だから、とっても大切なの。だから……忘れないように書いておくね。それにいつか瑞樹に乗せてもらう約束も兼ねて、お名前を書いたのよ」
「ママ……! ありがとう」

 つい幼い子のようにお母さんを呼んでしまった。

「ふふっ、みーくん。おいで!」

 両手を広げた母の懐に飛び込んだ。

「うん! パパもママも、大好き……」

 ……

 あの日の僕は、今の芽生くんと同い年だった。

 お母さんが話してくれたことを、全部思い出せた。

 そして静かに泣いた。

「お兄ちゃん、だいじょうぶ?」
「あ……ごめんね。泣いたりして」
「ううん、これはお兄ちゃんの大切な思い出がつまった車なんだね。ボクの家にようこそ!」
「ありがとう。芽生くん」

 芽生くんがティッシュを持って来て、僕の涙を一生懸命拭いてくれた。

「泣かないで、もうさみしくないよ。お兄ちゃんにはボクとパパがいるよ」
「うん、本当にその通りだよ」

 芽生くんの方から僕を抱きしめてくれたので、また……はらはらと泣いてしまった。

「お兄ちゃん、今日の涙は、とてもキレイだよ」
「芽生くん……っ」

 母を想う涙を……綺麗だと言ってくれる芽生くんが愛おしくて溜まらないよ。

「芽生くん、あとで青い車で遊ぼう」
「うん!」
 
 お父さんの言った通りだ。

 突然、壊れてしまった僕の家族。

 でも心の修理が終わったら、こんなに幸せな家族が……日常が待っていた。

 小さなことに怯えずに生きる大らかな宗吾さんという人と、その息子の芽生くんと出会えた。

 僕の青い車は、今日、ここから発車する。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

『別れても好きな人』 

設樂理沙
ライト文芸
 大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。  夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。  ほんとうは別れたくなどなかった。  この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には  どうしようもないことがあるのだ。  自分で選択できないことがある。  悲しいけれど……。   ―――――――――――――――――――――――――――――――――  登場人物紹介 戸田貴理子   40才 戸田正義    44才 青木誠二    28才 嘉島優子    33才  小田聖也    35才 2024.4.11 ―― プロット作成日 💛イラストはAI生成自作画像

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

処理中です...